C62・C59を語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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国鉄最大の旅客用蒸気機関車C62と最後のパシフィック形C59を主に語るスレ
そのほかC59改造機のC60、C62と同じくD→C改造のC61のことについても C59の優美さが近代国産蒸機の最高形と思うようになった
C62はデブすぎ、C57は凡庸、C55やC51も捨てがたいが古めかしい
C53も個性的だが風格倒れ、C54はゲテモノ
86・C50・C58は華がない
D形やタンク機、C56はあくまでも実用本位で美的な要素が薄い
しいていえば化粧煙突のD50は華がある 呉線でたまにあったというC62+C59重連は見てみたかった さよなら列車でそうしたら良かったのに、下りはC59先頭で登りはC62を先頭に。広島での転換やヘッドマークの付け替えが面倒だが最終日ぐらいは・・ >>7
呉線電化前の70年8月に山陽本線でやった岡鉄局の記念列車はC6217+C59164だったし
9月30日も竹原まで上り安芸に先行する荷42列車のC6215+C59162が呉線最後の蒸機重連にはなった
(呉で展示したC6217とC59162を広島に回送、方転後626レと荷42レの次位で糸崎へ返却)
最終安芸に関しては糸崎と広島の両所でさよならの行事やってたはずだから余裕なかったんじゃないかな… 仙台ではC59〜62まで全機種揃っていた時期があった、マニアにはたまらなかっただろう。だがC62の事故以外の廃車は仙台が最初、北海道から来た42も一年持たなかった。 無煙化が遅れてたら仙台のC62が初雁を牽いて青森まで行ってたかな >>10
はつかりの頃は仙台以北に回す余裕なし。
DD51 2が1270t引き出しに失敗してたら、はくつるとゆうづるは仙台以北C62牽引、盛岡以北C60+C62だったはず。 >>12
盛岡か青森にDF50 500を投入して、はつかりは重連牽引でw
ディーゼル化失敗だと、かもめの方がダメージ大。 余剰の出始めるC59がじゃんじゃんC60に改造されてたかもしれん。 電化後の山陽からC62転用も現実化してそうだなそれだと とにかくディーゼル化は全部失敗の前提で
かもめはC62+マニ20+ナロ20×3+ナシ20+ナハ20×4+ナハフ20とか如何でしょう 夢がないけど、青大将客車が流れてくるだけのような気がする>かもめ
赤い電機が青大将牽くってのもなかなかか? >>11 >>15
盛岡や青森にまで配置するほどC62が来たら盛岡以北C62重連になってそうだなそれ 鉄道データファイルによるとC62の仙台以北は保線区からの反対で実現しなかったとある。C60とC62軽とは軸重殆ど変わらないのに、SLは線路をハンマーで叩きながら走る様なものだとも書いてあった。 >>20
1964年以降、仙台のC59が一ノ関を越えて盛岡まで臨客や不定期急行ひめかみを牽いて入ってたから、そこまではC62も問題なく入れたはずだけど、臨時すらダメとは、盛岡側が蛇蠍の如く嫌がったんだろう。
>>21
保線側の反対が起きない環境なら、まずC59で十分では?
盛岡局管内はC60で十分だったんだし。
乙線でケチがつかないなんてありえないでしょ。 >>20-21
重量級ならD62がいたり盛岡電化の直前には臨急で一ノ関までC59が上がってる辺り考えると
保線もあるが仙台所が車両の管理費的に抱えるの渋ったのもC62の北上に響いてるだろうし
この辺はDD51が仮に失敗したら43・10までの繋ぎでC62使わせるのは充分ありそうではある なんか>>22氏と被った(ついでにC59の運用間違えた)
仙台所の管理費に関してはC62がC60に対して同じ運用だとより石炭を食うのと
(C60だった常磐ローカルの運用をC62にした形なのである意味仕方ないが)
同所の転車台がここ数年で消耗激しくなった原因として挙がったとかその辺 >>23
1958年に仙台にC59が入る時点で、保線の関係で運用は一ノ関以南となっていた。
1957年5月に福島1区にC5981が転入していた降り、当時の人の回想では、この頃から白河(と宇都宮?)のC59が仙台まで来ていた由。
『ノスタルジックレイル』とかいう雑誌に1965年9月の臨客運用表があって、C61とともにC59が盛岡までの運用を持っていた記載がある。
『蒸気機関車』誌1980年3月号に『東北本線・常磐線牽引定数表』があり、仙台〜盛岡間でC60とC59が同一定数と記載されている。 転車台への負担は深刻だったのでは、C62の様な超弩級のカマは想定してなかったんじゃないか、水と石炭満載だとかなりいく、機関士が小錦みたいだと更に・・つまらんこと言った >>24
C59の一ノ関以北の事はあまり知られてないようで、写真も見た事ありません。
軌道強化がもっと早く進んでれば、奥中山越えや常磐線にはC59が定着し、日本海縦貫線新津・新潟以北の花形はC57からC60に代わっていたかも。 >>26
20m級ではあるがC51もいない1916年製造のが元だけに補強やモーター交換しても限度はあったし
C59・C60以上に自重があるやつが常駐したらそりゃな…というのはある >仙台所の転車台 >>29
『そんな余裕あるなら我々に回せ』(D51DF) 失敬。
長町区が噴火しそう。
仙台の釜のメンテは金輪際手伝わん!とか。
一ノ関や盛岡も大丈夫だろうけど、一戸・尻内・青森はゴネたでしょう。
しかし最大の壁は保線‥‥。
郡山〜白石間でどんな空転やらかしたのか。 少なくとも仙台盛岡間は10パーミル以内で曲線もゆるいし
D62も入ったんだからC62軽だって入れそうなもんですけどね 奈良区で梅小路待ちC59を見かけてこれ走らせるのかと
すげぇ期待したのを覚えてるわ。 当時は仙鉄と盛鉄で機関車の貸し借りも盛んにしてたようだし、仙台〜青森間を通しで使えない機関車は好まれなかったのでしょう。 railmagazineのSL甲組の肖像に掲載されてないかな?お待ちの方調べてみて下さい いやもちろん史実の事情は判ってるんですけど何とかC62の奥中越えをと思いまして >>36
DD51 2〜4も不調ならあり得たでしょうが、はくつる・ゆうづる・みちのくの本務機(仙台持ち)のみで、盛岡以北はC60の前引き付きだったでしょう。
盛岡・青森にC62入れるくらいならC60に重油併燃付けた方がコスパ良でしょ。 ではC60戦後形+C62+はくつる・ゆうづる・みちのくの奥中越えで我慢するとしますか >>38
我的には、C60は10-25Aテンダに名古屋機関区形湾曲デフステー(C59 1参照)がついたC60 21(←C59 70)が一押し。
十三本木越えでのC60+C61特急のブラストって、山線のC62重連と比べてどうだったのだろう? 仙台に保存してたC611と吹田のC59166、解体免れる事は出来なかったのか。移転や再開発で邪魔物扱いされるのだろうが貴重なカマも少なくない。 >>40
似た境遇だったC621は助かったものの共に国鉄関連施設の物だったのが下手な公園保存車より災いした感もあるな
常磐電化の頃にRF誌でC6249と別にC6210も郡山工で保存云々の投稿あったが実現してても今まで残れたかはわからない… >>41
C621が残れたのはC62そのものの人気の高さと準鉄道記念物に指定されていたのが大きいんでね?
ついでに言えばC621は結果的に最初の予定通り梅小路に保存されたことになったね。 C621は梅小路の候補に始めは入ってた。C591やD521みたいに施設に保存されず小郡機関区に保管という形だったから自由が効いたのか。しかしツバメの人気に勝てなかった。 C61が高崎(電化前)や酒田まで入ってた事以外で、『こんなとこにC59〜C62が列車牽いてきてた!』という事例てあるのだろうか? 25と同じ本で、元仙台機関区助士でスイカ開発に携わった○山氏らしい人が触れてた。
勿論臨客だけど、それ以前に入線試験してたんだろうね‥‥。
亡き親父は昭和28年に赤湯から上京したんだが、当時の奥羽南線はC51→EF16。
福島〜白河はC51かC57かC61かはわからんが、白河で“見たことがないほど太い”機関車に代わったと言ってたから、白河以南はC62だと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています