周囲に何も無かった駅©2ch.net
荒涼たる風景にポツンと佇むプラットホームと待合小屋。
周囲に何も無かったために設置目的が怪しげな駅を懐かしむスレ。 南海北島駅
周りは荒れ地、遥か向こうに紀の川が見える、それだけ。 名鉄谷汲線結城駅
一般には知られてないが廃駅マニアには有名でな過疎駅で、会社が廃止を発表してからは詣でるマニアが引きも切らなかったというw 東京駅
開業当時、日本経済の中心は日本橋〜銀座〜新橋であり、丸の内は原っぱだった
(実際、三菱が原と呼ばれた) >>12
廃止直前の写真を見る機会があったが、社員の詰め所みたいな小屋が一軒。
夜は真っ暗になるので怖かっただろうなw 南海高野線の河内長野以南なんて昭和50年頃までは
どの駅もろくに照明もなくまた民家もなく、灯が落ちれば漆黒の闇で、
遠くに微かに河内長野市街の灯りが見え隠れしてただけ。 なんか昔から路車板にあった秘境駅スレと大差ない気がするが、ここは懐かし板だったね。
秘境駅スレでも何度か取り上げられてた南海の紀伊神谷駅は今も昔も、周りには何も無い。
たぶん今後も永遠にこのままだろうなあと思う。 現役駅は自粛しろよ
鹿島臨海の居切駅は荒れ地の中にあった。
5年も持たず路線もろとも消滅 異議あり
現役駅の昔話がダメと言う理由は何?
懐かし板だから現在進行形のネタが板違いというのは理解するが、
廃止駅だけに限定するのは板の設置趣旨を狭く解釈しすぎでは? 鹿島臨海は全駅が集落から離れていた
なぜならジェット燃料の運搬路線だったから嫌われてあえて集落から遠く離して線路を敷いたのに、
今さら客扱いやれと言われても簡単には頷けなかっただろうな
政治決断ってのはこんなくだらんことなのかな? 北条鉄道播磨横田駅
駅周辺は田畑ばかりで、ホームからは遠くに農村が望めるだけ >>26
廃駅でいうなら、米坂線の花立とかも、そんな感じでしたかね。 岳南江尾は周りは田んぼだったな
北海道に飛ぶが千歳線の恵み野は開業時イトーヨーカ堂しか無かったな
閉店候補に入ってる? 名鉄八百津線はどの駅も何もなかったと思う
手元に兼山口駅の写真が残ってるが(昭和60年頃)、
よくもまあこんな人里離れた場所に駅を造ろうとしたなあ、と思った。
その後町興しとやらで森蘭丸の故郷をPRし始めて多少は雰囲気が変わった 只見線の田子倉駅。地下鉄の駅のような近代的な作りだが階段を
昇って駅前に出ても道路があるだけ。浅草岳の登山口最寄だが
列車で来る者はいなかっただろう。車で訪問したのだが只見線に
並行する道路を会津から越後に抜けようとしたら、6月なのに
積雪で通行止め(雪崩のおそれあり)で来た道を引き返すしかなかった。 >>31
あの駅、たしかに駅前には何もないが少し離れた所(ホームからは見えている)に集落がある。
このスレで取り上げるのは十里四方見渡しても何の建物も見えない、
それこそ荒野のど真ん中に建ってるボッチ駅のことじゃないの? >>32
その田子倉の発電所からの送電線は東京まで繋がってるんだよな
只見幹線と言って鉄塔500本以上連ねて町田の西東京変電所へやってくる。 >>34
面白そうだから降りて付近を散策したことあるが、
ほんのわずかな集落を抜けると一面田んぼだったな。 名鉄三河線の山線区間の駅跡もとんでもない山奥にある。終点の
西中金駅跡は国道沿いで近所にセブンイレブンがあるが。トヨタ様の
お膝元でよくもまあ、近年まで鉄道が通っていたものだと感心する。 大した事無い(虚構)の大
京成佐倉:古い城下町の中心部
(京成)大佐倉:印旛沼の畔
>>34
マムシ注意。
なんちゅうても佐倉には大蛇町なる字も有るくらいじゃて。 境線大篠津駅
駅のすぐそばを幹線道路が通っているだけで、駅前や駅周辺には人家や商店などはなく、
駅からは米子空港の滑走路と遠くに同空港のターミナルビルが望めた
廃車となったキサシ180やDD51などが大量留置されていたこともあったが、
のちに解体された 東武野田線 七光台
20年前は葦の生い茂る湿地帯で、吊り掛け3000系がのそのそと行き来していた。
終電を寝過ごしてここで降ろされた時は泣きそうだった。 京急の三崎口駅。幼稚園児の頃、油壺の自宅から親に連れられて
当時の終点の三浦海岸駅にバスで向かう途中、谷底で線路敷設工事を
していたことを鮮明に覚えている。思えばその何も無い谷底が現在の
三崎口駅だった。 京急といえばまだ空港内に乗り入れてなかった頃の羽田空港駅。
駅名とは裏腹に空港をはるか遠くに眺めることしかこの駅ではできなかった…。 3年くらい前に直江津駅で降りたが駅前の商店街がシャッター通りと化していて悲しかったな。
そのさらに前に降りた東武の太田駅も同様。
高速インターや幹線道路近くのモールは賑わっているのに駅前は閑散。
地方駅の現実を見た気がした。 >>51
昔は油壺から三浦海岸まで直行便があったんだな。
今の引橋経由のバスと同じルート?
線路建設現場なんか見える区間あったかな。 >>56
直江津は橋上化後に深夜乗継で散策したことあるが
当時はコンビニも全くなくて困った。
「おっきい駅やのにコンビニもないんか…」と。
ガラケーで調べられたけど、今みたいに
「駅名 コンビニ」だけで即地図が表示されなかった頃だし
昔から探索は好きだったので、適当に
それらしい方向へかなり歩いて行ったら
やっとあった。地図見てくれたらわかるけど、
西口?を出て新津方へ川を渡った神社前。
日本海の廃止が噂される頃には、東口から
歩いて近くにコンビニが出来てた。 59をレスしてから地図見てみたら
2軒とも無くなってて驚愕
やっぱ鉄道の要所というだけで
人口は少ないんやな…。
いま駅近くにある1軒、出来たの近年ではと。 直江津なら近くのでかい図書館があるじゃない。
あそこならいくらでも時間が潰せる。 坂町のローソンまだあるかな
たしか7時オープンだった
えちごと米坂線の乗り継ぎ 糸魚川も何もなかったな。
昨年の正月の大糸線から分離直前の北陸線だが。
コンビニないし食堂みたいなのがあってもやってないしだった。
とりあえず飲み物だけ自販機で確保して直江津でほくほく線のはくたかに乗り継ぎする前に
買い出しした(駅弁売りとキヨスクはやっていた)思い出。 初めから読まずにレスします。
カブってたらごめん。
新有馬、菊水山 秘境ブームが来る前に休止してしまった新有馬は確かに知名度を得ることなく
消えてしまった >>67
あの立地では温泉ブームになっても無理だわ >>68
Wikipediaに往時の写真が載っているが、絵に描いたように、「何もない」ね。 >71それ見てきたわ
公衆電話ボックスがあったのか いや、あんな辺鄙な所でも駅が出来たことで利益を得たのが居る筈 阪急千里線吹田
市役所をはじめ建物はびっしりと建て込んでいるが、
なぜかコンビニ、飲食店等の商店が全くなく、
普通の「駅前風景」が微塵も見られない、知られざる秘境駅 都市部でも民家の密集地の真ん中に駅があるのはそんなに珍しくないけどなあ? >>80
確かにコンビニは見あたらないが、駅前のメイシアターという市民ホールの中には
レストランと蕎麦屋があるし、市役所の中にはローソンがある(但し役所の開庁時間と同じなので24時間営業ではない)
そんなに不便ではないぞ 臨時駅を挙げるのは反則かもしれんが越後交通長岡線の寺泊海水浴駅 なるほど、>>1の定義には沿わないが、
改札口を出ると見渡す限り民家ばかりで、商店街も交番もないというのも
「何もない駅」になるのか 「秘境駅」などのタイトルで開設されている個人サイトなどを見ると
このスレの趣旨に合う駅が幾つも紹介されているが
ほとんどが北海道か東北所在なんだよなあ 何もないという意味ではないが、東芝社員以外は何もすることができない
海芝浦は当たり前過ぎてツマランかな
東芝さんも今は大変だから・・・・・・ >>90
開業当初は駅の最寄りに集落があったが、過疎化でなくなってしまった、
というケースが考えられる。 >>92
読んでるよ。
趣旨を分かったうえで敢えて投稿した。
>>93
集落が丸ごと無くなることが実際にあったのかな
有名な北海道の小駅の写真を見ると、
それこそ>>1が書いてるような辺り一面が原っぱで建物一つない光景になってる 盛り土してるだけで、駅名標さえない駅もあったと思う 能勢電鼓滝
1970年頃までは本当に何もなかったようだ 新京成も宅地化が始まるまでは殆ど何もなかったらしいよ それを言ったら東京・大阪近郊の路線は全部当てはまってしまう >>97
大糸線北小谷とか国鉄時代はそんな感じだった >>85
83氏の意図は不明だけど
駅名だけみたらどっちも乳首 中国国鉄広東省湛江西駅。バナナ畑の中に長い単式ホーム一面。
湛江市の外れにあるが、長沙や海口方面の列車が通る。列車の
発車時刻が近づくと何処からともなく人がわらわら集まってきて
結構な賑わいになる。 新神戸も、山の中にあって何もなかった
ホテルが出来たのはポートピアが決まってから 何もないと言っても駅前に売店や食堂の一つや二つはあっただろうし、
地下鉄駅があるじゃないか
このスレでは、荒野のど真ん中にあるような本当に何もなかった駅を扱うことになってるよ。 >>108 駅前に売店も民家も全くないような駅だったら、とっくに廃止されているんでは?
森林鉄道等、産業用鉄道の停留所のようなものは別として。 >>17
遅レスだが勘弁
昨日現地に行ってみたが、すっかり宅地化されて、鄙びた空気は微塵もなかった
近くにあった商店でたずねても、かつてこの辺りを電車が通っていたことを知る世代が減ってしまったという話だった 関西線湊町駅はどうだろう
周りが荒野というわけではないが、これが大阪市内なのかと思わせるくらいに何もなかった >>113
言わんとしてることはわかるけど
>>1の定義には合わない 都市部で駅前に商店の類が全くなくて
いきなり民家が建ち並んでるという風景はそんなに珍しくないんじゃないかな 行ったことあるのは下館
数年前に関鉄のりに行って乗り継ぎ待ちに駅でたらバス路線は全て廃止で駅前の3階建てくらいのスーパーが新しいのに廃墟で怖かった 昭和41年開通したばかりの都営地下鉄6号線を、親父に連れられて乗りとおした。終点は「高島平」ではなく「志村」だった。
これから団地の造成を始めるところで、全く・・・というほど、何も無かった。道路すら。 西武線 西武立川が周囲に何もない駅だったけど、
いつの間にか住宅地になっていて驚いた 小幌駅って上の国道から岩屋観音までの歩道を整備すればもう必要ないよな 前橋駅前の過疎も酷いが日曜夕方の高崎西口の人気のなさにもぞっとした かつての流山線の幸谷(移転前の旧駅)は
70年代初頭まで周囲なにもなく「荒野」といわれたほど(武蔵野線が無かったころは尚更)
馬橋から平行する常磐線が横を通り過ぎるだけだし・・・
幸谷の集落が常磐線を挟んで反対側にあったのが関係している
http://www.geocities.jp/omotetu/omoide2/nagareyama/ryutetsu02.htm
http://www.dagashi.org/local/nagareyama1.html
なぜか住所は?
幸谷駅が新松戸で、新松戸駅は幸谷 >>128 開業時の武蔵野線の駅の多くはそんな感じだな。
新座に東所沢も駅前は畑や空地が広がっていた。飯食うにしても、小さなラーメン屋位しかなかった。 東所沢なんか今でもそんなに変わってない。
沿線には巨大な観音様や血の出る松の木の碑もある。 地方の田舎を除けば、新横浜の何もなさは異常だったろ
昭和50年代まで何もない >>132
横浜線の小駅としてみればあんなもん
新幹線も昔はこだま駅で利便性低かったし >>132
横浜市内の場合、横浜線だけでなく東急田園都市線の駅の周辺も開通した頃は何もなかったからね。 碓氷川乗附駅
駅前は国道18号線,ホーム反対側は土手とその向こうに河川敷が広がるばかり 初代千歳空港駅。飛行機から降りてホームに降りたら反対側は薄ら寒い林が広がって怖かった。
当時は開発されてなかったし。 北大阪急行(大阪市交)江坂駅
万博開業時は田んぼの中の高架駅
駅近のビルはサニーストンホテルだけ。
内環状高川の土手から電車丸見えだった。 いずみ野線全部。南万騎が原は現役
そういえば、上永谷も何も無かった。舞岡は現役。 鶴見線もある意味、国道駅以外
何にもない。ただし、ぬこはいる。 近鉄東大阪線吉田。
開業時は廻りは荒れ地ばかり
倉庫や工場が建ち始めて平日の操業日は幾分賑わうようになったが土日はゴーストタウン
これは今も変わらない 開業直後の北総線(北総開発鉄道)小室も何にもなかった。
新京成から乗り入れの200形が吊り掛け音ぶっ放して爆走してた頃。 >>148
駅前の雑居ビルにあった喫茶店でバイトしてたけどな このスレのお題とは逆に、昔色々あったが今は何もないという駅
例えば、わたらせ渓谷鉄道足尾駅。観光施設以外は炭住や商店街の廃墟しかなくなった。 >>153
キリンビール工場があったじゃないか。
移転後の塩尻駅
寂しい所だったな。 泉北高速鉄道の開業時
深井駅周辺は田園地帯、泉北ニュータウンはまだ造成中で、泉ヶ丘まで延伸開業したときも、
同駅付近も造成中で何もなかった 大阪環状線弁天町駅
開業当初は交通科学館、高速道路、地下鉄中央線は未開業
駅周辺は高層マンションもビルもなく、広大な空き地が広がっていて何もなかった。
そのため駅ホームから福島区まで見渡せた >>148
駅の南西にたこ焼スナックがあったわ
他はただの原っぱ >>153
たしかに、工場しか無かった
北口から少し東方向(大阪方面)に歩くと割りと大きめの食堂兼売店みたいな建物があり、
昼時には工場作業員がたむろしていて独特の雰囲気に包まれていた。
建物に足を踏み入れると「何しに来たんや」と言わんばかりの
店番のオバちゃんの鋭い視線にビビりながら
缶ジュースを買ったのを覚えてる。
テンプレ>>1とは違うが、唯一の店がこんな有り様だから
事実上何も用を足せない駅ではあった 近鉄ファミリー公園前駅も、何もなかった
健康ランドができて普通の駅になった 田奈(東急・田園都市線)
唱和末期まで周囲は田んぼしかなくて、駅周辺にはダイクマくらいだけしか
くらい店舗が無かった。 開業当時の国鉄片町線藤阪駅
元枚方市長の山村富造が持っていた田んぼのど真ん中に誘致した政治駅
肝心の藤阪ハイツは1キロ西。過疎集落の旧藤阪村からも離れている
今でも駅前はロードサイドのラーメン屋と老健施設、後からできた高校ぐらいしかない 旧海ノ中道駅、現信号所。
松林の中に池があるだけで民家すらない。
現在も海浜公園があるだけで民家はない。 >>169
国鉄前は閑散としてたのは確かだが一応駅前の表情はそれなりに残ってたよ
何もないわけではない >>172
サラ金が社会問題化するきっかけの一つになった業者が広告出してたっけな
今みたいな立派な建物はないが、そうは言っても何もなくはない >>171
建て替え前の阪急デパートから新大阪駅が見通せたという話
淀川南岸は背丈の低い民家か工場倉庫が密生してたが北岸は何もなかった
ただひとつ新大阪ステーションビルだけがぽつねんと佇んでいたとか。 開業当初の海浜幕張駅。
荒涼とした無人の荒野が広がっていた。 >>177
マジでネットで調べてしまった
紛らわしいこと書くんじゃねえよ笑 小郡は当初から問題があったな
福岡県に同名の市があったから >>182
新山口駅が小郡駅として開業した当時はどちらも小郡村だからなあ >>181
何のお店か覚えてないが「小郡〜広島45分 小郡〜新大阪3時間 小郡〜東京5時間半」の看板があった
何もないことはなくて機関区もあってそれなりに大きい駅 小幌なんかベタなんだろうな
まだ現役だし(´・ω・`) 東山
どうやって板張りホームまで行ったらいいのかと思うた 開通当初の武蔵野線南流山駅。
今ではつくばエキスプレスも通り、隔世の感がある。 >>184
新山口になって、県都山口市に隣接してるってことでステイタスはちょっぴり上がった 座間の入谷でしょ。今は少しは家が増えたようだけど。 平成初頭の秋田駅東口。
連れ込みっぽい旅館やら本屋やらあったからスレチにはなるが、わざわざ東口というより単に駅の裏口だった。
なお現在は。 代官山
メインは八幡通り沿いで駅前にはほとんど住宅しかなく閑静だったが、渋谷寄りにキャッスルマンションが出来た頃から住宅街の裏道にまで店が進出してくるようになった のと鉄道恋路駅
撮影スポット向けの恋路海岸の鐘ぐらいじゃないか? 西御坊も民家と見間違えるような木造建築の中に駅があり、出入り口を一歩踏み出すと生活臭漂う下町のような民家の密集地となる
店と呼べるものは、一切ないし、バスタも客待ちタクシーの姿もない なにもないことは無いのだが賑わいが期待はずれだったのは近鉄吉野、名鉄豊川稲荷、阪急門戸厄神 >>204
今は看板が出てちょっとは駅らしくなったw 山陰本線保津峡駅
駅周辺は山と保津川、道路だけで何もない >>213
橋渡って坂登ったら村の中心地で役場もあるからなあ
あの辺りまでは普通に周囲でしょ 道路挟んで目の前に温泉旅館があった
近年は線路脇にマンション建ってるし ここまで
東北線東白石なし。
農道沿いで近隣には民家すらない。 今は(そこそこ)栄えてるけど昔は何もなかったよねって駅を挙げるスレなので今も何もないのは対象外 山陽新幹線東広島駅
開業直後くらいにあの辺りを通ったが、民家の横の細い路地を抜けたらいきなり駅だった
まだ駅前広場も何も出来てなかった
今も出口のない北側は変わってないが、南側は激変して市街地になった >>217
このスレの最初の方には既に廃線になった北海道の路線とかの話題普通にあるけど >>217
現行駅の過去も廃止駅の過去も
どっちも対象のはずだが。 函館本線じゃなくて近鉄生駒線の東山駅も、
かつては山間の秘境駅っぽい佇まいだったね。
今じゃ以前の雰囲気はまるでないけど。 普通列車でもほとんどが通過してしまう駅はそんなかんじなのかな 菊水山はほぼ無人地帯なのに末期でも乗車人員が一日18人いたというから割と利用されてたね 南極点
遭難したイギリス探検隊4人の遺体がカチカチに凍って転がっているだけだった 神戸電鉄有馬線 新有馬駅
駅は営業休止中で電車は通過していたが、駅周辺は人家も何も無く、山の中の秘境だった >>224
神戸の人々のハイキングコースもあったからそのくらいの利用者はいたと思う。
今でもホームは残っているから、整備して土日のみ停車とか有りかと思う。 六甲ケーブルの清水駅跡とか、
摩耶ケーブルにも三箇所のホーム跡があるね。
神戸の山は廃駅だらけだ。 北陸本線河毛駅
駅がコミュニティハウス併設になる前は何もなく
ホーム有効長が2両分しかない為、坂田駅共々、電化区間なのに気動車しか停まらなかった 菊水山はわりと有名だけど新有馬は新る人ぞ知る感じ
至近に菊水山は山陽新幹線や有料道路、新有馬は阪神高速が通る 一応女満別空港の最寄り駅だが
アクセス交通がない西女満別 近鉄生駒線勢野北口駅は昭和50年頃までは周辺に民家がポツポツある程度だったと、
奈良県の刊行物センターで読んだ >>235
利用客があまりに少ないので通過することもあったと川島令三の本には書かれていた >>204
まだ大分交通から来たキハが元気だった頃に行ったことがある
本当に民家そのものだったw
その道のマニアならカメラに収めたくなる ここまで出雲大社口駅なし
もともと車庫設置の見返りで何もない水田地帯につくられた駅だったが、
いちど実情に全くそぐわない駅名に改称された際は「は?」だった。 周囲に何も無かった駅じゃなくて周囲に何も無い駅だな >>235>>237
付替前の旧東山駅も良い勝負だよ
茸山ってキノコ狩り臨時駅だったくらいの森林の中 >>216
スレ違いだから
そもそもこのスレは今は店や建物などが多くなってるが昔は畑や水田、森林だった駅を挙げるスレ >>243
過去形であることが大事だな
逆に駅すら無くなっちゃったのもありだ 小海線の馬流
まさに民家の軒先
元は私鉄でしたっけ? >>246
小諸駅 - 小海駅間は私鉄の佐久鉄道が開通させたけど、その先は国が開通させたとか。
それにしても久しぶりに行ってみた清里駅周辺の寂れっぷりにはビックリして腰を抜かしてしまった。 橋上駅舎化される前の横浜線中山駅北口が忘れられない
駅前広場が出来たが、長らくそのまま放置されて回り何もなし
今も昼行燈臭がするが、南口が衰退しているのであまり変わりないかも 指宿枕崎線西大山は踏切と道路以外遠くに開聞岳が見える他は一面の芋畑。