昔の鉄道経営者列伝©2ch.net
小林一三や五島慶太といったメジャーなところから
熊澤一衛や才賀藤吉といったマイナーなところまで
語り尽くそう >>6
オイオイw
「油屋」は屋号。
家業は質屋だぞw 地主が地域の発展のために資本家と語らって立ち上げることもある
上毛電鉄は粕川の地主、田島家の主導で始まった
国鉄から見放されて発展から取り残されるのを指をくわえて見ていられないという
思いだけだったという。 >>8
それも違うなあ
どうにもこうにもならなくなったポンコツ企業を引き受けて、
軌道に乗せただけ。起業したのではない。
タイトルの「経営者」が起業者に限定しないなら、根津氏はこのスレに合う人物と言える。 おまえら辞書で中興の祖の意味をちゃんと調べてから書き込めよw 中学時代、学校の図書室の蔵書にあった伝記は、
小林一三と、なぜか野田誠三だった
司書の先生がタイガースファンだったのだろうかw 野田氏
確かに社長にはなったが、この人も技術者だろ 東急・五島や西武・堤は児童向けの伝記には取り上げ難いと思われてたかもよ 企業闘争に人生を捧げたように見えるからかな
でも小林だって阪神や京阪相手に戦前戦後を通じて
やってたんだけどな 宝塚歌劇団の宣伝効果は多大なものがある
単なる乗客誘致に留まらず、企業イメージの向上にもプラスになってる 関西ではどうか知らないが
関東ではそんなに有名ではないよ>タカラヅカ 強盗慶太に、ピストル堤だろ
そりゃ無理だ
青少年には刺激が強すぎる >>21
デタラメ書くな
>>22
そんなヤワではない
>>25
新京阪の帰属ではないのか ☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 >>19
争うまでもなく阪急が獲得できる状況だったらしい 日比谷の宝塚劇場の近くにヅカショップがあって
こないだ連れられて覗いたことがあるんだけど、
売っていた本の中に小林一三の伝記マンガがあって
お目目キラキラのイケメンに描かれてて悶絶したわ 色々あったかも知れんがやはり小林はメセナのかほりを纏える
唯一の鉄道経営者だと思う。 去年にNHKで小林の伝記ドラマを流してた(小林役は阿部サダヲ)が
描かれ方が結構ヤマっ気の多い人でメセナなんかに目が向くようではなかったがなあ。 物は言いようだな
歌劇団はアトラクションのひとつなのに メセナの香りと、プロ野球球団経営に競輪がどう結びつくんだろうか? 十河、石田、須田御大ら国鉄総裁やJRの社長は対象外なのかな? 木村清
阪和電気鉄道(現:JR阪和線)社長
海側を走る南海電鉄に比べ、山手を通り沿線人口の少ない阪和電鉄の経営が苦しかったことから、
ピストル自殺した 阪和電鉄は泉ヶ丘住宅、砂川遊園地なども経営してたけどな >>36
失敗ではないだろう
でないと半世紀も続けられない >>15
Wikipediaには2代目は中興の祖と説明されてるぞ 雨宮敬次郎、鉄道事業もやったが、むしろ鉄道車両メーカーの経営者として有名
雨宮鉄工所製の小型SLが、各地の軽便鉄道や中小私鉄で用いられた。 此処まで 越後交通の社長歴任の 田中角栄先生の記述なし。 高鳥順作 新潟県の政治家・実業家
光明電気鉄道を所有することになったが、資金難・経営難・電気料金滞納で架線の電気を
止められ、同電鉄は8年で廃止に >>41
年数の問題じゃないだろ
一説によると球団事業で利益が出たことは一度も無かったという。
宣伝費にしてはカネをかけ過ぎと言う評価もあった 膨張主義で失敗した京阪太田光煕
香里園のキンモクセイのエピソードはよく知られている 南海の川勝。
球団の選手起用にまで介入した鉄道経営者は希有な存在 >>46 本拠地の西宮が阪神甲子園に近すぎたからではないのか?
西武球場ができるまで、パリーグの休場はどこも観客席が貧弱と言われてたそうだが。
京都線沿線、西京極辺りに本拠地を設けるわけにはいかなかったのだろうか? >>49
財界人の中には、川勝のイレコミぶりを「道楽」と評してたというから、
あまり好ましくは見られたなかったのだろう。
ダイエーへの売却は、むしろ遅かったくらいか。 >>1
熊沢をマイナー呼ばわりとは‥
しかし伊勢進出を焦り最大の乗客に供給地である名古屋進出を後回しにした判断の誤りは
かえすがえすも残念 資金面で不利なのに大阪資本に対抗するのは厳しかったと思う 熊澤は疑獄事件がすべて
巻き込まれぬよう日頃からのガードが他の経営者よりも甘かった >>52
名古屋進出を後回しにしたのは
木曽三川にかかる鉄橋の払い下げが遅れたからだよ
これはどうしようもない 伊勢電が名鉄に合併されていたらなあ、と子供の頃はずっと空想していた。
三重は東海三県の一部だし‥ 大阪の会社に伊勢神宮乗り入れの先を越されてはならん!という、
県を代表する企業の心意気だと思う。
もちろん、心意気だけで会社経営など出来ないから、経営者としては落第。 事業展開のため政治家を利用しようとして、逆に利用された >>54
ガードするもなにも陥れようとする力が働いたなら抗いようもない
疑獄事件ってそんなものでしょ
初めから生け贄が決まってるんだから。 五島氏は小説だけでも数本あるし、良くも悪くも神格化されてるといえるかな
個人的には東急ユーザーでなかったので特段の感想はない 近鉄の佐伯一家も野球に深入りしてたな
まだ弱かった時代のミーハー指名はつとに有名 でも他の経営者と違い会社にダメージは与えてないでしょ ワンマン社長と影口言われるくらいでないと名鉄をここまで
大きくできなかっただろうな ワンマンが恰かも悪のように見られる風潮が良くないと思う
リーダーとはそもそも孤独なもの 判断が正しければ英雄、間違っていれば凡夫。
結果論で裁かれる。 今のシャープの社長さんを見てるとそう思うわな
良いときはなにやっても持ち上げてくれるし、逆の時は徹底的に叩かれる
精神的にタフでないと務まらない >>70
本体にはダメージないが傘下に納められた会社は
大なり小なり影響があったとされている 地鉄はダメだったらしい。
琴電は知らなかった。四国にも食指を伸ばしてたのか ローカル社乗っ取りでなく自社のローカル区間の整備に力を注いでくれていたら、と思わずにいられない
挙母線とか岩倉線とか… 日本における地下鉄の祖、だが最後は寂しい終わり方だったな 土川時代の名鉄が浜松延長も考えていたみたいだが、遠鉄も狙っていたのか?
浜松は名鉄観光の支店を手始めにホテルやタクシーなど進出したが、
いずれ地域を支配するための足がかりだったのか 御見込みの通り
だが地域感情もあり名鉄ブランドは浜松には浸透しなかった 遠鉄が浜松にデパートを持ったのは名鉄の協力があったからだと言われているが、
デパートは名鉄系ではなく高島屋のグループに加盟している。 土川氏の拡大路線は
上手くいかなかったと総括するのが妥当かなあ 無謀にも思える路線延長や勢力圏外にある中小私鉄の系列化などをトップ、またはその取り巻きが画策した時に、
抑制する役員は居なかったのかな
土川時代の名鉄は結果的には大過なく終わったが、スレの初めの方で出ていた太田時代の京阪は後遺症の克服にかなりの時間を要した。
歴史にたらればは禁物だが、あの時に踏みとどまらせることができれば、と思うことがある。 国鉄があの体たらくだから少なくとも鉄道同士の競争は楽勝だった。
問題はクルマだが、それでもまだ互角には闘えていたのだろう 在来線とは勝負になるが、新幹線には歯が立たないのに。 >>96
パノラマカー誕生が無ければ名鉄はもっと没落していた >>97
仮に太田政権の拡大政策がなくて健全経営のままで戦時体制下に入ったとしても
国の力で阪神急行電鉄とは合併させられていたでしょう
そして戦後の分離においても、旧新京阪線は十三で現実に路線を接していた阪急の支配下に置く方が
乗客の利便向上になると判断されるのも無理はなかったでしょう
どのみち京阪は淀川左岸だけでこじんまりと再出発するしかなかったのです 太田社長はそんなに経営才覚がなかったのかな
会社にとって良いこともしたでしょうに
歴史を結果論で切って捨てるのって現代人の傲慢じゃないの?