最初に乗ったのは昭和56年だったな。
中央線に1編成のみ入り、特別快速の運用には就いていなかった。
東京駅の事務室で時間を聞いて2時間くらい待った。
車両に強い友達が「東京〜高尾間の電気代が103よりも1000円安くすむ」
なんていっていたな。
この頃の特別快速はすでにヘッドマークがなくなって寂しく思っていたが、

やがて201系が特快運用に入り、前よりは小ぶりながらヘッドマークが復活して
嬉しく思った。そして大月にも行くようになるわけだが、
藤野や上野原あたりの住民は「UFOが現れた」くらいの驚きがあったという。