懐かしの列車電話を語る [無断転載禁止]©2ch.net
鉄道車両内に設置されている公衆電話を懐かしむスレ。
携帯電話の普及で役割を終えたともいわれていますが
まだまだ現役のものもあるようです。 100円玉を入れてジーコジーコやる電話機があったね 車外から電車内の電話に掛けることもできたよね?
これは画期的だった。
でもケータイが使えるようになって忽ち用済みになっちゃったけどね 阪急6300系に設置されたとき使ってみたが、
大山崎付近では地形の関係か、やや聞こえ難かったと記憶。
もちろん、京都方の地下区間は使用不可。 >>7
あれをねえ…会社名の宣伝に悪用するところが出始めたんですよ
実際には居ない人の呼び出しを依頼するの
それがJRにバレて、以後車内放送では氏名しかアナウンスしないようになった 阪急は個室でなかった
会話が車内に丸聞こえで、使うのになかなか勇気が要ったが、
馴れとは恐ろしいもので、時代が携帯電話に変わってからは
他人に会話を聞かれても何ともなくなった 女が車中で堂々とメイクする時代だぜ
あと、スレチだが一般車(ロングシート)で飲み食いする奴も外聞を気にしなくなったからこそ増えたと思う。 >>10
トンネル多いから使えないことが多くて
不評だった
時期は異なるがシートラジオのサービスも
やはり地形上の課題を克服できず短命に終わった 京阪間無停車だから実用化できたといえる
あれが今みたいにあちらこちらに頻繁に停車すると
室内の旅客流動が激しくて一層邪魔。
それこそ通話専用ブースを作らないといけなくなる。 >>19
中標津駅資料室です
現在バスターミナルになっていて、窓口で見学したい旨を申し出ると見せてくれます。
http://i.imgur.com/4JGqvSL.jpg 乗務員が使うやつと乗客が使うやつとがあるのかな
当然別だけど >>24
基本的には、保線員用と駅・信号所用でしょうね。
運転士は信号、タブレット遵守 いわゆる「同時多発ゲリラ」のとき
大阪環の角形鉄橋(木津川橋か岩崎運河橋かどっちか)の真上で
>>18みたいな「携帯電話器」を使って会話してるところが映っていて
なんか萌えたな。 同時多発ゲリラ事件か
そういう機会でしかお目にかかれないのかな 車内からかけると割高だし、
使えるのは知ってたけど一度も使わなかった。
今となっては後悔。 新幹線で、展示してあるのと同じ鼠色の電話器(交換手時代)で掛けたことあるな
たしかに割高だったが
もう無理だからね… 新幹線のは使ったことあるが、在来線や私鉄にも設置されてるのは知らなかった
主要駅では新幹線ホームでテレカを売ってたね 「あさかぜ」ならある。
テレホンカード専用
シャワー室もついてた。 そういや俺も寝台列車のも使ったかも
あと近鉄特急とかJR九州の特急車両にもなかったっけ。
携帯電話があまりにも急速すぎて、すっかり記憶が上書きされてしまってる 近鉄は初期のビスタカーまで車内電話があったのが廃止されて
アーバンライナーで久々に復活して話題になった >>32
近鉄も少なくとも難波の改札や鶴橋のホームでテレカを売っていた
他の駅でも売られていたはず ビスタカーの図柄入りのやつ
欲しかったが、買えなかった 交換手時代に使ってみたかったなあ
交換手さんは皆美声の持ち主だったんでしょ? 祖母の妹さんが交換手やってたらしいんけど
母の証言によると引退してからも歳の割に声が若かったって いわゆる職業病というやつで、よそゆき声がデフォ状態だからだと思う。 昔は交換手といえば花形の就職先だったと聞きました。 行司というのは普段からああいう喋り方なのかと
ガキの頃真剣に悩んだことがある 研修で厳しく訓練されるんだって。
その仕事を辞めても、のちに別の仕事で役立ったことも多かったらしいよ 伯母が戦後間もなくから電電公社で交換手をやっていた。
九州初の女性なんとか〜と言われたけど忘れた。
九州なのに方言ではなく標準語で日常も会話していて、声は通ると思った。
夜勤もありだけど、15分単位で有休がとれたらしい。さすが親方日の丸 >>50
阪急6300系は多かった
新幹線や近鉄特急は分からない >>53
それは>>8にも出てる。
特別料金不要でぜいたくは言えないよ 電話は移動中には使わないもの、という常識が打破された 常識というより
言うのなら「既成概念」だな。
最初って近鉄の10000だっけ?
151系こだまもあったよね こだま151系と近鉄ビスタT世はどっちが先だっけ? 1950年代から60年代なら、まだ家庭用の固定電話も普及してなくて、呼び出しが多かったんでしょ?
そんな中で電車内で電話できるなんて物凄い贅沢だね 小学校の連絡網で、時々引込線のように描いてある家があって
よく考えたらそれは電話がなくて徒歩連絡だったんだなと
うちの電話も暫くは共用回線といって
隣が先に使ってると掛けられないシロモノだった 電話呼出、懐かしいね。
古いアパートだと、管理人室にだけ電話があって、
管理人に呼び出してもらうのもあった。 電車で移動中に伝えなければならない緊急の用事って
そんなに無い
サービス開始の時は話題にはなったが
実は利用が予想ほどは無かった 携帯電話も世に出始めた当時はそんな受け止め方をされていたね 確かに電車からかける用事って殆ど無い
重宝するのは電車に乗ってる最中にチケット発売時間を迎えるとき 列車電話なんて嬉しがりだけが使うアイテム
携帯電話もそうなる筈だったがこちらは市民権を得てしまった ちょっと経緯の捉え方がちがうんじゃね?
車内電話が一般化してきた頃に携帯電話が台頭してきたんでシフトしただけ クラスの連絡網といえば
電話番号の下に
(呼)坂井一輝 方
とかあったよね。 団地便覧という住所録みたいのが当たり前のように配られていたけど
小さな頃に見た奴は結構電話番号に歯抜けがあった。
はじめは公開拒否か未調査なのかと思ったけど、単純に無かった家も多かったんだな
その団地便覧、市営バス路線図が付いてたからとっておけばよかった… 携帯電話が世に出始めた頃は
「途切れずにクリアに聞こえる」を
ウリにしてる宣伝が多かったよ
それだけ通信の質が悪かったのねえ 昔の携帯電話はトランシーバー並みにデカくて扱い難かったので
あんなの持ち歩くくらいなら車内の公衆電話を使おうということらしい
しかし携帯電話はみるみるうちに小型化&低価格化して鉄道公衆電話を駆逐した
技術革新がサービスを一変させるわけだな >>77
だって1970頃までは「電報のある駅」だよ
現在、電報なんて慶弔時で形式的にうつのみ… >>78
昔は長距離電話不便だったしねえ
交換手に電話して
電話置いて短くても一二時間待つ
電話が鳴ってやっと通話できる
即時通話は県庁所在地間が1967年
全国自動即時化は1978年 電話帳は置いてあったのかな
全国版なんて分厚いだろうな >>11
それ、覚えてるわ
乗客の中にも分かってる人がいたようで、
「またやってるぞ」みたいに失笑が漏れていた。 ベンチャーだろ
目立ちたければ捨て看板って諺があるじゃん >>92
呼び出しだけだから一回百円
そもそも乗ってないから出ない
よって通話料はかからない だとしたらカネの使い方を知らないバカということになるよ
通信手段は他にも有るわけで。