周囲に何も無かった駅©2ch.net
荒涼たる風景にポツンと佇むプラットホームと待合小屋。
周囲に何も無かったために設置目的が怪しげな駅を懐かしむスレ。 >>148
駅前の雑居ビルにあった喫茶店でバイトしてたけどな このスレのお題とは逆に、昔色々あったが今は何もないという駅
例えば、わたらせ渓谷鉄道足尾駅。観光施設以外は炭住や商店街の廃墟しかなくなった。 >>153
キリンビール工場があったじゃないか。
移転後の塩尻駅
寂しい所だったな。 泉北高速鉄道の開業時
深井駅周辺は田園地帯、泉北ニュータウンはまだ造成中で、泉ヶ丘まで延伸開業したときも、
同駅付近も造成中で何もなかった 大阪環状線弁天町駅
開業当初は交通科学館、高速道路、地下鉄中央線は未開業
駅周辺は高層マンションもビルもなく、広大な空き地が広がっていて何もなかった。
そのため駅ホームから福島区まで見渡せた >>148
駅の南西にたこ焼スナックがあったわ
他はただの原っぱ >>153
たしかに、工場しか無かった
北口から少し東方向(大阪方面)に歩くと割りと大きめの食堂兼売店みたいな建物があり、
昼時には工場作業員がたむろしていて独特の雰囲気に包まれていた。
建物に足を踏み入れると「何しに来たんや」と言わんばかりの
店番のオバちゃんの鋭い視線にビビりながら
缶ジュースを買ったのを覚えてる。
テンプレ>>1とは違うが、唯一の店がこんな有り様だから
事実上何も用を足せない駅ではあった 近鉄ファミリー公園前駅も、何もなかった
健康ランドができて普通の駅になった 田奈(東急・田園都市線)
唱和末期まで周囲は田んぼしかなくて、駅周辺にはダイクマくらいだけしか
くらい店舗が無かった。 開業当時の国鉄片町線藤阪駅
元枚方市長の山村富造が持っていた田んぼのど真ん中に誘致した政治駅
肝心の藤阪ハイツは1キロ西。過疎集落の旧藤阪村からも離れている
今でも駅前はロードサイドのラーメン屋と老健施設、後からできた高校ぐらいしかない 旧海ノ中道駅、現信号所。
松林の中に池があるだけで民家すらない。
現在も海浜公園があるだけで民家はない。 >>169
国鉄前は閑散としてたのは確かだが一応駅前の表情はそれなりに残ってたよ
何もないわけではない >>172
サラ金が社会問題化するきっかけの一つになった業者が広告出してたっけな
今みたいな立派な建物はないが、そうは言っても何もなくはない >>171
建て替え前の阪急デパートから新大阪駅が見通せたという話
淀川南岸は背丈の低い民家か工場倉庫が密生してたが北岸は何もなかった
ただひとつ新大阪ステーションビルだけがぽつねんと佇んでいたとか。 開業当初の海浜幕張駅。
荒涼とした無人の荒野が広がっていた。 >>177
マジでネットで調べてしまった
紛らわしいこと書くんじゃねえよ笑 小郡は当初から問題があったな
福岡県に同名の市があったから >>182
新山口駅が小郡駅として開業した当時はどちらも小郡村だからなあ >>181
何のお店か覚えてないが「小郡〜広島45分 小郡〜新大阪3時間 小郡〜東京5時間半」の看板があった
何もないことはなくて機関区もあってそれなりに大きい駅 小幌なんかベタなんだろうな
まだ現役だし(´・ω・`) 東山
どうやって板張りホームまで行ったらいいのかと思うた 開通当初の武蔵野線南流山駅。
今ではつくばエキスプレスも通り、隔世の感がある。 >>184
新山口になって、県都山口市に隣接してるってことでステイタスはちょっぴり上がった 座間の入谷でしょ。今は少しは家が増えたようだけど。 平成初頭の秋田駅東口。
連れ込みっぽい旅館やら本屋やらあったからスレチにはなるが、わざわざ東口というより単に駅の裏口だった。
なお現在は。 代官山
メインは八幡通り沿いで駅前にはほとんど住宅しかなく閑静だったが、渋谷寄りにキャッスルマンションが出来た頃から住宅街の裏道にまで店が進出してくるようになった のと鉄道恋路駅
撮影スポット向けの恋路海岸の鐘ぐらいじゃないか? 西御坊も民家と見間違えるような木造建築の中に駅があり、出入り口を一歩踏み出すと生活臭漂う下町のような民家の密集地となる
店と呼べるものは、一切ないし、バスタも客待ちタクシーの姿もない なにもないことは無いのだが賑わいが期待はずれだったのは近鉄吉野、名鉄豊川稲荷、阪急門戸厄神 >>204
今は看板が出てちょっとは駅らしくなったw 山陰本線保津峡駅
駅周辺は山と保津川、道路だけで何もない >>213
橋渡って坂登ったら村の中心地で役場もあるからなあ
あの辺りまでは普通に周囲でしょ 道路挟んで目の前に温泉旅館があった
近年は線路脇にマンション建ってるし ここまで
東北線東白石なし。
農道沿いで近隣には民家すらない。 今は(そこそこ)栄えてるけど昔は何もなかったよねって駅を挙げるスレなので今も何もないのは対象外 山陽新幹線東広島駅
開業直後くらいにあの辺りを通ったが、民家の横の細い路地を抜けたらいきなり駅だった
まだ駅前広場も何も出来てなかった
今も出口のない北側は変わってないが、南側は激変して市街地になった >>217
このスレの最初の方には既に廃線になった北海道の路線とかの話題普通にあるけど >>217
現行駅の過去も廃止駅の過去も
どっちも対象のはずだが。 函館本線じゃなくて近鉄生駒線の東山駅も、
かつては山間の秘境駅っぽい佇まいだったね。
今じゃ以前の雰囲気はまるでないけど。 普通列車でもほとんどが通過してしまう駅はそんなかんじなのかな 菊水山はほぼ無人地帯なのに末期でも乗車人員が一日18人いたというから割と利用されてたね 南極点
遭難したイギリス探検隊4人の遺体がカチカチに凍って転がっているだけだった 神戸電鉄有馬線 新有馬駅
駅は営業休止中で電車は通過していたが、駅周辺は人家も何も無く、山の中の秘境だった >>224
神戸の人々のハイキングコースもあったからそのくらいの利用者はいたと思う。
今でもホームは残っているから、整備して土日のみ停車とか有りかと思う。 六甲ケーブルの清水駅跡とか、
摩耶ケーブルにも三箇所のホーム跡があるね。
神戸の山は廃駅だらけだ。 北陸本線河毛駅
駅がコミュニティハウス併設になる前は何もなく
ホーム有効長が2両分しかない為、坂田駅共々、電化区間なのに気動車しか停まらなかった 菊水山はわりと有名だけど新有馬は新る人ぞ知る感じ
至近に菊水山は山陽新幹線や有料道路、新有馬は阪神高速が通る 一応女満別空港の最寄り駅だが
アクセス交通がない西女満別 近鉄生駒線勢野北口駅は昭和50年頃までは周辺に民家がポツポツある程度だったと、
奈良県の刊行物センターで読んだ >>235
利用客があまりに少ないので通過することもあったと川島令三の本には書かれていた >>204
まだ大分交通から来たキハが元気だった頃に行ったことがある
本当に民家そのものだったw
その道のマニアならカメラに収めたくなる ここまで出雲大社口駅なし
もともと車庫設置の見返りで何もない水田地帯につくられた駅だったが、
いちど実情に全くそぐわない駅名に改称された際は「は?」だった。 周囲に何も無かった駅じゃなくて周囲に何も無い駅だな >>235>>237
付替前の旧東山駅も良い勝負だよ
茸山ってキノコ狩り臨時駅だったくらいの森林の中 >>216
スレ違いだから
そもそもこのスレは今は店や建物などが多くなってるが昔は畑や水田、森林だった駅を挙げるスレ >>243
過去形であることが大事だな
逆に駅すら無くなっちゃったのもありだ 小海線の馬流
まさに民家の軒先
元は私鉄でしたっけ? >>246
小諸駅 - 小海駅間は私鉄の佐久鉄道が開通させたけど、その先は国が開通させたとか。
それにしても久しぶりに行ってみた清里駅周辺の寂れっぷりにはビックリして腰を抜かしてしまった。 橋上駅舎化される前の横浜線中山駅北口が忘れられない
駅前広場が出来たが、長らくそのまま放置されて回り何もなし
今も昼行燈臭がするが、南口が衰退しているのであまり変わりないかも