長寿を全うした車両 [無断転載禁止]©2ch.net
>>19
そんなこと言ったら何も書き込めなくなるじゃん 特急「はまかぜ」で使用されていたキハ181-22
落成からキハ181系「はまかぜ」引退まで42年3ヶ月も活躍していた >>20
知ったかぶりは書き込まなくていいってことだよ
保守しないと落ちる板でもないし そうやってクレクレして情報を得るんですね、ネットコジキさんw 東武8106Fは車齢50年突破してまもなく廃車。
8111Fはあと何年走れるかな。 >>15
もと阪急より遥かに若いはずのもと富山地鉄がボロボロで老醜を晒してた
(有名な「これが淡路かニースじゃないか」の広告)
転売先での手入れの良し悪しもあろうが、オリジナルがちゃんとしてたか否かも寿命を左右する好例じゃないかな。 というか元阪急のモハ23もまた晩年は殆ど使われずに放置されて酷い扱いだったよ
ボディは阪急時代に鋼製のものに取り換えられてるし、足回りは南海からの中古品だし、
これで傘寿過ぎてると言われても・・・ 紀州鉄道のキハ603 604はどうだろう
1960〜2009年までの49年間だったが、603は今でも紀伊御坊で保存されているんだな 長寿車両で真っ先に思い出したのが路面電車だわ。
阪堺・広島・伊予鉄と、長寿車両が溢れかえっているイメージ。
50年前に製造された車両が当たり前のように多数走っているし、
中には戦前に作られた車両が現役だもんなぁ。
路面電車の車両が長持ちな理由ってなんだろう?
ググってみたけどわからなかった。バスだと長くて20年なのに。 函館の500とかは1両だけ残ってるけど長寿な方じゃない?
札幌にも似た雰囲気の600?が居たけど 鹿児島市電の600も50年以上経ってるし。桜島の火山灰にまみれながらも。
車体の外板張り替えたり、台車交換したりしてるけど。
高速度出すことがない、低速だから走行距離がそれほど伸びないからでは? >>31
ググってもわからないって…
そりゃ「日本の首都はどこ?」みたいに正解があるわけではないからな。
寿命が長いのは他の人が書いている通り、トータルではそこまで距離が行ってないのと、
運行事業者の金がないから、仕方なく古い車両を走らせているだけかと。
今どき直通ブレーキや直接制御の車が(意味が分からんなら調べてくれw)がウヨウヨいるのは路面電車くらいだよ。
ついでに路面電車の車両でも、近い将来の路線廃止を見越して設計されたものや、
軽量化のためバスボディの構造を流用した車体を持った車両は比較的に短期間で消えている。
興味があったら鉄道ピクトリアル誌等の雑誌のバックナンバーを調べてみるといいかも。 都電の8000形は典型的廃止を見越した超コストダウン車だった。
あまりのひどさに譲渡はおろか残された荒川線にすら転用されなかった。
函館だっけ?今の千葉交通である旧成宗電気軌道唯一の残存車があるの。 >あまりのひどさに譲渡はおろか残された荒川線にすら転用されなかった。
当初想定された寿命は来ていたし、あんなもん譲り受けたい事業者なんてないない。
ちなみに富山や加越能の電車が8000のコピーという伝聞があるけどあれはデマ。
参考にしたとは思われるが車体は全くの別物。
成宗の生き残りは函館のハイカラ號だね。
生き残りといっても車体は復元だからなぁ。 昭和40年代ぐらいからしばらくは、路面電車は数年で日本から消滅するって空気が蔓延してたからな
車両メーカーは路面電車から撤退して新車を投入すること自体がほぼ不可能になった
冷房化すら、メーカーが全くやる気がなくてバス用冷房装置を利用してやっとこさ始めたくらいに四面楚歌だった 大阪市電の2601形等の譲渡車、あるいは足回りの流用による車体更新車って、鹿児島市電等でまだ現役だな。
大阪は、都電のような廃止を見越した超コストダウン車を造らなかった、和製PCCの導入を進めたということか。
都電との方針の違いは何故だろう?大阪にしても昭和30年代には近い将来の市電全廃が方針となっていたはずなのに。 >>38
都電の方が廃止の方針を決めるのが早かった
都電は昭和三十年代頭には将来の廃止が決まってたが大阪市は昭和35年頃だった
大阪市もさすがにそれ以降は車両の投入をやめてる
結局わずかながら路線が残ったのは都電の方なのが皮肉ではある 銚子電鉄の301なんかはどうかね?
鶴見臨港時代も含めたら70年くらい活躍した? 調べればわかることだし、形式を書いただけのレスもいらないなぁ >>38
↑
またキミかw
もう少しグローバルな視点がいるんじゃないかな?
何回言えばわかる?
児童福祉法違反で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em
ちゃんと調べなきゃ。
意識高くもって欲しいよ。うん? 西鉄313形
ある意味モノコック構造の車体寿命の限界に挑戦したな。 SLブーム末期の1975頃は、9600の最古参が60年程度、旧国ブーム末期の1983頃はモハ30系が60年超だった
有蓋貨車は自分がバイトで荷降ろししてた1975年頃、すでに戦前型のワム50000はもちろん、90000もほぼ見なくなっていた
さて、旧客末期はどうだったかな・・・・ >>46
ワム90000の最後の定期運用は名古屋駅の塵埃輸送用の名古屋〜八田間だと聞いた事があります ワム90000の「降ろし」に当たると嫌だった。車体の中まで詰め込まれた荷物を降ろすのに、狭い片開きドアには泣かされた。
その点80000が来るとすごく楽だったので得した気がした 昨日引退した青ガエル、57年製とのことなので来年で還暦だったんだな >>44
間隔が均等にならなかったためだね
でもそれ以前に正面窓の四隅にRが付いてしまった時点で
もうアウトだったでしょう。 >>44>>52
見てくれしか見てないキモオタの戯れ言なんてどうでもいいわw 今では見掛けなくなったが車庫や工場脇にひっそり存置されているダルマ(廃車体)に
意外に古いのがあったりするよ ☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 青蛙は長寿もさることながら転出先の多さでも他車とは別格だったね ツリカケを差し置いていち早く他社に放出されたからな。 使い易かったのかな?
保守も手が掛からなかったとか? 冷房化が無理と知って保守を断念した会社は多い
長電に譲渡が決まったのは市街中心部の地下化が名目だが粘り勝ちの側面も
1989年にデハ3603+クハ3802を買った十和田は政治力で負けた? その当時の地方私鉄は冷房化より乗り心地の方が優先されたから
冷房がなくても乗り心地がよくなるだけでも歓迎された いずれ小田急7000も仲間入りか…5200よりも長生きだもんな… 長寿と言えば明治村のSL2両は正真正銘の明治時代製 >>61
電気の消費量が少なくて、岳南鉄道なんかは電力会社との契約がワンランク下がったらしい。
長電に言わせると、カルダン軸が使い尽くされた感があり、思ったより持たなかったそうだ。
カエルを追い出した鯨もいい年になってきたな。
期待された汚物は山に登れない欠陥で鯨の代わりにはなりきれなかった。 >>65
同じ汚物タイプをもらってあの旧国鉄101系を追い出した秩父は三峰口まで
さほど登らないからまだしも、同じようにもらった富山地鉄は、鯨の足をもらったおけいはんと共に
普通に宇奈月温泉や立山をよじ登ってるけどね。 広電の1900形だったか元京都市電の車両
結果的に京都時代より長生きしたのが大勢だったはず >>65-67
長電の信州中野〜湯田中は40パーミルが続く勾配区間だからな。
アカガエルもマッコウクジラも、勾配に対応させるために
発電ブレーキ抵抗を増設したくらいだし。
・・・成田エクスプレスは勾配対応だったの? >>69
東京トンネルの30‰をユニットカットで登る能力はあるはずだから、問題ないだろ。 >>70
登るのは簡単だが、降りるときのブレーキはどうなんだろうね。
なんか改造したのかな >>74
それと寿命に何の関係があるのかな?
不幸にして事故に遭っても、余程の事がない限り修繕して再び営業に出るんだよ 路面電車の車体にアルミやステンレスがほとんど使われないのは、
普通鋼のほうが修復が容易だからだよね 事故車両でも、大破しても復旧する場合と、小破でも廃車になってしまう場合と
様々だね 事故廃車みたいな特殊事例を挙げても意味無くないか? >>84
>>82は変換ミスに突っ込んだのだと思われ(深傷が正解) 車齢が古くても綺麗に清掃されていたら文句はないよ
その逆(まだ新しいはずなのに清掃が行き届かず汚れが残っている)が
多かったし 明治時代の古典客車が地方私鉄に売り払われてひっそりと余生を送ってるうちに
とんでもない長寿になっていた例があるかも >>79
路面電車運行事業者なんてどこも青息吐息だから鋼製以外選択の余地ないだろ 国鉄で十分に使い切って、そののち中小私鉄に払い下げられれば
自ずと寿命は長くなる。 キハは国鉄→私鉄の売却はあるが、私鉄→私鉄の売却は例が少ない? >>99
俺が知る限りでは富士急から有田に行ったキハ58とか、
最近では三木鉄道からひたちなかに移ったミキ300ぐらいかな。 北鉄の荷台付きが関鉄へ。
ほかにも、北海道の非電化私鉄から茨城交通や関鉄・筑波・鹿島に数両実績有り >>101
キハ20と22に準じたやつだと北海道の留萌と羽幌の炭鉱鉄道から茨城交通と
鹿島からと水島臨海から茨城交通もある。
後南海の国鉄直通用キハ5500形は魔改造して関東鉄道に渡ってる。 キハ22は東北へ「生息域」を広げたし、私鉄の準拠車も使い易かったのかも。 415-800
逆に「もうそろそろ良いだろ?」と思ってしまうw マヤ34 2008・2009は長生きしそう
データの新旧引き継ぎとか(特に北海道は)嫌な予感しかしない >>101
北鉄の荷台付きDCは悲惨な最期だったね
あんなことになるくらいなら短命でもいいから現役のままで終焉を迎えさせてあげたかった 筑波に行ったバケット付きと、
ラーメン店の屋根上にまつりあげられたバケット付きとは
別の形式だよ >>108
独立採算制なら別だが東急だしなぁ
併用軌道区間が皆無なので踏切事故程度の損傷を考慮すればステンレスでも行けると判断したのだろうな 近江鉄道は車籍だけ継承して車体や部品をそれぞれ違うタイミングで取り換えて行っているので
見かけは新しくても書類上では明治生まれになる“超”長寿車両がかつてはたくさんあった、
と保育社の本に書かれていました。 > 車体や部品をそれぞれ違うタイミングで取り換えて行っている
いわゆる、「テセウスの船のパラドックス」ですな。
似たような例では、蒸気機関車のC57 1号機かな。
このカマも幾多の危機を乗り越えてきたもんなぁ・・・
はたして、製造当初からの部品は何店残っているのだろうか。 >>113
>製造当初からの部品
もっとひどいのがEF81にあったような。 >>113
新潟の羽越線で脱線やったり阪神大震災で鷹取で台座から落ちて中破したり
車輪やロッド以外ほとんどないんじゃね?。
大震災で壊れた時にたまたま兵庫か京都にあったC57-5が超程度が良くてあれが
なかったら復活不可能だった。 改造名義にした方が新車よりも税制面で有利だったのだろうか >>112
愛好家は書類上の登録など知る由もないからどうでもいいといえばどうでもいい話 >>115
その震災の時壊れて、C575からって具体的に何を流用したの?台枠・・・名分けないよね
確か足回りを抜いた状態で、作業台の上から落ちた・・・状況だったと思ったから、動輪とか走り装置ではないよね