昔の【京都駅】を語ろう [無断転載禁止]©2ch.net
2階建て駅舎とその中心からやや東に偏った位置に聳え立つ8階建て塔屋
長大な0番線ホームなど特色のある古都の玄関口、京都駅の懐かしい日々を語るスレです >>48
というか、新幹線ホームをどこに置くかを考えたとき、
人通りが少なく空間にゆとりのあった南側を選択するのは自然なこと。 京都駅より南側って
あの位置ですでに
昔は人外の地扱いだったらしいな。
(京都人からきいた) >>52
そう言えば奈良電がどうにかして烏丸口側にホームを持って来たいと色々運動したが
所詮一ローカル線ということで国鉄にも市役所にも相手にしてもらえなかったらしい >>54
初めの頃は、「あんな場所にありながら“京都駅”を名乗るのはおこがましい」、
などと揶揄されたとか。
新参後発の辛さだね。
京都人が新参に厳しく当たるのはそういう気質なんかね。 戦前期の京阪って
路面電車に毛の生えたような電車だったけど
隊列に干渉するから作られた
師団街道含む3つの立体交差できるまでは
トロリー張架だったんでしょ? >>56
奈良電だって京阪ブランドの一員じゃなかったの? >>4
これぞパターンダイヤ、即ち時刻表を見ずともまた覚えずとも乗れる
究極の「便利な電車」の象徴であった 数字の部分(0、15、30、45)と数字を結ぶ曲線が夜になると
光っていた
なかなか美しかった >>59
それでも利用者は国鉄よりも阪急・京阪を選んだ。 駅向かいの蝋燭塔の光が明る過ぎて全然目立ててなかった 烏丸口から出ると先ず目に飛び込んで来るのが東芝カラーテレビの電照広告 改札を出たら先ず目に入るのが関電ビルだったという人はおらんか
タワーみたいなこれ見よがしのランドマークは眼中にない 大阪方面に向けて出発するとすぐに凄く揺れる箇所があったことを覚えてる 1番ホームを広げて元の貨物線を新1番線にする工事があったね
関空開港前だからもう20年以上も前になるか ホーム拡幅は“はるか”対応のため。
あのころの、京阪神地方の関空に対する期待感は半端無かったわ
だから現実を見せられたときの失望感もまた大きかった >>73
降雨時は大変だっただろうに
だからこそ晴天の多い秋に工期を設定したのだろう 関空への期待の傍ら、はるかを京都発着にする賛否もあった 灯り取りが無かったので晴れの日でもホームは薄暗かった >>78
外国人観光客が関空から京都へ行くルートで何か不具合でも? >>74
あの工事な、現場にガードマンが大勢張り付いていて驚いたもんだ。
特に何する訳でもなく、ただつっ立って腕振ってるだけだった。今じゃこんな無駄遣い考えられない。
まだバブルの残滓が業界にはあったんだな。 バブルとか関係ねーだろw
90年代初めに工事現場での保安基準が急に厳しくなって、
警備員を大勢立たせないと役所から許可が貰えず、
簡単な工事一つさえ出来なくなってしまった シティライナーの愛称も誇らしげに颯爽と登場した117系が思い出深い
ま、京都駅に限らないがねw 京都の駅弁と言えば萩野家以外で何か思い出ありますか? 方向幕に行き先を表示せずただ「普通」だけだった緩行103系が如何に多かったか >>92
それも、京都駅だけの思い出にはならないな 以前、森脇健児がKBSラジオで先代の駅舎のことを熱く語ってた事があった
この人アスリートの印象たが鉄分も意外に旺盛であることを知って少し嬉しくなった 昔は八条口を降りると
正面に見えたのは
野中広務事務所の看板だったw
さすが京都のドンだと思った。 >>94
昔、読売テレビで山田雅人とコンビで司会していたざまKAN!という公開バラエティ番組で
女子中高生の観客そっちのけで117系VS京阪テレビカーVS阪急6300系の論戦をやり始めて
予定のコーナーを全部飛ばしたこともあるくらい、鉄には熱い芸人 山田雅人を覚えてる人も少なくなったかな
かつては松竹所属芸人だったことさえ忘れられてる 連投失礼
鉄チャン度でいうと山田は筋金入りだが、森脇はややニワカ感が見受けられた
京阪に対する思い入れはあったのは確か 京阪ファンの関西芸人は多い
中川家の礼二が有名だし、他にも無名の漫才師、落語家多数 申し訳ない、>>96から完全にスレ脱させてしまった
気を付けます >>90
むしろ萩乃家の印象しかない。
透明のフードパックに入れてカットした薩摩芋を売ってたのが印象にある 萩乃家といえば
新幹線ホームで売っていた
うなぎの肝が懐かしい。
ビールのつまみに最高だった!
地味な扱いだったので知る人ぞ知る存在だった。
今は売ってないみたいで残念だ。 >>100
一般の鉄ファンでも、大阪や京都・京阪間に住んでいると
かなりの確率で京阪のファンだったよ
こっちは阪神間に住んでいたので、阪急がなんで京阪に人気で
完敗してるのか理解できんかった。路線や車両のバラエティなら
近鉄だろうとも思ったし 市バスを降りてからJRの改札を入るまでの間に、
2階建て駅舎でついついおみやげを買いに行きたくなる動線設計。
パタパタ式発車案内で新快速が「Special Rapid Service」でなく「New Rapid」だった。
223系がまだなかった時代の京都駅とは、そういうものだった。 平日深夜まで祇園で遊び、出雲で東京駅まで、そのまま会社で仕事。懐かしい時代だ。 建替前の駅舎内の写真載ってるサイトとかないの?
思い出したいのに、現構内に完全に上書きされてしまってて悔しい。 昭和50年代前半、夏休み海水浴行くのに丹後ビーチ号待ちで、山陰線ホームにサボ置きがあり暇つぶしで見てた小学生の頃のいい思い出。吊り下げサボいっぱい。写真撮っとけばよかった。 模型屋が入ってて五式戦のプラモ買ってもらった記憶しかない都民 昭和61年ごろ改札口の近くに
キャプテンシステムが設置されていたと思います。
検索したらホットポットと出て来ました。 >>108
> パタパタ式発車案内で新快速が「Special Rapid Service」でなく「New Rapid」
これはなかなか… EF58や金星、立山、出雲を撮るべく京都駅で徹夜、
ホームの乗務員乗継所で夜明かし、誰も入ってこなかった。 京都駅から山科方面上りで出発すると南側に任天堂の看板が線路にせり出して見えた
あの頃に株を買ッときゃ今頃… 深夜の京都駅といえば出雲廃止前によく通った。
上り出雲をけん引してきたDD51が何故かいったん
30番線に入線した後、梅小路へ引き上げていった。 電化前は山陰線ホームはキハ47、奈良線ホームはキハ35が幅利かせてて朝夕は長大編成も。
ディーゼルは各形式混成だし山陰線は客レもあったけど大体そんな感じだった。 昭和40年代の京都駅って1番線の出口と入り口改札が
別々だった記憶がある。
駅上には観光デパートもあり書店が重宝した。 仕事終わりに郵便局前の屋台に先輩によく連れて行かれた、数年後堀川塩小路で店舗を構えてるのを発見して通ったがオーナーの後家が元の従業員を追い出してから行かなくなって暫くして閉店した、モヤシ食べたい。 現在の萩乃家の弁当は、当日の販売は無く、前日までに電話で予約をすれば、
調理をして改札口まで届けるサービスをしているようだ。店は京都駅から歩いて2〜3分の所にある。
https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260101/26013375/dtlrvwlst/B118669925/?use_type=0&smp=0
自分は、京都駅から電車で30分ほどのほぼ地元の人間。昔は、夕方のころに
当時存在した駅弁コーナーを見て、鯖寿司などが売れ残っているとよく購入していた。
だが、「前日までに電話で予約」 というのは、気軽に購入できないのでハードルが高い。
あなご寿司は販売しているようだが、鯖寿司が現在も販売しているのかは分からない。
http://nttbj.itp.ne.jp/0753611301/index.html
複数のブログなどによると、かつて改札内にあった萩乃家の駅弁コーナーは
JRの子会社で製造をした駅弁を販売するために、JRから追い出されたらしい。
何とも、理不尽極まりない。 >>123
萩乃屋の駅弁コーナー追い出されたのか!
京都らしさが消えたなぁ
京都駅から第一旭にラーメン食べに行く途中に
萩乃屋の店があるのは知ってるよw 京都駅140周年記念弁当だが製造元が淡路屋だったのでびっくりした。
淡路屋って確か神戸だったのでは?
京都駅の弁当を神戸で作ってたとは。
京都だったら萩の家があったな、と思ったわ。 >>125
神戸の淡路屋は、非常に手広く経営をしている。2階の改札前にある 「SUVACO」 にも、
淡路屋の弁当が多数販売されている。
京都の萩乃家は、「まじめ(すぎる)」・「実直」 という印象。だが皮肉にも、それが仇となって、
弁当の販売が難しくなっているような印象を受ける。
弁当の価格も、1200円でも文句が無いレベルのものが、1000円で販売されているなど良心的。
昔、地下の改札内にあった萩乃家の弁当コーナー(現・コンビニ)で、瓶の牛乳が販売されていた。
ほかの売店では、100円(110円)で売られているのに、「80円です」 と言われてびっくりしたことがある。
牛乳のメーカーはどこか忘れたが、一流メーカーだった記憶している。 前も書いたが
新幹線ホームの萩乃家で売っていた
ウナギの肝はビールのつまみに最高だったな。 honey bee美味しかったなぁ
支店もないのか 瓶詰の牛乳といえば萩乃家ではないほかの売店で「毎日牛乳」とか「京阪牛乳」とか
こちらの地方では耳慣れない銘柄が店頭に並んでいたのを思い出したよ 京都駅前が映っている、とてつもなく古い動画を見つけた。
・先代の京都駅舎。京都タワーが無い。現在も存在する関西電力のビルが映っている。
Old Japan, Kyoto's temples and music 1958
https://www.youtube.com/watch?v=Ewk9gKidWNE
・京都駅前ではないが、大丸の店内での買い物風景・京都市電・昔の京都の街並み
Japan in 1961. Changed life of a Kyoto family 昭和京都
https://www.youtube.com/watch?v=McKkWG5vkeE >>129
京阪牛乳は今はない(法人は存続している模様) 数年前だけど、2・3番線の端(東京寄)に
煙草の吸殻がかなり落ちてて、喫煙所なのかと戸惑ったほど
今はもう綺麗になったのかなぁ? 近鉄百貨店を上場する時に上場している京都近鉄百貨店が近鉄百貨店を子会社にして
その後子会社が親会社を吸収するというややこしい事をしてたね >>117
駅の西端(大阪寄り)の北側にタキイ種苗があって
むかしバイオ株が持てはやされたときにここを勧められたことがあったわ
関西テレビの天気予報の提供でも有名だったな >>4
スピードアップする毎に、
京都大阪ノンストップ → 新大阪停車 → 高槻停車 → 停車時間延長 → 高槻ホームドア(停車時間延長&駅進入速度Up)
って流れだったね >>138
なんか法定上そうしたほうが、何かが継続扱いになって
いいんだったはず >>144
懐かしいロゴ、よく再現できてますな
これってアベノ本店の改装にあわせて制定された当時の新ロゴで
各店一斉に変える予定が京都だけは少し遅れてたらしい
京都店は元丸物、いわばよそもんでグループ内でも浮いてるってんで
なかなか従わなかったみたいな噂を鉄友間で交わしてたのを思い出した >>1
侘しさが漂う山陰本線のプラットホームに情緒を感じたものだった。