【上野】急行八甲田・津軽・十和田 2号車【青森】 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>186
画像サンキュー!
ゴナナのデッキに乗った興奮は今でも鮮明に覚えてるよ
ヒガハス沿い住まいだったのでほぼ毎日見ていた 津軽と八甲田は直流区間はEF57,58交流区間ならED71,75と
牽引機のバリエーションが豊富で被写体にはもってこいだったね。
十和田はEF80,ED75しか出てこないから前者に比べ魅力は乏しい感じがする。 先生!何でEF80は交直機なのに水戸で付け替えだったのですか? >>183
GJサンクス!凄い貴重なもの持ってんだね、感動した♪ >>186
撮影地が鶯谷ってのが尚良いね、特に下りは『上野をゆっくり後にする』と言うオープニングが最高! >>186
57に旧客はかっこいいな。103系もまだATCじゃない
この客車、品川の波動用だよね。南シナの10系が営業で使われてるの始めてみた。この10系90年代まで残ってて
小回によく繋がれてた。乗せてくれねーかなっていつも思ってた。
旧客の方は中央線とかにも使われて、最後に川崎に留置されてたんだよな。
>>188
津軽とあけぼのはEF71、ED78もあったからな。で、401レは宇都宮で58同士で機関車交換とかしてた
>>189
交直機は高いから効率よく回すため。蒸機の名残で電機でも所属区の運用範囲があって長距離は交換してた。
日本海縦貫の81も昭和60年くらいからなんだよね、ロングラン
東海道山陽夜行は電化の進展と一緒にロングランにしたけど >>189 >>192
国鉄時代は特に水戸までED75ロングランさせたほうが運転上も都合がよかったからな
(80が機構的に些か高速に弱い&常磐線の臨時等で使う75を青森からそのまま重連で送れる) 常磐線の十和田やつうづるは機関車交換が水戸といわきがあって下りと上り列車を分けていた。 >>187-188、>>190-192
皆さん見ていただきどもです。192さんの博識には脱帽です
南シナの波動用はあまり酷使されていなかったので、キレイに見えるのでしょうか?
確かにナハフは旧客が運用離脱した後も、控え車として動いているのを見たような。
動画にも入れた写真ですが、76年8月西日暮里駅ホームから後追いで撮った101レ
http://imepic.jp/20160217/743660
メモがないのですが、時期は77年2月場所は久喜-白岡で撮った102レと思います。115系が後カブリして泣いた、、
http://imepic.jp/20160217/777560 195ですが、2枚目の画像が重すぎたので縮小してこちらに再うぷしました。
http://imepic.jp/20160217/793510
すみません >>192
国鉄末期でも秋田〜青森の日本海はED75-700が牽引してましたね
>>195
>>196
うp乙です
宇都宮運転所の原型小窓のEF58が牽引する上り急行八甲田ですね
オユ10・ワサフ8000・スハフ42・スロ62・ナハ11以下略の特徴ある編成は
102レ・103レだけでしたので画像を拝見して急客102レだとわかりました。
115系との裏カブリは残念無念 >>197
ワサフ8000は編成美を壊しているような気がしたけど、定期八甲田の特徴。オユは上りだけ連結でしたね。
改めてネガを見返すと、駅以外での走行写真が少ないことに驚く、、 >>195
やっぱヒガハスの田園風景は良いものだねえ
ゴハチと旧客が上ってくる午前中かな >>199
102レの大宮発は10時40分だったので、10時15分〜半あたりに現地を通過したものと思います。
メモはないのですがこの日のネガを見ると、ヒガハスの田圃で下りはつかり1号などを撮ってから久喜方面へ移動し、ゴハチの荷46レと下りつばさ1号を撮影。
さらにポイントを探して徘徊する内に上り八甲田の通過時刻が迫る→何とかたどり着き、慌てて撮ったようです。
そのせいで手前の枝も未処理ですorz >>200
いろいろ情報ありがとうございます
レスと画像もよく確かめずヒガハスなんて書いてごめんなさい
なんか田園風景と右奥の樹木で早合点してしまいました
よく見ると見沼用水と綾瀬川の鉄橋が無いです
しかし午前中の久喜ー白岡は順光の爽快感がいつ見てもたまりませんね
枝の処理もこの際気になりませんよ 急行八甲田102レは12系になってもワサフ8000が連結されていて
1984年12月くらいだとEF65PFの次位がワサフ8000で違和感がありました 大宮から北はどこもヒガハスみたいな感じだったんだよな。田んぼか林。土呂はなくてヒソ辺りは林と畑だった
どこでも撮れたんだけど、いまは住宅地だらけになったね
ヒガハスのあの辺りだけは見沼代用水もあって調整区域でそのまま残ったけど >>202
その頃だと黒磯以南の客車は軒並みPF牽引で上り津軽と荷レのみ58だったかな >>201、>>203
この日の記憶はまったく曖昧なのですよ
Google mapで見ると白岡駅の北側、現在は県道78号線とクロスしているあたりで撮ったのではないかと。
一本手前の架線柱の間で切るつもりだったが、予想以上に編成が長いので慌てて左にカメラを振る→機関車の足回りにボックスと柵がかかる、といった有様で高坊になってからもあまり学習していません。
>>202、>>204
PF+12系の時代もまだワサフが連結されていたのですか。91年頃、久しぶりに八甲田に乗車した時はPF+14系
80年代は鉄から離れていたので、津軽と荷物列車を牽引していたゴハチの最末期を撮っていないのが残念です >>204
上り津軽と荷レはぎりぎりまで宇都宮のEF58でしたね。
ただし津軽も1往復に減ると夏至くらいにならないと東大宮以北での撮影は難しかったです。
しかし削減された1往復があけぼのに格上げになるとあけぼの3往復体制で6号は撮影がしやすかった。
>>205
自分がワサフ8000+12系の102レを目撃確認したのは1984年12月なかばの撮影地ですので
急行八甲田が14系に変わった1985年3月14日の直前までは102レにワサフが連結されていたのかも?
昔は久喜-白岡やヒガハスで早朝から待っているとEF58牽引の津軽、荷34レ、荷38レ、
八甲田や583系はくつる、PF牽引あけぼのなども撮影できて晴天の休日は自転車で通っていました。 ここ見てると一週間に一度でいいからタイムマシンに乗りたい… 宇都宮時代のゲニニに牽かれる旧客の急行津軽なつかしい
白線入りのグリーン車に続いてA寝台にB寝台…この頃は神だった >>208
うぷGJです。上り津軽2号ですね
丸屋根のマニがイイ感じ! >>202
1984年2月改正で操車場・荷物列車が大幅縮小したけど、その後も付いてた? 1977年で冷房なしの旧客、これで急行料金取るのって遜色急行じゃね?
乗らないで見ているのは面白いだろうけど、8〜10時間も硬いボックスシートにいるんじゃ、睡眠不足なるわな。 遜色急行って言いたいだけだと思うが、安心しろ。旧客の急行がなくなるのはその5年後、ボックスの冷房なしの
急行なんてその10年後くらいまであったんじゃないか
>>211
12系の時はワサフついてた。14系化が昭和60年だから1年くらいマニついてたのかな。荷レなくなった昭和61年には
なくなってる だからさ、70年代後半になって非冷房、ボックスシートで急行料金取るってのが、遜色なんだよ。
転換式クロスへの改造もしない、旧態依然のまま。客離れは当たり前。 >>214
そう思うのは21世紀の今だから。
70年代後半当時は当たり前だったよw
都会の通勤電車でも冷房率100%には程遠かった。 遜色って言葉覚えて使いたいだけだから相手するなよ。 特別料金取る長距離急行と通勤電車を比較されてもなあ。 まあ、マニアにとっては憧れかもしれないけど、繁忙期に自由席で座ることもままならない状態で、長時間移動しなくちゃならない家族連れにとっては、我慢大会でしかなかったんだよねえ >>216
子供なんでしょ。今の基準でしか考えられないようだし。
それか定義付けたいだけのかわいそうな疾患持ちとか。
放置が一番。 >>208
機次からマニ36 スロフ62 オロネ10 オハネフ12ですね。
大宮←土呂間なので津軽2号(404レ)だと大宮着が9:37なので9:34〜9:3に通過かも?
急行津軽2号(404レ)は乗った事も撮影した事もあるので1978年の代表的な停車時間だけ書いておきます
青森20:35,弘前21:14-15,大館22:00-02,東能代22:47-48,秋田23:42-50,横手1:00-02,新庄2:21-25,
山形3:29-50,米沢4:39-44,福島5:33-41,郡山6:32-37,黒磯7:35-42,宇都宮8:25-27,大宮9:37-38,上野10:04。
夏至の頃は板谷峠の庭坂大カーブや赤岩の松川橋梁俯瞰で撮影したり、真冬は
白河より手前で雪の中を走るED75津軽2号を撮影しました。 なんか馬鹿の登場でスレが汚れてんな
どうせあっちの板にいる廃止厨みたいなクズが出てきてんだろうけど
>>208
東大宮を過ぎて大宮駅の直前かな?
手前の線路は東武野田線とか >>221
急行津軽の板谷峠越え、機会があればぜひ拝見したいものです。
津軽といえば、伝説のC58重連迂回津軽を撮りに陸東へ行けた方は幸せですね
私もあと数年早く生まれていれば、、 仙山線経由の津軽とか陸羽東線経由あけぼの乗車経験のある俺 >>224
あけぼのが陸羽東線で迂回運転されたのは、73年4月12日たった1日のみですね。その日に乗り合わせるとは何とラッキーな!
20系客車の前後で、2両のC58は死闘を演じていたことでしょう。 ピントが怪しい写真ですが昭和51年8月のある夜、上野駅14番線ホームで撮影したものです。時計は19時05分を指していて八甲田号の発車5分前です。乗客はほとんど車内に入っていますが、後続列車の席取り組でホームはカオス状態。あの頃のざわめきが聞こえてくるでしょうか?
http://imepic.jp/20160220/809820 >>225
そっちじゃなくて板谷峠追われた直後(90年10月〜97年3月)の陸羽東線経由時代じゃないかな
この間に津軽は仙山経由の583系→485系(廃止直前はまた583)となった末廃止されてしまう もしかしたら小学生だった自分もこのホームに居たのかもしれないと思うと胸熱 >>228
見ていただきサンクスです。私は高1でしたが、上野駅のどこかですれ違っていたかもしれませんね。
この写真を見た後でサントリーBOSSの北海道新幹線編CMを観たら、妙に胸熱になってしまいました
http://youtu.be/f78fvddOiKk >>229
あらら、ご丁寧に
当時のこのような写真を持ってないので
大変懐かしく拝見させて頂きました
こちらこそありがとうございました >>224
あけぼのなら北上線迂回(DD51牽引)で乗車したことあり。
奥羽線(板谷峠経由)は何度もあるけど
陸羽東線経由のあけぼのは乗った事ないかも…
>>226
いや〜なつかしい、
ホームにいる人達のルックスが高度成長時代って感じがする。
一番輝いていた時の上野駅地平ホームですね。
後続列車の席取り組は気になります。この時代だと19時発では
19:31発の急行津軽1号がありますが発番線まで覚えていません。 >>231
ベルボトムジーンズに時代を感じますねえ。
山男風の方もいたりバラエティに富んでいます
74年11月の時刻表しか持っていないので多少変わっていると思いますが、このホームから発車する夜行列車をピックアップすると
発時刻 列車名 番線
20:51 越前 15
21:08 八甲田54号 14
21:20 おが2号 15
22:00 あけぼの1号 14
22:28 あけぼの2号 15
22:41 津軽2号 14
23:08 ざおう54号・ばんだい54号 15
23:32 いわて3号 15
23:48 ざおう3号・ばんだい5号 14
となります。多客期のため、不定期列車もほぼ全部運転されていたと思われます。
19:27発の津軽1号は13番線発でした 鳥海は13番ホームだったっけ?
やたら早い時間の乗車待ちというとこの列車が思い浮かぶ。 >>233
鳥海は13番線で20:51入線→21:14発車でした >>226氏の撮影時期に近い時刻表として
交通公社時刻表 1976年4月号復刻版より
上野駅14/15番線 発着列車一覧(19時以降)
到着 番 発車
入線 線 時刻
1827 14・1910・ 101レ 八甲田
1839着15・ ・ 912M 草津4・あかぎ4
15・1913・2915M あかぎ4・ゆけむり7
1920着14・ ・1020M ひばり10(583系)
1934 14・1944・ 595M (宇都宮行)
1924 15・1950・5013M ゆうづる1
2001着15・ ・ 896M (前橋発)
15・2012・ 597M (黒磯行)
2006着14・ ・8104レ 八甲田52
2029 14・2051・ 603レ 越前
2040 15・2108・6103レ 八甲田54
2102 14・2119・6402レ おが2
2116 15・2200・1001レ あけぼの1
2140着14・ ・ 402D おが1
2159 14・2220・ 5M はくつる
2224 14・2241・ 403レ 津軽2
2244 15・2308・8407レ ざおう54・ばんだい54
2256着14・ ・ 28M はつかり5
2314 15・2332・ 105M いわて3
2338 14・2349・6401M ざおう3・ばんだい5 >>235
226,232ですが貴重な情報ありがとうございます。
50.3ダイヤ改正でゆうづるが5往復→7往復体制となった影響もあり、相当変わっていますね
はくつるもこのホーム発になったのですね 14〜15番線は一番夜行列車を出していたホームですね
すれ違いだけど北斗星5号は開業当初14番線発でした >>229
小学生だった自分には上野駅や大宮駅にいた高校生がとても大人に見えた記憶があります
横で聞こえていたのは今度の休みに周遊券を使って乗りに行くとか撮影の話です
自分も早く中学生になりたくてたまらなかった1977年の春 出発前、開け広げた窓越しに別れを惜しむ光景、そこかしこから聞こえる哀愁漂う会話
今は亡き父や祖父母、当時の彼女や友人達の事が思い起こされ、涙が止まらなくなるよ 当時はフィルムや現像にけっこうなコストがかかるから車輌はガンガン撮っても
こういった無駄撮り的な写真はあまり撮られてないよね
後になってから無駄じゃない事に気づくわけで… (´;ω;`) >>240
フィルム前半や後半のいわゆる捨て切りの部分に、今になって面白い物が写ってたりするんだよなw 昔は記録に残すのってコスト掛かったからな
個人だけじゃなくてテレビ局だってビデオテープ使い回してたし
ラジオ局も録音テープ使い回してた
こんな良い時代が来るとは 今は便利になったよ
動画も画像も消してもう1回撮影できる >>238
高1といっても蓮田や根府川へはせいぜい月1程度しか行けなかったし、夜行列車で遠征な
んて年1回がせいぜいでしたよ(笑
>>239
あの頃は夜のホームを歩いているだけで、そこら中にドラマがある感じでしたね。出会い
と別れ、喜びと哀しみが、、。
拙い一枚が記憶の扉を開けるきっかけになったとすれば、嬉しく思います。
>>240,241
この日のネガを見ると夕方尾久のホームから客車区にいる20系を撮ったもの、
その次が上野駅14,15番線のホーム風景(上に貼った写真)と八甲田の「青森行」のサボを撮ったもの各1枚
次は高架ホームへ移動しEF5861の単機回送とEF571の臨時津軽を各1枚ずつ撮って終わっていました。
SL全廃の翌年で目標を見失い、手近な上野駅周辺に出かけたのでしょう。八甲田で自分が北海道へ旅立ったのは、その後1年もたってからでした。 >>245
高校生まで神奈川県に住んでいたから根府川はよくいったよ。
5月下旬くらいの日曜日は朝4時前に起きて自転車で1時間かけて
根府川〜真鶴の白糸川橋梁や早川寄りの石橋のカーブで
EF58牽引の紀伊いなばやEF65P牽引の出雲や瀬戸を撮影しに
よくいったよ。
蓮田は大学生になってからだけどギリギリ八甲田や津軽がEF58で
撮影する事ができたけどあと2年早く生まれて東京の大学にいってれば
蓮田でいろいろ撮影できたけど・・・贅沢かな。 >>162,183
ちょっと手間取って遅くなったけど、福島〜の45分間分をとりあえずアップしました
このスレだけの限定公開のリンクです
福島からのアップダウンを軽快に走るEF58?の唸りもところどころでうっすら聞こえます
https://youtu.be/UyXXPFuASDo
このところ毎晩これを聞きながら寝るんだけど、寝台乗ってるみたいで良い気分で眠れるw >>249
アップ乙です!
深夜の東北本線をひたすら北へ疾走する八甲田
乗客の多くは眠り、静かになった車内
もの哀しいホイッスルの音が旅愁をかき立てます
懐かしいこの音を聴いているだけで、もう涙目です >>249
うp乙
ホイッスル音とその後にすぐ聞えるエアー音は明らかにED75ですね ☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 >>249
客車の走行音は、43系ではなく10系か12系のように聞こえますね。
先頭車スハフ12だとディーゼルエンジンの音が耳につくはずなので、10系かな? 252ですが、先頭車がオハフ13ならエンジン音は聞こえないですね。すみません。
ネット上で八甲田54号の写真を見てみると、12系が使われていたようです ↑252じゃなくて253でした
何やってんだ俺は、、 >>253
ナハフ11じゃないの?
1976年か1977年夏休みに乗車した八甲田54号だから
まだ新系列客車はまだ八甲田に投入されてないよ。
因みに定期八甲田が旧客から12系に変わったのは
1979年4月から >>257
ウザイなら他所のスレへ行だけばいいだけ
どうしても1970年代から1980年前半の東北線急行夜行列車スレは
EF57やEF58、ED71やED75牽引が中心だから撮影も中心となる
そう思うなら当時の急行八甲田・津軽・十和田で乗り鉄話題をふれば
話の流れが変わると思うよ 12系八甲田54号の先頭に立つEF574(77年に廃車)
http://homepage3.nifty.com/EF57/EF57/EF57r/EF57r.htm
八甲田や津軽、十和田、おがの50番台には、波動輸送用の12系が定期列車に先行して投入されていた
76-77年頃、定期は非冷房で臨時は冷房付きという状況は俺も上野駅でよく見かけた EF57形というと流石に東北線では急行八甲田や津軽では撮影してないけど
水上〜湯檜曽などの上越国境でEF57形補機が牽引する急行などの撮影は多い
スキー時期になると石内銀嶺○○号とか走るので上りの回送とかを鉄橋で
よく撮影した。 上越国境っつぅと、EF16というイメージなんだが、
EF57なんて走ってたん? 走ってた。東海道に58が入って57は上越へ。ツララ切りはその時につけてる
でも>>262が言ってるのはEF16だな 急行八甲田は旧客や12系時代はかなり乗ったけど1986年の改正で14系になってからは数えるほどしか乗っていない
急行津軽も同じで、旧客や12系時代はかなり乗ってるのに14系になってからは5回くらいかな
485系や583系になった津軽は結局1回も乗らなかった もう手遅れだけどもっと乗っておくべきでした × 1986年の改正で14系になってからは
○ 1985年の改正で14系になってからは 14系や20系は窓が開かないのが嫌でねぇ、正直意図的に避けていたよ
はさすがに今では平気だが、ガキの頃は貧乏育ちの悲しさか、窓の開かない高級な車両に耐性が無く、
初めて新幹線に乗車した時は、嬉しさより息苦しさと恐怖からか乗車15分で吐いた
だから当時は12系や50系、急行型電車が大好き(旧客は神)だった、今でも185系とか大好きw 混雑してる時は14系でも仕方がないけどシーズオオンフとか空いてる時なら
旧客や12系のボックス席が最高。友達や彼女(奥方)と2人なら確実にお互いに
足を前の席に投げ出して楽な姿勢でも旅ができるし、場合によっては1人で
ワンボックス占領も可能。 >>269
見ず知らずの人とでも互いに足を延ばし合いしてたことあったよ、俺は。
さらに
583系つがる自由席で、勝手に下段寝台をセット(車掌黙認)して、
見ず知らずのオッサンと俺の2人で添い寝したことだってあるw 「つがる」という名称の列車は特急だぞ
急行の夜行列車は漢字で「津軽」だ 昭和48年頃、阿久悠作詞の「北に消えゆく二人」という歌を最近初めて聴いた。駆け落ちしていく若いカップルを主人公にした歌詞なんだが、乗り込んだ列車は急行八甲田をイメージしていたように思えて仕方ない。
以下、歌詞をワンコーラスだけ↓
19時発の北へ行く汽車
ベルの終わりに飛び乗る二人
互いの膝にカバンを乗せて
硬いシートで身体寄せ合う
幼い恋を責められて
恋を捨てずにみんなを捨てた
どこでどうする
この二人
オリジナルは仲雅美という歌手のシングル盤用に提供された曲で、全然ヒットしなかったと思う。俺が聴いたのはチューインガムという姉妹デュオがカバーしてアルバムに収録したもの。
阿久悠氏が故人となった今では、確かめようもないけど何か気になる、、 いまどきのそういうシーンはほとんどバスに置き換わったな。歌もマンガも。夜行列車なくなったから当然だが。 気象板でも同じことがいえるが、過去を美化しすぎる風潮どうにかならないか。
前にも書いたけど、非喫煙者にとっては昔の夜行列車なんか、座席車を利用する限りは一晩地獄だぞ。 >>275 鉄道に関して過去を美化したがるオタが集まってくる板だから、仕方がない。 気象板で過去を美化ってどういうことだろう
昔は猛暑がなくて過ごしやすかった、とか? >>274
以前はつべに上がっていたけど、削除された
みたい。レコチョクで、さわりだけは聴けま
す。このアルバムの23曲目です
http://recochoku.jp/album/A230207907/
ちなみに2番の歌詞↓
汽車の窓から花火が見える
通り過ぎてく街は祭りか
指をさしたらもう消えている
そして窓にはまた闇ばかり
幼い恋を責められて
恋を捨てずにみんなを捨てた
どこでどうする
この二人 >>275
先に>>267さんとか、俺(>>268)が書いてるだろ。
14系は最悪だけど、旧客や急行型は窓が開くから無問題。 上野を出る時は全開だが郡山あたりから先は、夏の夜風が涼しすぎて窓閉めてたかも 黒磯〜白河間は気温が下がった
福島盆地は暑かったけど県境の
国見峠は涼しかった記憶がある >>283
まだ現役のオハ472266は津軽や十和田の運用に入ってたな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています