昔の上毛電気鉄道を語る
>>39
これもタイミングだろうな。
もし、東武車を使い続けてれば、他社に拐われていてもおかしくないところだった。 京王3000の難点は運転室の次位に座席があることでしょうか
運賃収受がやり難い 無人踏切ばかりなので歩行者や自転車が直前を横断するヒヤリ場面が多かったようだ
今は自動化が進んでるかな クルマとの衝突が怖いな
昔でも70km/hくらいは出していたのかな? 旧型車は音が五月蝿いから踏切に接近すれば気づきそうなものだけど。 東武白帯が乗り入れてきたは良いが、予想外の電圧降下を惹き起こして
長続きしなかった話を聞いたことがある >>25
まさにひなたぼっこしているかの如く、毎日昼寝ばかりしてたと記憶。
たまたまだと思うが、客扱ってるのを見たことがない 失礼
上信スレに書き込む所を間違えてしまった
申し訳ない >>48
当時から東武と同じ1500Vだったのか。 前橋駅乗り入れ計画も、浮かびは消えて、浮かびは消えて、の繰返しだった。 車運転してると、環状線の踏切の一時停止で混むんだよな。
あの辺りからLRT化してくれれば、踏切の一時停止が無くなって助かるんだが。 >>54
上電プラザ時代の中央前橋駅は、単に位置的なものだけじゃなくて、
娯楽施設もあって人が集まる拠点にもなってたと思う。 リアルで知らない世代も多いのだからそんなに叩かなくても‥ 100形は、貴重な実働戦前型釣り掛け電車なんだけど、いかんせんデザインが味気なさ杉だな。
上田に居た丸窓や上田が長電から譲り受けた川造なんかが、実働で残せたら最高だったのに・・・
失って良さに気付く。 でも地味な格好良さがあったと思う。
地方私鉄自社発注車の中でも好きな車両のひとつです。 >>70
デザイン的に、という意味か
時代的にはまだ流線型が流行る前だったろ?
100形は昭和3年生まれ。流線型ブームは10年頃。 元東武3000で購入後雨漏りが見つかって、すぐに捨てられた車がいなかった? いやぁ、凄いねその話。
下見の時に分かりそうなものだがそうでもないのかな? >>79 晴れてりゃ解からんダロ。
中古車(自動車)の下見は夜と天気の悪い日は避けるのが鉄則(程度が良く見えてしまう)
そもそも 上毛はアコモ改善の為 ショートリリーフで投入したのだろうし、
纏まった両数が回送経費も殆ど掛からず入手できる。
それだけで得策。
アト 雨漏りの件だけど、程度にもよるけど、某大手で現在もポンコツ扱いの車両は、30年前からしていたし
と云うか、自動車と違いオーダーメイドの電車は雨漏り補修なんて新車時から次回定期で対策工事をしているケースなんか普通にある。 >>75 ガイコツじゃないテール 潰してしまったリベット 味気ない窓配置
同じ昭和初期でも京福(福井・・・プロパー)、福井や小田急、蒲原のほうが全然味がある。 >>81
平坦線だからコストのかかるMをたくさん抱える必要がなかったのだろう
西武351系の車種統一で完全にMT同数になったし。 小さい電動車(231)が大きな制御車(31)を従えて走ってるサマは印象に残る
昔は異形式が組成して走ることが当たり前であったが、もう80年代になると少なくとも大手では系統化されていたからね だから西武時代から中型のMと大型のTが組んでたんだって。 改築前の赤城駅の、「毎日牛乳」の看板(ホーロー板?)が懐かしい 総合観光都市の玄関口になるはずだったな
群馬県のホームページを見ると昭和30年代に大真面目に計画してたとわかる それは知らんかった
京都ならわかるが、群馬で何を観光資源にしようとしてたのかね 主な駅には上毛新聞の広告も目についた
小学生の頃は単に名前が同じと言うだけで新聞と鉄道を兼業してると思い込み、
それがずっと自分の中で謎だった まあ鉄道業界はは多角化経営の先駆だからな。
本業の傍らで新聞を発行してもおかしくないと言えばおかしくない。 >>81
多客時用にTcを保有する社は珍しくない。 西武の中古車がやって来て時代が逆戻りした感じがした 色がパッとしなかったから余計に古く見えたと思う。
ベージュ基調は視覚的にくすんだ印象を与える。 >>98
その反動というわけでもなかろうが
次に上毛に来た東武3000系の配色が
赤やら緑やら入り乱れて煩かった >>100
記憶違いかも知れんが、塗色は公募され県内の学校の先生の案がそれだったと思う。
まだ営業に出るまでの大胡に留め置かれていた頃の写真では、
正面が一面に赤く塗られ、ド派手だったが、結局これはボツになった。 赤は緊急色だから一般電車の色には相応しくないと言われたんだな
じゃあ名鉄や近鉄(70年代)はどうなんだと。 >>103
そりゃぁ、文化が発達した所にはそんなアホな論理は存在しないから 正面だけが真っ赤で、側面は白を基調に青か緑かのストライプが入ってた。
鉄道ファンに写真が出ていたっけね。
没にして正解だったよ。 「じょうとう」より「いっけまち」の方が
群馬っぽくて好きだ。 >>105
1989年9月号で確認しました。
たしかにケバケバしくて落ち着きのない色合い。 電車が貨車引く姿に萌え!西武からの中古車は自動車並みの値段だったと当時聞いた。 >>105
ストライプ塗装はある種の流行でしたからね ストライプは涼感を出すものだから
地色を白にしたところまではよかったが
赤や緑は無いわw <窃盗容疑>私鉄運転士がJR列車「行き先案内表示幕」盗む
ttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170622-00000098-mai-soci 黄色一色→旧西武色→ストライプ
確かに進化はしてる 黄色一色は良かったねえ。
シートモケットも臙脂色で良く合っていた。
車両も一両一両個性的で、味があったなあ。 一色塗りは汚れが目立つのが弱点
古豪100は幕板に雨垂れの跡が残って見栄えが良くなかった
晩年リバイバルで茶色に戻したのは良かった 300のストライプも終生そのままではなくて後年になると全面広告があったり
故郷東武の一般色と見紛うような白地にブルーの帯+赤の線+オレンジの線みたいに変化があった
全面広告は今は亡き大栄信金のアンパンマン付のデザインがネット上でも確認することができる https://toyokeizai.net/articles/amp/215820?page=4
「自転車を積める列車」で鉄道利用は増えるか
ママチャリOKの列車も…混雑時の扱いは課題
2018年04月11日 東洋経済
> 群馬・栃木両県を結んで走る上毛電気鉄道では、毎年4万人ほどのサイクルトレイン利用者がいるという。 >>119
あのアンパンマンの銀行はなくなったのけ もう20年近く前に合併されて名前は消滅
いまのしののめ信金
地盤の大胡駅には大きい広告看板があったし、
ボーナスの季節になると預金獲得の為に従業員が
駅前でチラシや風船を配ったりするのが風物詩であった >>118
雨だれの跡は宜しくないがそれを別にしたら
デハ101のようにリベット剥き出しの方が締まりがあって良いと思う
1960年代から登場した車はノーシルノーヘッダーで見た目平滑ではあるが
少々ノッペリし過ぎてた 20m車は元西武クハ1411しか導入してないが、上信と違って20m車運用しにくいのか? 今やローカル私鉄でも20メートル車が普通に入ってる時代だからね >>120
サイクルトレインを実施している路線は数多くあるが上電はかなり定着しているほうだと思う
乗っていると自転車を押して車内を通る人をごく普通に見かける >>130
出物がデカブツしか無かったら買うしかない
中古で調達しようとすれば
タイミングに翻弄されるのは宿命なのさ ここの181と三岐の130はオリジナル車のなかで一両だけ両開きで
キャラが似てる 自由型模型みたい とかく上毛というと101に目が向きがちだが
181こそ隠れた名車 上信電鉄が派手に新車を入れていたのに
こっちは西武のお古しか来なかったからガッカリ感はあったよ
たしかあっちは県の補助制度で行けたのになんでこっちは使わないのかと 西武351やその後の東武3000が、練りからし色に塗られた姿を
空想してしまった