昔の上毛電気鉄道を語る
草臥れてる以前に大きさも形も違うMとTを組ませてたのがどうもなあ。
パッケージで売り付けられたのか? 元々西武時代からクモハ351+クハ1411の編成で走ってたよ。 ☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 オレは西武のオールドカラーが好きだった
モハ231の湘南顔に黄一色は合わない。 >>15
いやいやクタビレ度は東武車の方が進んでたよ。
車体腰板には錆が浮き塗装剥離も目立った。 中央前橋駅改札は出発10分前にならないと開けてくれなかった 昔は、
両毛線=速いが高い、
上毛線=安いが遅い、
だったのがいまは両方ともJRが圧倒でどうしようもないな 2000年頃で、前橋〜桐生が650円程度、大手ならこの距離だと350円位? 地元じゃないから分かってないけど、
両毛線が電化されるまでは上毛の方が速かったわけではないの? >>23
なんであんな粗悪品に手を出したかねえ
東武3000グループは200両以上あったはずなのに 当時の出物なら、東急5000系なども候補にあったかもね。 西武からの中古車(351系)も格安で手に入れたと聞いた。
上毛は買い物上手だなw 買ったのは良いがたった10年でガタが来て廃車にしたんだよ。
どこが買い物上手なんだかw 東武車は輸送費用が安くで済んだ
大きさも手頃だった >>34
それな
晩年の野上電鉄が水間から安値で仕入れた元南海車が重すぎて使えず
そのまま御蔵入りしたのと変わらんくらいのズッコケぶり
野上は命取りになったからな 上毛だってあと一回こんな無駄使いやらかしたらどうなってたかわからんぞ。 横レスかつスレ違いだが
野上はこのミスがなくても持たなかったのは客観的に明らか 東武のオンボロに替わってクーラー付きステンプラカーが来た時は
本当に嬉しかったな 上毛線こそ西武701系や101系が合っていた
東武3000系の転入は本当に謎 >>39
これもタイミングだろうな。
もし、東武車を使い続けてれば、他社に拐われていてもおかしくないところだった。 京王3000の難点は運転室の次位に座席があることでしょうか
運賃収受がやり難い 無人踏切ばかりなので歩行者や自転車が直前を横断するヒヤリ場面が多かったようだ
今は自動化が進んでるかな クルマとの衝突が怖いな
昔でも70km/hくらいは出していたのかな? 旧型車は音が五月蝿いから踏切に接近すれば気づきそうなものだけど。 東武白帯が乗り入れてきたは良いが、予想外の電圧降下を惹き起こして
長続きしなかった話を聞いたことがある >>25
まさにひなたぼっこしているかの如く、毎日昼寝ばかりしてたと記憶。
たまたまだと思うが、客扱ってるのを見たことがない 失礼
上信スレに書き込む所を間違えてしまった
申し訳ない >>48
当時から東武と同じ1500Vだったのか。 前橋駅乗り入れ計画も、浮かびは消えて、浮かびは消えて、の繰返しだった。 車運転してると、環状線の踏切の一時停止で混むんだよな。
あの辺りからLRT化してくれれば、踏切の一時停止が無くなって助かるんだが。 >>54
上電プラザ時代の中央前橋駅は、単に位置的なものだけじゃなくて、
娯楽施設もあって人が集まる拠点にもなってたと思う。 リアルで知らない世代も多いのだからそんなに叩かなくても‥ 100形は、貴重な実働戦前型釣り掛け電車なんだけど、いかんせんデザインが味気なさ杉だな。
上田に居た丸窓や上田が長電から譲り受けた川造なんかが、実働で残せたら最高だったのに・・・
失って良さに気付く。 でも地味な格好良さがあったと思う。
地方私鉄自社発注車の中でも好きな車両のひとつです。 >>70
デザイン的に、という意味か
時代的にはまだ流線型が流行る前だったろ?
100形は昭和3年生まれ。流線型ブームは10年頃。 元東武3000で購入後雨漏りが見つかって、すぐに捨てられた車がいなかった? いやぁ、凄いねその話。
下見の時に分かりそうなものだがそうでもないのかな? >>79 晴れてりゃ解からんダロ。
中古車(自動車)の下見は夜と天気の悪い日は避けるのが鉄則(程度が良く見えてしまう)
そもそも 上毛はアコモ改善の為 ショートリリーフで投入したのだろうし、
纏まった両数が回送経費も殆ど掛からず入手できる。
それだけで得策。
アト 雨漏りの件だけど、程度にもよるけど、某大手で現在もポンコツ扱いの車両は、30年前からしていたし
と云うか、自動車と違いオーダーメイドの電車は雨漏り補修なんて新車時から次回定期で対策工事をしているケースなんか普通にある。 >>75 ガイコツじゃないテール 潰してしまったリベット 味気ない窓配置
同じ昭和初期でも京福(福井・・・プロパー)、福井や小田急、蒲原のほうが全然味がある。 >>81
平坦線だからコストのかかるMをたくさん抱える必要がなかったのだろう
西武351系の車種統一で完全にMT同数になったし。 小さい電動車(231)が大きな制御車(31)を従えて走ってるサマは印象に残る
昔は異形式が組成して走ることが当たり前であったが、もう80年代になると少なくとも大手では系統化されていたからね だから西武時代から中型のMと大型のTが組んでたんだって。 改築前の赤城駅の、「毎日牛乳」の看板(ホーロー板?)が懐かしい 総合観光都市の玄関口になるはずだったな
群馬県のホームページを見ると昭和30年代に大真面目に計画してたとわかる それは知らんかった
京都ならわかるが、群馬で何を観光資源にしようとしてたのかね 主な駅には上毛新聞の広告も目についた
小学生の頃は単に名前が同じと言うだけで新聞と鉄道を兼業してると思い込み、
それがずっと自分の中で謎だった まあ鉄道業界はは多角化経営の先駆だからな。
本業の傍らで新聞を発行してもおかしくないと言えばおかしくない。 >>81
多客時用にTcを保有する社は珍しくない。 西武の中古車がやって来て時代が逆戻りした感じがした 色がパッとしなかったから余計に古く見えたと思う。
ベージュ基調は視覚的にくすんだ印象を与える。 >>98
その反動というわけでもなかろうが
次に上毛に来た東武3000系の配色が
赤やら緑やら入り乱れて煩かった >>100
記憶違いかも知れんが、塗色は公募され県内の学校の先生の案がそれだったと思う。
まだ営業に出るまでの大胡に留め置かれていた頃の写真では、
正面が一面に赤く塗られ、ド派手だったが、結局これはボツになった。 赤は緊急色だから一般電車の色には相応しくないと言われたんだな
じゃあ名鉄や近鉄(70年代)はどうなんだと。 >>103
そりゃぁ、文化が発達した所にはそんなアホな論理は存在しないから 正面だけが真っ赤で、側面は白を基調に青か緑かのストライプが入ってた。
鉄道ファンに写真が出ていたっけね。
没にして正解だったよ。 「じょうとう」より「いっけまち」の方が
群馬っぽくて好きだ。 >>105
1989年9月号で確認しました。
たしかにケバケバしくて落ち着きのない色合い。 電車が貨車引く姿に萌え!西武からの中古車は自動車並みの値段だったと当時聞いた。 >>105
ストライプ塗装はある種の流行でしたからね ストライプは涼感を出すものだから
地色を白にしたところまではよかったが
赤や緑は無いわw <窃盗容疑>私鉄運転士がJR列車「行き先案内表示幕」盗む
ttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170622-00000098-mai-soci 黄色一色→旧西武色→ストライプ
確かに進化はしてる 黄色一色は良かったねえ。
シートモケットも臙脂色で良く合っていた。
車両も一両一両個性的で、味があったなあ。 一色塗りは汚れが目立つのが弱点
古豪100は幕板に雨垂れの跡が残って見栄えが良くなかった
晩年リバイバルで茶色に戻したのは良かった 300のストライプも終生そのままではなくて後年になると全面広告があったり
故郷東武の一般色と見紛うような白地にブルーの帯+赤の線+オレンジの線みたいに変化があった
全面広告は今は亡き大栄信金のアンパンマン付のデザインがネット上でも確認することができる https://toyokeizai.net/articles/amp/215820?page=4
「自転車を積める列車」で鉄道利用は増えるか
ママチャリOKの列車も…混雑時の扱いは課題
2018年04月11日 東洋経済
> 群馬・栃木両県を結んで走る上毛電気鉄道では、毎年4万人ほどのサイクルトレイン利用者がいるという。 >>119
あのアンパンマンの銀行はなくなったのけ もう20年近く前に合併されて名前は消滅
いまのしののめ信金
地盤の大胡駅には大きい広告看板があったし、
ボーナスの季節になると預金獲得の為に従業員が
駅前でチラシや風船を配ったりするのが風物詩であった >>118
雨だれの跡は宜しくないがそれを別にしたら
デハ101のようにリベット剥き出しの方が締まりがあって良いと思う
1960年代から登場した車はノーシルノーヘッダーで見た目平滑ではあるが
少々ノッペリし過ぎてた 20m車は元西武クハ1411しか導入してないが、上信と違って20m車運用しにくいのか? 今やローカル私鉄でも20メートル車が普通に入ってる時代だからね >>120
サイクルトレインを実施している路線は数多くあるが上電はかなり定着しているほうだと思う
乗っていると自転車を押して車内を通る人をごく普通に見かける >>130
出物がデカブツしか無かったら買うしかない
中古で調達しようとすれば
タイミングに翻弄されるのは宿命なのさ ここの181と三岐の130はオリジナル車のなかで一両だけ両開きで
キャラが似てる 自由型模型みたい とかく上毛というと101に目が向きがちだが
181こそ隠れた名車 上信電鉄が派手に新車を入れていたのに
こっちは西武のお古しか来なかったからガッカリ感はあったよ
たしかあっちは県の補助制度で行けたのになんでこっちは使わないのかと 西武351やその後の東武3000が、練りからし色に塗られた姿を
空想してしまった >>135
多分所沢で造るとき、その時点の西武車のドアを流用している
161は501系の、181は551系?の。で、両開きになった? いや、正直、西武351がなんで辛子色に塗られないかは不思議だった 西武351はあの塗り分けしか有り得ん
真っ黄色なんて想像しただけで……ああっ! 相生町にある駅が相老駅なのは、昔は相老だったからですか >>147
ただ単に誤乗、誤発券を無くす為。
国鉄時代はわざと漢字を変えていた。足尾線時代は神戸駅は神土駅だったし。 なるほどねえ
字を変えるのではなく駅名をガラッと変えてしまうのもあった
たとえば一毛町が城東に変わったときに地元は賛否両論あったとか
ま、それぞれに由来があるので
最近各地で氾濫してる駅名ロンダの類いとは別次元ではある 上毛が辛子、上信はピンクで
群馬のローカル私鉄は揃って異端 Hゴムの多用、取って付けたような埋め込み尾灯など、のっぺりした表情で
両社の車両は顔つきが似ているのが多い >>150
大手の東武も昔はアースブラウンに窓周りオレンジという、
あまり類例のない色使いだったね のっぺり顔が増え過ぎたから古武士的佇まいのデハ101が人気を集めたりする
もし他社だったらさえない昭和一ケタ生まれの古物として早々にお釈迦にされていただろう 100系は最初3ドア車で昭和27年に大改修して別物といっていい
現在の姿になってる なぜ東武から2000じゃなく3000を買ったかは整備しやすいからだと思う
2000だったら福島の元東急7000やJR423のように車端部冷房になってたはず >>152
往年の東武や西武などは何気にベージュを配色してたね
【東武】
優等車:ロイヤルマルーン+ロイヤルベージュ
通勤車:ロイヤルベージュ+インターナショナルオレンジ
【西武】
赤電:ディープラズベリー+トニーベージュ ※伊豆箱根、キンテツ、上電230型含む
黄電:レモンイエロー+トニーベージュ
あと秩父鉄道なんかも
茶系+ベージュ系のツートンカラー 練りからし色時代の電車は、古い形態タイプに一色塗りで
相鉄2000系に似ている ノッペリ感、分かるw
前面に雨樋がなくて何だか物足りないんだなあ この映像を見たら西武東武京王と手当たり次第に買付してるように見えるが
置換えの時の調達先がその都度変遷してるだけなんだがね 中央前橋で降りたとき、中央だから賑わっているんだろうと思ったが
なんとシャッター商店街でたまげた。 あれでも国鉄の駅に比べたら中央に近い位置なんだけどね
国鉄の駅が旧市街地から少し南に離れた場所に開設されたのに対して中央前橋駅は市街地の東端に隣接するような位置に開設された
いずれにせよ100年前の市街地と車社会の今の市街地じゃ色々変わって比較出来ないけどね
でも桐生側の駅が「西桐生」ならこっちは「東前橋」とでも名付けとくべきだったかな? 昔は浅草から中央前橋まで直通列車があったって聞いたことがある。 ちなみに戦前は太田〜中央前橋直通が一日十数往復あったそうで(しかもそのうち二往復は急行)