201系スレ
103系に代わる次世代の通勤電車として期待されながらも
様々な新機軸を盛り込んだ故の高コストが泣き所となり
ついに一大勢力を築き上げることのないままに終わりそうな
国鉄・JR201系に想いを馳せる人々のスレです。 もう少し増備が続けば203系みたいにボルスタレス台車履いた車両とか登場してたのだろうか >>24
閉塞感分かるなあ
遮光幕が降りたままなのも評判良くなかった 京葉線で白幕車を見たことがあったが、他線にもあったのかな
京葉線特別仕様?? 今では珍しくもないが先頭車正面を黒く着色するいわゆる“ブラックフェイス”は
当時はインパクトあり、賛否がわかれてた 水色のC電は各停やったけど駅間が長く、走りっぷりは快速と遜色なかった。モーター音は103系より余裕があったから性能的に103系よりは向いてたと思う。 顔を黒くするのは方向幕の背景を黒くすれば幕の文字を白抜きすることが可能になり、
客が遠目からでも見易くなる(特に夜間)という狙いがあった。
電照式で白地だと夜間は肉眼で視認できなかった >>37
夜間に撮影すると白地は白く潰れちゃうが黒地は何とか視認できる
京葉線初期の前面白幕は製造ミスに起因するもの >>29
これ以上は架空形式スレでやれ、だが、
ボルスタレス台車、軽量車体の1000番台が出ていた可能性はあるな。 黒い顔といっても窓回りだけ
前面全面真っ黒も出現した現代から見たらカワイイものだ >>16
省エネ運動で誰が得をしたか(儲けたか)で、
分かるよな >>16 1978年頃の段階で、照明灯のLED化が実現可能になってたのかね?
空調にしても、インバータ式なんてかなり後の話。
鉄道用ディーゼルエンジンは、海外見渡せばもっと効率の良いエンジンが実用化され始めていることを知りえたのだろうが、当時の国鉄の厳しい財政で輸入技術によるディーゼルの開発が停滞していたわけで。
ディーゼルエンジン改善よりも、電化区間の増大、電力節約型車両の導入の方が有効という考え方もあったのでは。 空調の省エネ化の効果が絶大だったとしたら、地下鉄ではトンネル冷房を強化し、103系1000台が千代田線内では窓全開させて走ってたのではないのかなあ?
203導入する必要なくなる。 最初に乗ったのは昭和56年だったな。
中央線に1編成のみ入り、特別快速の運用には就いていなかった。
東京駅の事務室で時間を聞いて2時間くらい待った。
車両に強い友達が「東京〜高尾間の電気代が103よりも1000円安くすむ」
なんていっていたな。
この頃の特別快速はすでにヘッドマークがなくなって寂しく思っていたが、
やがて201系が特快運用に入り、前よりは小ぶりながらヘッドマークが復活して
嬉しく思った。そして大月にも行くようになるわけだが、
藤野や上野原あたりの住民は「UFOが現れた」くらいの驚きがあったという。 東京駅から国分寺駅まで通勤でよく乗ったけど
冬の朝なんかは、暖房はなかなか効かないし、
すきま風はあるわで車内は寒かったよ。 このまえおおさか東線やら阪和線やら乗りに行って、
大阪の鉄ヲタはいいなあと思った。 101や103に比べれば、高速運転時に静かで振動も少ない。常磐快速の103はうるさかった。 とにかく不評だった国電通勤車の、
地に落ちていたイメージを幾分回復してくれたのが
201系だったと思う
そんなに悪い印象がない おおさか東線は201も103もあるよ。
関西本線もね。 思えば、緩行線からトタ青編成になった130両のうち20両以外は快速運用と無縁のまま廃車になったのだなぁ… >>58
何となく分かる
103が内装も性能もアレだったから、201の登場で国電も私鉄レベルになったものだと感じた 新しいだけでもう好感度急上昇w
そのくらい京阪神電車区間の車両は冴えなかった >>47 >>50
細かいことだが、時系列が前後しているので補足させてもらう。
(旧)特快のヘッドマーク廃止は86年3月のダイヤ改正時
201系の大月乗り入れ開始は86年11月改正時
(新)特快のヘッドマーク復活はJR化後の87年5月
特快のヘッドマークの電照化は92〜93年
だよ。 まとめ乙です
結構自分の記憶がいい加減なことに気づかされたわ‥ 京阪神緩行線からいなくなって、そろそろ10年か。
そのため、西日本からブルーがいなくなった。 ちょっと目を離したらこれかい
Evaluation: Good! 登場時、新聞に紹介されたときは従来の通勤電車よりもかなり快足になったと言われていた
比べる相手が103系では大抵そうなってしまうのだが(苦笑 103系だってそれまでの旧型国電よりは速いと言われてたでしょ 各停にしか使われない電車で速くなったと言われてもなあ
駅間で数秒程度じゃないの? 201系は風冷チョッパだったっけ?
太陽熱でチョッパ装置が熱暴走して対策として熱が蓄積しないよう機器箱を白く塗ったなんて事もあったとか
その後機器を小型化できるフロン冷却が主流になったがVVVFの台頭ですぐ廃れた >>85
ノンフロン冷蔵庫はイソブタンを冷媒に使ってるが発火性あるんだよな
大昔はアンモニア使ってたのもあった 今から思えば危なっかしい薬品が日常生活の中には普通にあったんだな >>76
出足は103系と大差ないと感じたが、その後の加速が新しさを感じさせた
やっぱり新車は速いなあ!と嬉しく思ったよ その気になれば110キロ運転も出来ただろうがやらなかったな
実験もしてないはず スピードよりも、
如何に詰め込めるか、
について重んじていたのでしょうか? いんや。
いかに詰め込めるかは、民営化に205系のサハ204が挑戦してるよ。 >>如何に詰め込む
冷蔵庫先生風に言えば、乗客軽視だろうなあw >>88
大多数の乗客はそんなことには関心なく、クーラーが付いてるとかシートが柔らかいとか、
まあそんなものだす。 冷房は当時の酷電には必須アイテム
おれ中学から電車で通学してたが特に梅雨時の蒸し暑さが
我慢できなくて冷房車が走り出した頃はわざわざ一本見送ってでも乗ってた でもすぐに汚れが付着してあの鋭い光沢が鈍ってしまうんだなー 大月特快の山線区間で中間運転台の計器を見るのは面白かったな。
90キロ近くなると直通の2針がバラバラ上がると同時にググーッと減速が効いて、電圧計もスイッと動いて…。
やがで60数キロ台まで落ちると「シュホ〜」のユルメ音と同時に針がスウッと戻る。 >>96
201系は揺れも音も車内明るさも101系や103系轟音とは比較にならなかったよ
冷房も扇風機もちがってて効きも違う 扇風機は滑らかに首を振っていたのが印象的
103系はカクカクとしたなんともぎこちない動き 201系に扇風機は無いだろう。
ラインデリアだよな? 試作車は最初KE90の他にKE76があったんだな
量産車にはなく試作車も量産化改造で撤去されてる
非常時に101系を救援するために取り付けてた? 青と緑の下駄電時代からの室内色調から一転、
ベージュ・ブラウン色を駆使した車内が国鉄としては新鮮すぎた。
幼かった僕は黒い顔、暖色系室内、天井のスッキリ感、
変わった音の出るモーター車、Hゴムが無くなってスッキリ、
銀色の冷房装置(関西出身なもので)、スムーズな乗り心地…
数え切れない程の新鮮さに虜になりましたのです。 分割編成は別として転用で短編成化された車両が
103系や205系に比べてあまりないよな 3両にしづらいし、転用が少なかったのは仕方ないわな
言葉を変えれば、あまり都落ちせずに済んだということか 2006年9月3日 信濃毎日新聞
http://www.shinmai.co.jp/news/20060903/mm060903sha4022.htm
JR手配ミスで臨時列車運休 諏訪の新作花火で計4本
諏訪市の諏訪湖畔で2日開かれた全国新作花火競技大会に合わせて、JR東日本が
運行を計画していた臨時列車など計4本が、同社が車掌を手配しなかったミスの影響で
運休となった。乗客約700人に影響し、同社は「お客さまに迷惑を掛けて申し訳ない。
2度とこうしたミスがないよう、再発防止に努める」(八王子支社)としている。
同支社などによると、臨時列車に使用するための回送列車(10両編成)が同日午前
11時47分に豊田駅(東京都日野市)を出発する予定だったが、車掌が現れないため
運転士が東京総合指令室に連絡。やがて車掌が現れ、約70分遅れで運行を始めた。
同支社は手配ミスの詳しい経緯を調べている。
この回送列車は午後2時10分すぎに小淵沢駅に到着して上諏訪行きの臨時快速と
なる予定だったが、運行できなかった。この影響で、さらに松本発小淵沢行きと富士見
発松本行きの臨時列車各1本、松本発上諏訪行きの普通列車1本が運休した。 >>114
え、東京の乗務員が長野県内の臨時にまで遠征してたのか。
今でもそんなやり方なのか? クモハ200に強引にATS-P付けたら凄い事になってたかもな
以下の案が考えられる
・客室内に設置する
・屋根上に設置する
・サハ201に車上装置を置いてジャンパ栓で引き通す(JR西日本のクモハ103が反対側のクハ103からジャンパ栓引き通してる)
・MGをSIVに変えるかサハ201に移設し床下に設置する 京葉線の900番台込み編成は固定で使ってたならば7+3でも良かったのに
こうすればパンタグラフの位置が量産車と合う >>117
別にクモハ115みたくに乗務員室仕切りに設置でしょ >>119
あれ機器箱を床上に置いてるとか不細工な置き方してる
119系ATS-PT取り付け改造はクモハ119だけ客室内にあって出っ張ってるが化粧板を貼って目立たないようにしてる
運転状況記録装置も大型で置き場所に難儀しキハ187系は網棚潰してる 鶴見線に201系投入されていたらどうなっていたか
先頭車化改造されてただろうがやはりATS-Pの置き場所に困ってただろうな 何にしても設置スペースに困ったら真っ先に皺寄せの対象になるのが網棚 103系でもクモハ103はATS-P設置スペースに難儀したな
乗務員室仕切りの天井付近に細長い箱があった
運行番号幕を潰した車両と潰してない車両がある
南武支線101系も同じ工法だった 初めて乗った時ポールダンス仕様に未来感(チビジャリでエロ興味はなかった)
乗り心地が頭をゆっくり振る感じになって空気バネすげえと思った
省エネブームの先鞭みたいなもんで後に大臣が半袖背広着るアホーマンスにつながった、のか 201系の広島転用は実現しなかったな
実現したら話題になっただろうが
103系もそうだったがロングシートでの長距離乗車は拷問ともいえた