官設鉄道の東海道線の新橋駅は、仙台藩(伊達家)、龍野藩(脇坂家)、会津藩(松平家)の屋敷跡を転換したものであり、当時の江戸市街の南縁に当たっていた。
日本鉄道(現東北線)の上野駅は、上野の山下に並んでいた寛永寺の末寺一一ヵ寺を廃して、その境内を駅の敷地に当てた。この場所も当時の市街地の北限に近い。(中略)
初代の横浜駅(現在の桜木町駅)は野毛海岸の埋立地に作られていた。
これらは土地買収の難しさを回避して、鉄道用地の確保ができた例である。
(青木栄一著「鉄道忌避伝説の謎 記者が来た町、来なかった町」)