123系スレ
国鉄支線区での単行運転用として誕生した荷電改造車の思い出を語ろう クモハ123-5・6の成り立ちは、キハ84 1・2と似た様なものかね? >>31
そんな光景が見られたのか・・・
いいなあ >>25
混雑時と閑散時の差が激しいのかも
自分が乗車した時は平日日中だったが客は自分を含めて3、4人で
単車で十分であった 一度乗ってみたら良いよ、
一応加速しようとしてるからw 加速しようとしてるんじゃなくて
実際に加速してるでしょw >>12-16
懐かしい地名が出てる・・・
学生の頃、羽衣近くにあった研修施設に半月間缶詰にされて
朝から晩まで国家資格の試験勉強してたのを思い出した
休みの日に息抜きに123系に会いに羽衣線を往復したっけな 123系は0番台と40・600番台でモーターが違ってたどころか制御方式も違ってた
0番台は端子電圧750VのMT57だったが40・600番台はMT46で永久直列だった
ちなみにどっちも電制なしだが主抵抗器が大型になりすぎて床下に収まらなくなるので取り付けられなかったのか? うむ
所詮コストかけずに小単位の輸送を賄えるように考えられた形式だから
スペース取れない→じゃあ無しで行こうと決断したのは容易に想像できる 使い道が無くなった荷電のリサイクルだが、
長生きできなかったことからすると、
この構想は失敗に終わったと総括するのが至当かね 無駄を省こうとして却って資源を無駄にしてしまってる 会社でやってるコピー用紙のリサイクルは無駄の極み
コピー機を傷めることにもなる 羽衣線で1往復した思い出
真夏の平日の日中、客は上下便とも俺一人だけだった
昭和61年頃と思う スレ違いだが羽衣支線みたいな盲腸線がよく今まで生き永らえてるなあと思う 模型にしたくなるようなフォルム
なぜ人気が出ないのかわからん
忘れ去られてしまったのか 鉄コレのは買った。
種車がわかる変則的なドア配置にカモメの塗装がいかす。 >>66
貨物の需要があれば話は変わってくる
羽衣支線はどうなの? 羽衣支線のクモハ123を宇野線に持っていって
クモハ84は羽衣支線で使っていたら長持ちしたのだろうか。 単行できるように機器類をフル装備すると床下が満員御礼になるね 屋根上に載せるという手もある
さらには車内積み込むという強攻策もある 大垣⇔美濃赤坂に配置するのはできなかったのだろうか。
合流後に高速に走る必要があるので Mc123-1
Mc123-2,3,4
Mc123-5,6
Mc123-41,42,43,44,45
Mc123-601,602 本州三社の違いが分かる個性的な電車でしたね。
東日本
たった一両に小改造を重ね熟成
西日本
使用線区、時代に合わせて大胆に改造
-2/-3/-4は貫通扉設置
-5/-6は客室窓&扉の移設
便所復活は種車の配管が役に立ったとか
東海
仕様によって細かく番台区分
40→インバータクーラ搭載+5000→貫通扉設置+100
種車クモヤ145には原番と同じ600番台を付与 クモハ123-601/602が完成形かな。
前面貫通扉付3ドア 同じ1M方式でも全部郵便室のクモユ141/143は短命でしたね。
郵政省から運輸省に移籍してクモハ123化、というストーリーは考えられなかったのかな。 クモハ123-1
種車と同じ寸法の小窓
クモハ123-2,3,4
路面電車並の大窓
クモハ123-5,6
201系と同じ寸法の二段窓
クモハ123-41,42,43,44,45,601,602
119系と同じ寸法の二段窓 5・6以外は先頭車化改造と逆の工法で客室を新製してる
151系でパーラーカーを普通車に改造する際にも用いられた 改造が盛んな頃、郵政省所有のクモユは解体されてしまったんだよね。
変な法に縛られなかったら、まだご存命だった間のしれない。 種車がクモヤの600番台
前面窓は左右に後退していてちょっとだけパノラミックウィンドウっぽくなってますね。 123-1は窓が整然と並んでいるのが却って異端になるという ロングシートは詰め込み輸送向きだが
単行でじゅうぶんな輸送量で詰め込み輸送向きと言われてもなぁ もしクロスシートが採用されていたら乗務員室から死角が発生するとか考えられたんじゃないの、知らんけど 荷電から変身したグループは側面ドアが外板から凹んだ位置にあるのが不思議だった もうとっくに種車時代よりクモハ123時代の方が長くなりました。
改造当初は車内便所が復活するとか思いもしなかっただろうに。
クモハ123−2、3、4の3兄弟はいつの時代も同じ職場で幸せだね。 クモハ123形は荷物車→客車。
客車→荷物車の改造のほうが多い 105系と併結は性能が思いっきり違うのでどんつき酷くならないか?
ギア比的に113系の方が相性が良いはず 主抵抗器容量が電制なしとも相まって小さいのでMGを床下に取り付け出来た
同じく両運転台のクモハ119-100番台は抑速ブレーキ搭載も相まって主抵抗器がデカすぎ床下にMGが入らず冷房化がインバータ方式が開発されたJR化後にずれ込んだ >>105
コトデン11000は緩急車→制御付随客車!? 105系のゆうパックカラーが復活するみたいですね
123系の白+青も復活しないかな
-2/-3/-4は改造当初からずっとまとっていた塗り分け >>66>>71
東羽衣駅は阪和浜寺
もともと阪和線の前身、阪和電鉄の終点だよ
その後は盲腸線状態だが、当初はメイン路線の終点駅 123「系」って言うけどクモハ123以外の仲間いるの? 良いところにお気づきですね
マニアが勝手に系列化してるだけ 羽衣支線にいた車で車体の半分に窓がないスタイルのものがいたね
荷電時代をそのまま引き継いだのは分かるが圧迫感凄いと思う クモハ123-5&6
羽衣支線時代は201系をかなり意識していたみたいですね
ブラックフェイスや同じ寸法の二段窓など >>118
異形式併結
105系はMc+Tcですよ
103系はTcでしたけど羽衣支線時代のみ 2005年頃
<クモハ123(2扉)>+<クモハ105-0(3扉)+クモハ105-500(4扉)>という
3M強力編成が存在していたw 5・6は元々の荷物室と同じ位置にドアを配置したとかケチケチ感半端なかったな
4までは荷物室を一旦解体し新たに客室を構築する先頭車化改造と逆の工法
151系でパーラーカーを普通車に改造した際にも使われたがあっちは元々車体が短く寸法を切り詰めてた >>119
んなこと僕に言われても。
だから じゃね? って言ってるじゃん。 2-4で採用された大型スイング窓は路面電車で見掛けるタイプかな 阪和線の車窓から羽衣線の奴を初めて見た時、かなりの衝撃で
なんだこれ、事業用?、乗っていいの?と思った 羽衣支線はクモハ123重連+クハ103だけ?
夜間などはクモハ123単車運用はありましたっけ ニックネーム「ミニエコー」「富士ポニー」以外にありましたっけ