旧型客車総合スレ2 [無断転載禁止]©2ch.net
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ええええ?茶塗りで木部がニス塗りじゃないと損じゃん。大事なのは何十年も前の旅人や出征軍人さん、大陸からの引揚の人達と空間を共有しているという事だ。なんちゃって。 >333
輸送の実際はどうだったのだろう。「白木の箱」しかイメージ沸かない。
軍用船→スヘ→軍病院であるのは確かだろうが。軍病院はたいてい駅から遠い。
救急車も大都市にしかなく、馬匹か? >>335
プレスアイゼンバーンの「レイル」31号にある根本茂氏の回想で触れられてる限りは昭和14年に出征から負傷で片足切断、上海を経て内地へ還送、
大阪港入港後は堺の金岡分院へ送られ一ヶ月ほど療養(その途中南海線を渡る踏切で貴賓車1900を目撃したとのこと)、
それから大阪から品川までスヘに乗せられ渋谷の第二陸軍病院、ついで第一陸病と転院後兵役免除となったそうだから傷病兵の例としてはこういうものかね 旧客とは白線2本或いは3本で編成全車輌が繋がってない客車を言う。
おっと初代はつかりを言おうとしたそこの君、
あれは旧客が20系の真似しようとした涙ぐましい例外だ。 おっと50系も旧客かーw
ヲタってすぐ定義つけたがるけど、穴だらけだよね オロネ10 は?
白線3本入りの ナロネ21 にディーゼル発電セットを載せると、旧落ち? 10系と50系、自動ドア以外に技術的にどの程度の差があるの?
車体の構造では、モノコック構造にしなかった50系の方が、むしろ保守的なのかね? 窓構造(50系は12系とは異なるユニット窓)
保温材が10系は石綿のみ
化粧板が10系は燃えると有害ガスの出やすい合成樹脂
台車のバネ設定を柔らかくした(台車は同系列だけど、物は違う)
良くも悪くも10系は"0代目走るんです"であり、それ以前の客車と比較して軽量化ゆえに耐久性がなかった おっとーやっぱり来ましたね そこのキミ、
50系。その突っ込み想定内ですからー。
アレ実際に乗ってみるときれいで作りも
しっかりしていて乗り心地も良くて、ちゃんと
トイレも付いていていつ腹が痛くなっても不安じゃない。新型なんです。旧型かと疑う事が
愚かであり50系君に失礼である。 やっとクラスの女の子とデートの約束出来て、
よっしゃそれなら南武線のクモハ73に乗りに連れて行ったはいいがいきなり板張りの薄暗い室内見て、この電車コワイって言われる。そんな心配は無用。
せいぜい113系とか165系とかと同様にちょっと違うけどまあ普通の電車よね、って平気で乗ってる。そういう意味で、半か丁か、旧か新かという疑問の余地を許さない、普通に新型客車なのであります。 50系50形最大の欠点は、車体中央両側に外吊り式両開き乗降扉を設置しなかったこと
デッキ扉は付けられるのだから、冷気が客室まで入ることはほとんどない オハ64系の中央扉は片側だけな
オハ51 41はJRになってからな >>344
>それ以前の客車と比較して軽量化ゆえに耐久性がなかった
これどういうこと? 台枠構造より、モノコックの方が面で錆びたとか?
さらに下げ窓にしたお陰で、雨水の浸透もぐっとよくなったとか? 最初のあさかぜが10両だったように、非力な牽引力の蒸気機関車の非電化区間が長くて特急の所要時間維持しつつめいっぱい客乗せようとすると耐久性に疑問符ついてもとにかく軽くするしかなかったんだね。
ただ10両も20系置換えまでに増結されて13両までなってたのはさすが。 C62 1,622kW
EF58 1,900kW
まー、何だな、
EF65 2550kW
EF66 3900kW
に比べると非力の背比べ あさかぜ
昭和31年11月〜
スハニ32(12月中旬からオハニ36と交換)+ナハネ10×3+ナハ10+ナハフ10+マシ35+スロ54+マロネ40+マロネフ29
3ナ5、4ス2、4.5マ3 =36.5
東京−京都 EF58 ツ甲A(46)
京都−下関 C59(上りは広島−八本松間D52後部補機付) ツ甲A(36)
以下略
昭和32年5月〜7月 減車前。20系前最長時
オハニ36+マロネ40×2+マロネフ29+スロ54+マシ35+ナハネ10×3+ナハ10+ナハフ10(+広島回転ナハネ10+ナハフ10)
3ナ5、3.5オ1、4ス1、4.5マ4 = 40.5(+広島回転6)
東京−京都 EF58 ツ甲A(46)
京都−下関 C62(上りは広島−八本松間D52後部補機付) ツ甲A(46)
以下略 やはりC59→C62への交代で増結が可能となっtんだ。現場の努力だけじゃなかったんだね。
本の国鉄時代のDVD見ると昔の規格のちっこい
トンネルにC62が猛スピードで突入する様子が狂気じみててコワイ。 最大出力 C59 1,702PS : C62 2,163PS
動輪周出力 C59 1,290PS : C62 1,620PS 東海道線のつばめ・はともC62になってから基本は11両でも増結したら最大13両編成になったよね 山陽鉄道時代?の電化を考慮してないと思われるちっこいトンネルに煙突短くしないといけない車両限界ギリギリのC62が突っ込んで行く、特に急行より速いあさかぜなどキチガイの所業。
常磐線にも日本鉄道時代のおっかねーレンガトンネルがまだいくつも遺構として残ってるんだぜ。C62の煤たっぷりでな 良くドアが開けっ放しで怖くなかったなと言われるが、旧型客車が健在の時代であっても、
例えば401系の近代的な電車が折り返し小倉駅で掃除中空気の入れ替えのためにホームと反対側のドアを開けるなど幼少のオレは恐怖に慄いた事があった。ドアの向こう側は地獄とばかりに。 つまりは普段ピシッと閉まってて当然のものがバカーと開いてると怖いし、開いてるんだかしまってるんだか分からんような締りの悪いドアが開いていても別に怖くはなうという違和感、雰囲気の問題でしかないのじゃないか?
、、とは言うものの昭和57年常磐線旧型客車末期に下り北千住過ぎてスピード出すあたりで手摺に掴まりながら身を乗り出してる写真見るとアブねーと思うw 客車はデッキと客室が分かれていたから、デッキは走行中は立ち入らない別空間ということで
ドアが開いてても問題はなかった(満員でデッキにまで人がいるときは危険だった)
電車は居住空間と外が直接ドアで繋がっていたから、そのドアが開いてたら怖いよね 367 小倉駅は421系でした。サボ交換のためかいな。ホーム反対側が開いとるんと、クハの屋根の避雷器が怖くてな。交直流電車は屋根が碍子だらけで怖い。
デッキのドアーちゅうと453系など急行用のドアーの反対側が開いててもやはりどあーと驚くと思うがどげな? 401 403 421あたりの車内フラフラしててふるい落とされそうな恐怖とは違うばってんが。 走り始めても停まる前でも
飛び乗り飛び降りが出来たのは便利だった >>371
そういえば東京駅でも113系のホームと反対側のドア開けてたな。
理由は知らないが換気か清掃かと思った。 ホーローのサボ、新規製造販売してくれないかねぇ と思う 引っ掛け式でホーロー手書きのやつは職員の人が手書きで書いてたんだよね?多分 ドア脇の列車名板だったら、後期のアルミ製とプラ製の裏には、職員手書きの臨時列車名が書いてある。
「湯沢銀嶺」「快速あづま」なんかがある。オク客担当?のが数枚。 書き漏らした。
ホーローは片面だけ白いので、裏面無し 水戸線の旧客列車に行き先表示のホーローはあったけ? >>380
おいくらで1枚作ってくれるのでしょうかね? 手書きだから筆字だと思ってたんだが、違う?
塗装マスクでもあったなら筆字ってかえって面倒そう。昔は自転車のフェンダーに住所名前書くのも職人さんが上手にやってたなあ。 JR東は金があるんだから、客車を新造すればいいのにな >>388
今もそうなってる > 旧客のLED照明
ただし完成度は35系4000には及ばないので、もう一回いじるんかね?
後尾灯も今、角型になってるし >>385
束も、もう駄目だね。
当初は、オリジナルをできる限り保全していくってスタンスだったのに。 本物レトロを、似非レトロ加工するって、本末転倒だと思う
しかし、良い悪いは置いても、いかにも日本人らしい行為だとは思う。 まぁ近頃の若いもんは近代化改装なんか知らないもんな
オリジナルって言っても改装して延命工事してるから、リノリウムに化粧合板の変な内装
なんだけど、それがいいのか?
国鉄時代だって近代化改装してたんだから、同じように懐古改装くらいしてもいいだろ 「SL、旧客、懐古」では客がつかなくなってるんだよ。みんな知らないもん。喜ぶのはジジイとヲタだけ。
トーマスのほうが、ファミリー層に人気あるし。 43系中心に程度の良い30両くらいは予備・保存・使用で残してほしかったな リノリウムにサークライトにアルミサッシの方が個人的にはツボだな
ニス塗り白熱灯はうらぶれた感じがして避けてました >>395
だな、自分も旧客は懐かしいけど
明治時代のマッチ箱みたいな客車に乗りたいとは思わない
そっちのほうがはるかに価値があるんだろうけど >>393
単に不燃性の木目調シート(ダイノックかベルビアンか)ラップでお茶を濁されそう > 旧客リニューアル
35系4000に本物の木で鎧戸作ったとき、初年度は不燃薬品が染み込みすぎて乾燥しきれず激重で
動かせなかったそうだし木材使用は十分な時間がないと無理なんじゃないかと。 >>393
理屈じゃなく、束がそういうスタンスだったんやで。 曲がりなりにも懐かし板で395みたいなドヤってる意見を書き込まれるなんて世も末だな。笑 >>398
一度位は興味本位で乗ってみたいけど>明治時代のマッチ箱客車 一番古いのは米子にある日の丸自動車のフ50
大正11年製造と記録されてたが、メンテナンスしてみたら明治20年イギリス生まれだった。 昔、客車列車編成表って本があったな
1982年ごろだったと思う
今月号のトレインで東北旧客列車特集だったぞ >>405
この客車知らなかったな。
それにしてもよく明治生まれだなんてわかったな。 >>407
1982年ならまだ旧客当たり前だったが
11月に上越新幹線が開業するのと同時に
急行能登や鳥海が引退したのへの弔辞? >>408
譲渡とかで書類(図面)の竣功日なんて変わるし、分解したら製造日が分かったりする事なんて多々あるだろ S51.1.4〜S51.1.7 9336レ〜8208レ
急行もりおか・南陸中
上野←一ノ関・気仙沼(上りもりおか52号・上り南陸中)9336レ〜8208レ
←上野
1 2 3 4 5 6 増1 増2 増3 増4 増5
スハフ
42 ナハ
11 ナハ
11 オハ
35 オハ
35 スハフ
42 オハフ
33 オハ
35 オハ
35 オハ
35 オハフ
33
※S51.1.6の編成。
※1〜6号車はもりおか(上野−一ノ関)、増1〜増5号車は南陸中(上野−気仙沼)、1〜6号車と増1〜5号車の順序は逆かも。
※上りもりおか52号・上り南陸中はS51.1.4〜7に運転。
※上り南陸中の一ノ関−気仙沼間は普通列車。(9336レ) >>403
羽後交通はよくあれだけのものを昭和46年まで現役で残してたな。
(或いは、それよりずっと以前から名鉄と譲渡話がまとまってたのか?) ところでオハニ36って車掌室にブレーキついてたっけ? >>413
車掌弁と手ブレーキは当たり前に付いてるね >>414
当たり前だから国鉄車には「ニフ」が存在しないって事なん? ・「ニ」=荷物車(荷物室)=車掌室デフォ
・「緩急車」=純客車における車掌室有無の区分
・「客室>荷室」の表記順
「ハニ」と続いた時点で荷物がケツになってるから「フ」を付与する必要がない由。 本来は荷物車でなくイベントカーとしてオハ・オハフでなければならないところを、
運輸省が「アメリカの荷物を積んでいるから荷物車にしろ」と言い出し、無理やり「ハ」を「ニ」に変えたため、
「オニフ」なるとんでもが発生した スニ40は41にしたのにな。同じようにオニ51でよかったと思うけど、混同するから
ダイレクトにいったんだな >>421
話の流れと内容的には>>414-420ありがとう、とするべきではと。 国鉄の客車用コイルバネ台車、乗り心地で評価した場合、ピークはTR47になっちゃうのかな?
10系のTR50はさておき20系以降の乗り心地を重視した優等車両はエアサスに移行したし。
ただ、「東海道、山陽線とか43-10以降の東北本線の様な軌道の良い中95km/hでぶっ飛んでく」なら重量級でも優位な気がするけど「ローカル線を最高60km/hくらいでトコトコ行く」様なシチュエーションだと軽い台車の方が良い気もする。
あと乗っかってる車体とのバランスもあるから単純には評価できないかも知れないが >>423
コイルバネというのは金属バネの間違いだよな。
TR47はコイルバネではなく重ね板バネなんだが。
コイルバネに世代交代したのは、それこそTR50だし。 電気暖房の列車は隅から隅まで暖かかったよな
手洗いのお湯も熱すぎるくらいだった
SGとは比べ物にならなかった 旧型客車の電気暖房って73型とかの吊り掛け電車のと同じかな?座席がホカホカになる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています