鉄道会社がやらかした安物買いの銭失い [無断転載禁止]©2ch.net
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日高本線のキハ130
軽快気動車を投入してみたのはいいが塩害に悩まされ10年ちょっとで廃車 >>85
沖縄といえばQRコード乗車券の方が凶悪だろ 名鉄が無人駅にまで導入した自動改札機
わざわざ駅舎まで画一的なカマボコ屋根のものに改築したのに
10年したかどうかのうちにICカード時代の到来 >>84
実は和田岬線を廃止にしようとしたことがあったんだよね。地下鉄がそこまで行くからで。
ところが川崎重工業が廃止にふざけるなとなって存続したんだよね。 なぜ出ない大阪市営地下鉄の第三軌条線。
これのせいで既存の私鉄、JRと相互直通が出来ず、
近鉄難波線、阪神なんば線のように二重投資に。 新型気動車導入自体が安物買いになるだろうな、これから蓄電池式の電車が入るようになるから。
暴論であることは承知の上で書き込む。 >>87
ICカード導入の為の下準備とも受け取れるな。 >>87
導入まで取りこぼしも多かったんだろうな。
車掌がいったりきたりでドアあけたりしてた。 とりあえず安物買い云々でない話題はこちらでどうぞ
失敗作だった鉄道技術やサービスなど★3 [無断転載禁止]©2ch.net
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1459507802/l50 阪急9300系と9000系は足回りをケチった失敗作。
3M5TとM車を減らし編成両端に寄せて配置。
結果起動時の衝撃と荒天時に空転が発生。
21世紀の電車とは思えない駄作。 信楽高原鉄道SKR-200形
正面衝突事故でペシャンコになってしまい軽快気動車の脆弱性が露呈してしまった
キハ52を譲り受けてれば派手に壊れて死者を出す事はなかったのに >>98
対向の国鉄キハ58が尺取り虫かΩみたいに潰れてるから、その説は外してると思うよ。
信楽側ががら空きで、JR側が超満員ってのはあって死者を増やしてるが、
信楽側が特に弱かった訳じゃ無い。 >>99
あの事故以来レールバスの新規導入がなくなって強度増やした軽快気動車が主流になったし、全く外れとも言いがたい
キハ40系とか国鉄を反面教師にして全否定していればいいみたいな安易に軽く作る風潮が終わった時でもあった >>100
別にレールバスの設計思想がキハ40へのアンチテーゼというわけじゃないぞ
コストダウンを狙って結果がああなっただけ
従って全否定云々以降の見解は的外れも甚だしい 軽量気動車に対する偏見が根深い様だね。
小型車で間に合う様な路線が淘汰されたという面もお忘れなく。 >>102
国鉄の否定云々はJR各社が手前味噌で散々放言してたからねえ >>103
問題があるという指摘を偏見にしか思えない方がよほど偏見だなあ
客の少ない路線なら粗悪な車両でいいって? 粗悪な車両ってのは琴電11000形みたいなのを言うんじゃないか?
国鉄から激安で買い叩いたのを魔改造して5年も旅客輸送に使ってた奴
乗客から見たらカネ返せレベルの安物買いだが琴電にしてみれば苦肉の策 懐かしくないけど
119系の魔改造て、なんであそこまで
したのかよくわからない >>105
国鉄時代からキハ31と32を見比べてもその通りなんだが。
同じ軽快気動車でも閑散区と超閑散区では出てきたものが違う。 >>102
いすみは1両だけで原則イベント用だが、富士の初期がまだ頑張っている。 ヲタが知識もないのに「これは失敗作だ」って判断しちゃうのは今に始まったことじゃないからなぁ
所詮隔離スレだし大目に見てやれよ とにかくJRを庇わないと耐えられない必死な奴がいるな >>5
熱で電線がやられて電線を引き直すはめになったり、6000系との消費電力の差を会計検査員から指摘されて、国鉄が営団から差額を請求される事になったりで踏んだり蹴ったり。
おまけに105系に改造するのも新製するのと変わらないぐらいの費用がかかったとか。そのおかげか今でも現役。 >>111
自分の意見が否定されたからって人格攻撃しても意味ないぞ ここまで弘南の元南海1521が出てないな。
1990年代に吊り掛け・非冷房車を買うとは、会社は何を考えてたんだ? 銭失いと言うよりも税金の垂れ流しですな
福塩線府中〜下川辺間の電化、短期間で廃止
そもそも下川辺が栄えていた形跡が見られないし >>116
可部線非電化区間でダムの工事でトンネル内がスラブまで入ってる6000mの超長い
トンネルまである付け替えの新線作っておいてろくに使わずに廃線なんてのがある。
あと数年後には根室本線の空知ダムの工事での超長いトンネルの付け替え区間も仲間入り。 >116 >117
無駄な出費だったが、安物買いではないわなあ。 北陸新幹線米原ルートになっていたらここに枕を並べたか >>106
倉庫として半世紀使われたから安物買いでもゼニ失ってない 自分達が批判されるのは辛くて苦しくて悔しいかもしれないけど、失敗は認めて改善しないと良くはならないし未来はないよ社員さん >>124
キハ40の設計に携わった人間がJR社員ww このテのエピソードはローカル私鉄が中古車入れた時のネタが多いな。 >>117
その可部線のトンネルはどこのトンネル?
調べてみたけど出て来なかった 単に鉄道会社を庇えば助けてくれると思ってるニートが必死なだけ >>131
ニートにはJRが憎いか?
むしろ私鉄の方が憎い
財力のあるJRの方が信奉している感が >>135
南阿蘇のキハ52は30年くらい前のファン誌にトロッコ列車+レールバス×3+キハ52の走行写真が載ってる >>135
「失敗した譲渡車」のランキングを見て名鉄→会津鉄道キハ8500がないことに気付く。
高性能2エンジン、最低2両編成の維持費がかかりすぎて結局NDCの内装だけ豪華にしたほうがマシだった。 あれは多分、あわよくば浅草〜会津若松の直通特急が運転できることを期待したんじゃないかねえ。>キハ8500
出物を確保しとけば、時間が掛かってもなんとかなるんじゃないかと思ってたハードルが
以外と固かったし、両数も中途半端だったってとこじゃないの。 特急用で元々は高速運転に対応した性能だったけど会津では余り速度出さず普通列車の運用も多かったので機器の劣化が激しかったと言われてるな。
名鉄時代の新品価格は5両で10億円だったのが中古車価格で3000万円で譲り受けて10年足らずで引退したので充分このスレの対象だけどいかんせん王者の野上には勝てない。 >>137
あれはあれでAT100やAT200が必死で30km/h程度まで速度落ちて喘ぎながら走ってた
上りを50〜60kmで駆け上がり、エンジンが重要な事を認識させAT600やAT700へ繋がって
いったしなあ。
難があったとすれば名鉄規格の2700mm幅仕様の台枠のため既製品が使えず、故障が続いた
足回りの更新出来なかった点と、故障が続いた原因の山岳線投入かつ評定速度70km以上に
設定された極端なハイギヤード変速機という可哀想な車両ではあったな。 パノラマカーから逃げなきゃいけなかったてのもあるんじゃないかな >>141
そもそもキハ85と併結して運行してたから同等の動力性能が必須だった
同等の性能を用意するには、同じものを使うのが一番よい
残念ながらキハ85そのままでは名鉄線を走れないから車体は新調した 会津鉄道8500系はせめて最終減速比変えるべきだった
120キロから95キロに落ちてしまうがこうした方が山岳路線でゴーストップが多い各停運用に適応できたはず >>137
何年かは走ったからじゃない?
俺は長崎に行った都電3000がないのを不思議に感じた
確かほとんど走ってないはず 50系客車以外ありえないんじゃないの?
13年、15年、17年と言った所だけどもひどいところだと例えば山陰とかの様に4年とかさらにもっとひどいところだと
1年強の福知山線とかがあったと思うww
50系客車は確かに電車ディーゼルでなくPC客車なのでまだマシとは思うけども701系電車とかで置き換える位なら何故457系電車の増備であるだとかあれだ、50系客車以外方法考えればいいのにorz >>145
機関車が大量に余ってたからその活用を考えた結果ではあったんだろうけどね
もっと低コストにしたらよかったかもしれない 低コストと言っても電車や気動車みたいにあまり車体強度は削れないからねえ
50系投入当初はス級越え客車との併結とか十数両の長大編成運用があったので 50系が安物だと言う認識はないのかw
短期間しか使わないから安物で済ませて万事結構と言う結論は?w 局地的には安物買いだったかもしれんが
50系そのものが安物買いだったとは思わんが >>144
結局走らなかった3両はともかく、2両はラッシュ時専用ながらそこそこ走っていたぞ。走行写真も結構残っている。
10か年計画によるワンマン化を進めていた長崎でツーマンカーとして竣功した時点で、
新車までの繋ぎとしか考えていなかったのだろうな。
とりあえずこのスレの趣旨には当てはまらないと思う。
>>149
知らない人は結果論だけでしか判断しようがないからね。 日本の鉄道の神様が端的に表現はしていないけど、50系客車は政治家対策用、と書いている
私の政治力で新車を入れましたから次の選挙でも私に1票を入れてください、とかに使われたのだろう
50系が中途半端になったのは、気動車での置き換えを前提に作られているため、自動ドアや綺麗な便所・明るい室内以外は低コストが優先された
そして、気動車で置き換えられた50系のオハフは荷物車化や救援車化されることになっていた
1983年在籍両数
50系953両(うちオハフ556両)
荷物車(ハニ・ハユニ・ユニを含み、スニ40系シリーズ・50系を除く)301両
救援車256両
556 = 256+301-1 結局、
・旧客の置き換えが急務だった事。
・比較的新しい機関車が余っていた事。
・国鉄の財政難で大量にローカル線向けの電車や気動車が作れなかった事。
・ベビーブーム世代は過ぎたけど通学利用がまだ多くて長い編成が必要だった事。
このような事情により格安で大量に作れる50系客車が必要で必ずしも当時の判断は間違っておらず安物買いの銭失いとは言い切れなかった。 >>152の理由は矛盾している
1.は誤解されるけど、日本PTA全国協議会が求めていたのは乗降扉の自動ドア化だけ
2.が顕著になるのは、第一次オイルショックからの追加電化による電気機関車追加製造が主な理由
もう一つは、EF58やED16など特化した機関車の後継車両を作れなかったこと
3.は2.と矛盾している
4.ならラッシュ時輸送に特化した車両となるが、実際に作られたのは旧来一般客車の近代化ケチ版
だから、安物買いの銭失い
1.旧型客車にも自動ドアは取り付けられた
2.EF58後継機関車が作られていたら、185系は作られなかったといわれている
3.のちの増発で中間車を先頭化することが大々的に行われた実例がある
4.通勤特化していたため、オハ64系は平成に入っても使われた >>153
旧型客車の折戸にドアエンジンどうやってつけるのさ?場所は?実例は?
50系が投入された路線の多くって交流電化区間か非電化区間だろ。
田舎路線のラッシュなど二扉で充分だ。全員着席で長編成というのが当たり前。
当時の事情に疎い人だということだけはよく伝わるよ。 >旧型客車の折戸にドアエンジンどうやってつけるのさ?場所は?実例は?
旧型客車を折戸に交換すればいいだけ。ドアなら12系。MRPから空気圧供給
>50系が投入された路線の多くって交流電化区間か非電化区間だろ。
岩手や山形以北の電化区間は下記の言い分により上記車両で十分
仙台以南はそれと403・423系(50Hz)、401・421系(60Hz)、一部415系を使用
50系客車は2.8m幅版戸袋窓なし113系みたいな両開き3ドア、初期はEGを、後期直流版はMGを積んだパンタ付客車から冷暖房電源を供給
だから、機関車はMRP・EG付のEF70-1000・EF81・ED74・ED75-300、MRP・KE59付のEF65P/F/1001〜1017
>田舎路線のラッシュなど二扉で充分だ。全員着席で長編成というのが当たり前。
だから超ド田舎のクレクレはタカリなんだよ
ラッシュ時には立席客が居て普通
そんなお前にはくたびれた10系座席車がお似合い
>当時の事情に疎い人だということだけはよく伝わるよ。
だから超ド田舎のクレクレでタカリをしていた人だということだけはよく伝わったよ 三セク・地方私鉄の軽快気動車
西や東海の軽快気動車は長持ちしてるのに対して、
三セクの軽快気動車はすぐにスクラップ逝き >>156
お前の案は安物買いの銭失いじゃないかw
後半は無知に裏付けされた悪口。 旧客の開戸を自動化とか現実を知らなさ過ぎ
できたとしても、それは温暖な地域のみで雪国では、すぐ使い物にならなくなるよ
24系が、なぜわざわざ引戸になったか知ってる? 旧客改造気動車キハ08,09こそ安物買いの銭失いだったような
価格は新製車の半額強と安いと言えば安いがコスパはどうしようもなく、重くてろくに走らず内装ボロくて話にならなかった >>159
>24系が、なぜわざわざ引戸になったか知ってる?
北海道の冬対策だわな
本州の12系、14系、24系、583系は折戸でとくに何の問題もなかったんじゃね? 50系に関しては安物買いの銭失いではあっても失敗作ではなく時代に翻弄された悲運の車両だったと言える。
>>152で導入当時の時代背景書いたけど当時の国鉄がその後の情勢の変化をどれだけ予期できたか。
・地方では過疎化や少子化、マイカーの普及で乗客が減って編成を減らす必要があった、また地方で短編成で増発する所も増えていて客車では効率が悪くなっていた。
・貨物列車や寝台列車が減って機関車の使い道が限られて老朽化で置き換えの時期にもなってた。
・新幹線や飛行機、長距離バスの普及で特に急行型車両と583系が余ってローカル列車に転用するようになった。
・地方幹線やローカル線でも電化が進み、赤字ローカル線の廃止も進んで気動車が余っていた。
・都市部で積極的に新車を入れて余った新性能電車を改造して転用することになった。
・NDCや1M式の電車の技術が確立して地方ローカル線向けに安く大量に作れるようになった。
等々。 常磐線上野〜勝田間・鹿児島本線門司港〜荒尾間・日豊本線小倉(門司港)〜柳ケ浦間
→高価な415系を作らなくて済む。EF81転出により、余剰休車寸前の機関車を復帰できる
→初期交直流車を交流準ローカル線・一部は交直転換区間へ転用されて、旧型客車はともかく気動車が余る
−→その気動車を非電化区間へ転属させ、さらに旧型客車を廃車させる
東海道本線小田原〜東北本線黒磯間
ネックとなった神田駅は中央線・山手外回り京浜東北南行のホームを解体して、山手線のみホームを設置
→EF65一般形5・6次車を改造したほうがいい
→地方線区への113系・115系転用。荷物列車の集約およびその玉突きにより旧型客車・旧形電気機関車を廃車
−→同じように気動車も交流・交直転換区間ほどはないものの余剰が発生し、それを非電化区間へ転属させ、さらに旧型客車を廃車させる
例えば、小郡(現新山口)まで運転していた交直流車は当然下関止め
北海道は気動車かやはり体質改善として改造した14系500番台が送られるしかなさそう
>>156訂正
○仙台以南はそれと401・403系(50Hz)、421・423系(60Hz)、一部415系を使用
×仙台以南はそれと403・423系(50Hz)、401・421系(60Hz)、一部415系を使用 581・583系は内装を取り払って、昼間特急用内装に変更した上で、長編成ばかりだった「雷鳥」へ充当すればよかったんだよ
軽くなることで軸焼けも少なくなる
下手に715系とか419系に改造するから使いにくくなったわけ
それで玉突きされる481・485系で特急増発は簡単だろ >>164
715系は元々長く使うつもりはなかったからな
419系は、交直両用車が極めて高価で長く使うことは予想できたし、車体新製してしまった方がよかった >>14
有鉄にも、国鉄急行型2連がありましたな、単行とは別に。
稼働率低かったのでは?
紀鉄の元岡山臨港1003もあまり走っていた記憶がないな。 >>167
415系800番台というものがあってだな
JR西日本ではコスト削減の観点から特急「北近畿」充当用福知山運転所(現・福知山電車区)配置の485系が直流区間のみの運用であったことから交流機器を撤去し183系化する一方で、
捻出された交流機器を車体がほぼ同一の113系に搭載し、七尾線運用への充当を計画。その結果、本系列への編入改造を施工。 近鉄奈良線、金けちってろくに発掘調査しないで平城宮跡内に線路通した。今になって路線移設しなくてはならないことに…
と経緯無視して暴論書いてみる >>170が隔離スレと書いたからwwww、
これくらいで十分だろwww 50系客車に関して
・417系電車を量産する金がない状況で手動ドアの駆逐を最優先すると
単価の安い客車を新製するしか選択肢がなかった。
・当時の鉄道ジャーナルで既に長距離ドン行は時代遅れと認識されていたが
荷物・郵便輸送の関係で客車を残す必要があった。
板谷峠のE10同様、政治的な事情もあるので先を見通すのが不可能だった。 50系客車は、性能・品質・耐久性が劣ってたっていう意味の失敗じゃないからな
客車自体が不要になるっていう情勢の変化が原因だし
艶有り青塗装の50系客車が好き オハフ13にはスハフ化準備工事がしてあったがオハフ15はしてなかった。
後年実際にスハフ化する必要が生じたのはオハフ15の方という皮肉。
北海道転用時に暖房のパワーや編成の自由度の関係でオハフ15をスハフ14-550に改造したが
台枠のエンジン台座や乗務員室の配電盤スペースがなかったので手間がかかったらしい。 オハフ13はボックスシートだったから、スハフ化改造が必要ない東北ローカル転用(2000番台)
にすることができたからね。 >>175
一般客車はほとんど走ってない地区だったから馴染みがないけど、青いマニ50は荷物列車でよく見たな そもそも客車は、ラッシュ時に客車を牽引した機関車が
昼間に貨物を牽引するという形で効率化する
旅客会社と貨物会社を分けた時点で死んでいる そんな運用している国や地域ってあるのか?
フランスやドイツも貨物会社と旅客会社で機関車を分けてしまっただろう。 国鉄時代に旧盆、年末、正月は貨物需要が減るから機関車を旅客輸送に回すと言うのは聞いたことあるが 季節的な需要の増減が激しいというのなら、判る。
運用効率が低い時は動力集中式の方がいい。 そりゃあれだ
EF65やED75で牽いてもエアコンが使えるのが12系の売りだからでしょ >>183
海外の例で申し訳ないが、ドイツもフランスも客貨両用になった今のインバータ機関車になってから、上限分離とか客貨分離などの企業分割が行われて同じ形式でも所属会社が分かれる事態が進んだ。
旅客会社でも地域交通とインターシティでは別会社だったりする。貨物会社はリース機も増えてる。
真の意味で何にでも使える汎用機が遂に実現したのに、所有は細分化した。不思議だ。
運用効率って本当に重要なんだろうか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています