昔の国鉄予讃本線 [無断転載禁止]©2ch.net
名前が名前だけに国鉄時代から予算には恵まれてたらしいw
円蔵師匠のネタだけどさww というか、「円鏡」なんて名前知ってる世代はかなり上のはず
俺もテレビで見た記憶ではすでに円蔵襲名後だったから 円鏡ってきくと土讃本線あ円行寺口を思い浮かべる
どっきん四国・・・ブルマー姿のモデルさん(誰だったかな?)のオレンジカードだな。 むかし、高松で「電車」といえば琴電だったらしい
ばあちゃんが言ってた 電化時に121系が投入された。
性能的にはひと昔前の時代遅れなものだったらしいが、そんなことを知らなかった当時は
銀色の車体と冷房サービス付が物珍しくて、これでいよいよ高松も都会の仲間入りかw
と我が事の様に嬉しく思ったのを思い出すよ。 40年位前の時刻表だと、高松・多度津間で日中、各停が通過する駅が結構あったような。
地元の人は、通勤通学以外、バスやマイカーを利用しているんだなと思った。
フリークエントサービスの意欲なんぞ全く感じられないダイヤだった。 >>9
地方都市ではよくあったことだね
地域の鉄道が、非電化国鉄+電化私鉄の2社しかない場合には
「電車」と呼称されるのは確実に私鉄の方。 >>10
琴電は80年代末に京急から新性能車を譲り受けるまでは冷房車が一両も無く、
夏期は「琴電サウナ」と言われてた時代もあった。
この時代は他の地方私鉄の冷房化率も似たりよったりだったが、
なぜ琴電だけこんな言われ方をしたのか、今もって謎 キハ35系で四国に配属されたものは少なかったんだっけ。
78年の春、高松から観音寺付近まで乗ったときは旧客の普通列車だった。
17時頃に乗ったが、車内はがら空きだった。高松周辺の予讃線、高徳線は、近郊型気動車に向いた線区だと思うのだが。 >>11
それウチのことだw
親父は自宅から駅まで1キロ以上歩いて鉄道通勤、
お袋は自宅から車で買い物などなど
お袋が言うには、本数が少なすぎて利用する気になれない、だとか。
鉄道側としては、不定期客(キップで乗る客)の方が儲けになるんだよね? 本数が少ないのもあるが間隔もバラバラで分かり難かったな
琴電は大体60分or30分と言うように整った時間毎だったと思う。 地方では国鉄も私鉄もそんなに変わらん
運賃にコスト転嫁しないと持たない
地方は賃金水準が低いのに公共料金的な鉄道運賃が都会に比して高いのは公平でないが、
何故かこの議論は殆ど顧みられることは無かった 121系登場時って…
キハ45<121系<キハ54<111系<キハ40≦キハ20かな?
急行型は入れないでだよw >>16
単線区間が多いし特急や貨物列車もちょくちょく走ってる中で
等間隔運転はなかなか難しい。 >>18 土地安いから県庁所在地でも街の中心部の近くに一軒家持つことができて、公共輸送機関で長時間通勤する必要がない。
おまけに、本四架橋に備讃瀬戸大橋の周辺に海挟んで4つのタワーと、補助金や地方交付税がふんだんに注ぎ込まれる。
補助金や交付金は東京等の大都市の納税者から巻き上げられている。
利用者の少ない公共交通機関の運賃が多少高くなっても、地方の住民は大して困らない。 >>22
乗りやすい(覚えやすい)ダイヤは鉄道の最大のセールスポイントなのにな。
単線非電化のハンディを克服する企業努力が当時の国鉄に有ったとは思えないし、
客も期待してなかっただろうな。その前に便利なマイカー利用に切り替えるだけで済む。 本社から完全に見放されてたと思ったら複線電化してくれたのは意外だった 確か、1978年春の時点で、高松・多度津間完全複線化となってなかったような。
時刻表の電化・複線化状況を見ると、四国の国鉄線で複線があるのはこの区間だけ。
土讃線の列車も通るのだから、早く多度津まで完全複線化しろよ、と思っていた。
それでいて、加減速性能に劣る客車鈍行があるから、日中の途中駅通過を行っていたのかもな。 疑似スレがありますので、誘導しておきますね
国鉄四国総局
ttp://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220771646/ >>25
見放された感があったのは土讃線の方だと思う。
高松近郊区間は資本投下するしないの境界線上にあったはずだ。 琴平までは電化されたけどね
複線化まで期待してたという意味かな? >>26
>確か、1978年春の時点で、高松・多度津間完全複線化となってなかったような
※ 坂出−丸亀間は、この時点では単線のままだった。 ホームが一両〜二両分しかない無人駅が多数あったね。
讃岐府中、八十場、讃岐塩屋あたりは1日1往復位しか停車せなんだよね? 供給を多くしてもそれに見合う需要を喚起できるかというと怪しい 怪しいもなにも、人口が少ない土地で電車をいくらたくさん走らせても
何も起こらない罠 ディーゼルカーのビュフェがあってもよかったのになあ
うどんコーナー 予讃本線、ひいては、四国のディーゼルカーは
方向表示板を色別に区分け、所属区所の区名札が入っていました。
松山、高知、高松、徳島 『松』『知』『高』『徳』とか。
また、松山、今治、新居浜の各駅には、『坊っちゃん歩恵夢』『らくれん牛乳』『一六タルト』『マルトモ花かつお』『ダイヤモンドフェリーおくどうご』の看板があった。 宇和島駅の駅弁
「闘牛弁当」
肉の味は一般の牛肉と同じだったが 土讃本線は、『ドサン本線』とか 『土惨本線』と言う、土砂崩れが多発する。
一方、予讃本線は、水害、沿線火災、異常低温が多発しやすい、特に愛媛県が。
無理もない、愛媛県内の駅は、水難の相ありの駅名が多い。
則ち、川之江、多喜浜、新居浜、玉之江、壬生川、今治、堀江、三津浜、八幡浜 台風による高潮?
中萩 (沿線火災)、伊予氷見 (異常低温)
ざっとこんなところだろう。 土讃本線は、『ドサン本線』とか 『土惨本線』と言う、土砂崩れが多発する。
一方、予讃本線は、水害、沿線火災、異常低温が多発しやすい、特に愛媛県が。
無理もない、愛媛県内の駅は、水難の相ありの駅名が多い。
則ち、川之江、多喜浜、新居浜、玉之江、壬生川、今治、堀江、三津浜、八幡浜 台風による高潮?
中萩 (沿線火災)、伊予氷見 (異常低温)
ざっとこんなところだろう。 土砂崩れに巻き込まれて未だに埋まってる機関車があるんでしたっけ? >>43
それ土讃線だけど現地解体済み
ここは「予讃本線」のみのスレ
それ以外はもう一つのスレへ行け なんか読んだことのある投稿だなあと思ったら同じ人物だったのかw それは便数削減の口実にしたい四国本社の作戦でしょう >>47
それいつの時代だろう
国鉄末期なら日中毎時1本で輸送過剰はないと思うなあ
3時間に1本とか一日3本とかの方が、異常。 宇和島鉄道(現在の予土線の一部)の欄に昭和4年11月改定とある。 >>53 土讃線が多度津から高知まで全通する5年位前か。
この当時、まだ上越線も全通していないし、丹那トンネルは工事中。 >>49
一日3本は少なすぎでも一桁ならざらにあった 未だに供給が需要を喚起する、という発想の人が
まさか会社の中にはいないよね 混雑時は毎時6本、閑散時でも最低毎時3本を走らせる、
快速を設定する、新型車を投入する、などなど。
もはや経営ではなく、ヲタの妄想になる >>59
鉄道事業は当てはまらないが、他分野では今も通用することがあるらしい >>61
でも、一度実行させてみたいもんだね
どのくらい赤字が出てくるかw 強制的にクルマバイクを使用禁止にして移動手段には鉄道オンリーにする実験してみたら良いわ
それでも利益でないなら鉄道で収益が得られる土地柄でないことが立証され、
撤退の大義にできる 朝の混雑時には満員の客車を10両ほど繋いで機関車1両が引いていたから加速が悪く
長いホームの駅だと先頭の機関車からお尻の客車まで
通過するのに2分くらいかかってたと聞いた ローカル区間は本数を間引く代わりに両数を長くしてキャパを維持してる
本数が少ないから少々遅くてもダイヤには影響しないし、
乗務員の頭数を抑えることも出来る 四国ローカル用のキハ54がJR転換の時にオレンジからブルーに塗り替えられが
松山近郊では伊予鉄と色が被るから変えてくれと
伊予鉄から言われたために塗り替えられたと
本気で信じてた 客車列車かキハ20くらいしかなかったところにキハ54が登場したときは眩しく見えた 四国で10両以上の客車編成って多度津→高松の平日の122レ+222レだけ(1982年の50系に置き換わる前)だろうが
朝のラッシュ時間帯でしかも宇多津駅が地平でホームの中央に構内踏切があるトンデモ状態
その上宇高連絡船に接続するからああするしかなかった
そして加速が遅かったのは、ス級客車が7両(222レ側5両すべて)も繋いでいるから >>72で正解だな
その証拠に>>73では反論の根拠が書かれていない 毎年夏休みに乗車
旧客の摩りきれたシートを撫でて「ツルツルじゃん!」と感想を漏らした覚えあり
都会では大手私鉄はまずモケット完全整備だからね 坂出港線でDLに牽かれていたワムハチ
一度見たきりでその後廃線 旧式客車以上にクタビレ感が充満してた荷物専用キニ17
晩年のタラコ色になって以降、煤煙等のヨゴレが貫通幌や補強板の隙間にこびりつき
見た目が本当によくなかった 坂出港線
今から思えばよくあんな場所に鉄道が敷かれていたなあと・・ むかし、陸揚げされた貨物を効率的に内陸へ輸送するには
最も鉄道が適していた。
なので、港に線路が伸びてること自体は、そんなに不思議ではない
つまり大抵の港湾エリアには鉄路が通じていた