周囲に何も無かった駅©2ch.net
荒涼たる風景にポツンと佇むプラットホームと待合小屋。
周囲に何も無かったために設置目的が怪しげな駅を懐かしむスレ。 >>31
あの駅、たしかに駅前には何もないが少し離れた所(ホームからは見えている)に集落がある。
このスレで取り上げるのは十里四方見渡しても何の建物も見えない、
それこそ荒野のど真ん中に建ってるボッチ駅のことじゃないの? >>32
その田子倉の発電所からの送電線は東京まで繋がってるんだよな
只見幹線と言って鉄塔500本以上連ねて町田の西東京変電所へやってくる。 >>34
面白そうだから降りて付近を散策したことあるが、
ほんのわずかな集落を抜けると一面田んぼだったな。 名鉄三河線の山線区間の駅跡もとんでもない山奥にある。終点の
西中金駅跡は国道沿いで近所にセブンイレブンがあるが。トヨタ様の
お膝元でよくもまあ、近年まで鉄道が通っていたものだと感心する。 大した事無い(虚構)の大
京成佐倉:古い城下町の中心部
(京成)大佐倉:印旛沼の畔
>>34
マムシ注意。
なんちゅうても佐倉には大蛇町なる字も有るくらいじゃて。 境線大篠津駅
駅のすぐそばを幹線道路が通っているだけで、駅前や駅周辺には人家や商店などはなく、
駅からは米子空港の滑走路と遠くに同空港のターミナルビルが望めた
廃車となったキサシ180やDD51などが大量留置されていたこともあったが、
のちに解体された 東武野田線 七光台
20年前は葦の生い茂る湿地帯で、吊り掛け3000系がのそのそと行き来していた。
終電を寝過ごしてここで降ろされた時は泣きそうだった。 京急の三崎口駅。幼稚園児の頃、油壺の自宅から親に連れられて
当時の終点の三浦海岸駅にバスで向かう途中、谷底で線路敷設工事を
していたことを鮮明に覚えている。思えばその何も無い谷底が現在の
三崎口駅だった。 京急といえばまだ空港内に乗り入れてなかった頃の羽田空港駅。
駅名とは裏腹に空港をはるか遠くに眺めることしかこの駅ではできなかった…。 3年くらい前に直江津駅で降りたが駅前の商店街がシャッター通りと化していて悲しかったな。
そのさらに前に降りた東武の太田駅も同様。
高速インターや幹線道路近くのモールは賑わっているのに駅前は閑散。
地方駅の現実を見た気がした。 >>51
昔は油壺から三浦海岸まで直行便があったんだな。
今の引橋経由のバスと同じルート?
線路建設現場なんか見える区間あったかな。 >>56
直江津は橋上化後に深夜乗継で散策したことあるが
当時はコンビニも全くなくて困った。
「おっきい駅やのにコンビニもないんか…」と。
ガラケーで調べられたけど、今みたいに
「駅名 コンビニ」だけで即地図が表示されなかった頃だし
昔から探索は好きだったので、適当に
それらしい方向へかなり歩いて行ったら
やっとあった。地図見てくれたらわかるけど、
西口?を出て新津方へ川を渡った神社前。
日本海の廃止が噂される頃には、東口から
歩いて近くにコンビニが出来てた。 59をレスしてから地図見てみたら
2軒とも無くなってて驚愕
やっぱ鉄道の要所というだけで
人口は少ないんやな…。
いま駅近くにある1軒、出来たの近年ではと。 直江津なら近くのでかい図書館があるじゃない。
あそこならいくらでも時間が潰せる。 坂町のローソンまだあるかな
たしか7時オープンだった
えちごと米坂線の乗り継ぎ 糸魚川も何もなかったな。
昨年の正月の大糸線から分離直前の北陸線だが。
コンビニないし食堂みたいなのがあってもやってないしだった。
とりあえず飲み物だけ自販機で確保して直江津でほくほく線のはくたかに乗り継ぎする前に
買い出しした(駅弁売りとキヨスクはやっていた)思い出。 初めから読まずにレスします。
カブってたらごめん。
新有馬、菊水山 秘境ブームが来る前に休止してしまった新有馬は確かに知名度を得ることなく
消えてしまった >>67
あの立地では温泉ブームになっても無理だわ >>68
Wikipediaに往時の写真が載っているが、絵に描いたように、「何もない」ね。 >71それ見てきたわ
公衆電話ボックスがあったのか いや、あんな辺鄙な所でも駅が出来たことで利益を得たのが居る筈 阪急千里線吹田
市役所をはじめ建物はびっしりと建て込んでいるが、
なぜかコンビニ、飲食店等の商店が全くなく、
普通の「駅前風景」が微塵も見られない、知られざる秘境駅 都市部でも民家の密集地の真ん中に駅があるのはそんなに珍しくないけどなあ? >>80
確かにコンビニは見あたらないが、駅前のメイシアターという市民ホールの中には
レストランと蕎麦屋があるし、市役所の中にはローソンがある(但し役所の開庁時間と同じなので24時間営業ではない)
そんなに不便ではないぞ 臨時駅を挙げるのは反則かもしれんが越後交通長岡線の寺泊海水浴駅 なるほど、>>1の定義には沿わないが、
改札口を出ると見渡す限り民家ばかりで、商店街も交番もないというのも
「何もない駅」になるのか 「秘境駅」などのタイトルで開設されている個人サイトなどを見ると
このスレの趣旨に合う駅が幾つも紹介されているが
ほとんどが北海道か東北所在なんだよなあ 何もないという意味ではないが、東芝社員以外は何もすることができない
海芝浦は当たり前過ぎてツマランかな
東芝さんも今は大変だから・・・・・・ >>90
開業当初は駅の最寄りに集落があったが、過疎化でなくなってしまった、
というケースが考えられる。 >>92
読んでるよ。
趣旨を分かったうえで敢えて投稿した。
>>93
集落が丸ごと無くなることが実際にあったのかな
有名な北海道の小駅の写真を見ると、
それこそ>>1が書いてるような辺り一面が原っぱで建物一つない光景になってる 盛り土してるだけで、駅名標さえない駅もあったと思う 能勢電鼓滝
1970年頃までは本当に何もなかったようだ 新京成も宅地化が始まるまでは殆ど何もなかったらしいよ それを言ったら東京・大阪近郊の路線は全部当てはまってしまう >>97
大糸線北小谷とか国鉄時代はそんな感じだった >>85
83氏の意図は不明だけど
駅名だけみたらどっちも乳首 中国国鉄広東省湛江西駅。バナナ畑の中に長い単式ホーム一面。
湛江市の外れにあるが、長沙や海口方面の列車が通る。列車の
発車時刻が近づくと何処からともなく人がわらわら集まってきて
結構な賑わいになる。 新神戸も、山の中にあって何もなかった
ホテルが出来たのはポートピアが決まってから 何もないと言っても駅前に売店や食堂の一つや二つはあっただろうし、
地下鉄駅があるじゃないか
このスレでは、荒野のど真ん中にあるような本当に何もなかった駅を扱うことになってるよ。 >>108 駅前に売店も民家も全くないような駅だったら、とっくに廃止されているんでは?
森林鉄道等、産業用鉄道の停留所のようなものは別として。 >>17
遅レスだが勘弁
昨日現地に行ってみたが、すっかり宅地化されて、鄙びた空気は微塵もなかった
近くにあった商店でたずねても、かつてこの辺りを電車が通っていたことを知る世代が減ってしまったという話だった 関西線湊町駅はどうだろう
周りが荒野というわけではないが、これが大阪市内なのかと思わせるくらいに何もなかった >>113
言わんとしてることはわかるけど
>>1の定義には合わない 都市部で駅前に商店の類が全くなくて
いきなり民家が建ち並んでるという風景はそんなに珍しくないんじゃないかな 行ったことあるのは下館
数年前に関鉄のりに行って乗り継ぎ待ちに駅でたらバス路線は全て廃止で駅前の3階建てくらいのスーパーが新しいのに廃墟で怖かった 昭和41年開通したばかりの都営地下鉄6号線を、親父に連れられて乗りとおした。終点は「高島平」ではなく「志村」だった。
これから団地の造成を始めるところで、全く・・・というほど、何も無かった。道路すら。 西武線 西武立川が周囲に何もない駅だったけど、
いつの間にか住宅地になっていて驚いた 小幌駅って上の国道から岩屋観音までの歩道を整備すればもう必要ないよな 前橋駅前の過疎も酷いが日曜夕方の高崎西口の人気のなさにもぞっとした かつての流山線の幸谷(移転前の旧駅)は
70年代初頭まで周囲なにもなく「荒野」といわれたほど(武蔵野線が無かったころは尚更)
馬橋から平行する常磐線が横を通り過ぎるだけだし・・・
幸谷の集落が常磐線を挟んで反対側にあったのが関係している
http://www.geocities.jp/omotetu/omoide2/nagareyama/ryutetsu02.htm
http://www.dagashi.org/local/nagareyama1.html
なぜか住所は?
幸谷駅が新松戸で、新松戸駅は幸谷 >>128 開業時の武蔵野線の駅の多くはそんな感じだな。
新座に東所沢も駅前は畑や空地が広がっていた。飯食うにしても、小さなラーメン屋位しかなかった。 東所沢なんか今でもそんなに変わってない。
沿線には巨大な観音様や血の出る松の木の碑もある。 地方の田舎を除けば、新横浜の何もなさは異常だったろ
昭和50年代まで何もない