【上野】急行八甲田・津軽・十和田 2号車【青森】 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>3
東京経由で名古屋青森を走ったあおもりは団体専用扱いでしょ?
静岡県や神奈川県のミカン農家の出稼ぎ者が帰省などで利用した
らしいけど団臨扱いなので列車名は暫定的な仮称であって正式な列車名はないよ。 >>3
>>4
>>5
どっちにしろ上野発着ではないからスレ違いだな >>3-5
今にして思えば、上野東京ライン経由だったんだよねw 上野発着以外ダメとなると、臨時の品川発東北夜行もダメ? だよな。
鉄ヲタって細かすぎて
深く掘り下げるのに良い場合があれば
逆に弊害になる場合もある >>7
そんな感じだけど昔は現在の上野東京ラインみたいなキツイ勾配はなくて、
横を走る京浜東北線や山の手線と同じ勾配でした。
>>10
大雑把にすると収拾つかなくなるし、細かすぎると語弊が生まれてしまう。
一括りにするとあれだし、線引きするのがむつかしい。 >>8-11
一応、スレを立てたもので......。
まあ、適当に線引きして下され!。
急行「あおもり」は名古屋からだけでなく、大阪から北陸経由もあったしな。
東北奥羽線で青森に発着して、関東方面以南に抜ける急行なら広めにとっても良いように思うけど。
「八甲田」や「十和田」では臨時では昼行もあったから、夜行に限定しなくてもいいと思うが。 >>12
乙
まあこの場は「社交場」的雰囲気で・・・ >>4
交通公社の国鉄監修大型時刻表に記載がなかったし、
指定券も一般的なマルス発売してなかったので
このスレには関連しないと思われます。
このスレは上野発着・青森発着に関連した定期列車、
季節臨や多客臨の急行列車に関する話題がよかろうと?
>>12
急行あおもりは昔は青森発着の定期列車だった時代も
あるので関連するかと思います。 >>12
>急行「あおもり」は名古屋からだけでなく、大阪から北陸経由もあったしな。
さらに、
名古屋から東海道線経由だけでなく、名古屋から米原北陸線経由の臨時もあった希ガス。 12系+旧客のきたぐにも懐しいが旧客時代の急行十和田も懐しい いや、廃止されてからかなり年月が経ってから
臨時でチョットだけ「名古屋〜米原〜日本海縦貫〜青森」の「あおもり」が運行されたことがあった希ガス 急行あおもりは所要約19時間で下りも上りも新潟〜青森は空いていた >>19
20系で絵入りテールマークも用意されたやつ? >>21
それは多客時に運転される季節臨の急行「あおもり」だよ
そもそも臨時寝台特急「日本海51号・54号」の臨時急行格下げです
20系のオハネフ22とカヤ21には絵入テールマークも容易されて
1日だけ付けたヘッドマークもテールマークデザインだった
http://www.cwo.zaq.ne.jp/dd5416/img181.jpg >>16
時刻も編成もどこにも「あおもり」が見当たらないのだが…。
日本海と間違ってない?
それとも俺の目がバルスでめくr >>18
あれだけ多くの夜行列車が発着していた上野駅が今では信じられない
定期列車だってかなりの本数があったのにあと2ヶ月で臨時さえも0になる
越前 鳥海 北陸 能登 733M 天の川 佐渡 妙高 八甲田 津軽 おが あけぼの
はくつる 北星 津軽 出羽 まつしま いわて あづま ばんだい 新星 北星
北斗星 ゆうづる 十和田・・・ その中では北斗星にだけは違和感を覚えてしまうがw
ゆうづるなんか7往復もあったしねぇ。 1987年に国鉄分割民営化、JR発足。
1980年代前半までの国鉄時代に、
名古屋〜米原〜日本海縦貫線〜青森ルートの臨時急行あおもりが、
年末年始とお盆休みに運行されていた。
車両は、末期は、12系客車のみで、無論、座席のみ。
一方、1980年代後半のJR時代に、
特急日本海の臨時列車を急行に格下げして急行あおもりとして運行されていた。
使用車両は20系客車、全車三段B寝台。 >>26
あおもり化の前は20系日本海だったんだっけ?
急行用になった20系は白帯2本にされて、カヤやナハネフ22はアタマが寂しかったな。 >>27
JR以後、80年代後半、
定期運行の24系二段B寝台車と、臨時用の20系三段寝台との格差が酷いことから、
利用促進もあって、特急から急行に格下げ。
日本海→あおもり、のみならず、
あさかぜ、明星、彗星、あかつき、などの
東海道山陽系統の寝台特急の20系使用臨時便の
急行への格下げが実施された。
臨時あさかぜは、確か、急行玄海になった。
バブル崩壊から暫く90年代初頭まで運行されていたようだ。
本来のスレの趣旨に戻って、
当時の上野発着については、
上記の様な20系臨時特急の急行格下げのケースがあったかどうか、記憶がない。
というか、当時より直近の国鉄末期の1982年までに、
20系使用の急行が定期運行されていたから、無いと思うが。
その急行の名前は、新星、天の川。 あけぼのと津軽の補完におがを20系で走らせてた以上そりゃ記憶ないわな >>27
臨時急行あおもりの前身は20系だった臨時寝台特急日本海でした。
国鉄末期の臨時日本海は51号・54号として運転されていました。
急行用になった20系は白帯2本にされて、カヤやナハネフ22の
白線の白ハチマキがなくて不恰好でした。 自由席のある夜行急行があれば、思い立った時にすぐ旅行に出られたよ。
周遊券なら安く行けたし。
新幹線じゃ特急料金がネックだし計画的な旅行しか出来ない気がする。←俺はね。 >>32
下の広告の「Qきっぷ」も、もはや過去のものなんだな >>33
でも>>32当時は、国鉄の値上げが毎年行事だったので、割高感があって気軽さ
はなかった。
この年の10月改正で、特急が増えすぎて翌年に道内の特急自由席が利用可になったな。
それを思うとJR化後のぐるり北海道きっぷや、50歳以上限定の大人の休日パスの方が、
有効期間は短いが良かった。 東京発の20日間有効が冬季学割で2万円ちょっとだったな。 >>37
北海道話題のことだと思うけど
そりゃ時代によって違うだろ
話の流れで昭和55年当時ならノーマル学割で19,200円
冬期割引ならそれの2割引き
冬期と言っても10月1日から5月31日に発売されたものだから結構お得だったよね >>33
何?真夜中に行きたくなるとでも思った?
思い立ったらって別に夜に限らないでしょ?
ましてや夜行乗るのに、周遊券買えない時間帯に駅行く……途中駅の人は行く事も可能だろうけど、
関東エリアから乗るなら夕方前から支度しなきゃならないし。 >>35
俺のすぐ上の人も書いてるが
「すぐ」ってのは
貴方の言ってるような
そういう時刻的な意味じゃないでしょ 18時台や19時台の夜行列車だと事前に用意しておく必要があるけど
21〜22時台の夜行列車なら出発する前に均一周遊券を買った事はある。
例をいえば横浜駅のみどりの窓口で均一周遊券を買ってそのまま
上野駅に直行して21〜22時台の夜行列車に乗ったよ。
でも出発前の時間は有効的に使いたいから事前に購入したのが殆ど。 >>28
上野発着の20系定期急行は、十和田3・4号→津軽→おがもあった。
東北・上越新幹線開業後は、14系が夜行急行に転用されたり、583系が余剰に
なったりしてたので583系が臨時寝台特急はあったが、20系が特急運用はなかった。
根本的には新幹線開業で、上野発着夜行列車が激減したからな。 >>37-38
俺の時は千葉市内からの北海道ワイド学割・冬期で18800円だった。
ちなみに、、、、
旅客営業規則の市内制度(仙台市内とか札幌市内とか東京都区内とか)とは別に
ワイド・ミニに限って「函館市内」「新潟市内」「千葉市内」「高松市内」ってのがあった。 昭和55年3月の冬季割引+学割の都区内発北海度ワイド周遊券が
\23600だから昭和52〜53年・・・44年前だろうねw 18歳なら現在62歳w >>46
23600円って印字だろ?
それ冬期2割引をかける前の定価じゃないの?
冬期2割引は値段が手書き修正だった筈だよ。
>俺の時は千葉市内からの北海道ワイド学割・冬期で18800円だった。
昭和58年の5月30日に買ったよ。
現在はゴジラ松井の背番号と同い年 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています