昔の国鉄可部線 [無断転載禁止]©2ch.net
自治体は廃止反対!以外には
何も対案出しません
被害者ヅラしますよ
一旦開業してしまったら、畳みようがない、それが鉄道業 可部以北がR191のルートだったら昭和末期にはどうなっていたか
現実には幕の内トンネルが絶対掘れないんだが 沿線自治体に存続のために金を出させるのはおかしいと思う 昔の話だが
安芸長束から放水路沿いに出ると車速が上がるのが不思議に思えてたよ
72系イコール鈍足だと思い込んでたから
放水路建設の時に付け替えてるから線形が良いか線路等級が高かったんだろう 72系はウグイスとオレンジの取り合わせがなんとも言えなかった
ならばいっそのこと茶色一色でも良かった 電車は横川止まりで
広島駅に出入りするのはほとんど気動車だけ 電車は横川に留置
気動車は芸備線と共通運用だったからかな >>161
色がどうというより、汚れが目立ってたのが残念 非電化区間だけで運転していた客車列車はどのようなやりくりだったのだろうか。 客車時代を知る人は既に鬼籍に入ってしまったので、確認しようがない。 気動車主体になってからも1往復だけ客車列車があったので。 >>167
可部―加計間に一往復だけ残ってたやつだな 可部駅に留置してるのを見た記憶がある
あと下祇園にマニか何か4両くらい側線に結構長い間放置してたな 可部線に荷物か貨物列車走ってたのを見た記憶があるけど、ELは何だったんだろう? 山奥のスキー場に持ってくとかでDE10に牽かれたEF65と20系客車数両が走ったことはある
当時露出ができたりフラッシュが付いたカメラ持って無かったから写真はない 北マトから転属したモハ72もあった。その後、同じく北マトの103系1000番代を改造した
105系も一時期広島で活躍した。双方が広島の地で松戸区時代の思い出を語り合ったはずだ。 京都鉄道博物館の図書館に鉄道事故の歴史みたいな簡易製本の本が置いてあって
それによると昭和18年に可部線梅林~上八木で正面衝突事故があったそうな 国鉄=掃除してない、のイメージ定着に一役買った72 72系が前面警戒色だったわりに
その後の車両は全然無警戒なペイントだな
特に広島末期色なんてやっつけ仕事もいいところ 昭和59年に横川駅で72系撮るのにギリギリ間に合ったが、カラーで撮っとけばよかった。
乗ることはなかったんだけど、乗ってたらどんな感じなんだろう?たまに夢に出るが、わりとどこにでもある平凡な景色? >>184
景色的には大田川を二度渡る橋梁
三滝−安芸長束間の川沿い風景
離合駅での停車時間の長さ
吊り掛け駆動独特の発進音
異様な揺れの激しさ ありがとう。google earthで仮想体験してみた。単線なんだね。本当はキハ20とかキハ30が似合いそうな地方の街中走る路線って感じだった。可部の大和重工のちょっとやばげな工場感?が目立つ。鋳物の街だったんだなあ。 美祢線は昭和期の石灰石輸送で幹線に分類されたけど今や貨物輸送全廃だもんな 72系は他線みたくチョコレート色で貫けていたらなあ 呉線時代にウグイス色になっててチョコ色が少数残っていたような
可部線に転籍したクモハクハは全車ウグイスだったかな 蒸気機関車のばい煙対策のぶどう色だったから
無煙化後は全国にカラフルな旧型国電が登場した 加計や戸河内から広島へ行くのにあまりに遠回りで遅かったのが致命的だったな
車で加計からだと布でr38に入って大原に出た方が近いし、戸河内からだと中国道で山を貫いて一気に行けるので、可部線は著しく不利だった
しかも加計も戸河内も小さい町だから、都市間連絡の需要も無いし、どう足掻いても存続は無理だった 元々が水運の代替という発想でしかなかったからな
昔の筏のりは戸河内の柴木川合流点あたりで木材を組んで太田川を下る
広島の材木問屋に引き渡すと帰りは徒歩
大原ではなく安東付近から山に入り現在の安佐動物公園のあたりを越えていたという しかも駅間距離が短いのも悪い方へ働いたと思う
駅間距離が短いと当然スピードが出せないから、バスと大差が無くなる
そしてバスの方が本数が多いと来れば、バスに客が流れるのは当たり前 戦前は軌道扱いで今以上に停留所が多かったけどね
それでも交通手段として機能していたんだろう
道路はまともに舗装されていないし、日本初の国産乗合バスもパンクや故障を繰り返してすぐに運休したというし
R54やR191、E2Aなどを走る路線バスと競合しだしたのは昭和中期から 可部までは一箇所を除いてほぼ平坦だし、阪神のジェットカーみたいなのがあったらよかったかもね 国鉄・JRにそういう発想は無いな
というより阪神が特殊
競合する鉄道路線が2つもある時点で、少しでも気を抜いたらあっという間に客を取られてしまうから まさかその阪神と阪急が民鉄どうしで統合してしまうとはね。
いちおうブランドイメージというか別モノ感は
維持し続けてるみたいだけど、俺はイメージも統合してかまわないとは思う
スレチだけど 阪神阪急は神戸高速に繋がった時のほうが画期的だった
阪神は元町、阪急は三宮がターミナルだったのが、西側の山陽まで接続したんだから
阪急は京都線も大宮〜河原町を地下延伸して京阪四条近傍まで到達した
可部線も横川駅を地下化して紙屋町、八丁堀方面まで延伸できてたらなぁ >>200
それもたまげたけど、もっとたまげたのは阪神と近鉄の直通運転だったな。
車両の規格も違うのによく実現したと思う。
自分的には京阪と直通の方があり得るのではないかと思っていた。 >>204
可部線の一旦廃止した区間が不死鳥のごとくよみがえった時は自分も腰を抜かしてしまった。 おれは三滝でサルが架線に引っかかって感電死した時に腰を抜かしたな ネタが尽きた
72系は製造時期やアコモ改造などバラエティに富んでたし、105系は4扉車の種車などの話題があった
227系は煮ても焼いても食えない クモハ123といえば可部線初の冷房車かな
同時期に105系2両×3編成が冷房化されてたから時期的には微妙か >>207
内容はごもっとも、そう思いますが、
しかし40年後や50年後に、227系を追う撮鉄発生の可能性
もっと大きな撮っておけば…、とかにはならないですかね >>210
それはあるかも
ただ227系は山陽本線、呉線と共用の新造車だから、旧型国電最後の砦とか、千代田線乗り入れ車の余生とか、そういう話題性はないでしょうねぇ >>210
それはあるかも
ただ227系は山陽本線、呉線と共用の新造車だから、旧型国電最後の砦とか、千代田線乗り入れ車の余生とか、そういう話題性はないでしょうねぇ クモハ123も種車や改造時期による違いが楽しい
JR東日本や東海の123はすべて廃車
西日本の5両はすべて下関で現在
うち3両が可部線への投入実績あり 可部線が一部区間だけでも存続して賑わってるのは可部までのルートが人の流れに沿ってたから
欲を言えば太田川放水路の工事で西に付け替えられてなければベストだった
芸備線はなぜ中山トンネルを掘ってまであのようなルートにしたのだろう
備中神代発を下りにして広島駅には上り方から接続しなければならない理由があったとか >>215
シティのロゴにやられた
横文字に弱いと自分でも思う