日本国内のテレビ局で沖縄返還の昭和47年・1972年当時で
北海道から沖縄までテレビネットワークが充実していたのはTBSくらい。
3大都市圏と、札幌、仙台、広島、福岡と、新潟、金沢、静岡、岡山、那覇まで基幹放送局を民間で持っていたのはTBSしか無かったはず。

昭和40年代から昭和60年代のTBSテレビは報道番組とニュース番組はダントツに凄かった。
特に報道のTBSとまで言われた。
ロッキード事件と田中角栄の逮捕報道の特別報道体制は他の民間放送の追随を許さないほどの実力を示していた。

平日夕方の6時30分からはJNNニュースコープが放送されてニュースキャスターは
古谷綱正、入江徳郎さんと言う重厚な顔ぶれがニュース原稿を読み上げていた。

昭和40年代から昭和50年代のTBSテレビはテレビ局のネットワークも随一だった。
日本3大都市圏、札幌、仙台、広島、福岡の他にも新潟、金沢、静岡、岡山、那覇まで
基幹局を置いたネットワーク体制が成し得た民間放送としての実力であるが、
同時は北は北海道から沖縄まで全国ネットワークできる民間放送はTBSテレビしかなかったと思う。

報道のTBS、ドラマのTBSと言われた当時は同時にNHK以外では日本有数のネットワークが形成されていたことを思い知った。

沖縄返還から間もなく半世紀の50年が経過しようとしているのだが

昭和40年代後半当時で、アサヒと日テレは、全国を網羅するほどのテレビ局のネットワークが無かったはず。
日テレは、いまだに沖縄県には系列局が無い。
確か、昭和40年代にTBSの他に民放で急速にネットワークを伸ばしたのはフジテレビだった。沖縄返還間もない時期に系列局があった。

この当時で、テレビ局のまともなネットワーク網を持っていたのはTBSくらいだったのは事実。
沖縄返還当時で、北海道から沖縄までネットワークを構築していたのは、受信料徴収の公共放送のNHK以外ではTBSくらいだった。

確かに、日本3大都市圏、札幌、仙台、広島、福岡、新潟、金沢、静岡、岡山、那覇と言う主要地域に系列局を置いたのはTBSだけだった。