昔の国鉄可部線 [無断転載禁止]©2ch.net
ついでと言っては何ですが幻に終わった今福線(三段峡〜浜田)も語ろう 一両一両の顔が少しずつ違っていた73系
駅で待ってる間、次に来る車両はどんな顔か予想するのも楽しみの一つだった
当然と言えば当然だが今は同一系列であればみんな同じ顔なので
面白味に欠ける 少しどころかまったく別系列といえそうなスタイルの違いもあった 顔よりもあの救いようのない色。
剥げ落ちていてもそのまんまにされていたし。
やっつけで仕事してる感じが悪かった。 17メートル国電最後の牙城ではなかったのか?
1976年になって始めて、73系が入ったわけでしょ。この2年くらい後には、青梅線の73系が撤退してるってのに
政令指定都市の路線だってのに、福塩線よりも古臭い車両を使ってたような 三段峡駅の先には、工事中止になった今福線の路盤やトンネルが放置されているとばかり
思っていたが、三段峡駅まで可部線に乗ってみると、三段峡駅はホームの先に車止めがあり、
その先は山になっていて今福線の工事が三段峡から着手された痕跡は見当たらなかった >>6
しかも選りすぐったとしか思えない草臥れ感のある車両ばかりが集まって
100万都市の格に釣り合わないこと夥しかった(涙 >>8 旧国鉄以来の広島軽視の見本とも言うべきなんでは?
いつまで経っても、ぼろいのしか回ってこない・・広電の路面電車やバス、それにマイカーへの対抗を諦めている そう、広電もかつては中古車ばかりかき集めて古色蒼然であったが
80年代から攻めの経営に転じて一気に車両が若返った
可部線の取り残され感は半端なかったね 国鉄時代の車両政策は競合他社の事情によって左右されたりはしないので
広電が何をしようがどうなろうが無関係、ゴーイング・マイウェイ。 >>8
格は関係ないわ
仙台市に乗り入れる国鉄仙石線もひどいもの 仙石線も73の天下だったが、そんなに悪評ではなかったような。 映像が流れるか流れないかの違いは
演者にとっても大きな違い 廃止されてた可部線の一部が電化されて復活するんだって
数キロだけど 一人だけだろ
毎日乗ってたら色など気にしてない
あるとすれば夏にクーラー付けてくれとは思ったかも知れん
ただ、昔の夏は今みたいに不快指数MAXになるような暑さではなかった 非電化区間の気動車 検査送り込みで一日一往復だけ電化区間を走り広島に上京していたらしいけど、
一両で激混み苦情とかなかったの?
夏場なんか暑いのだから旧国を冷房付きのキハ58や40に振り替えるとか、運転曲線的に厳しいなら
夏季限定快速運転とかしても良かったような・・・。 >>28
キハ40新製の時代だったら3両編成だったな。 25年位前まで、横川止まりで広島まで行かないのが結構あったよね。
何で中途半端な運転区間にしてるんだろう、と思ってた。 >>30
たった一駅くらい
わざわざ席立って階段登って
乗り換えればいいだろアホ
それが国鉄クオリティ。 >>30
昔は速度の遅い貨物列車が沢山走ってたから電車運転用のスジが引けなかったからとか? 広島駅が中心街から外れてるし、横川で降りて広電で中心街向かう利用客が多かったから、横川止まりとしてもそれほど不便は生じなかったということかな