追憶の羽後交通©2ch.net
湘南型&荷台付き気動車、ポール集電&ヘソライトの電車、除雪用ラッセル車、など
一癖も二癖もある車両群ゆえにファンの多かった秋田県の中小私鉄、羽後交通。 RMLIBRARYの作者のツィツターから政治に興味ありとみた 連投
荷台付きDCより古典客車に見るべきものがあったとおもう。 それはキミが旧客ヲタだから。
鉄チャンの趣味嗜好はそれぞれ違いがあって、
あまり決め付けた物の言い方(ネットだから書き方、か)はしない方が良いね。 路面電車タイプの貧相な電動車で省型木造客車や貨車を複数牽いていたのがスゴイ!
平坦路線とはいえ表定速度幾つかね?
最高でも精々40km/hくらいのような・・・ モハ1両で大体6〜7両の客車(いわゆるマッチ箱)と
貨車を牽いていたらしい。 開業以来ずっと赤字続きでいつ破綻してもおかしくないような経営状態だったのに
モータリゼーションの進展が始まってもなお持ち堪えていた。
あと数年持っていればオイルショックで鉄道輸送の見直し機運が盛り上がり、
挽回のチャンスが有ったかもしれない。
惜しい。 >>挽回のチャンスが有ったかもしれない
野上電鉄パターンか。
フリークエンシーサービスの一環とかで
便数を倍にしたって乗客は倍になるとは限らん ここの事情はよく知らんが、住民運動があったりしたの?
野上は住民が地元市町議会を動かした。 >>9 Year-無理でしょ。残念ながら・・・車両構成にスゴイ味のある路線なんだけどね。
平坦路線だし、頚城みたいに豪雪地帯とか走っていた訳じゃないし・・・
速度も遅いし・・・
デアゴの昭和鉄道模型?連載本?に当時 働いていたヒトの懐古記述が出ていて嬉しかった(マダ ご健在で) 羽後交通は残念ながら間に合わなかったが
好きな鉄道だった。
湘南顔なのに荷台付き、エンジにクリームの塗装も好み。
一度撮影したかったな。 >>2は何も分かってない。
その話するなら荷台付よりも木造丸窓を先に出すのがスジ。 >>2>>4 >>5 >>15
まあまあ、仲良くしましょうよ。
模型ファンではない鉄チャンからすると、
どちらも同じくらいだと思いますよ。 >>11
ない。
野上電鉄の場合も、住民総出ではなくて、一部だけが動いた。
(だからといって住民総意でないから無意味などと言うつもりは毛頭無い) >>14
廃線まで存命していたが、晩年は稼働してなかったから
注目度も下がってしまったのかもしれない
キハ3は主力なので、知名度の差は如何ともし難い ハンドルみたいなのをギリギリ回してブレーキにしていたというから、空制はなかったのね 西馬音内以遠は昔から空気輸送と言われてたのに、
60年代後半まで存続できたのはやはり不思議 当時の道路事情を考えてみなさいよ
小学生でも分かる 存続するか否かは営業収支よりも固定経費、つまり施設の維持管理の方が大きい要素になってるんじゃないの
大正〜昭和初期にかけて開業した線区の施設設備がそろそろガタが来始めたのが60年代後半くらいで
その時に必要な費用を試算して、調達できないと判断したから廃止になると。
もちろん空気輸送を続けてると赤字が嵩むだけで良い事ではないが、人件費削減などの方法で
なんとか躱すことができるのでは… 九十年代に、大曲〜本荘を車で通勤してました。
もし横荘線が予定通り(横手〜前郷〜本荘)が全通してたら、
俺が走っていた旧・大内町を通っていたと思うが、
乗る人まるで居なさそうな地区だな… >>23
黎明期の日本国内の各地の4輪単車電車涙目 キハ04の似合うレイアウトを造る連載模型本 「少年時代?」だっけ・・・「昭和の鉄道模型」続編の方?
アレの冊子のほうに当時 羽後交通横荘線で働いていたヒト(整備士?)のハナシが出ていて驚い!たし
(失礼ながら 湯口さんのハナシではないが、
もう他界されたり、記憶を懐古できるような健康状態ではないヒトばかりカト・・・)
何時までもご健在でいて欲しい!
廃止された他社線の関係者の証言も聞き出せるモノについては、地元鉄の使命かと・・・
>>29 当時の羽後交通の鉄道関係者には、創業期の電車で相当愛着があったのだろうな。
・・・それと、雄勝線の内燃化移行時に電気運転時代の電車をスグ解体せず 西馬音内の側線にズラリと並べて保管していたりとか
モノを大事にする習慣が、(失礼ながら東北は昔は、物資調達で苦労したから)強いんだろうな。
創業期の木造単車ならお隣 山形交通三山線の101,102も現役引退後もスグ処分されず入れ替えとかで温存していたのでは? 解体するにも費用がかかるから着手できなかっただけじゃないの
次に繋がる投資ではないから会社としては後回しにしたくなる懸案になると思う それにしても東北の寒村を走る小私鉄が何ゆえ湘南型&荷台付というカオスな外観のディーゼルカーを
新規調達しようとしたのか… カオスじゃないよ!
実に味のある顔じゃないか?
戦前の日車製ガソリンカーを近代化した様な好感持てる顔だと思う。
廃止後 関東鉄道や茨交が買わなかったのは、荷台がネックだったとしても
岩手開発や南部縦貫など当時生き残っていた小規模非電化私鉄が買わなかったのは、タイミングもあるけど残念。 荷台付きは手荷物輸送に便利なように見えて
現場では不評だったってよ テロ東でバス旅
ふぐすま→本荘だって
この時期相当過酷な気が… >>13
俺も全く同感!
塗装も好き、湘南顔に荷台付きも好き(多分、他に例がない)
あと5年早く生まれていれば… すいません
余目で断念となり、本荘まで来れませんでした
関係者の皆様お疲れ様でした 羽後交通が走ってます
1200円くらいで1時間少し
昔乗りました >>40
ありがとう
横荘線とは異なるルートみたいだね
二井山経由してないみたいだし >>37
雄物川橋梁が無事だったら雄勝線共々
昭和末くらいまで残ったかも >>43
残ってない
当時私鉄の赤字は全額国庫から補助されていたが
自動車中心の交通政策に転換して補助を打ち切ることが決まり
代わりにバス転換への補助が出るようになったので
黒字のうちにバス転換したのだ
止むに止まれぬ選択じゃなく政策的に誘導されたから
何にしろバスになっていた
逆に言うと政策次第では残っていたわけだが なるほどねえ
政策的に誘導された一面もあったわけだ…… 雄勝線は最初から電化線だろ。
か弱い私鉄線では蒸気鉄道との経済性の比較は正直、微妙であったらしい。
電線一本引いて小さな電車を走らせたほうが、動力代は走った分だけだし、軌道破壊は少ないし、維持費を見ると断然お得であった。
貨車が一度に大量に出るとか、そういう場面が予想されると蒸気鉄道のほうが有利になってくる。 西馬音内駅跡地に鉄道記念碑があると聞いて東北旅行の道すがら寄ってみたら
ただの立木だった
まだネットが普及してなかった時代、前もってリサーチすることができず行ってみてガッカリという経験が多かった 保存されているデハ3と崩壊したユキ3を見てくるんだ >>49
そのガッカリ感痛いほど良く分かるw
ただ東北地方はまだモニュメント系は多かった方だと思う
地域で保存しようという意気込みも感じられた 去年みたいに地震台風大雨洪水など自然災害があちこちで多発してるようでは
遺跡の維持も望み薄だな これだけデジタル化が進んだのだから
人手のかかる維持は止めて、画像・映像に保存して
労務の効率化と保存スペースの縮減を量るべき >>6 >>7
その客車の中に、21世紀の今なお明治村で現役のハフ11・13・14も居たんだよねぇ。
もっとも雄勝線で現役だった1970年頃には既に名鉄と譲渡話がまとまっていたとか。 要らないところまで買う必要はない。
まぁ政治力不足もあるんだろうね。
買わせる力がなかった。 西大寺鉄道も宮崎交通も江若鉄道も北丹鉄道も、
地元の熱望には応えずに買収されなかった
(旧路盤を土地として買うことは認めてくれた) 会社を丸ごと買うってことはヒトも引き取るわけで、
高い買い物になるのは間違いない
いくら親方日の丸でも、そこらへんはシビアに判断しただろう 親方日の丸なんて意識されたのは
それよりずっとあとのこと 篤志家がいるかいないかの差
目立ちたがりでもいい
ほとんど儲からない鉄道を通してくれた結果地元に恩恵をもたらしてくれた功績は、とてつもなく大きい 借金のかたに先祖代来の田畑をも取られて
何一つ手元に残らなかったという話も聞く あぐりこ駅に降り立って見たかった
吉川さんの写真集に集録されている藁葺き屋根の駅舎を見て往時を想像するしかない 駅名だけでもインパクトあるのにあの佇まいだからな
惜しい 白土貞夫さんのは読んだことがある
雄勝線の丸窓単車や横荘線名物キハ2が収録 規模の割に名車珍車の多いイメージ
もっとファンが多くても良い >>75>>76
読んでいて思ったのは、
現地で必ず目的の車両をカメラに収められる行動力・計画性が羨ましかった
何度も行ける場所ではないからワンチャンに懸ける執念みたいなものがあったみたい グリコからカプリコというお菓子が発売されたとき
真っ先にあぐりこが思い出された >>78
地元の人は鉄に関心無いから戸袋が丸かろうが正面に荷台があろうが
どうでも良かったんだろうな 非鉄は荷台には興味惹かれるかも知れない
戸袋窓は…無いだろうなあ ググるとダルマにされたキハ2がヒットする
1988年に解体された、とある。
弟の3は行方不明らしい。
貴重な戦後製のDCだが、買い取り先がなかったとは残念。 他社で再び活躍すること無く生涯を終えたのか
寂しいわ
合掌 戦後製のDCが貴重とは?
この時期(1950年代)に私鉄が発注したDCが珍しいというなら分かるが。 会社がマイナーすぎると保有車両も知られないままに終わるな 東北の地方私鉄はどこも個性豊かで好きです
特に電化路線はイイ! 戦時下で、県内の私鉄をひとまとめにする計画はなかったのかな
要は秋田中央交通とくっつかなかったのは地理的な問題? 湯沢市民有志が運営しているfacebookに雄勝線最終日の映像が出ているが
画質が良く当日の雰囲気が伝わる貴重な資料 >>92
交通事業者の消長は鉄道ではなくバスを基本に考えるとわかりやすいですよ デハ5は野ざらしじゃなくて、せめて屋根付きで
保管してほしかった 後先考えずに引き取り表明
↓
保存のノウハウなしのため荒廃する一方
↓
いよいよ放置できなくなり修理
↓
「こんなガラクタなどに税金は使えん!」と修理代の予算付けられず
↓
ジ・エンド >>後先考えずに引き取り
これは全国各地でよく聞くハナシ まあ全国津々浦々まで車両の保存方法が知れ渡ってたわけじゃねーならな
もちろん今もだけどよ 屋外を走ってた車両だから
屋外で保存できると考えてもおかしくはないな 有名なヘソライトポール付電車や荷台付ディーゼル車もいずれは置き換えられ、そのあとは平凡なそこらヘんの田舎私鉄になっちゃうから廃止を免れても人気は落ちてたでしょうな >>99
ダルマがブルマに見えた
疲れてるのかな? >>106
芸能人じゃないんだから…
テツの道は、人気をアテにしてでは成立たないよ そう人気
にんきじゃなくひとけな
人が乗らなきゃ道は成り立たぬ >>106
それはそうなんだが少しでも生き延びて欲しかった
令和の世にもポール集電やミキストみたいな、昭和ノスタルジーを味わいたいのよ 羽後交通に鉄道むすめがあったら
「湯沢あぐりこ」ちゃん、防災頭巾みたいなの被って長靴姿の雪ん子スタイル 雄勝線ってユウショウセンと読んでた。
字ヅラが北海道っぽいし、仮に北海道ならそう読みそうで。
実際はオガチだった
すげえトウホグみがある読み方 電化するほどの輸送量が見込めたのかしら
というか秋田や山形は何気に小規模電化私鉄が多い 降雪量降水量が多く発電資源に事欠かないから
福井石川富山も同じ