昔の鉄道経営者列伝©2ch.net
小林一三や五島慶太といったメジャーなところから
熊澤一衛や才賀藤吉といったマイナーなところまで
語り尽くそう >>15
Wikipediaには2代目は中興の祖と説明されてるぞ 雨宮敬次郎、鉄道事業もやったが、むしろ鉄道車両メーカーの経営者として有名
雨宮鉄工所製の小型SLが、各地の軽便鉄道や中小私鉄で用いられた。 此処まで 越後交通の社長歴任の 田中角栄先生の記述なし。 高鳥順作 新潟県の政治家・実業家
光明電気鉄道を所有することになったが、資金難・経営難・電気料金滞納で架線の電気を
止められ、同電鉄は8年で廃止に >>41
年数の問題じゃないだろ
一説によると球団事業で利益が出たことは一度も無かったという。
宣伝費にしてはカネをかけ過ぎと言う評価もあった 膨張主義で失敗した京阪太田光煕
香里園のキンモクセイのエピソードはよく知られている 南海の川勝。
球団の選手起用にまで介入した鉄道経営者は希有な存在 >>46 本拠地の西宮が阪神甲子園に近すぎたからではないのか?
西武球場ができるまで、パリーグの休場はどこも観客席が貧弱と言われてたそうだが。
京都線沿線、西京極辺りに本拠地を設けるわけにはいかなかったのだろうか? >>49
財界人の中には、川勝のイレコミぶりを「道楽」と評してたというから、
あまり好ましくは見られたなかったのだろう。
ダイエーへの売却は、むしろ遅かったくらいか。 >>1
熊沢をマイナー呼ばわりとは‥
しかし伊勢進出を焦り最大の乗客に供給地である名古屋進出を後回しにした判断の誤りは
かえすがえすも残念 資金面で不利なのに大阪資本に対抗するのは厳しかったと思う 熊澤は疑獄事件がすべて
巻き込まれぬよう日頃からのガードが他の経営者よりも甘かった >>52
名古屋進出を後回しにしたのは
木曽三川にかかる鉄橋の払い下げが遅れたからだよ
これはどうしようもない 伊勢電が名鉄に合併されていたらなあ、と子供の頃はずっと空想していた。
三重は東海三県の一部だし‥ 大阪の会社に伊勢神宮乗り入れの先を越されてはならん!という、
県を代表する企業の心意気だと思う。
もちろん、心意気だけで会社経営など出来ないから、経営者としては落第。 事業展開のため政治家を利用しようとして、逆に利用された >>54
ガードするもなにも陥れようとする力が働いたなら抗いようもない
疑獄事件ってそんなものでしょ
初めから生け贄が決まってるんだから。 五島氏は小説だけでも数本あるし、良くも悪くも神格化されてるといえるかな
個人的には東急ユーザーでなかったので特段の感想はない 近鉄の佐伯一家も野球に深入りしてたな
まだ弱かった時代のミーハー指名はつとに有名 でも他の経営者と違い会社にダメージは与えてないでしょ ワンマン社長と影口言われるくらいでないと名鉄をここまで
大きくできなかっただろうな ワンマンが恰かも悪のように見られる風潮が良くないと思う
リーダーとはそもそも孤独なもの 判断が正しければ英雄、間違っていれば凡夫。
結果論で裁かれる。 今のシャープの社長さんを見てるとそう思うわな
良いときはなにやっても持ち上げてくれるし、逆の時は徹底的に叩かれる
精神的にタフでないと務まらない >>70
本体にはダメージないが傘下に納められた会社は
大なり小なり影響があったとされている 地鉄はダメだったらしい。
琴電は知らなかった。四国にも食指を伸ばしてたのか ローカル社乗っ取りでなく自社のローカル区間の整備に力を注いでくれていたら、と思わずにいられない
挙母線とか岩倉線とか… 日本における地下鉄の祖、だが最後は寂しい終わり方だったな 土川時代の名鉄が浜松延長も考えていたみたいだが、遠鉄も狙っていたのか?
浜松は名鉄観光の支店を手始めにホテルやタクシーなど進出したが、
いずれ地域を支配するための足がかりだったのか 御見込みの通り
だが地域感情もあり名鉄ブランドは浜松には浸透しなかった 遠鉄が浜松にデパートを持ったのは名鉄の協力があったからだと言われているが、
デパートは名鉄系ではなく高島屋のグループに加盟している。 土川氏の拡大路線は
上手くいかなかったと総括するのが妥当かなあ 無謀にも思える路線延長や勢力圏外にある中小私鉄の系列化などをトップ、またはその取り巻きが画策した時に、
抑制する役員は居なかったのかな
土川時代の名鉄は結果的には大過なく終わったが、スレの初めの方で出ていた太田時代の京阪は後遺症の克服にかなりの時間を要した。
歴史にたらればは禁物だが、あの時に踏みとどまらせることができれば、と思うことがある。 国鉄があの体たらくだから少なくとも鉄道同士の競争は楽勝だった。
問題はクルマだが、それでもまだ互角には闘えていたのだろう 在来線とは勝負になるが、新幹線には歯が立たないのに。 >>96
パノラマカー誕生が無ければ名鉄はもっと没落していた >>97
仮に太田政権の拡大政策がなくて健全経営のままで戦時体制下に入ったとしても
国の力で阪神急行電鉄とは合併させられていたでしょう
そして戦後の分離においても、旧新京阪線は十三で現実に路線を接していた阪急の支配下に置く方が
乗客の利便向上になると判断されるのも無理はなかったでしょう
どのみち京阪は淀川左岸だけでこじんまりと再出発するしかなかったのです 太田社長はそんなに経営才覚がなかったのかな
会社にとって良いこともしたでしょうに
歴史を結果論で切って捨てるのって現代人の傲慢じゃないの? きのうのブラタモリは田園調布がテーマだったが
渋沢秀雄や小林一三が取り上げられた
街歩きがメインだから都市計画だけで終ったが
欲を言えば鉄道経営にも話を広げてほしかった たしかタモリは鉄道にも造詣が深いはず
小林の事績は知ってる 小佐野賢治も鉄道経営したくてしょうがなかったそうだ。
やはりバス屋は鉄道屋と比較して格下扱いだったそうだ。
で、三和銀行をバックに京成の株買い占めに乗り出した。
児玉誉士夫の仲裁?によって失敗に終わったけど。
(ただこれで児玉とのパイプが出来たのだが) 小林はどこで鉄道経営のアイデアを温めてたんだろうか
留学したとこあったっけ? 鉄道経営というよりも、
収益を拡大するためには何から手を着けたら良いかを順序立てて構想し、
それを社内に説明できるスキルに長けていた
たまたま携わったのが鉄道業だったが、
これが金融だったら世界に影響力を及ぼせる、
西欧列強に対抗しうる大銀行を建てていたかもしれない >>113
金融ってのはカネを実弾にした戦争だから消耗戦になると昔の日本では厳しかったと思うよ。金本位制の時代は特に。
その点鉄道はしっかり作れば長く残って動いてカネを生み出し続ける。 >>114
それが東大出が各方面に有為な人材を輩出してる最大の理由なのよ >>117
それももう過去の話だね。
ああ、鉄道懐かし板だからいいのか。 >>114
なんでもできるスーパーマンは今は足をひっ張られてたり振り回されたりで
スポイルされるのが運命
日本では大成できない >>119
三木谷とかいるじゃん
そんなんできない奴の言い訳だよ 三木谷で大成でなけりゃどのレベルで大成なんだ?
要求水準上げて我説を押し通すなんざ醜悪極まりないな >>117
素直に頷けないが確率的には多いのかも
いまなら保健衛生界にそういう人材が居てくれたら、
コロナはもそっと落ち着いていたかもと妄想してみる >>124
妨害している医者(上、米山、渋谷)が揃いも揃って東大卒なんだが。 東武の根津の伝記を読むと鉄道事業の他に学校も経営していたと言う >>126
過去形にするなよw
でも東武鉄道が経営してるわけじゃないぞ 南海の川勝も学校を経営してたっけ?
一見全く異分野だが意外と兼業多いかも 東急グループの五島育英会が運営する東京都市大学。他にも自動車学校や中学、高校を運営してる。 経営者と言えるか微妙だが大阪市営地下鉄の開祖、関一 >>133
大阪市長だから市営事業の経営者でもあるわな 公営交通の功労者なら、やはり
札幌市の 大刀 豊
この人を挙げないわけにはいくまい。 >>132
関市長を語るには都市計画をテーマにするべき
地下鉄はその一パーツに過ぎない 経営のノウハウなんて無い時代にそれを言ったら可哀想 それはみんな同じ
でも成功した人と、失敗した人に二分化した