【上野】急行八甲田・津軽・十和田 2号車【青森】 [無断転載禁止]©2ch.net
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座面が固くて痔持ちには拷問
背ずりは車によってはまあ辛抱できる っていうか、14系よりも、(すいてる時は)12系の方が横になって寝やすい >>631 最悪だった。ボックス席スライドさせて寝台にするのは禁止。車掌が見回ってきて注意される。12時間も硬い座席に座らなくてはならなかった。 >>633 みんなスライドさせてるんだよ。車内放送流れるけど、車掌の来ないうちに。だんだん、やらなくなるけど。 既に眠っている人を起こすわけにもいかず
っていう車掌の弁を鉄道誌のルポで読んだことあるな
上段中段を引き出そうとしてたのは止めたらしい 上段、中段引き出そうとは思わなかったな。鍵がかかっているような感じだったから >>634
>みんなスライドさせてるんだよ
だから何? オレはグリーン車だからシートをリクライニングさせた >>641 車掌が黙認したのは、起こして座席を元に戻させるとトラブルになりそうだと感じたからなんでは?
その添い寝したのがヤクザっぽいやつだったとか。
自分が乗ったときは黙認されるような雰囲気ではなかったね。 642だけど、乗ったのは1991年11月の上り。
黙認されたのはそれより前だったのか? 1992年の夏の上り津軽だったかな。たしか新庄か天童あたりから上野まで乗った >>644 秋田県北部から上野まで乗ったが、車掌が座席ロックしたのは見てないな。
ほぼ定員乗車だったけど。混雑状況によっても違うんじゃないの? ロックされたのは583系じゃなくて、20系ロネのボックス席の方だろ。 下りの臨時十和田って仙台に5:30過ぎに着くんでなかった?
それなりに仙台下車客もいて需要はあるなと見たぞ。
1番ホーム着で、伯養軒の立ちそば結構売れてた。店の人朝からこんな人の数?っ
てビックリした顔してた。
でも、盛岡までに客は結構下りるから、それ以降は1ボックスか半ボックス占領
出来たりして、居心地ではトータルで14系の八甲田より良かったぞ。天井高いし。
それと14系は長時間乗ると寒いか暑いかだけど、12系は快適だった。
1991年盆の話。 >>649
1990年4月号の時刻表では臨時急行十和田(8201レ)の
仙台発着は5:16着-5:23発になっている >>649
俺も12系の方が好き
14系は通常は(簡易リクライニングは論外だけど)背もたれを倒しても、膝が伸ばせない。
2席占領できても横になりにくい。
4隻向かい合わせにして、ようやく脚が伸ばせる。 ガキの頃、臨時のつばさに乗ったら12系でがっかりしたわ。 >>652 親御さんから、特急料金割引だし臨時だから指定席取りやすい、ちょっとは我慢しろと言われなかったのか? うちの親は「時間かかるからつばさの臨時は嫌だ」だったな ウチの親も似たようなこと言ってたが
臨時佐渡+いなほで秋田まで連行したら何も言わなくなりました >>654-655
うちの親って??? 子供の、間違いじゃないの?
俺たちの親の世代って戦前生まれだろ? もっと粗悪な座席だったのでは? >>656 戦前生まれの親が週5日制がまだ普及せず、盆暮れの帰省が今よりも集中していた時代、移動時間節約したいと考えるのが普通だろ。
高い金出して指定券苦労して取って定期のつばさに乗るか、スピードや格は落ちるが臨時つばさで行くか、それとも立ち席覚悟で幼い子供連れて津軽で行くか。 子連れの帰省が如何に大変か想像できない鉄オタがいるんだな >>658
ここに入り浸るような男共は生涯独り者の素人童貞しかいない >>653
母親だったので細かいことは頓着しませんでした
座る席が確保できればよかったのです
また母は特急車両に乗ると乗り物酔いするみたいで結果的によかったかもしれません
>>654
たしかにノロノロで時刻表にない駅で停車して定期の急行に追い抜かれていました
>>656
母は若い頃汽車に乗るときは座布団を持参したと言ってましたね 1982年か3年だったが、20系寝台の「十和田」で青森まで。幅52cmでも苦痛と思わなかった
じつはこれが最初のブルトレ乗車。「撮るもの」であって「乗るもの」と思ってなかったからかなぁ ビジネスクラスのフラットシートもそれぐらいの幅
しかも料金はボッタクリ 飛行機と鉄道を一緒にするな
フェリーと寝台列車を一緒にするようなもんだ >>658
5ch(2ch)の鉄道スレは結婚しなくて(出来なくて)
家庭を持ったことがないヤツが多い独身ヲタが多いから
多分理解出来ないのだと思う >>667
子ども達はガッタンゴットンに乗ると妙に気持ちが高ぶるもんだ
特に長距離便だと >>668
ガキの頃に一人で真冬にクソ混んだ八甲田を利用したが、北とうほぐから上野まで大型荷物置き場に座っていったぜ。
ガキながら酷い経験だった。 >>669
ボックスシートに4人、その下のスペースに2人が寝てる、
こんな時代もあったものだ 新聞紙ひいて通路で寝たの思い出した ボックスに座るより楽に寝れた わ そういや津軽も八甲田もスハフしか乗ってないからいつもエンジンの音が耳鳴りで残ってたな >>661
20系「十和田」なら、82年11月まで。83年は有り得ない。
その際の上越新幹線開業ダイヤ改正で、12系1往復になった。 88年に八甲田に乗った
14系で味気ないと思っていたけれども
今思えばとても貴重なおもひでぽろぽろ 上りの八甲田・十和田は、長い編成でも八戸・盛岡などから自由席が座れない時代も
あったのに、もうそれは過去の遺物になってしまった。 夏休み。下り八甲田(定期)の仙台増結車(自由席)に一度乗ったが、立ち客も出るありさま。
自分は運よく窓側に座れたけど、今思うと護送車みたいだった。 今朝、新日本紀行(昭和54年放送)で
朝の奥羽本線十文字駅に到着した「津軽3号」が映っていた
ED75-700に牽引された12系(後部の1-5号車寝台編成は確認できず)
田植えを控えたて出稼ぎから帰った人たちが続々に降りてきた
それと交換してホームの反対側で動き出した貨物列車(トラ45000、ワム80000など2軸車ばかり)とか、
今まさに発車した貨物列車(ED75-700に牽引、ヨ8000が先頭)とかが見られた
新幹線のない時代はのどかだね
ノスタル爺といわれても、懐かしいものは懐かしいな >>685
その映像は「NHKアーカイブス」で見られるはず。
無料ですから試してみてください。
自分は検索が面倒なので観てません(陳謝)。 >>684
「キングコング対ゴジラ」に登場する「津軽3号」は、こだま型の特急電車だった >>687
まさに夜行急行が出稼ぎ列車と呼ばれてた時代か 満員の夜行列車って荷物も多いから網棚も床も荷物で埋まってるイメージ 座席の夜行とかホタテや貝ヒモ食いながら隣で呑んでるおやじ思い出すなぁ
食べるか?とか言ってホタテくれたりするw 青森〜上野は常磐線へ回る列車が多かったのはどうして。 東北本線は信越、北陸、上越、羽越、奥羽方面とか詰め込んでたからね >>694-695
それと共に夜行でゆうづるが多かったのは、東北本線保守の関係もあっただろう。 はつかり号は常磐線が電化したのに東北本線経由に変わってしまった 1Mは北海道連絡ありきだったから
全線複線で速達化できる東北本線廻りになったんですね 昼行だと常磐線の単線がネックになるし、
電車だと多少の勾配は高速で走れるからね 東北本線も単線多かったから。福島近辺の勾配と単線、大宮から上野の線路容量がひっ迫してた
S.40に大宮の高崎、東北の立体交差、S.42に福島近辺の複線化、S.43の大宮以南の電車線の線増
これらをやって、43.10の全線電化と全線複線化で青森行は距離も短い東北線を使うようになった 盛岡までなら夜行「いわて」がありましたね
昼行でも運行できる範囲=電車という方程式でしょうか >>702
仙台〜青森は「くりこま」で運転したけど、上野〜青森は全線電化なら距離的に特急化の意向になっていたような。
夜行急行や普通は他の交流電化区間と同じく、機関車稼働の関係で客車や、また非電化区間直通車両の併結の関係で気動車で運転も多かった。 西方向の急行で、
80系/153系で東京⇔姫路(はりま)
153系で東京⇔広島(宮島)
167系の東京⇔下関(長州)
475系の名古屋⇔博多(玄海)
は可能だということから、青森も理屈上では可。 90年代でさえ秋田開業前の仙台以北の
東北新幹線の寂しさを思い出してみると
60年代に最新の貴重な455系を仙台以北
盛岡以北にさく余裕はなかったんだろうと
思う。通過するだけの北海道連絡特急には
良い車を割り当てるが区間利用も多い急行
には客車で充分という 急行型1971年までしか作ってないから
485は1979年まで。もう特急しか増発する気がない
くりこまとまつしまでいじれば上野ー青森で直通出来そうな気もするけど、仙台の455、凄まじい運用してたからやりたくなかったんだろうな
儲けにならんし >>708
だね。上野〜秋田の「おが」もずっと全区間架線下DCで走らせていたし。 >>706
長州!
修学旅行列車「わこうど」のスジで走る多客臨
主要駅でたっぷり停車時間を取るから下関まで16時間くらい要したんだよね 84年の14系寝台車も連結していた「津軽」は、まだEF58牽引だったんだ!
https://youtu.be/oxVu77Fgg1c 青森駅に到着する、国鉄末期の「八甲田」
この当時、既に国鉄色から塗り替えた気動車が存在してたとは!
https://youtu.be/nSmES5pTLa4 座席の客車急行…
青函トンネルが開通した時、せめて1本くらいは
上野⇔札幌を走ってほしかった。 >>717
座席車で上野〜札幌直通?
もしそうなら青函トンネルがあと20年早く開通してないと無理だっただろう。
34年前の開業時は類似距離の東京〜博多でも夜行座席車はなかったし、JR北・東も当初は北斗星の需要も懐疑的だった。 20年早く青函隧道が開業するとなれば1968年
1968年に上野〜札幌間で座席夜行急行が走れば
明らかに旧型客車だっただろうね?
津軽海峡線も非電化区間だったかも知れない
1968年だと新型客車では20系だけで12系も14系も
まだ生まれて来てなかった
上野〜札幌間を20時間で結んだのだろうな(遠い目) 流石に防火上旧客はないだろ
専用の何か作るしかない 青函トンネル内で垂れ流しは大問題になる
しかし、トンネル内だけ使用禁止にできるほど短い距離ではない
12系はあと1年で作られるものの、折戸だから冬季の札幌直通は無理
20系はすでにできているものの、まだ垂れ流し(粉砕はしていたけど)
よって、製造中の455系に循環式トイレを設置した編成を数本作り、青森−木古内間にて暫定運転することになろう
583系は全車装備
1968.10開業時
特急「すずらん(昼座席)/おいらせ(夜寝台)」 583系 上野−函館。青森以北食堂車非営業
快速「海峡」 455系 青森−木古内(繁忙期は蟹田−木古内間へ短縮されることも。車両改造編入を受けて1969.10改正にて函館通年発着化)
ただ、北海道内の急行の気動車化率は年々上がっており、千歳線の付け替えまで南回りが電化できないとなれば、寝台特急以外は函館乗り換えが妥当
寝台特急も折戸の20系では札幌発着には使えないため、設計を進めていた12系寝台車(当時。後の14系寝台車)を引き戸に改め、集中電源方式でも使えるよう改良された結果、14系名称変更
オシ14は排水タンクも設置し、函館・青森両駅でも給排水実施
1970.10改正で485系が新製投入されて特急比率向上
1972.3改正でようやく14系投入
特急「すずらん」 485系・583系 583系は1往復だけ 青森以北食堂車非営業
寝台特急「北斗星」 14系(集中。2度電源車付け替え)
快速「海峡」 455系 青森−函館
と言う夢を見た >>721
便所は大きな問題だ。
係員がポータブルトイレを巡回する夢を見た。
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