昔の【博多駅】を語ろう [無断転載禁止]©2ch.net
博多駅のすぐ近く 御笠川の土手に朝鮮人や部落者等が不法に家を建ててたよね
子供ながらに異様な光景だった
空港通りを整備する際 堅粕の市営住宅に移転されたらしいけど >>162
国鉄と市役所の奇跡のコラボやな
そのイベントは成功したんか? 昭和39年の時刻表復刻版を見ると、
宇野発米子経由博多行なんていう列車があったんだなあ。
憧れる。 乗り通してみたかった。。
贅沢な時間の使い方だけど。 山口線経由と山陰本線経由に分割された後にまた併合されるのもいとをかし。 昭和39年10月ダイヤ
特急つばめ 新大阪行(151系電車) 博多 8:45⇒15:38岡山 6時間53分
特急みどり 新大阪行(80系気動車)博多10:23⇒17:01岡山 6時間38分
特急かもめ 京都行(80系気動車)博多12:25⇒19:05岡山 6時間40分
151系電車は交流電化区間とセノハチで機関車のお世話になるからか、
80系気動車のほうが速いのね。
昭和49年4月ダイヤ
特急つばめ4号 岡山行(481、485系電車)博多 9:30⇒15:30岡山 6時間00分
特急かもめ 京都行(80系気動車) 博多13:00⇒19:30岡山 6時間30分
かもめは、小倉で併結のための9分停車がありながら
昭和39年より所要時間が短縮されている。 補足。
昭和39年10月のかもめは小倉での宮崎発と長崎発の併結のための停車時間は7分。
大分編成と併結されるみどりの熊本編成の小倉停車時間は6分。 駅ビルの隣に立てられていた電光掲示板で南海ホークスがダイエーに譲渡され本拠地が福岡に移るというニュースを見て傍にいた見知らぬおじさんと握手して喜んだことを覚えている
1988年秋のことだった でもダイエーは福岡でスーパーとしての格、認知度はまだまだだった。
球団でイメージアップ狙いの戦略。
オールドファンはダイエーと聞いて昔球団を持っていた映画会社の大映が頭に浮かんだという。 ダイエーは流通業の雄。そんなことはそのときの福岡でも常識だったよ。 それどころか、
開設当時日本一の規模のショッピングセンターだった
ショッパーズプラザ福岡を天神に開設したダイエーの
力を感じていた人が多い土地だったのでは? 昭和50年代の博多駅のハンバーガー屋なんていったかな。
サンディーヌ? 1980年代、当時小学生でお盆の時期はいつも神奈川から福岡に寝台で帰省。
博多駅のみどりの窓口にあった、主要列車の巨大な満空席案内が好きだったなぁ。
さくら、みずほ、あさかぜ4号、はやぶさ、等々 >>182
懐かしい、あさかぜ51、52号も乗りました。当時、お盆時期の定期列車の寝台券は瞬殺に近く、何度かあさかぜ51、52号の20系に乗りました。
確か広島で部族編成を切り離して、博多到着時の最後部はナハネフ23でしたね。
当時は20系微妙って思ってたけど、今思うと貴重な体験だったと思います。 >>180
ハンバーガー屋は知らないけど、アデレードと言う名前のワイン店があったことは覚えてる
外国資本の店が日本進出したようでなぜか「九州1号店」ではなく「西日本1号店」だった
中曽根内閣が進めていた内需拡大政策の一環の触れ込みだったが店は長続きしなかった あかつきと、つばめ
博多駅で並んで見れた方います?
【閲覧注意】「あかつき つばめ」でググったら大変
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1600939502/ 中曽根内閣って80年代だな
30年以上たっても需要というものは政府主導では喚起できてないぞ
Gotoの失敗は先人に学んでない証し >>188
屋号は覚えてないが外国系のステーキハウスもあった
サイズがとてつもなくデカくて、完食するとゲップが出るので
巷ではゲップステーキと呼ばれてた >>193
ガイシの店は店員に鼻持ちなら無い高級意識が見え見えで嫌いだった
博多の街に定着しなかったところを見るとこのネガ的な感情は俺だけじゃないと思う 昔の博多駅を香椎駅へ移設したって本当? 駅舎のことだろうとは思うけど、それにしてもそんなことするの? >>195
外国系の店の従業員が鼻持ちならない特権意識?
よく分からん >>203
確かに、無愛想且つ横柄な態度
これは博多駅に限ったことではないが 電車の乗り降りのついでにゲップが出るくらいのデカいステーキを食べようというニーズがあるのか ニーズはある、というか作り出すもの
駅を単なる乗り降りのついでから、駅そのものに集客機能を持たせようという発想の転換の結実が駅デパート
遥か昔小林一三が大阪梅田で成功した 誰もデパートの話なんかしとらんわw
何かのついでにササっとハンバーガーならいざ知らず
がっつりステーキを貪り喰らう目的で
駅に来るやつがどれ程あるのかって話だ >>207
どういう縁か、今や阪急が博多駅ビルの核だから 井筒屋が追い出されてからの阪急…
県民は複雑だよ
どんなヘマしてJRとこじらせてしまったのか 井筒屋だけのヘマというわけでもなく、家主であるJRも高島屋や東急にも色目使ってたらしいから
誠実さでいうとどっちもどっち な〜んかヨソ者に土足で上がり込まれた気分
九州で阪急なんか浸透してない は〜かた〜
駅から3分
駅から3分
駅から3分
駅から・・・あ、もう着いちゃった。
石田電材。 百貨店はもう時代遅れだよ
井筒屋でなくても良かった >>213
懐かしい
KBCでよくCMやってたなあ 博多へ来るときゃ 一人で来たが
帰りゃ人形と 二人づれ >>211
高島屋なあ 合わない
リバレインモールセンターに関わってるけど 415系がマイタウンの冴えないヘッドマークを付けて博多に顔を出していたのは昭和60年頃かな。
特急型ばかり追い掛けてたので近郊型がしょぼくれて見えてしまってね。。 博多駅といえば、井筒屋が入ってた茶色いビルかな。
急行型の特別快速も懐かしい、
グリーン車に料金無しで乗れたし。 >218
煤けたDCよりずっと見栄えが良かったけどな 421系は隙間風が酷くて貫通扉にはガムテープ貼ってたもんな。
門鉄も廣嶋と変わらん。 >>198
香椎駅ではなく吉塚駅。
明治22年からの初代博多駅舎は明治44年に吉塚駅に移築され昭和34年まで使われた。 広島は三角州で地盤が軟弱だからガムテープを貼るしかない。 ということは図星か。笑
でも老人にもなってその卑語は恥ずかしいですよ >>218
さえないけど、でも好きだった
この頃西鉄は臨時便でもマメにHM付けていたので対抗して欲しかった ヘッドマークにそれほど値打ちを感じないのだが
撮り鉄には必須アイテムなのかな?
ヘッドマーク、総じて九州は少なめじゃない? 昭和42年10月改正
鹿児島本線上り
博多駅発車時刻表
6:00 急行 はやと 門司港
7:00 急行 はやとも 名古屋
7:55 特急 はと 新大阪
はやとから1文字足したり引いたりしたような名前の列車が次々とw >>237
「はと」はともかく、「はやと」と「はやとも」は間違えそうだなあ。 直立したプラスチックのソリみたいな小便器が並んだ男性用トイレの記憶しかない。
下が溝じゃなかったかなー >>237
「早鞆」って、漢字表記じゃなかったっけ?
もし平仮名時代があったとしても、やはり他愛称と紛らわしいから
漢字に変えたのかも。
余談だが「シークエンスはやとも」という芸人がいるが、
自分はいつも「ハイケンスはやとも」と脳内で鉄ネタ変換してしまう。笑
「はやとも」って、下の本名に由来してるみたいだが、
グーグルの予測変換でも「シークエンス早鞆」ってにが出てきたりする。 昭和43年10月改正では
既出3本に相当する列車は
鹿児島本線上り
博多駅発
5:48 急行 かいもん3号 門司港
7:19 急行 玄海 名古屋
8:15 特急 はと1号 新大阪
と面白くなくなっています。
はやとの名は消滅しているようです。
また、はやともの名はこの時点でも平仮名のままで別の列車へ転用されています。
11:05 急行 はやとも 広島
上記はあくまでも時刻表上の情報です。
現場でも平仮名で統一されていたのかどうかはちょっとわかりません。 とりまどうも
いや、かつて部品を集めてて、
愛称板で「早鞆」って漢字のプラ愛称板を見た記憶あるもんで。
推測だが、現場対応だけだったのかも。
今みたいに「表記がちがってる!」みたいなうるさい奴も居ないだろうし 逆に「燕」「櫻」のトレインマークは「つばめ」「さくら」だったという例もありましたね。 一番線が非電化だった頃が懐かしい
筑肥線に 浜田~東唐津という 今では考えられないような急行が走っていた 昔ってほどでもないが陥没事故以来あの界隈を通るのを躊躇うわ この前テレ朝の情報番組で道路陥没事故は全国で毎年1万件起きてると言われていた
博多駅前だけ警戒しててもダメだよw >>246
昭和30年頃なら時刻表でも漢字で「早鞆」ですね。
呉線経由の博多〜東京間の急行でした。
所要時間は、下り24時間15分、上り24時間40分。 >>248-250
運用面など、単に当時の考え方で
需要ある区間のそれぞれ別の列車を
1本の列車にしただけ。
仮に今の考え方を適用させたらブツ切りになる
東唐津ってのも今は単なる中途駅だが
旧駅時代は門ヒカラ区があったり
運行面の拠点駅だったから >>251
陥没事故よりも危険運転で事故に巻き込まれるリスクを考えろ >>253
おそくなりましたが、有難うございました。 あの陥没事故で工事が5年は遅れると言ってたが影響なかったな
日本の土木技術の高さに敬服