あの時代にデジカメがあれば [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
フィルムが勿体ないから貨物列車や鈍行はスルー・・・
今となっては後悔しかない 8ミリは詰まるとすぐ焼けるし大変なんだよな。
映像技術に関しては当時の未来予想を超えてるかもね。 夜間撮影はフィルム時代は苦労したよな
90年代にコニカがコニカカラーGX3200を出してたが天体撮影用で粒子が異様に粗かった
今でも白黒ではイルフォードがDELTA3200を出してるが実効感度がISO1000しかないため現像時に感度を指定しないと露出アンダーな写真になってしまう 今は感度に関しては通常撮影で1000なんて全く問題がない。
屋内スポーツなら6400位は全然問題なく使ってるから。
レンズを選んで光軸に気をつければ夜間の走行写真も撮れるしな。 特急、急行それに夜行寝台だけでなく、青梅線、南武線の旧国や私鉄の吊り掛け車両をもっと撮っておくんだった。
だが最悪なのは、実家を片付けたときに、昔、自分が撮った鉄道写真が見つからなかったことだ。
親が撮った幼稚園の頃の自分の写真はアルバムに整理され、きちんと残っているというのに・・ ネガは褪色もすごいよ。ポジも国鉄時代の70年代末期のはかなりヤバい。
特に当時のフジのは像が消えかかりそうなのがある位、
コダック、さすがにコダクロームは強い。 デジカメというよりはスマホがあったら
廃線跡とかツイッターにアップしまくりだろうな カラーは退色し像が消えかかりやすいが、モノクロはアルバムにしまっといて保存しとけば、50年経っても鮮明。
50年近く前、親が撮影した東武DRCをバックに幼少の頃の自分が映っている写真が良好な状態で残っている。
60年余り前になるか、母が高校の修学旅行で乗った時の、観光用トレーラーバスの前で写した記念写真も同様。 モノクロでも紙焼きで定着が悪いと褪色してるよ。
モノクロフィルムは保存性良いが油断するとカーリングが凄い。
何にせよ早急にデジタルデータ化する事は必要だね。
個人的にはデジカメのマクロレンズでコピー複写、
すぐに複数の記録メディアにコピーしてる。 鉄ピクの編集部など出版社では、写真の保存管理スペースが結構な大きさになっているのでは?
ネガより焼き付け写真で保存した方が長持ちするそうだが、ネガ捨てるわけにもいかないだろうし。
最近は、デジタル化進めてるのかな。 雑誌は個人提供の写真も多いから大丈夫じゃないの?
写真は印刷用のフィルム保管かデータ管理はしてるだろうしな。
古い貴重なネガや新車取材用とかはポジ管理だろうが。 EH10やEF57をもっと撮っておけばよかった
あと旧電、旧客や混合列車、普通貨物も・・・
ああ〜、やっぱキリがない 40年位前、仮にデジカメがあったとしても客室内から前面展望を撮影するのが難しい車両が多かった。
山手線に総武快速線など、ATC搭載で運転席全く見えないという車両が増えていたわけで。
そうでなくても、ブラインドで遮っているとか。 ED75への転換で玉数が少なくなったED71をね(涙)
車内、車内から撮影という発想は当時はなかったなぁ... 映画用フィルムやAPSフィルムはポリエステル使っててビネガーシンドロームの心配はなくなり保存性が向上したが35mmフィルムは未だにアセテート使ってんだな
匂いを嗅ぐと酸っぱい臭いがするのはそのため PF投入のブルトレブームの頃、関西のガキ鉄なら夏休みなんか
大阪駅徹夜なんてイベントがあったな。
一晩で関西夜行に九州ブルトレを上下撮れた訳だから
当時デジカメ持ってりゃいくらでも撮れたのにな。 ターミナル駅の構内写真って全体が壁や屋根で覆われていて暗いからか少ないんだよね 昔撮れなかった分を取り返す為に撮っている感もあるかな。 スチルビデオカメラは80年代に登場したが撮り鉄で使ったという話を聞かないな
高価な上に画質が悪く専ら報道機関しか使われてなかった スマホカメラがなければ盗撮も取締りの警官も減っていたのに
職場の同僚がエスカレーターで盗撮して捕まった時のアホさ加減ったら 2005年には当時一般的だった容量である0.5GBのSDカードがおよそ5000円する時代だった。
2017年の今では32GBのものが2000円を切るようになった。(計算の都合上、1250円としておく。)
即ち、単位容量あたりの値段が12年間で256分の1に下がったことになる。
「12年間で256分の1に減る」という右肩下がりの指数関数のグラフに基づくと、
1981年に仮にSDカードが存在していたとしてその値段は
0.5GBで3億2768万円になるわけだが、
買う気はするか?
そこまで高ければ俺はフィルムカメラを選ぶ。 RAW画像が出来てから雑誌の写真で使えるようになったな
JPEGは編集を繰り返すと画質が劣化する
2003年のEOS Kissデジタルが民生用でのデジイチのハードルを下げたといえよう 銀塩語るなら中判、大判も語ってくれ
いくらデジカメがよくなっても大判で撮った紙焼きにはかなわないだろ? これが40年位前だったら、「あの頃インスタントカメラがあったら・・」という話題になってたんだろうな。
当局の監視を逃れつつ、木造車撮りたかったとか・・ 40年前なら一眼レフとモードラにトライXがあったらなだよ。 あの時代にでじかめがあれば
EF60とかEF65とかちゃんと撮っていただろう >>48
インスタントカメラでも構えた時点でしょっ引かれるような気がする デジカメが普及するくらいの技術が
あったら、旧客のサボがLED化改造
されてたかもわからん 品川特発しないと捌き切れない繁忙期の上野駅に、デジカメ持ったマニアが退去襲来し、駅構内を混乱状態に陥れてたかもしれないぞ!? フィルムという媒体は残ってるが、デジカメになってからデータが消えてしまったりなくなってしまう フィルムはきちんと保存しないと画質劣化しやすいよ。
デジタル画像データは、新しい媒体にコピーすれば保存できる。バックアップを幾つか作っておくべきだろう。
で、もしも50年位前にデジカメがあったなら、新京成線、相鉄線、東武野田線といった、当時と今とで変貌著しい路線を撮影したいものだ。
電車だけでなく駅前風景も含めて。他、編成美完全無視の西武の10両編成急行も。 コダクロームは色褪せにくいよな
フジクロームはすぐ色褪せてしまう
APSフィルムはポリエステルが採用されたが35mmフィルムで採用されなかったのが不思議であるが
相変わらずアセテートであるため経年40年位でビネガーシンドロームが起きる >>57
だが美術作品も今やデジタルで記録だよ。
フィルムの修復にデジタル技術は絶対欠かせないし。
まぁ現実は昔ネガオンリーで撮ってた奴はご愁傷様、
コダックのポジやモノクロフィルムはまぁ大丈夫。
デジタルの古いデータでも現状は管理さえしてりゃ全然問題ない。
ようは撮って放置してるような奴が悪いだけ。 >>50
EF60-500とかEF61とかEH10とかEF66-901とか80系とか153系とか・・・・止まらなくなるな >>57
どんなデジカメなんだよw
大体フィルムだって退色以外に破損や変形リスクもあるんだからな。
将来的にjpegが無くなる事はないだろうし、
保存性は分散が容易でリカバリーの手段は多いぞ。 一番保存性が高いのはデジタル化後にネットで公開、拡散なんだろうなぁ モノの価値分かる人達か五人十人で組織して、
デジタル化したあとのデータ持ち合いしたら
最強だね。若い世代も入って来て、年とって
亡くなった人のデータもちゃんと受け継いで
いく TorrntShareWinny
そしてなんにもない大地にただ風が吹いてた ポラロイドで撮り鉄した人っているのか?
その場ですぐ写真が出来上がったが会社が倒産したな
出来上がった写真を封筒に入れて駅近くの郵便ポストに投函すれば鉄道雑誌にスクープ写真送れたはず
その一方でフジのチェキはデジタル全盛期でも人気を誇ってる
インスタントカメラの代名詞がポラロイドからチェキになった 出版社がポラロイドを受け付けしてないから。
鉄道雑誌は基本的にカラーはポジ、雑誌によっては
コダック○○指定とか銘柄の制限もあるよ。
読者投稿欄でもネガのカラープリント受け付けしたのは
結構遅かったからな。 >>68
月刊誌なんだから無意味。撮り鉄は最低一眼レフ。
以下は邪道と言われたんだからな。
大体ポラなんて重宝されてたのストリップ位だぞw 乗り鉄のイメージが強いジャーナルでさえ、昔は
毎月写真コンクールしてた程鉄道趣味といえば撮り鉄なんだよな。
ピクトリアルは確かプリントは白黒に限られていてた。
自分で現像から紙焼きまでしてた人も多かったよ。 民生用で爆発的に普及しだしたのがカシオQV-10だが解像度が低すぎて雑誌の写真には使えなかった
デジイチは90年代にもあったが100万円以上した上に35mmフルサイズCCDを作るのが難しかったのか縮小光学系仕込んでたために奥行きが大きいという異端な外観だった >>72
一般人でも手が届くようになったのは初代キスデジからやね
EOS5でシャッター・ダンパゴム溶解に懲りてニコンに移った友人が恨めしがってた ニコンはD70、それとD200で移った人多かったよ。
もう12年以上も前の話なんだが、高感度さえ使わなければ全然問題ない。
CCD機は条件にもよるがいい色出してくれる。 QV-10は発売日に秋葉行って買った。
買ったときは最後の1台で、意外と売れ行きいいのかと驚いたもんだ。
当時デジカメがフイルムカメラを駆逐するなんて夢にも思ってなかったからね デジカメ
デジイチならばニコンDfが良い。FE、FMに通ずるデザインだから、年配の人にも判りやすい。
デジイチの良い点は、ストロボの確認がすぐできる事でしょう。
昔みたいにポラを何枚も切る手間が省ける。
しかし、レフ板の方が良い。
目視でおよその確認がすぐできる。 >>78
ニコンはレンズの互換性がわかりにくいからこれからシステム揃え始める人にはオススメできない
Dfも見てくれだけクラシックだけど、図体は銀塩旗艦機+モードラ並のデカブツで
銀塩カメラ使っていた人間じゃ面食らうぞ
あと一眼レフレックスカメラのミラーをレフ板っていうのは間違いだし
電子ビューファインダーは露出やWBをすぐ確認できるから割り切れば便利 >>81
流石にモードラ付きよりは小さい。
でも今のニコンの足引っ張ってる戦犯のひとつだな。 カメラ談義は家電でやれよ
タイトルも読めないDQNが ミノルタα7000用のスチルビデオバッグあったな
これを取り付ければデジカメに変身するスグレモノだったが時代が20年位早すぎた
撮り鉄でスチルビデオカメラ使った事例を聞かない 仮に40年前にデジカメがあったとしても、特急やブルトレそれに新型車ばかり撮っていて、東京近辺から絶滅寸前の旧国や私鉄の吊り掛け車はほとんど撮っていなかった、そして後になって悔やむ、ということになるのかもしれない。
国鉄103系なんぞ当たり前すぎて撮らないだろうな・・ そもそも、走行中列車からの車窓映像が出回り始めたのは割と最近のことだからな
ニュースの記録映像など、ごく短時間のものしかなかった。
戦前の武蔵野鉄道、池袋から飯能までの運転台から見た映写フィルムなんてあれば・・今の風景と対比しつつ被りつきで見るぞ。 青函トンネル開業の頃はトンネル内から生放送するべくFPUパラボラを運転台に据え付けてトンネル出口でキャッチするという荒業やってたが今なら携帯電話回線で簡単に出来るよな
そもそも「走行中の列車から生中継」やったのがこれが史上初だった?
昔はVTR収録しか出来なかった 興味はあるんだが、カメラやんないから良くわからんけど
最近鉄道写真に限らず写真に残すっていいなぁと思う
親戚ん家はしょっちゅう撮ってたが、俺ん家はさっぱりだった
親戚ん家から時たま送られてきてた写真を何かの拍子に見返す度に
「時間を切り取る」って事に気付かされる だいたい、身の回りや近所、そして日常生活ほど記録しないものだ。
自分が小さい頃、親が撮った写真も、観光地での家族写真や子供の様子ばかりで、その周囲の日常的だった風景はほとんど撮られていない。
東武DRCをバックに写した幼かった自分の写真はあるが、その周辺にいたのかもしれない吊り掛け車も撮ってほしかったと思っても後の祭りだが。 俺は小学生から身の回りの物含めて写真撮ってたから
昔の写真を自治体からも借りにくる。
でもカラーネガはかなり状態が酷いよ。 >>92
ネガもポジもちょっと時代遡ると国産品はダメダメだね 昭和46年生まれ
子供の頃にデジカメがあれば、
地平時代の千葉−稲毛間をたくさん撮っておきたかったです。 1960年代生まれだけど、親もテツだったこともあり、現役蒸気も含め車両と自分が一緒に写っている写真が多くあります。しかし…テツの悲しさか、車両の形式やナンバーと一緒に写っているのが圧倒的に多い… >>94 津田沼電車区でクモハユ74等の旧国、新京成で途中駅に放置されていた旧型車、
キハ55の急行犬吠、まだ住宅が少なかった頃の東西線高架区間、思い起こせば色々・・
谷津遊園のVONAも忘れてはならない。 子供ってスーパースター(国鉄のブルトレや特急電車)以外を積極的に撮らないんだなぁ!ガキだから
でも特急以外にも少しは撮った何が有って今でも(ド下手だが)宝物です
そこだけは当時の自分を褒めてやりたい >>95
それは凄い幸運だよ、羨ましい
回りに鉄分を持った徳の高い縁者がいなかった小生などは只々羨ましい、羨まし過ぎるざんす デジカメ関係ないけど会津若松駅ライブカメラもあと5日だな
また一つ行ってしまう光景をみんなで惜しもうぜ やはり写真の基本は記録だよね
だから無駄も必要なんだと思う 鉄道趣味って子供の頃の鉄分環境が多分に影響する様な気がする
後はスイッチが入るか否か
つくづく思うけど「好き」に理由はないよね >>1の意図がまったくわからん。
デジカメは撮影技術の未熟さにやさしいから(暗い場所でもストロボなく簡単に撮れる、など)
そういう意味なら解るけど、
それ以外で「あの頃にデジカメがあれば…」って嘆きたくなる内容ってあるか?
いくら進化しても画質(粒子)は銀塩にはまだ追っついてないだろ? ああ、理由は1に書いてあるな。
スレタイを重視してて1をよく読めてなかったわ。吊ってくる つまり画質云々よりも残りフィルムやコマ数を気にせず撮りまくられるって事だと思われ デジカメやスマホが進化するのは嬉しいが撮りたい被写体が、 40年位前は、新幹線0系や103系を被写体とする鉄道マニアは非常に少なかった。
機能一点張り、大量画一生産でつまらないからという理由で。 >>106
中年鉄としては大いに反省すべき点です、今更ながらに普段着の姿を撮り記録する重要性が身に染みます。 ?????
いま1982年じゃないの?
さっきシブガキ隊がNAINAI歌ってたし、ジタバタするなよ って なんだ?昨日まで仏頂面してた駅員たちが改札口に整列して「おはようございます!」って頭下げてっぞ
しかも何だ?車両に貼ってる「JR」って >>110-112
無粋なマジレスするけど
そういう現在何年にナリキリって趣向のスレじゃないよここ 1865年 あの時デジカメがあったならアイアンデューク号の雄姿が撮れたのに
初代日本人カメラマン上野彦馬先生は長時間露光で苦労しながら撮ったんだろうな いや、こちらこそ
でもスレタイだけ見たらやっぱりそれ系のスレに思うかな。 黎明期のデジタルカメラといえば、2インチフロッピーディスクに保存するスチルカメラだったな。
デジタル記録な割には、出力がアナログなカメラであり、静止画を残すのには、
ビデオプリンタ、テレビ用のビデオキャプチャの静止画記録機能が必要で面倒だった。
値段が大変高価な割には、画素数は8万画素程度だった。 キヤノン Q-PICっての持ってたな。
アナログ信号に変調して記録するから厳密にはデジカメとは言えないが シーカーストーンの写し絵機能じゃだめ?
大地の汽笛の陸蒸気の前で笑顔でパシャリと。 タラレバを言い出したらきりがないが1970年代前半は日本中が
大変なSLブームで多くのカメコが駅や沿線にいた。
がSLのいない駅では電車や電機にカメラを向ける人は少なく、
ウテシも親切な人が多く運転台を見せたり線路に降りるもOKとか
今から見たら信じられないような撮り鉄フレンドリーな環境だた。
一人撮影会状態でもフイルムの残り枚数とか明るさ不足を理由に
シャッターを押さなかったことが多かったことを今更ながら惜しまれる。
現像するまで結果が見えなかったこともストレスではあった。
蒸気を噴き上げながら旧客レや荷レを引く58、61…見ただけで終わった。今は
高速連写、高感度、自動露出、オートフォーカス、手ブレ防止…もう十分やろw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています