旧型客車総合スレ2 [無断転載禁止]©2ch.net
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第二時大戦中の病客車スへ30 戦場で発狂した兵隊運ぶ鉄格子座敷牢
付きスへセ30。下手に家に返すと士気に影響するってんで、病院に
幽閉される傷病兵も多かったというのはほんとだったんだろうか >>203
撃沈艦船の生き残りを隔離なんて当たり前だから、そこまで重症なら外に出せないやね。 客車倶楽部掲示板を眺めているが、撮り鉄のEF58 129が一人でわめきまくってるので
高齢の人たちの貴重な証言を見直すのに、目障りでいけない ttp://azumino-er-ymw.travel.coocan.jp/JNR-haichi-PC-hokkaido.html
68年深川のスハユニ、どう使ってたんだろう
後の釧路のトプナンみたいにスユニ予備運用で貨車に引っ張られてたんかなぁ
この頃深名/留萌/羽幌線は混合列車なかったらしいし ”雑客”って80年代になって変な使い方流行ったよなぁ
本来木造車用の言葉なのに12系以前の車両に誤用されてた もうわかったから
どんだけ種村に恨みあるのか知らんが年寄りの繰り言すげーなw >>本来木造車用の言葉なのに
↑ハイ、間違い(笑) いい加減スレチ止めい!
雑型じゃなく旧型スレだと。 30系32系35系43系61系ごちゃ混ぜで編成組むから雑客とか呼んでるのかと思った 雑誌・雑学・雑費・雑草・雑客、
これ全て略語ではない。
雑客は雑形客車ではない。 >>221
いや、その通りでしょう。
それを勝手に客車ヲタが雑形客車の略称だと勘違いして騒いでいる。 システム化された20系12系14系24系などの統一編成に対比して昭和初期から20年代製造された客車が混成された編成を言う。
含みとしては昭和50年頃までは各地で当たり前に見られた凡庸さを込めて雑客と呼ばれていたのに対して、その後淘汰が進み希少性の含みを持たせて旧型客車が用いられる様になった >>232
窓がデカすぎ、考証担当がいい加減すぎる >>233
分かってるが画面上での見栄えのために敢えて大きくした可能性 担当者が知ってたか知らんけど、ナロの格下げなら窓が大きいかもね 元サイトでこの写真の流れなのでセットというのは…
https://www.miyagi1951.com/sendai/
よく見るとキャンプションがあって
Sendai to Ishinomaki Rail Roadと書いてあるということは
仙石線で客車ではなく電車? ロングシートっぽいからなにかなって思ったけど、仙石線か
下降窓だから宮城電気の頃からの車両かな もう20年近く前から雑客論争って無いか? 故 種村がそう呼んでたとか・・
10系はどうなんだ?とか・・・ 国有化後に編入され使用された社形客車を、俗称で「雑客」と呼称したのが
「雑客」という俗称の意味の原点。
後代の人間(たとえば戦前生まれの種村でさえ)の誤解釈や誤用はともかく、
雑客という語の当初の意味は不動なので。 ローカル私鉄を小馬鹿にしてた種村辺境翁は「雑客」は種村ファンクラブが出したサークル本のタイトルが由来で私自身は旧客と認識している
と釈明している
あと個人的に10系は旧客と解釈した方がよいのでは、と思ってます 種村が勝手な拡大解釈をしたのが、客車部会が猛反発。
知名度で種村論を潰すことができず、不毛を論議を招いた。
種村は系統的な研究をしていない、単なるでしゃばりで目立ちたがりのオッサン。 種村は新聞記者で、元々趣味的研究者ではないから、
車両研究と縁遠い存在で、車両形式などについても頓珍漢。
しかし、ジャーナルに毎号記事を書いて、旅行派の鉄道ファンには多くの支持を得ていたので、
影響力は大きかった。
客車部会の言い分はもっともだが、表層しか知らないファンからは、変な事を言っているように見える。
しかし、結論としては、種村の誤り。 旧客記事に限らないがジャーナルは低俗・頓珍漢の巣窟だった
ピクは紙質悪く校訂が劣悪でカラー写真が少ない
フアンが一番マシ
模型趣味は斜め上で評価に苦しむ ピクトリアル!と言いながら、一番写真が駄目だな。
ファンは昔から、写真にページを割いていて紙質も良かったから、厚みがあるが、
逆に言うと、レベルの低い絵本とも言える。
ジャーナルは社会派を標榜してルポを中心に構成していたが、
やたら、女子高生を掲載していたのは、編集の好みか。
TMSは本誌よりも、むしろシーナリーガイドのような単行本の方に名著が多い。 ピクトリアルは内容は厚いが写真は駄目
ファンは写真はいいが内容は薄い(連載記事では評価高いのもあったけど)
もしかしたら鉄ピクは、必要最低限のことがわかる程度の写真でもよいと割り切ってるのかも。とは言え車両の色も重要な情報なんでカラーページが少ないのはマイナスだけど ジャーナルの女の子写真に萌えてた80-90年代。
故真島氏からレイルマン氏に繋がる写真w >>250
鉄道ファンは35系4000登場に発狂して(するほど喜んで)4ヶ月連続でページ割いてたし、SL特集と称しても
載せたりしてここ一年のうちの半分に載せててもう愛を隠そうともしていないw
今月の別冊も表紙にするんじゃないかと思ってたw 何周年記念号だったか忘れたけど、鉄道ファン創刊にかかる談話があってね。
「学術雑誌として届けるか、否か」の論議があった。
「ピクトリアルが学術雑誌なので、ファンはその扱いを受けなかった。」とか。
投稿が研究論文として発表歴に入れられるか、どうかですね。
鉄道ジャーナルは、登録したそうです。 鉄道フアンはアーカイブで過去絶版読めるのがいい
まだ第1号〜12号までだけどそのうち増える
有料でもバカ高い古書より便利 F誌は99号以前をあえて買わない様にしている
何れは(団塊蔵書が)溢れてくるだろうし
老後の読書の楽しみに 誰も乗ってないのに10両編成とか平気でやってなかったか?
板谷峠では機関車の回送を目的にEF71重連が客車2両を引っ張る非効率な列車があった 「機関士さん、どうぞ」
「はい、どうぞ」
「2127レ出発」
「2127レ発車オーライ」
ガガガガ、ガッチャン 反対方向だろうと10両必要な路線はむしろ非効率じゃないよ。
3-4両の需要で客レだった路線のほうが非効率で
単に機関車が余ってるから客レが存置されたに過ぎない 普通列車に交直流電車走らせたくないから残った羽越の客レ
結局架線下は気動車で走行 >>259 そういう路線は、日中は普通列車が2時間に1本程度。10時頃の次は12時だったりする。
だから、昭和40年代後半であっても、地元の人間は鉄道利用せず、並行して走る路線バスに流れる。
地元住民の需要を掘り起こそうとしないから、機関車回送の都合を考えればよい。
まあ、フリークエントサービス試みるにしても、短編成列車によるワンマン運行は組合が反発したし、全ての線区において効果があったというわけではないが。 子供の頃は撮影時間帯は気動車だらけで朝夕中心に客レが投入されてるのが不思議だったが
朝夕は通勤通学で客車5輌とかでも乗車率高めで機関車牽引、昼間は気動車1〜2輌で余裕の運用って事だったんだなと大人になって気づいた 723列車大阪発福知山線山陰本線米子行8両編成の堂々とした長大編成ガラガラ17時過ぎ東浜駅近くの民宿で見てすごく正直言って違和感があったのだけれども鳥取駅から夕方のラッシュだったんだな大は小を兼ねるの長距離旧型客車列車か
http://www.jnrpc.com/P-train/longdistancePC/sanin-d-55-03.html >>266 奥羽線青森・秋田間列車鈍行も、そんなパターンがあった。
全席ロングシートの旧客も繋いでいた。 今手元に ナハフ11 2021の写真がある。JRになっても90年代半ばまで使われてたって不思議 控車代用で営業用じゃなかったけど
束に継承した2両のうちの1両くらいは高崎で動態保存してくれりゃよかったのにな… 84年頃の段階でとっくに現役退いた過去のオンボロという影の存在だったな。
1番最後に旅客運用されたのはいつなんだろうね? 大阪から福知山線によく乗っていた頃だから覚えてる。59-2改正で半分強なくなって
60-3改正で大阪・京都口撤退とともに副フチの10系座席は全滅。
和田山とかに62年くらいまで留置されてたね。ナハ1058とかナハフ1028はよく当たった。 >>261
そうなる以前の発車手順のほうが萌える
当務駅長の「(挙手+)発車!」あるいは「出発合図器(ブザ)」で
機関士へ直接「出発合図」するほう
今ではみられなくなった、最も格式ある発車合図方法 「○○行き発車いたします」 →旗振り→「ブー」→「ポォ〜!」 機関車の警笛で幾つか種類ある?
「ピー」に近かった記憶なんだけど >>275
蒸機の3室や5室の汽笛と電機・ディーゼル機のクラリオン笛の最低2種類はあるな。 >>275
少なくとも、ポ〜とかピ〜と鳴るAW2と電車と同じファ〜ンと鳴るAW5があるよね。AW5を鳴らすのは.EF64 1000番台でしか見たことないけど…
スレ違いスマソだけど、警笛の話題ついでに…
AW2って暖地向けはポ〜と音程低く、寒地向けはカバーがついてピーと甲高いけど、その違いってカバーが付いてるから高くなるって説明をブログか何かで見たことがある…でもホイッスルの上にカバーつくだけで音程が変わるものか?と疑問。
波長が変わらないと変わらないと思うから、ホイッスルの本体が実は違うとかってことはないのかな…詳しい人がいれば教えてください。 >>276
>>277
そうなんだ!
自分がよく乗ってたのはEF62〜64だったから寒冷地仕様だったのかな? >>277
>>278
確かにそうだな。
EF64等だと甲高い「ピーーーーーー」だけど、
EF58やDLだと「ホェーーーーー」と聞こえる。 あれってホントにカバーだけの理由なのかな。
カバーの建て付けで音が変わるかも、という可能性なら納得。
「ポォ〜」 系の低いのはだいたい一定だけど
「ピィー!」の高いのはビビリ割れ音が入るやつとかあるから >>280
>>277だけど、よく考えたらAW2って1つで短い方と長い方があって高低2音で鳴ってるから、それぞれのエア吐き出し量が調節できれば高音寄りか低音寄りに可変できるのかもね。 >>282
少なくともスハ43系ではないな。それ以前の32系か35系とかかな?俺も詳しくないからそれ以上はなんとも… >>282
通路寝おじさんがいるから東北急行かな、モケットあるからオハ35系か? 見れない
まあ、照明2列でヘッドレストがあるなら、ナハ10系かスハ43系
室内だけだと、この両者は区別が難しい。
近代化改装で殆ど同じ仕様になってるので・・・細かい部分での差異はあるけど。
照明1列で広窓ならオハ35系
狭窓なら、スハ32系
客室端の背もたれがない、あるいはモケットなし、木製プラインドなら、オハ61系。
但し、オハ61でもモケットのある車輌もある。
これぐらいか?
実際に見てみないとこれ以上はなあ。 出先なので、じっくりとは見れないけど、広窓で一列のグローブ灯と車内が塗装されている点から、
オハ35系列の近代化改装車っぽいね。
もし白熱灯で扇風機なしの近代化改装車なら、そこそこレアかも試練。
後年の体質改善なら、化粧版だけ交換とかよくあったんだけどね。 帰ったので、改めて見直したら、ニス塗りだね。
白黒でフラッシュ炊いてるから、グレーに見えてた。
近代化改装前のオハ35もしくはオハフ33だね。
もしくは、スハ42。
それにしても、野球選手の移動というのも凄いが、放送用スピーカー装備前というのも何気に凄い。 >>291
>>277=280です。やはりそうなんですね。ありがとうです >>291
サンクスです。
>>292
おいおい >>280は俺だよw >>281だよね 戦後マイネ40やスロ60がTR40系の台車で出た時、当時のマニアは何も言わなかったのかな?
当時5chがあったら「優等客車に二軸ボギーなんてありえねー」とか騒いでたりして? そこまで情報がすぐには行き渡らなかったんじゃないかな?
マニアの数も少なかっただろうし >>295-296
でも使ってみての結果は3軸ボギーに優る乗り心地だったんだよね?
その後のマシ35/カシ36やスロ51〜54なんかもも2軸だし マイネ40は登場した時点ではTR34だったのでもっとひどかった、というのはさておき、
3軸台車は、軸箱上の狭いスペースに置かれた軸バネを、なるべく柔らかくするために
考案されたもの。
TR40は写真をみれば軸バネの大型化と本数倍増は明確だから、乗り心地が悪そうと判断した
マニアはいないと思う。 EL/DLのホイッスルは、寒冷地車ならピー、暖地車ならポーだよな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています