懐かしの総武線 [無断転載禁止]©2ch.net
>>66
二人
でもPDYが座ったら二人掛けは絶対無理 >>70
張り紙程度でお茶を濁そうとしてるから足元見られてんだ
本気で取り締まるなら全ドアに職員を監視のために立たせるくらいの覚悟がないとダメだ 幽霊「昔は総武線は両国止まりで市電に乗り換えて市内に行ったものだ」
棺桶に片足「昔の総武線は茶色だった。
あと蒸気機関車も走ってた。お昼まだかな?」
そろそろ立たない「総武線と言えばやっぱり黄色の一つ目だよな」
そろそろ中年「何言ってるんだ銀に黄色だろ?」 複線時代の御茶ノ水_千葉って快速電車もあったりした? >>81
昭和47年ごろまで「成田行き」と「木更津行き」があったような気がする。 >>82
そういや中野〜木更津とかのヘッドマーク見たことあるわ
停車駅どうだったのかな?
中野発着ということは御茶ノ水以西は中央緩行線で各駅停車なんだろうね 総武快速線開業前の快速は101系による中野−木更津/成田はよく知られていますが、
御茶ノ水始発千葉行のDC快速もあったようです(以下URL参照)。
御茶ノ水−千葉を53分から54分で結んでいるので、かなりのんびりした走りのようですね。
https://cedarben.blog.ss-blog.jp/2014-06-30 >>83
昭和44年10月の時刻表を見ますと、
中野・秋葉原間は各駅停車、秋葉原からは両国・新小岩・市川・船橋・津田沼
千葉、千葉から房総西線内は五井のみ停車と全駅停車が有り、総武本線内は
四街道、佐倉停車です。
この時には房総各線から両国発着の客車列車は消滅しています。 両国から御茶ノ水まで線路を伸ばして、そのまま中央線の御茶ノ水〜中野が複々線化されたのか
御茶ノ水以西の中央線各駅停車が総武線と呼ばれるのも必然だなこりゃ 成田エクスプレス前面展望
https://www.youtube.com/watch?v=od44b_e_3H8
空港第2ビル駅が影も形もないので1991年の映像と思われます。 1990年前後、季節列車で千葉始発のかいじ号が運転されていた。
たしか千葉9:08発 サザエさんの復刻版を読んでると総武線暴走事故のネタが出ていた
ノリスケが偶然事故車に乗り合わせていてその恐怖体験を団地の奥方連中に話してる所へ、野菜の訪問販売が来たとの知らせが入り、
奥方がノリスケを突き飛ばして駆け出して行く(奥方の暴走の方が電車よりずっと怖い)、というオチ サザエさんて、結構風刺も入ってるよ
ただのほのぼの系家庭漫画ではない 半蔵門線8000系が一時期東西線にも使われ、西船橋でも見かけることができた
紫の帯を締めた電車が西船橋に居ると違和感を覚えたものだ。 営団も昔は5000系だけでクーラーなしの頃でも国鉄103系に比べたらまだまし 三 鷹
(地下鉄経由)
西 船 橋
(地下鉄経由)
経由の「経」が糸へんのない字のタイプがあった
製造時期の違い? 西船橋駅の無機質な改札口が思い出深い
エスカレーターもエレベーターでもなくただ階段を延々と上っていくだけ 雨避けが無くて濡れるのが嫌だった
階段部分に屋根が付いたのはいつ頃かな 東北新幹線開業前、昭和50年代後半に読んだ鉄道本で、
総武線の営業係数は確か86だった。
山手線、新幹線がそれぞれ47、57だったと記憶。
中央本線、東北本線がそれぞれ100、106だったかなあ。
総武線は「総武本線」とは書かれていなかったと記憶しているけれど、
千葉以東も含んでいたのかどうかは不明。 >>108
この頃は国電専用折り返しホームという概念はなかったのかな >>110
この時期は例外はあるものの1路線につき1つの番線だったようです。
中央総武線は3番線、写真の一番左のホームの右側の番線ですね。
朝ラッシュ時にどう捌いていたのかは気になりますが、残念ながらわかりません。 >>92
三河島事故をネタにしたこともあるし、晩年にはスト権ストを批判した >>108↓
【中央区】老朽化進む千葉市民会館 千葉駅隣接、JR千葉支社跡地へ移転決定
https://nordot.app/890862937882968064
〉再開発施設には商業施設や宿泊施設なども 昭和44年が一番楽しかった。
船橋駅近くの踏切で見ていると、SL牽引の貨物列車あり、DC急行あり、東西線からの5000系もあり、見ていて飽きることはなかった? 快速の新宿乗り入れを再開していただきたい
(千葉各線〜)千葉-津田沼-船橋-市川-錦糸町-<転線>-両国-秋葉原-御茶ノ水〜中野(〜三鷹)
または御茶ノ水でもう一度転線して
御茶ノ水-四ツ谷-新宿〜三鷹方面 東西線5000系にクーラーが付いたときは嬉しかった 総武快速の木更津行、いつの間にかなくなっていた。
かつては東京発11:54と16:39の2本が設定されていた。
前者は木更津折返し後千葉14:58発(時期によって少し前後する)で、
下り、上りとも(その他の時間帯では)外房線直通快速のスジだったのが印象的だった。
また、1990年代初頭までは運転間隔の不均等さも懐かしい。
千葉発9:50(成田空港始発、11両)の次が9:53(千葉始発15両、市川での退避なし)とか。
前者は激混みで後者は閑散とした感じだった。 >>118
一時期、臨時快速「おくたま」で千葉ー奥多摩があった。
なんと201系。総武快速線を201系が走るのは珍しかった。
お便所がなく大変だったのではないか? 2002年まで通勤で総武快速を使っていたが、朝の上りで鈍足の列車が2本あった。
1. 千葉8:43->東京9:32(成田空港始発)
2. 千葉8:50->東京9:40
どちらも市川で特急通過待ちをするのだが、
この時間帯の通過待ちのない列車が千葉−東京を42分で結んでいた事を踏まえると
時間が掛かり過ぎていた。
今はこれらに相当する列車は
1. 千葉8:46->東京9:32(752F)
2. 千葉8:56->東京9:41(806F)
となっており、改善はされたかと。 もう20年ほど総武線を使っていないが、
緩行線の平日東行、御茶ノ水発19:43の次が19:50でこの間に回送列車のスジがあった。
大井工場で検修を受けた非ATC車を幕張、習志野、京葉の各電車区に送るためのものだったとか。
西船橋駅を20:25くらいに通過し、幕張駅の中線でしばらく休んでいた。 >>93
ほのぼのしてるのはテレビアニメ版だけで、「サザエさん」も「いじわるばあさん」も基本的には軽いブラックユーモア漫画よね
話を総武線に戻して、113系の側面方向幕「東京行」「千葉行」のような「行」が入ってたのはなんでだろう?しかも全車ではなかった 糠味噌臭い漫画は海外ではさっぱり通じないらしいがなw >>127
「行」があるものが3、無いものが7の比率の印象 客車のサボは「行」付きがデフォルトだからその伝統を受け継いだと思ってた
電車の方向幕は「行」無しが主流なのか >>132
末尾に行が付いてる方向幕なんか見たことないよ 「行き)がついた方向幕、東海道線東京口の113系で私も見た記憶あります
ヤフオクにも出品されてますね http://otorikk.jp/katarogu/323.html
の写真が収められた本を持っていました。
その本では写真の車両(クハ111)と右隣の車両(恐らくモハ112)が写っていて
左は「千葉行」なのに右は「千葉」という趣旨のキャプションがありました。 「行」が駅名と同じ大きさのものと、少し小さめのものがありました。 両国発
急行 外房
急行 内房
急行 水郷
急行 死神 当時の富士急でスマソだが、
5700形も「河口湖行」とか「三つ峠行」などと
「行」がついていた。
富士吉田行き表示をみることはかなわなかったが、
5文字入れられたのだろうか?と気になっていたのを思い出した。
ちなみに1988年当時の5000形も「大月行」と筆文字で表示されてた。 幕張本郷駅開業まで運転されていた、
外房線、内房線からの乗り入れの113系幕張行に乗ってみたかったというか見てみたかった。
幕張本郷駅開業時は現在の千葉市美浜区在住で且つ小学校高学年だったので
リアルで知っていて当然だったはずだが、その列車の存在を全く知らなかった。 内房線、外房線から直通する113系幕張行は
千葉方面から通う幕張電車区勤務者の通勤を担っており、
彼らは終点幕張に到着後も引き続き乗車していた、と。
津田沼からはクモハ11の単行が運転されていたようで。 乗りたかったといえば、千葉始発終着で房総各線に1日1往復(朝上り、夕下り)運転されていた千葉快速。
1975年から1981年まで運転されていたとか。
行き先は以下の通りだったと記憶。
内房線 : 館山
外房線 : 安房鴨川
総武本線 : 銚子
成田線 : 銚子
停車駅が総武快速(と重なる区間)と異なっていたのも興味深い。 総武線というか横須賀線の範疇になるが・・・
横須賀線との直通運転開始後にも平日朝1本のみ千葉始発(7:27)の品川行があった。
1986年頃まで残っていたと記憶しているが、
この列車の終点品川到着後の行程を知らない。
当時品川駅の東京トンネル側にシーサスクロッシングがあったような気もするが定かではなく、
おそらく大船電車区まで回送されたのだと思うのだが。