【有田・野上】和歌山の消えた轍【和歌山軌道線】 [無断転載禁止]©2ch.net
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かつて和歌山県内に存在した有田鉄道、野上電鉄、南海和歌山軌道線等の思い出話をどうぞ
実質的な前スレ↓
【日方】おもいでの野上電気鉄道【登山口】
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1222169589/
【注意】
有田鉄道は過疎っていますが単独スレがあるので、完走もしくはdat落ち以降になるまでは極力そちらで。
【みかん畑】おもいでの有田鉄道
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1228627874/
和歌山軌道線も南海の単独スレが存在しますので、そちらの方がレスが付くかもしれません。
昔の南海鉄道・南海電鉄・阪堺電軌を語るスレ7
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1296375206/
※前スレで散々揉めたので野上の話題を扱うときは煽り・実名を出しての叩きはスルーでお願いします。 擁護がきもすぎる
こりゃ来訪者から総スカンされるわけだわ… 恥ずかしい台詞、禁止
鉄じゃなくて船のアニメだけど 野上社員の客に対する非道が一部の車掌と駅員にあったのは事実。
しかしそれをもって会社全体が非道だとするのはいかがなものか。
もちろん全くなかったと言い張るのは論外だが。 >>63
そういうこと書くと粘着されるよ
>>57みたいに 野上に住んでたけど駅名には違和感があったなあ
登山口はすぐに登山できないのに、とか、紀伊坂井と紀伊野上だけなぜ紀伊がついてるんだろう?とかおもってた。 〜口、だから合ってはいる。
紀伊ナントカのほうは国鉄のマネか、あるいは省線側から変えさせられたか自主規制か 恐らく貨物を扱っていた当時の区別だと思う
西武新宿駅の西武柳沢も同様で「西武」が冠されていたのも当時存在していた十和田観光電鉄及び長野電鉄の柳沢駅との区別のため(但し読みは「やなぎさわ」で西武の「やぎさわ」と異なる)
旅客上では区別の必要がないと思われがちだが、当時は両社とも貨物輸送を行っており、貨物上ではどの駅かを区別するため必要だった >>65
生石高原への観光案内を兼ねて生石口から登山口になったんじゃなかった? >>67 じゃあ 橋本・・・神奈川、和歌山、京阪 とかは、何故OKなの?
特に神奈川の場合 小田急の相模原が、小田急相模原が変更を強いられたのに矛盾を感じる。 >>69 橋本(神奈川・和歌山):両方とも国鉄の駅だから国鉄内部で区別がつくんでは?
橋本(京阪):京阪は国鉄と直通する貨物輸送やってなかったからでは?
小田急相模原:国鉄(横浜線)の相模原に近くて、利用者が間違える可能性が高いから。
西武新宿線の入間川も、池袋線入間市と紛らわしいからか、狭山市に改称されたよね。 連絡口で春日前駅発行の切符を売っていたが、営業末期には無人化されていた。いつ頃まで売っていたのかわかる人いませんか。 また屁理厨かよ…
世代高めだからアスペみたいなのが少ない懐かし板も
昨今は気が休まらなくなったねぇ 登山口の話は、昭和60年代には登山に関する案内は全くなく、知らない人が来たら登山できない状態でした。
野鉄バスの小川宮のバス停の方が登山口じゃね?って思ってました。
紀伊野上、紀伊坂井の話は貨物の話は思い付きませんでした。
昭和50年代に数回段ボールに入った荷物を車掌の足元に置いて運んでるのを見た事が有ります。 野上社員の狼藉がなかったと言い張るのは無理があることはわかった。
ただ、車掌が乗客を怒鳴りつけて回収した切符を、その場で破ったあげくホームで火をつけて燃やし、炎が消えないまま発車させたくらいで、会社全体を否定するのもどうかと。
ほかにも狼藉のエピソードがあるならかえって知りたい。 >>76
いつものアスペくんが親の敵のように怒り狂うだろうなw いつものアスペくんが親の敵のように怒り狂うだろうなw
「いや、会社全体が狂っていた!擁護する奴は元社員」とかw >>76
もしその炎が延焼して大火災に発展すれば良かったけどな
野鉄の悪態が全国、いや世界に広まっただろうから 私がキップ燃やしてるの見たのは、紀伊野上、重根で交換の時で、一斗缶の中で燃やしてた。
当時は夕方になるとオバサンが広場でゴミ燃やして火消さずに家に帰る様な時代だった。 車掌が回収した切符を審査に回さずに焼却かい。想像するとおぞましい光景だ。
それはもしかして、廃線にさせた客への恨みの振りをして、運賃をちょろまかしていたのでは? 結局誰もいい記憶がないってことじゃん。
援護してる人は多分実際には乗ったことがない人か、都合の悪い記憶を忘れてしまった人なんだよ。 廃止時にはヲタとのトラブルが多少あったとしても、これだけ年月が経てば良い想い出になるのが普通。
駅員や社員との心温まる出来事の一つも紹介されないとは、よほどのひどさだったんだね。 もう恨み節は飽きたので視点を少し変えて。
此処は何故?戦時中 陸上交通調整法の介入がなかったの?
海南では、和歌山電気と接していたから少なくとも、有田や御坊臨港みたいに
治外法権ではないと思うのだが・・・。 こんなスレがあったのか。
たしかに当時の対応は、怒りを通り越して呆れたとしかいいようがないところだったよ。
平成になってもこんなところがあるのかと思った。
しかしそれでも鉄路の記憶に残り語り継がれるならそれはそれでいい。 >>85
ここはある意味隔離スレなのでまともな回答は期待できないよ
後知恵バイアスの子供だらけ 和歌山交通
・和歌山市内線
・貴志川線
・野上線
・有田線
・御坊線
新潟交通みたいな有力企業になれたかな。 無理なんじゃあ
路線の走ってる場所がバラバラでスケールメリットがない。
有力なバス会社抱えればともかくとして。 >>89 下に二行は距離位置的も規模的にも論外 ほかに規模の大きい(両者沿線を
エリアに内包する)バス会社でもない限り・・・
俺的には南海に加太が飲まれても水間が飲み込まれなかったのが不可解。 野上の末期をビデオにとった人いないの?
売って欲しい。 >>92
最終日の模様はビコムが出してたが、罵声や悪態の部分は全てカットしてたな 野上中から乗車し、車内もそこそこ混んでいたし車掌が来ないので日方で精算しようとしたら、なぜ車内で買わなかった、登山口から運賃取るぞと尋問。
頭に来たので、車掌が売らなかったと反論したら、車掌(多分例の人)の耳に入ってしまい、あんたが売ってくれといわないからだと罵倒。
窓口では今回は勘弁してやるが次回からすぐに申し出ないと登山口からの運賃を支払ってもらうと通告。
他の客は定期か回数券ばかりだったようでスルーされていた。
いやな思い出。 その車掌は白髪宗ではないな
奴は無人駅から乗車の客にはすかさずやってきて運賃を請求してた
春日前で長時間停車させ無人駅乗車の客に詰め寄ることもしばしば
日方まで無札客を見逃すはずはない 一つでもいいから、なんかいい思い出話はないもんかな。
このままでは和歌山の黒歴史だけだ。 そういや有田川にあった元岡山臨港の紀州鉄道予備車
いつの間にか売り飛ばされてなくなってるのな 不自然に擁護する人が消えたな。
皆が書いてるのは誇張じゃなくてガチでそうだったのは
リアルで乗った奴ならば皆知ってることだよな。
俺は最末期(荒れる前)に訪問してるが
悪い意味で田舎のナアナアな態度だった。
登山口発車のウテシがテレビに見入ってて
発車ベル鳴ってからも急ぐことなくノソノソ出てきたりとか とにかく写真や映像に残されるのをいやがっていた覚えがある。
これでもかというくらい撮影禁止の張り紙や立て札があった。
つまりは怠慢や悪行の証拠を握られたくなかったのだろう。
切符燃やしも証拠隠滅だったのでは。 某ブログに記載されている生々しい体験談の一部。
>タブレット交換の光景を撮影していたら発車時刻お構いなしに突然運転士が運転台から降りてきて、
>”今撮ったフイルムを出せ!”と言って襲い掛かり、カメラを奪って裏蓋を開けようとしたのには怒りさえ感じました。
>沿線道路のガードレールからはみ出ていない鉄道敷地外からの撮影にもかかわらず、わざわざ列車を停めて「勝手に撮ってんじゃねぇ!誰に許可取ってんだ」と言われたときには呆れました。 高野山まで延長計画して、実際に工事を開始して株主に止められる位、昔から無茶苦茶な会社なんで、一般人には理解できない事をするのは伝統。 >>52
82年に訪れた時は日方の初老の駅員によくして貰って写真撮りました当時は厨房だったからフィルム代が惜しくてあんまり撮れなかったよ。登山口でも着札を貰ったな。 怠慢を晒された怒りを客にぶつけた結果地元から見放され廃止になったでござる? >>103
初代スレにそこんところ詳しく触れているよ
もっとも野上に限った話じゃないけどねw
>>108
欠損補助がないと立ちいかない状態じゃ、放っておいても廃線になったろうな
地元が見放されていなくても廃線になったケースなんていくらでもある 補助金を前提に会社経営してたので、補助金打ちきりになったので、会社解散宣言したでござる。
社員の態度、地元の評判ほ関係ないでござる。
昭和50年代からすでに要らない子でだったでござる。 過去にも廃止の危機があったんだよな?
確か、オイルショックの頃に >>111
まず、鉄道は国が整備すべきものであるから、ラッシュ時1000人以上を輸送する私鉄の赤字は全額国が補填していた
これが第一の前提
が、昭和40年代前半に運輸省がローカル輸送の鉄道から道路交通への切り替えを決定し、
補助金は合理化補助(鉄道のままならワンマン化費用に補助、バス転換ならバス購入などに補助)へ切り替えとなって、
欠損補助は半額補助に減額した上で5年間の時限措置になった
事実上この5年間に廃止しなさいという意味で、昭和40年代半ばに地方私鉄の多くがバス転換して消えたのはこのため
しかし昭和48年のオイルショックにより鉄道からバス・自家用車へという交通政策が軌道修正され、
欠損補助が継続的に維持されることになって、積極的にバス化する意欲すらなかった私鉄は存続する形となった
オイルショックが3年早ければ平成初期まで存続できた地方私鉄も多かっただろうな 野上電鉄、有田鉄道共に沿線人口が少なく、鉱山もなく、60年代から70年代にかけて貨物輸送が激減していたというのに、80年代以降まで存続し続けていたのが奇異な感じがする。
会社が積極的にバス化する意欲がなかったから、ということになるんだろうが、並行する道路の整備が遅れていてバス転換が有効でなかったからだろうか?
野上は経営が杜撰でバス転換する気もなかったからなんだろうが、有田は休日運休含む徹底した省力化と保守コスト削減でやってきたということなんだろうか。
87年廃止の筑波鉄道に比べても、こっちの方が旅客需要が少なく、経営上の環境が悪いと思えるもので。有田、野上とも乗ったことはないが、地図広げて何で存続しているのだろうと不思議に思っていた。 >>113
野上は全線バス転換提案されて株主総会でも賛成多数で可決し、沖野々ー登山口の廃止申請を
近畿運輸局に提出
その後オイルショックにより乗客数増えたのと地元自治体が欠損補助をする事が決まり
申請取下げ、その後運輸省が欠損補助見直すまでだらだらとなったからな
有田の場合は蜜柑関連の輸送が主目的だったからな 有田は末期は社長の趣味とか道楽な感じだったからな
「ワシの目の黒いうちは潰さない」とか記事で答えてた 野上は廃止の日の朝ズームイン朝でよみうりテレビが
車庫から生中継してた記憶がある
該当のコーナーの前に学校にいったのでどんなのだったかは知らない 野鉄は廃止の約2ヶ月前に行った
大雪で行きの近鉄特急が90分遅れて料金払戻し、
帰りもその影響か名古屋線でミニスナックに乗った、
その印象が強烈
肝心の野鉄は、あまり印象に残ってない 野上の醜態って、閉塞の通票交換を法定のやり方をせず
ズボラナアナアのやり方が常態化していたのを鉄道誌かなんかに撮られて
その「逆恨み」からだと記憶するんだが、詳細はどんなだったっけ。 ttp://cocoroguteturou.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2012/03/19/_dsc0184_a.jpg
子供の頃に鉄道雑誌で野上のこんな感じのタブレット交換写真の見て
こんな風にやるんだなと思った記憶があるが現物は手元に見当たらない
立ち読みだったかな いくら事情があろうとも、社員が乗客に襲いかかる鉄道会社なんて、前代未聞で、国鉄時代でもなかった。
いまなら傷害・暴行・窃盗・恐喝・監禁等で現行犯逮捕されているかもしれない。
下手すれば放火となっていたかもと身震いする。 >>115
その記事の半年後の大晦日に廃止になったけどね
末期はバス部門が鉄道かなり毛嫌いしてたけどな
>>118
鉄ファソの野上電鉄特集な
通票交換の際、>>119の様に交換シーンを車内からばっちり撮影
偶々その特集を見た近畿運輸局からお叱りを受けて、それ以来鉄を嫌ってると言われてる
軌道なら >>122下
ああ、それそれ。どうも
完全に逆恨みだよな
どう考えても野上側が100%悪い。
撮られてまずいことが常態化、
しかも安全運行の至上である
閉塞系のことだからな。
誰がどうみてもサカウラミ。 >>122
小泉改革で補助金が削減されたかとかなんか過去のこのスレで見たな
図書館でその記事のった本見てそのときはまだ健在だったからしばらく持ちこたえたかとおもってたが
すぐだったんだな
野上に関しては車内でなく外からとったやつの記憶があるから勘違いかもしれない
1990年12月の鉄道ジャーナルの表紙や巻頭特集見てのどかな印象持ってたから
当時の実情を遥か後に知って驚いた >>113
新潟の蒲原、新潟交通といいあの頃までよく残ってたなと思うよ。
似たような存在が近くにある方が残るのか行政方針によるのか 有田鉄道、蜜柑輸送って季節限定でしょ。シーズンオフのときはセメントを細々と運んでいたそうだが。
鉱石だったら季節とは無関係、木材も積雪期以外は輸送量が平均化している。
木材以外の農産物輸送が主な収入源だった私鉄って、北海道の簡易軌道とここ以外、他にあったっけ?
西武農業鉄道は違うよな・・ 野上は生活用品に使うシュロの輸送とかじゃなかったっけ
ヒストリーチャンネルが少し前に放映してた高度経済成長前の和歌山県の紹介映像で
野上谷のシュロ産業に少し時間割いてた辺り割と栄えてたようだ 有田は乗り鉄訪問的には楽しい鉄道だったな
車掌から車内券買えばよかった
唯一悔やんでる
キハ58003時代に年ちがいで計2回訪問しただけでよかったのかもしれない
末期は行く気がしなかった…元樽見のレカに魅力なかったからだと思う
末期は結構えぐい商売してたみたいだね
(券ヲタ相手に乗車券類を乱発乱売)。
青ペンキの掘っ立て小屋で古い半硬券を売ってる風情が鄙びててよい
たった一駅だけの乗り入れ、しかも乗り入れ経緯的には有田側の立場が上とか、
湯浅の中線に顔の焼けた1両キハがDMH17をしずかにゴロゴロとか
今思えばたまらん魅力ある >>126
沖縄のサトウキビ輸送とかいろいろありそう 126です。現在の常識で考えるべきではなかった。
上田丸子電鉄にしても、かつては我が国の主力輸出品であった生糸輸送が重要な収入源だったわけだし、戦前と現在とで農産物の生産状況は大きく変化している。 >>100 旧常磐炭鉱車の安住の地にならんかったの?
何故に?資金難で処分? >>128
っダブオク 有田鉄道で車内券出てる
ただし、有田の社紋がど真ん中にあるやつか、鉄道地紋かは見てない >>133
お気持ちはありがとう
乱発前の車掌乗ってた天然時代のもので
自分の手で買いたかったということよ。 >>134
個人的にはありた地紋は好きではないが、切符乱発は賛否はあるが、存続する為の手段の一つだからね
地紋の色を変えたりはトミカのミニカー商法によく似ているが、あれは有田が仕掛けたんじゃないんだよな だからイヤというのもある
有田側からの増収策としてではなく
券業者の食いものにされた訳だからな。
自サイトで個人客を相手にしてるような
信頼度では底辺部類の証券印刷会社 リス工房な
あの後味を占めて紀州鉄道でも出したが、コレクターからは不評だったからね
正直好きでは無かったから本社事務所で回数券購入した際に鉄道地紋見てほっとしたのが本音ですわ
蔵出し券も有田が自発的にしたのではなく切符業者が出せば買うから一度出してみいと口説いて、
半信半疑で発売したらバカ売れしたって言ってたからね
末期はバス部門が鉄道かなり毛嫌いしていて、切符購入しに来た鉄に嫌味言って来たからね
特にバスの課長は喧嘩吹っ掛けて来たから、親族がうさぎさんマークの古くからの支持者だから、そこの地名のもんだと言ったら逃げたけどね そう。2chでは揶揄半分に栗鼠って書かれてたわ。笑 有田末期はどうみても活版印刷ではなくインクが上に載ったような硬券もあった。
プリントゴッコで適当に印刷してたのではないかと思うようなひどい代物。 動物券や乳幼児券にハアハア…してたのもビギナーばかりだったからな
末期券も団体券はインクが乾いてなかったのか、券裏に付いてたのもあったからな
和歌山の鉄道会社やバス会社物持ちいいんだけど、廃札券の販売はせんからな(笑) そんなひどかったのか
やっぱ末期に行かなくて正解だったわ。
でも最後に行った2回目って
末期よりうんと前すぎて平成5年なんよねw
金谷口までは片道バスで。
初訪は平成2年、このときは鉄道往復
復路は湯浅まで乗ったよ。 >>141
ひどいのはトミカのミニカー商法みたいな切符だけであって、現場じゃないよ
最終日も平和だったよ 最終日は最終列車を金屋口で撮影してましたが、沿線で撮影していても罵声もなくのんびりと撮影出来ましたよ 141だけど俺は乗りテツ+券ヲタだから
撮りテツが罵声やらでひどかったのかって意味で言ったんじゃないよ
「模擬券まがいの乱発がそんなにひどかったのか」って意味
あと、末期と書いただけで最終日の話はしてないよ >>145
最終日にも乱発してたよ
前日に届いた物見せて貰ったが、もういいわって買わなかったけどな
しかも藤並の窓口も開けて、関西の切符業界を牛耳ってるオフィスシ尺木寸が発券作業してたと後日本人から聞かされた >>146
あの窓口係員は店の客だよ。
商品の優先販売権欲しさに自ら申し出て無給でやってたらしい。 >>147
もしかしてだけど、切符スレで度々出てくるシ尺に告白したモーホーのやつか?
有田の総務でシ尺の名前はまだ通用したが、あの辺りで一番顔聞いたのは故人になったあの人だけどね 切符スレというのがどのスレかわからないが、そこでも野上有田は人気なんだな。
回収した切符を目の前で破り焼き払う光景はさぞかし恐怖だったろう。
また鉄道グッズ業者の客、すなわち自分のライバルが駅窓口に座ってる光景に嫉妬したことだろう。 ごめん、141だけど
やっぱり最末期や最終日に行かなくてよかったみたいですねw
しかし和歌山南部の3私鉄って
何かしらケガレてますよね。
野上:もともとキチ、末期さらに悪化
有田:末期に業者の喰い物に
紀州:健在だが、ショタ駅長の不祥事 つまりは有田の最後の稼ぎにその切符業者が協力してたってことか。
廃止間際にバイト雇う金もなかったのに、新たに切符を刷って、窓口開けて、手際のいい窓口係員だった覚えがあるが、あれは業者の息のかかったマニアが無償でやっていたんだね。 喰い物にされたって表現が世にあるが
まさにそれだな。 野鉄の27を所有している先生が引退したらしい。2年前は車両の中見せて貰えたけど、もう無理かな。 >>155
いや、会社もそれで売り上げ伸ばして喜んでいたはずだが。
旅行者も記念品が増えて楽しかっただろう。
マニア氏も趣味店に尽くしたことで、一般売りする前の商品を売ってもらったとか、良い思いをしてるはず。
すべては趣味店店主のおかげだよ。 切符販売の手数料収入で有田はいかほど取ったんだろうか?
あれ表に出ないからそれを見ないと儲かったとは言えないからな >>157
きもちわるいです。懐かし板にまで出てくんな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています