鉄道会社がやらかした安物買いの銭失い [無断転載禁止]©2ch.net
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日高本線のキハ130
軽快気動車を投入してみたのはいいが塩害に悩まされ10年ちょっとで廃車 でも夜行特急の車両って20系、583系、14系、24系まで全部折戸じゃないですか
まあ全部最初は西への特急で登場ですけど 戸袋造らないでよいぶんを
車内見付けの自由度が増すからか? >>375
>>373氏も言う通り、強度設計が楽だから。 ステップ付きの車体の場合は特に大変らしいな
径の小さい車輪使ってステップなしの車両導入するのはバリアフリーの観点もあるが構造上のメリットもある キサハ34
余剰となった12系客車を気動車化したのはいいが短命だった
キハ58同士サンドイッチなら兎も角キハ58と28の間に2両入れてて加速度が低下した >>378
あれも他路線に新車を入れて国鉄形キハが捻出されるまでのつなぎでしょ?
元々長く使うつもりじゃなかったと思うよ。 >>335
あれさえなければ常磐線は水戸か平(現いわき)まで直流電化で
以北が交流だったかもなあ。
国鉄時代は、普通列車は旧国か、東北線高崎線との共通の湘南115系、房総系のスカ色113系の混用で、
急行や急行は東海道や山陽から都落ちした153系、181系、157系など。
直流&交流50ヘルツ両用の近郊型である401系、403系や、常磐線用電機のEF80は登場せず、、
それら形式番号はそれぞれ北九州用近郊型421系統や直流&交流60ヘルツ両用の西日本用電機に付けられたかも。 >>381
無理だっただろ。常磐線快速ですら今のE231が導入されるまで長らく103が幅を
利かせたままだったし。
交(直)流車といっても常磐線は首都圏に対応したステップなしのタイプ、地方向けが
ステップつきと流用もままならず量産効果がなかったことが遅れた理由で、それこそ
安物買いも出来なかったんだから。 むしろ仙台地区が交流電化になったのがマイナスに働いてる
仮にも100万都市近郊なら直流電化の方が低コストで大量に車両を走らせれるのに
なんちゃらラインだってわざわざハイブリッド車を導入する必要もなかった >>383
しょうがないよ、東北本線を電化した頃は仙台は今ほどの都会じゃなかったんだし。 それ言ったら札幌と福岡はどうなんだよ
どっちも100万都市なのに交流だし >>384
とは言っても既に直流電化の仙石線があったからな 東北本線や函館本線千歳線、鹿児島本線なんかの電化は長距離輸送が主で
国電的な輸送する気端から無かったんだろう 直流、交流の得失の比較が
機関車主体前提でやってるんだよな 常磐線が交流電化だから東北本線の黒磯以北も交流化?
直流と交流が頻繁に入れ替わるのもコストがかかるし。 黒磯構内を完全直流化して駅から外れた所で切り換えに変更予定。
黒磯以北は交直両用車両限定に。 >>391
そうなれば、高価な交直両用車両がーということで、黒磯〜白河間は気動車になっている ミスった。60年代に国鉄が交流電化でなく直流電化一本で在来線の電化を行ってたら、電化区間の進捗は相当遅れてたはず。
交流に比べて変電所が1つ余計に必要だし、送電ロスが大きく架線を太くしなくてはならない。
仮に、東北本線が全線直流電化されていたら、盛岡以北が3セク転換した時点で、同区間は気動車化されてただろうな。コストがかかり過ぎるから。 当時の政治経済的要請無視して安物買いと決めつけるならば、国鉄の63系も該当するわな。
他、機関車の戦時量産型。資材不足の中、安物で造ったが後で改造に金がかかることになった。
しかし、これらの車両が量産されなければ、輸送需要に対応できなかったはず。 冬休み厨房が何も気にせずに立てた隔離スレだから真面目に論じるのが馬鹿げている >>392
湖西線も北陸線の近江塩津の中でなく永原との間にセクション作っちゃったから
直流車がそこまで行けず、全て永原か近江今津返し。その末端部は架線あるのに普通は
キハ40の2連。
しかも近江塩津1駅で終わりなので北陸線に強制的に乗り換えだった。
今の新快速とか来るところとは思えない悲惨な本数だったらしい。 湖西線最北端は一日5往復だか7往復だかそんなレベルだったよ。長浜直流化までは
今は毎時1本新快速が走ってるおかげで、敦賀まで普通料金だけで行く人はかなり増えてる。 >>400
あれサンダーバードの誘導以外理由あったんかな? ローカルな流動自体が少ないのかな
のったことないけど >>394
交流はトンネル改修に手間かかってるからどっこいどっこいと思うけど。
(七尾線は車両調達がタダ同然なので、純粋に工事費用で直流に決めた)
それに直流電車は調達が容易というメリットがある。(中古も新車も)
八戸開業の時点では103系、新青森の時点では走るンです・・・を蹴って東急車を譲り受けてると思われ。 >>403
交流電化のいいところは、変電所の数を減らせること
直流電化のいいところは、電車の構造が単純なこと
機関車牽引が前提で、デッドセクションが全部黒磯駅みたいなやり方なら、
交流電化はメリットあったんだけど、黒磯以外のセクションは本線の途中で
車上切り替えだから、車両の構造が複雑な交直両用車両が必要になった。
変電所も無人運転出来るようになったから、交流電化のメリットは薄くなったよな。
福北ゆたか線電化の時みたいに、50kmくらい電化したのに変電所は1個作っただけで
足りちゃった、ってこともあるんだけどさ。 つくばエクスプレスは孤立路線なんだから全線交流でよくね?と思う人も多いだろうが、
トンネル断面が大きくなって都心部の建設費に響くから交直流電車を入れた方がマシらしい。 そのうちEV-E301系やBCE819系のような蓄電池電車とか
イギリスのヴァージンあずまのような交流(or直流)+ディーゼル発電が主流になって
交直流電車は減っていきそう >>408
たぶんそうだろ。
西の521を下関に配備って噂もその域を出てないし、
水戸線のE501購入の噂はもっと非現実的。
日田彦山線や日豊本線と共通運用とかにすればよさそうだ。 >>409
実際日豊線末端の延岡以南は普通は気動車だけで電車はない。しかも1日2本しかない。 岩国〜徳山のようなもんだな。元々岩徳線は旧山陽線だったが、急勾配と3000m以上の長いトンネルのある
欽明路峠を越えないとならずそれを嫌がって海沿いルートにしてる。
山陽新幹線は欽明路をまともに5000m近い長いトンネルでぶち抜いてるが。
仮に呉線が複線化していたらセノハチがあるそっちより呉線の海沿いルートが山陽線だったかも。
新幹線は安芸トンネルでセノハチもろともぶち抜いてる。 地元が出資?それとも裏事情が?
お客が付きそうもない、峠のたもとに「欽明路駅」が造られたんだが。 まだピク発祥の交直流電車なんて間違った造語使う奴がいるのか
交直両用電車だろ 大昔に秋葉の交通博物館で買った下敷きにも交直流と書いてあったぞ。 日本語としておかしいからね
Wikipediaでも交直流になってるし 国鉄工作局の諸元一覧表にも交直流って書いてあるけど? >>416
データで見るJR西日本 鉄道事業ですら交直流電車って書いてる。
交直両/www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2016_15.pdf
素直に自分がお爺さんになってしまった、日本語は乱れてる。と嘆くしかない。 子供の頃直流と交流の他に「交直流」という電気があるのかと勘違いしていた。 こうやって間違いが広まって誰も疑問にすら思わなくなるんだな >>421
素直になるのは交直流なんて摩訶不思議な単語使ってる人じゃないの >>403 仙山トンネルを始め、東北線等の幹線で交流電化のためにトンネルを改修した、拡張したという話はほとんど聞かないんだけどなあ。
交流電化では直流電化に比べて絶縁距離が長くなるから架線高さが増すことを原因としているようだが、送電ロスが少ないから直流電化で必要な特別高圧線やき電線を省略できる。
したがって、線路わきに特別高圧線等を配置するための高い鉄塔を建てる必要がない。
不要なのは直流変換用の変電だけではないわけだ。
まあ、ここは隔離スレだから直流電化の送電ロス問題知らないで安物買いと言ってくる鉄オタが湧いてくるのは仕方がないが。 言葉遣いは多数が正義と化していくモノ。
交流-直流両用 →交直両用 →交直流
1960年にデビューから57年で、こうした簡易表現化の移ろいは仕方ないんじゃないの?
その基本構造として、「直流電車に直流化変電所を積んで切換ながら使うもの」 >>425
素直だから受け入れて使ってるんじゃないの?
君が言いたいのは「素直になるのは」、じゃなく「反省するのは」、だろ?
って言われたとして、
「はあ?もう普通に使ってんだろ?日本語は変わっていくんだよ」
って反論しない? >>427
道床を低く削ったり、駅の跨線橋で吊架線を無くして絶縁離隔を確保して交流電化したことは、
九州の交流電化計画を統括した斉藤雅男氏が著書に書いてたとおもう。久保田博氏じゃなかったはず。
直流区間へ直通せざるを得ない路線の途中から交流化したことで、交流区間へ入線できる車輌が激減するとか、
北陸新幹線の並行在来線のように、高価な交直両用車ではペイできないことから、架線下でディーゼルカーを採用することになって、
そうした地域ではまさに「安物買い」の失敗になっている。
常磐線東京口や、北陸線京都口は失敗例だろう。鹿児島線のオレンジ・ディーゼルも微妙。
常磐線は藤代から先の住宅地の地代が極端に下がって不人気だし・・・・・・。
もっと輸送量が減るところでの交直切換でないと弊害が目立ってしまう。
交直両用車ってのは直流変電所が地上と車上にある2重投資だからねぇ。
クローズドの交流で行ける九州や新幹線はOK!のハズなんだが・・・・・・オレンジの判断はコスト削減にディーゼル化。 >>430 特別高圧線等の施設の必要性含めたトータルなコスト・パフォーマンス比較で論じていない、浅薄な結果論で喚いている馬鹿がいるわけだ。 >>432
「経営」は結果論の世界。妄想じゃ語れない。
トータルなコストパフォーマンスが、交直両用電車の運用で逆転してくるから、問題になってることぐらい気付きなさいよ。
かっては機関車牽引で、電化方式毎に付け替える前提だったから、交流電化マンセイで進められたが、
交直区間直通運転になって、それが輸送量の多い箇所で交直切換を必要とする場合に重大な弊害が現れたってことだ。
新幹線は交流電化の成功例だよ。分かってる?
北陸線はその技術的根拠を与えたものだが自身が不適だった。当初は蒸気機関車牽引で交直を繋いだ線だ。
北陸線に新快速って改造は交直セクションを交通量の段違いに少なくなる敦賀駅先、北陸トンネル手前に移設してその矛盾を緩和した。
黒磯先は通勤圏じゃない。常磐線はかなり苦しい!
直江津付近の交直切換は3セクじゃ負担できないと架線下のディーゼル化。
交流車じゃコスト高とディーゼル化のオレンジ。ここは中古の出物がほとんど期待できないってのもあるようだが。 >>433 何度も同じようなことを繰り返し述べてるから説得力がない >>430
常磐線の取手以北の交流化は国鉄が好き好んであの場所にしたんじゃないんだが?
柿岡の地磁気観測所が無ければ水戸迄は直流にしてたし >>417
あの下敷きめっちゃ懐かしい!
あと100系X0ヘセの定規(笑) >>435
水戸じゃなく勝田の可能性が高いような気がする >>430
いや、そこは安物買いですらなく、気動車でも十分高い買い物についてるが
交直流車ならもっと高い物になり「絶対に元手が取れない」完全失敗になってた。
おれんじ鉄道が失敗なのは当時でもNDC20m以上車として、ごめんなはり線の9640形
とかあったのに18m車にしてしまったため、通学ラッシュ時に積み残しになりそうで
連結して2両以上が必要だったという需要予測ミス(過小評価)が原因。
連結するにはジャンパー繋がないといけないから作業員も必要だしな。
その辺、えちごトキめきのET122はその辺を踏まえてなのか、21mの幅広車で。万が
一連結する場合でも操作の省力化も狙って密連+電連連結器(オリジナルのキハ122は
密連とジャンパー)で作業員不要にしている。 ↑
すまん。画像検索してたらET122には連結器カバーがあるから作業員必要なんだな。
訂正しとく。 >>433
交流電化は昭和30年代に入っても電車の時代を本気で信じてなくて
「直流区間と直通運転できない?機関車を交換すればいいじゃない。」という発想から
抜け出せない国鉄幹部が多かった証拠だな。
新幹線の大電力確保や常磐線の地磁気対策には必須の技術ではあったが。 そもそも交流電化オンリーの九州に国鉄末期まで交流専用電車がなかったって・・・
関門トンネルに入れるよう高価な交直流電車を、しかも福岡圏の通勤ラッシュに備えて
ある程度量産しなければならなかったというのは、国鉄の計画が序盤からブレていた証拠。 >>427
仙山トンネルは直流電化で作ったため
昭和戦前の直流電化用トンネルは長ければ長いほど、万が一の場合SLで通過することを考慮して作られているため大きい
だから、絶縁処理するだけで流用できた(一応底は削っている)
http://pds.exblog.jp/pds/1/200608/07/93/f0100593_20573496.jpg
あと他線は交流電化と複線化がセットでされたため、既設トンネルの改修・拡張ではなく、新しいトンネルを掘った
>>430
九州も同様で大きなトンネルは底を削って流用、小さなトンネルは新しいトンネルを掘った
ただ、城山トンネルは既設複線用を単線使用に変更し、そばに新しく単線用トンネルを掘った
そして、有名な旧(2代目)博多駅跨線橋直下の絶縁区間
短絡します→博多駅はもう少しで移転するからそこは絶縁区間にして、万が一そこで停まったら機関車で押せ
新線開通等で環境の変化に追いつかなかったのは事実だが、
鬼の動労というめんどーなヤツを黙らせたり、
教育・メンテ費の軽減を図るため車両の同一化を行うことはコスパとしてはよかった
でも、当然技術は停滞した >>440
その当時は貨物優先だから
あと、勾配用の電車用主電動機がなかったこともある(必要不可欠として作られたMT54試作は1962年)
糸魚川の交直セクションも富山側でなく新潟側に作られたのは、交直両用機関車の走行距離を減らすため
しかし、村上で再び交直セクションを作ることになり、さらに湖西線ができたことでEF81を直通してしまえとなったのはとても残念なこと
>>441
末端部の2〜3両の気動車普通区間も電化したことで、機関車では置き換えるのは不経済だから電車にしようと作られるまで必要なかった
421系が当初多く使われたのは「快速」という折尾〜博多間通過のトンデモ区間快速
もちろん敵は北九州〜博多を結んでいた西鉄都市間バス
客車特急よりも早いから本当かと記者に問い詰められた事はその責任者である齋藤雅男が書いている >>443
客車特急よりも速い準急「ひかり」と同じ所要時分で料金不要だったから、
当時の421系北九州快速はまさに「料金のいらない準急」だった。
ただ、当時の国鉄には料金不要列車の2等(旧3等)に転換クロスを導入なんて発想は全然なかったし、
準急より良い座席なんて普通列車の一種である快速には導入できないという考えだったからな。 大阪市営30系3043F
1984年に3008・3009Fが御堂筋線から中央線に転属した際に余剰となった中間車を集め、先頭車のみを新造したのに、
1993年にその先頭車ごと巻き添え廃車 >>19
大阪市営地下鉄でも同じことしてなかったか? >>265
無計画な東急
1.8500系を未更新車含め放置の一方9000系を更新車含め45両解体
2.デハ5900を電装解除の上5050系に組み込み、後に4000番台に編入
3.1000系を無計画に解体・譲渡した結果自社の7700系を置き換えきれなくなる
4.5000系35編成、7000系19編成新造を大々的に掲げるもわずか1年で頓挫
5.一度1000系を追い払った池多摩に再び1000系を配置
6.6ドア3両化で5000系列の大規模な組成変更を行った挙句、ホームドア設置に伴いオール4ドア化・再び組成変更。8500系より先に5000系を45両解体
7.田都の8590系を残す一方8691F全車解体
8.クハ8001を1年以上放置、保存を期待させておきながら結局解体
9.デハ5001をカットモデル化、ハチ公前で落書きだらけに
先発 日比谷線をゴネて18mで建設させたため後に直通中止
中継 1994年〜1998年の間一切新造なし。この間VVVF化等8000系列の延命を図るも断念
抑え 元々地下鉄直通用として作られた旧6000系・8000系・9000系が本来予定されていた路線を走れなくなる 計画があった場合
・公表した通りに5000系35編成投入
→インドネシア・秩父に8500系譲渡
→大井町線溝の口延伸分は8642Fを5連化の上転用
・7000系は6本投入
→これと日比直(+余剰先頭車)の1000系3連10本で旧型車15本+運用増加分を置き換え
→地方譲渡分40両はすべて先頭車化改造車で賄い、一部M2車をMc/Tc化
・9000系を機器更新・副都心線対応工事を行い東横線にて継続使用
→IGBT-VVVF化・4M4Tのまま主電動機換装or7700系のTKM86を用いて5M3T化
・2000系を9000系同様の改造を行い改番・編入し同一形式として東横線・副都心線に投入
・大井町線の8090系・8590系は3000系13本で置き換えられるまで残留 >>447
9000系は改造費が高すぎる。
当時挫折した目黒線走る為の同じ改造をしなければならない。
金融危機・JAL破綻も起きていた為、直通までに何とか5000系を入れてまで9000系を出さないといけない。
9000系の中間車改造で大井町線の8500系も置き換えれば良かったとでも言うのか?
それが無いなら部品取りでしょう。
7700系も部品取りで生きている。本数はまだあるけどかなり減った。
直通が始まって落ち着いたと思ったら駅工事中心。
7000系が増備されず本来あり得ないはずだった1000系1500番台が作られた。
自社で中間改造車は使いたくないのかな?
近くには相鉄関連の車両や工事がある。
田園都市線新車がどのくらい入るのかによって金があるのか無いのかが分かる。
2000系の甲種・改造中止はその目処が立ったから? >>266
253は多分空港特急独特の設備が多すぎて転用できなかったんだろう。 >>71
連接車は整備に手間がかかるから仕方ない
小田急もVSEは短命に終わりそう
次に登場する70000系は展望席は採用されるが、連接車は採用されないらしい
70000系の登場でLSEが引退する予定
LSEが引退したら、連接車はVSE2本だけになるが、その連接構造が理由でVSEもLSE全廃後すぐに廃車になりそう >JR東の「走るんです」路線への路線変更が関東各私鉄に与えた影響は大きいと思うよ
>JR東が新津で車両製造を本格的に開始して、東急からステンレス車製造技術を導入して大量生産に踏み切った
>そのコストの安さに関東私鉄は驚き一斉に新車代替路線に飛びついた・・それが、関東私鉄の新車代替のサイイルが短くなった原因
>それと、JR東が特急車両以外を外注しなくなって、車両メーカ−の仕事激減
>安値受注に走ったという経緯も有る
>一方、関西はJR西が通勤車両を延命して使う方針だったから、従来通り
>関西の私鉄はケチだから新車投入は従来からスパンは長かった
>京阪の旧3000なんて、あれでも京阪では異例に短い車齢と言われた
>それと車両整備の現業職が都会では集まりにくいという側面も有る
>それと、現場では修理できない電子部品も増えた、VVVFの素子なんて寿命が来たら代替部品が無いと修理出来ない
>ここらが、昔の抵抗制御と違う所
>でも、JR東がまだ使える211付属編成を簡単に解体して115とかが生き残ってるのは意味不明だけおな 山手線の6ドア車
各編成の7・11号車に組み込まれたがホームドア設置により、104両すべて製造から4年で廃車 >>454訂正
×7・11号車○7・10号車
なお新造4ドア車も10号車は一部廃車になると思われる
田園都市線の6ドア
5004〜5017・5020Fの4・5・8号車に組み込まれたが、結局山手線よりは長生きしたものの8500より先に廃車 短命とはいえ6ドア車は世界初の試みだから保存すべき 京阪5ドア車なんか45年以上たった今でも現役って奇跡やな >>457
まさか0、1、2、3、4、5、6扉がコンプリート出来ていた東武から2、3、5、6が
なくなる日が来るとはなあ。コンプリート駅は北千住、春日部、東武動物公園に
限られていたとはいえ。 >>460
100・200系は、6両編成でドアが5つ。1両だけ客用ドアなしの車両があるんだよ。 >>451
253系で思い出したが、平成3年登場の車両ってなぜか不運というか短命なのが多い気がする
・253系→製造から18年程度でe259系に置き換えられ、一部が長電へ譲渡されるものの大半が廃車解体
・415系1900番台→1両のまま量産されず、14年で廃車
・小田急20000形→ハイデッカーのため早期に小田急から追い出される
・371系→同上
・京王6000系5ドア→のちに4ドア化に改造されたが、結局7000系より先に廃車
・都営12-000形塗装車→IGBT化されず廃車
・都営5300形→IGBT化されず廃車対象に
・小田急1700形→2度も東急車両送りにされた挙句廃車対象に
‥etc >>453
>JR東がまだ使える211付属編成を簡単に解体
東急もまだ使える8691Fを簡単に解体したけどな >>462
突っ込みどころ多過ぎ
こじつけもここまでくるとひどい >>462
5300はわざわざ久里浜で再塗装しているが、それを止めたいから。 京王6000系5ドア
一部が4ドア化改造したものの結局全車廃車
しかし5ドアはなぜ6000系だったのか?
登場時点で7000系のビード車が出ていたし、6000系は登場から20年近かったので、7000系ビード車ではダメだったのか? >>465
都はお役所だから、車両を永く大事に使うのではなく、規定の年数使ったら次の予算を消化するために買い替えるのだろうな。 >>466
5ドア車を6000系にしたのは、鋼製車にしたかったから。
鋼製車にすれば、多扉車が不要になった時(または失敗した時)に4ドア車に改造して使える。
ステンレス車にすると、そういう改造が出来ない。
5扉車は4扉に改造できるよう、車体のフレームの位置等が考慮されていた。 小田急20000形
運行開始から21年で廃車
しかしこの会社は何がしたいんだろう
2001年まで旧4000・9000・5000・5200が全車現役で、2600も編成単位の廃車はなかったのに、
急に旧4000・9000を2年間で全廃させたり、2600全廃の僅か2年後に当時まだ若い5200を廃車にしたりとか
特にこの20000は異様に早い廃車だよな、今でも8000をVVVF化してる筈なのに・・ 小田急1700形
ワイドドア車として登場したが2度も東急車輌送りにされた挙句、更新対象外
20000形を廃車にした会社だからさっさと廃車にしてしまいそう
というかなぜワイドドアが必要だったのか?
先に10両固定編成を導入していれば不要だったのに・・ 小田急1700は乗車位置そのままにして乗降時間を短縮する目的にした導入でしょ。
10両固定編成導入とは考えが別でしょ。 >>467
早く築地から豊洲に移転すればいいのに
豊洲の維持費が無駄に掛かってる
都からしたら地下鉄車両の置き換えなんて楽勝だろうな スレ立てたのが間違いだったとしか
すぐにネタ切れになるに決まってるし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています