懐かしのターンテーブル・転車台 [無断転載禁止]©2ch.net
蒸気機関車など方向転換が必要な車両のために造られたターンテーブル・転車台を懐かしむスレッドです 関東だが鶴見と横浜(高島)、国府津は見に行ってたな。
とくに国府津はD52が乗るからワクワクして見てたが、
電化されて使われなくなると寂しい風景だったな。
しかも転車台が先に撤去され、機関庫だけ残される、惨めだったな。 私鉄では常総線水海道で目撃したのが最後かな
大井川は遠くて訪問できてない 大井川も真岡も転車台が現役だが
いつも時間がなくて見そびれる。
乗るだけのスケジュールじゃダメだね。 横山剣スレはここでつか?
天浜線で有料で回す見学ツアーやってるとか >>12です、回答ありがとうございます。神戸に8620があった当時はまだガキでした。カラーンとなる鐘付きのカマを見たかった 16です。
東灘支区の8620は1964年無煙化らしいので
私はまだ赤ちゃんでしたw
DD13はよく覚えています。
東灘の転車台はJRになっても残っていたそうです。 デモンストレーションのためにたまたま動かせるモノを見繕っただけだろ >>30>>29
いや、そうじゃなくて
吹田は扇形庫だから転車台乗らないと
車庫に入れないだけ。 気動車抱えている車両区では未だに必需品だから別に懐かしくないなぁ おれ京都市の小学校に通ってたが見学は吹田まで連れて行かれた
梅小路も向日町もあったのにな ブーブーブー
某区菅平学園スキーに四十数中学校中二校だけ外れたんだョ >>35
そりゃ不思議だな。
滅多に使用しない向日町はともかく
梅小路に行かないで吹田まで行くとは…
しかし梅小路が蒸気機関車館になる以前の話か
相当、昔の事だなw 作り話だろ
この板の大多数は脳内妄想レスで埋め尽くされてる 向日町は操車場の中で電車が行き来して危険なのでは、吹田はだだっ広い操車場と反対側にあるからまだ安全かな 操車場の隅っこの方にあるのは知ってます。そこへ行くまでが問題では、線路の間をぞろぞろと並んで行くのはどうかと、勝手な推測ではありますが 小学生ならおちょけて立ち入り禁止区域に行ってしまったりしょーもないイタズラしたりで、
受け入れる側も気を遣うだろうな >>32
会津若松は未だに使ってるね。
木更津にもあってキハ35などを回していたが、両運転台のキハE130化で必要なくなったからなあ。
でもDE10を回したり、内房線でSLが走った時にはD51-498を回した。 >>45
意味が分からん
なんでイタズラできるんだ?
先生が引率してんだぞ。 タンテじゃないが厨房の頃移動教室の峠の釜飯屋を一人脱出して横川機関区へ 図画の授業で射精、もとい写生に行った
鉄に興味なかったら苦痛以外何物でもない 三峰口は見に行ったが、時間がかかり過ぎて現地到達時には草臥れてしまったw カネを取って見せ物にしてるのよりも、
使われなくなって朽ち果ててる方が萌えませんか? 奇麗に朽ち果てる実例が少ない。
使っていないが除草はするという珍しい現場を探すか?
適切な保存がされている例、例えば北濃駅などは良いと思う。 朽ち果てているし、周囲に草が生い茂っててもよいので
自然な状態のタンテがあったらなぁ そんなに朽ち果ててるタンテが見たいなら
もう絶版になってるかも知れんが
「棄景」という写真集を貴方にお勧めしたい 自分も読んだことあったなあ
米原のタンテが載ってなかったっけ? >>58
いや〜、鉄チャンでも他の廃墟に目移りしちゃうよ 大子のやつが現役で稼働してるのを見たことのある人となると
かなり年取ってるで だから「現役らしいが」と注釈してるじゃんか
ちゃんと読めよ うわぁ・・
これは無惨だな
しかし福井県が投入する予算の規模からすると、本気では無いな
調査費だけでお終いになるかも知れない
いやその方が良いと思う きょう特急つがるに乗って
東能代を通ったんだけど
五能線の転車台バリバリ現役っぽかった。
しかも弘前の先でC58(SL銀河号)の試運転とすれ違い
感動した一日だったなw 既に車庫壊してて、さらに意味無いところに移設って何がやりたいかわからん。
原発動いててガンガン金が入ってきてる時に市は買い取ってきっちり保存するべきだったな。
まさに大後悔時代 敦賀港駅も違う場所に復元してるし。
なんかもうねw 緑地公園内の大和田別荘を復元した施設も元は別の場所なんだぜ。
大和田氏、相当な切れ者だったんだね…
足引っ張る奴居なかったら、敦賀はもう少し栄えてたと思われる。 扇形庫とタンテが対になってひとつの景色を構成してると思うわ
場所を取るけどね。 ターンテーブルだけがポツンと遺されてるとなんというか間が抜けているというか
締まりがありませんね 岡山機関区の転車台はどこかに移設出来なかったのかな
唯一の24m.モノだったのに SL走らす東武はどこかからターンテーブルを調達するんじゃなかったっけ?。
大井川の新金谷みたいに新しく作らないで。 私鉄界では最多のSLを抱えてた東武とはいえ、この時代に復活させるとは・・
今やSLに郷愁を持ってる世代はかなり高齢になって、
動員に繋がるのかな
スマナイ、スレチだった ここは懐かし板だから過去の話をしようよ
東武なら昔はタンテがあちらこちらにあったのか興味ある なぜ唐突に矢板駅なんだ??
東武矢板線の現役時代を知ってる世代がこんなネットを見てるのかなあw ネットの受け売りだけで
昔を語るゆとり君が多いから困る。 私鉄、東急東横線や小田急にも電車用転車台が在った。 美唄は転車台が2ヶ所あって 美鉄のは直ぐに取っ払ったけど旭川寄りのは草に埋もれながらも残っていた。南美唄支線用のだったのかもしれない。 もう取り壊されてしまったが、東海道線の国府津駅に在った、
国府津の扇形庫は明り窓付きで鉄筋コンクリート建てだった。
この扇形庫が取り壊されたのは昭和57年のはず。 転車台(ターンテーブル)の回転部分の堀?って結構深いことが多かったみたいだけど
排水とかどういう仕組みだったの?
豪雪地帯の降雪期なんか除雪とか超メンド臭そう?
転車台前に面した線路に転動→コテっちゃん や
全長の長いクルマで(車体が転車第からはみ出る)回転時 他車や建造物に接触
転車中(重さでタワミ回転軸の上の部分を頂上に前後下り坂になっている)に転動で逸走とか
厄介なトラブル起きそうな気がするのだが・・・
復旧とかどうしていたのかな?
架線の有る場合の仕組みも気になる。 上路式の場合、端から中心部まで結構な傾斜が付いていて、
下路式でも平らに見えるが実は中心部に向い、緩やかな傾斜が付いている。
中心部に集められた雨水はピット下に埋められている陶管(150や200)を通り、公共下水に接続されている。
大雨の場合、排水が追いつかず、ピット内が水没する時もあるので、戦前は人力で汲み出し、
戦後は排水ポンプで汲み出す事もあった。ただピット内のガーター下部(下路式)位までなら、
そのままって事が多かったようだが。
雪国だとガーターに鉄骨を接続し、ピット内を覆うような屋根を付ける事がほとんど。
黒姫駅の転車台が参考になる。屋根が無い場合、人力でかき出すのが通例。
20m転車台にC59やC62はギリギリだがベテランの乗務員は一発で載せるけど、
新米は何度も行ったり来たりをする。
転車台の多くは3点式、中心と両端でバランスが取れるので、乗務員が動かさない限り動かない。
20m以下の転車台でバランス式のは、機関車が載るとガーター全体が重さで下り、安定する。 姫路の転車台は架線が6本張られていた。
水上の転車台も1本張られていて、EF55が方向展開(動画有り)してる。
直江津も1本、張られている。
海外だと転車台の上が蜘蛛の巣状に張られている所もある。 >>101
姫路第一機関区の転車台に架線張られていたのですか?
非電化時代しかしらないのでビックリです。
ELも扇形庫に出入りしたの?? >水戸もな。
2つ転車台がある区の場合,自区の機関車(検修を伴うもの)と
他区の機関車(単なる方向転換+給水程度のもの)で分けていたと
聞いたことがある。 >>102
昭和36年〜47年の姫路第一機関区はターンテーブルの上に架線が確認出来るよ。 国鉄のターンテーブルは、そもそもSLの方向転換が目的で敷設した思うのだが、
極々異端のEF55以外電気車を転車台に営業運行上(整備改造、用途変更の場合は無動力で
押し込みでも問題無いかと・・・)方転する必要もないのでターンテーブル内に架線を敷設
する必要があったのでしょうか? 無論 元々蒸機収容機関庫で転車以外に転線収容で設け
たものはこの限りではないが・・・(それでも出庫時に向きを間違えて問題に成なるケース
とかありそうだし)
蒸機が無くなってからも結構各地で温存稼働していたのは何故だろう? かつて浜松機関区にEF58がたくさん配置されていたが、
扇形庫を車庫代わり、留置線に使っていたよ。
後に扇形庫が撤去されて、露天留置になったが。 >>106
片運転台の気動車とか緩急車の類を方向転換させるときにも使った
機関車以外に気動車や客車配置してる区は多々あったし >>105
そうなんですか…
気が付きませんでした。
というか、当時の姫路第一機関区でELを見たことがないです。 陸羽西線の清川の転車台、なぜ設置されたのでしょう。 >>84
東上線の下板橋で電車の中から見た覚えがあります。蒸機の転向中、黒煙を上げていました
昭和36〜7年ごろだと思います。貨物末期EL時代は小川町が終点でしたが、寄居までの間に貨物線の跡が残っていますから
昔は寄居まで行ってたのでしょうか。 蒸機以外の車両は、むやみに向き変えることで、比較的近代の気動車、電車などは、車体の電気線、エアー配管の都合上
不具合が起こるケース(出先と云うか遠方の転車機能の無い駅、構内)とか無かったのでしょうか? >>112
その辺は車両の解説に頻繁に出てくるが、注意して読まないと何の事か判らないので今までスルーしてきたのではないかな?
何が来るかわからないような立場の車両、例えばEF63などはジャンパ栓でギッチリではないか。 >>91
移設かよw
敦賀のは扇形車庫ぶっ壊した段階で意味消失してる。 長良鉄道の北濃のヤツは、折角直したのに、また休眠なの? >>115
移設でもなんでも実物が遺るだけまだしもすごいよ
跡形もなくなってきたのが大半だからね 東武も新造品でなくどこかからの移設で転車台作るんだっけ。
大井川の新金谷は平成になって初めて新しく作ったやつなのに。 いまどき転車台を一から新造となると大変だろう
新金谷のも中古橋桁の転用だし 筑豊地区には、ターンテーブルが五ヶ所にあった。
直方駅と後藤寺駅と香春駅にあった。
直方は、三ヶ所にあった。
東部・西部・北部にあった。
東部は上り折り返しの蒸機対象
西部は、庫入りの蒸機対象
北部は、下り折り返しの蒸機対象です。
香春駅は、D51の終点だからあった。
香春のターンテーブルは、ガーダーが薄く、短く、よくこれでD51が載るのかと思うほど貧弱であった。