旧型客車総合スレ2 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
電気暖房の列車は隅から隅まで暖かかったよな
手洗いのお湯も熱すぎるくらいだった
SGとは比べ物にならなかった 旧型客車の電気暖房って73型とかの吊り掛け電車のと同じかな?座席がホカホカになる 座席が熱いのは電暖。窓際の足元の邪魔くさいでっぱりが熱い時が蒸気暖房 >>428系のネタで俺も「ウユニ40」(豚積郵便荷物車)をいつも思ってしまうが
重量級がないから現実にはありえないな。笑 北海道の客車列車で先頭と最後尾の温度差があるのがSG暖房だよな 混合列車以外は蒸気暖房と思えばいい
混合用は灯油温風暖房かダルマストーブ 手動式ドアで走行中に転落死亡事故(春の海で有名な宮城道雄も)があっても、よく50系誕生まで自動化しなかったね。
PL法が出来るまで昭和は自己責任論で通っていたもんだなぁ。 実際問題自動化出来たかと言うと莫大な費用がかかるからねえ PL法は関係ない。昭和の自己責任も関係ない
技術の進歩と時代で常識が変わるだけだな。次の世代になったら駅にホームドアないのが
びっくりされて、令和の自己責任とか言い出す奴がでてくる >>440
リンク式連結器から自動連結器への一斉変換は出来たのになぁ 50・51型、12系転用で出来るだけのことはしてるでしょう? 70年代に入っても、下手すりゃ国鉄末期まで地方では旧客がまだ走って50系化がなかなか進まなかった。
蒸機淘汰とセットで旧客置換えしなかったのは、財政事情が絡んでいたのかな。 50系が登場した1977年の時点で、スハ43系あたりの車齢は、
大部分が25年未満。
2020年現在、同じぐらいの車齢に当たるのは209系とかE217系になる。
財政事情が悪く無くても、そうそう置き換えしようとは思わないのでは?
むしろ、戦後製も含め、蒸機を計画通り全廃できたことの方が奇跡的。
現在では、JR貨物が新製したEF66やEF81の方が車齢が高いぐらい。 ピカピカに新しい感じの43系もあったな
10系が上手く行かなかったのも影響しているのか 東北新幹線で電車や気動車に余剰がでるのがわかってたからそれまでの辛抱だったんだけどな
少なくとも首都圏や地方都市近郊は新幹線が計画通りにいっていたら、旧客の淘汰はもっと早かった
まぁそれ以外の地方はボロが我慢できなくて、余剰車も回ってこないだろうから50系を馬鹿みたいに
作ったんだけど、まさか583があんなことになるとは予想もしてなかったな その50系も15年弱で廃車。
イベント用客車が無くて北海道から客車改造気動車もらう始末。 いま新型コロナウィルスが蔓延してるけど
コロナウィルス陽性の人用の病客車を作るべきではないか? イロハ順に並べたらヘは6番目だからモヘは6等座席車だな 6等にまでランク下げれば、座席なんてあるんかいな? お約束
イネ A寝台車 旧一等寝台車
ロネ A寝台車 旧二等寝台車→一等寝台車
ハネ B寝台車 旧三等寝台車→二等寝台車
イ グリーン客用ラウンジカー 旧一等車 二等級制への移行により実質廃止
ロ グリーン車 旧二等車→一等車
ハ 普通車 旧三等車→二等車
シ 食堂車 ビュッフェ含む
ヘ 病客車 現存せず
等級の区分があり、旧一等病客車は「イヘ」、旧二等病客車は「ロヘ」で、旧三等病客車のみ「ヘ」と表記
ミ 軍務車 WW2後の連合国軍占領時代に存在し、現存せず
テ 展望車 付属する客室の等級により
旧一等展望車は「イテ」、
二等級制への移行以後の一等展望車(現・グリーン展望車)は「ロテ」
普通展望車「ハテ」
ユ 郵便車 鉄道郵便の廃止に伴い本来の用途からは退いた
ニ 荷物車 鉄道小荷物制度の廃止に伴い本来の用途からは退いた
ヌ 暖房車 現存せず
ヤ 職用車、試験車
エ 救援車 現存せず
ル 配給車
白木の箱はロないしハに乗車した帰還将兵の膝の上
ただ、途中から部隊そのものが帰還しなくなり、ヘの畳張りの車内に置かれてちょっと離れた駅で迎えに行った留守部隊とともにハへ乗せ換えられ前のような帰還
敗戦間際になると、ヘに置かれたまま最寄り駅へ運ばれ、留守部隊が運び出すという悲惨な状態となる
※まだ遺骨が一通り入っていたら良い方で、(以下略) >>461
「イ」を掟破りというか抜け駆けしたのが西の豪華列車(名前忘れた)?
ドリンクホルダーみたいな柵だらけの顔のやつ。 群馬のレトロ号が改造されてしまったけどスハフ32は無事なのかな? >>465
非ニス車の改造だけで、32とオハニは大丈夫 あれ?よく読むと違うな
走るのはあくまで大井川鉄道区間内で3往復かよ オハフ33が215だったらな、白熱灯なのに。
とてもいい夜汽車の雰囲気。
今年のもビール列車につなぐかな? デッキの床に蒸気暖房?の四角い蓋があるけど、ありはなんの為に付いているの? >>479
地上ボイラーからの給気もしていたんだ。
温まるのに時間が掛かるし、ゴハチなんかボイラーの操作が面倒だったとか。 >>477
ここでボヤいても仕方ないけど、灯具の形状がオリジナルじゃないから違和感ある
今の時代は3Dプリンタがあるんだから正当な形状の灯具にしてほしいよね。 列車内の室内灯、蛍光灯は新しくてイイ車両、白熱灯は古くて安っぽい車両 って認識だった。 >>482
明るくて新しい蛍光灯、暗くて古い白熱灯だったな 観光で乗る分には良いけど
日常で車内白熱灯はきついな
まともに本も読めん
なんであんなに薄暗かったんだか >>485
車軸発電機の発電量では知れている。
結構昔の話になるが、大井川鉄道のオハ47は一つおきの点灯だった。
(今はどうなん?)
車軸発電機の発電量が間に合わんとか、蓄電池に充電できんとかだったと思う。
同じ白熱灯でも、発電量に余裕があるキハ17や20はまだマシだった。
ただ、古い名鉄電車の白熱灯車は、手入れが悪く?車内が薄汚いのも相まって、
暗いことこの上なかった。
同業他社の旧型車に比べると、かなり見劣りしていた。
少々脱線すまぬ 大井川鐵道の速度じゃ発電、充電が不十分だからと営業部長さんから聞いたよ。
貸切の打ち合わせの時に何故半減か聞いてみた。
車両も何番を貸切仕立てに希望するかとか
車両の状態とか詳しく教えてくれた。
オハ35857がやばい状態で廃車検討してた頃。
千頭折り返し時も発車直前まで灯具スイッチは点けないようにしてたね。 距離が短すぎて消費電力が発電量を上回ってしまう
和田岬線のオハ64・オハフ64とほぼ同じ現象
かといって充電池や発電装置を多く積めば、走行抵抗となってしまい、SL単独での牽引両数が減る
大井川は低速しか運転しないためトルクはあるので、発電装置のギア比を変更すればいいだけただし大井川には金がない 客車全盛期は客車区に蓄電池室なんてのがあって充電の管理したの
棚一面に並ぶ充電中の大量の蓄電池が発する音が結構凄かったよ
車軸発電機なんか気休め程度だから >>491
車軸発電が普及する前から有るんだがソレ。
昔は1個の充電池で3両給電してたんだよ。 >>493
その関係で編成替えに制約があったとか、なんかで読んだな >>492
今使ってるスマホの充電器も音立ててるよ
ノートパソコンよりも大きいリチウムイオンだろうから何となく想像できる リチウムイオンじゃなく鉛電池時代でしょ
ジー より チュイー かな マロネ49の旧特別室って他の2Aと同じ2等A寝台料金で利用できたの? >>481
天井の中央に一列で大型の灯具だったっけ?
>>482
幼児の頃なのではっきり覚えていないが20系気動車の白熱灯車内照明はかなり
暗かった記憶がある。本を読むのは諦めるレベルだったような。 >>481
私鉄電車の部品だったかな、
3Dプリンターでできるかどうかはわからんが、ちょっと違和感があるな。
あの車両のオリジナルは、台形(オハ61など)が丸いやつ(スハ32など)かどちらだろう? 客車の蛍光灯は、静かだとインバータ音がジーって聴こえる。 >>502
一般的な交流電源の蛍光灯も草臥れてくるとトランスからジーと音をたててたよ? 旧客といえば、走行中に隣の車両に移動するとき、渡し板の部分が怖かったなぁ もし首都圏のラッシュに投入されてたら毎日開いた扉から落ちる人が続出だなw >>507
混んでる客車に乗らず、EF57のデッキで通学していた知人がいる。
パンタからの火花で、制服の背中に点々と穴が開いていた。 >>507
首都圏ではないが関西圏ではマジな話、1980年代前半迄結構当たり前だった。
ただ当時大阪〜宝塚間ではまともな人は阪急に乗るのが当たり前の時代なので、わざわざ国鉄福知山線旧型客車に乗る、体育の鬼教師の授業に出る感覚なので、覚悟を決め乗ったから案外なかったな。 >>507
昭和20年代30年代前半までは客車通勤はたくさんあったろ。
近郊型ができたから電車化が加速したわけで。 マニに乗って岩見沢から手稲まで行った事がある
荷物は全く載ってなくて人が普通に乗ってたりした
1977年頃 乗降口に鈴なりになってぶら下がって通勤が日常だったからな。
ポイント通過時に乗客が零れ落ちる事故なんて珍しいものではなかった時代。 >>515
落ちたらドンクサイ野郎で片付けられる時代だわ >>514
1980年代も高校への通学はこんな感じで混んでて扉閉められずだった。
冬は死ぬほど寒かったわ >>517
1980年代でも山陰本線は当たり前いや1986年でも鳥取山陰本線そうだった。
YouTubeにその頃のけっこうあるし団塊Jr.あたりまで旧型客車の高校通学が結構当たり前だったと言うの結構羨ましい。CoronaVirusで3密が問題になってかつ、山陰本線でも旧型客車の頃とは違って、短編成のディーゼルカーばかりになり、分散通学余儀なくされる今ではなおさら まぁ走行中はいうほど落ちてないしな。ポイントの動揺とかでそうそう落ちたりはしてない
問題は駅で止まりきる前にボンボン降りてひっくり返ったり、ホームで並んでたり歩いてるひとに
ぶつかったりしてケガ人が続出したこと ホームで回転する人いたよね
三回転する人がいたけど、ケガしたのかなぁ 40系列10系列は車掌室側には貫通路に引き戸があるけど、古い形式は扉が無くて吹きさらしじゃないですか。
編成端っこになったら風雨雪時の吹き込みってどんなんだったんですかね?
雨が降れば水浸し、冬場なんか雪が凍りついてて出入りは諦めてたとか? >>521
60系が抜けているぞ
一部は貫通幌を結合する金具を使い、蓋を取り付けたり、半分から下の柵を付けたり、行灯型テールマーク取り付け金具を取り付けたりした
しかしそれ以外は、チェーンを1本渡すだけ
昔(というか大昔)は車掌室と反対側の緩急区画が一つになっていた
高崎のスハフ32も1945年以降に車掌室の壁を付けた >>518
大井川鐵道なら今でも定期券で通勤通学が可能
確か急行料金免除で着席保証なし
10年くらい前の平日に乗ったら
JKが乗り込んで来て驚いた思い出 スハ40・オハ41・スハ42とかいうマイナーな客車 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています