懐かしの国鉄和歌山線
和歌山駅と王寺駅(奈良県)とを結ぶ長大なローカル線の
懐かしい時代を語り合いましょう。 >>253
>>252は駅前風情の事を言ってるのになんで駅構造の話にすり替わるんだろ 阪和電鉄(現在の阪和線)がターミナルを東和歌山(現在の和歌山・和駅)に置いた事
この事がその後の和歌山市中心部の鉄道事情にかなり影響を及ぼしたと思う
もし阪和電鉄が紀和(旧和歌山)か和歌山市駅にターミナルを置いていたなら
紀和や市駅周辺は現状ほど寂れてはいないだろう 南紀の観光資源考えたら紀和や市駅とかより和歌山(東和歌山)に路線伸ばすだろ 市駅にまだ勢いのあった頃でも
駅から少し歩けばたちまち人通りが少なくて活気に乏しかった記憶
平成二年頃です >>255
ライバル側へ擦り寄るはずがねえじゃん。 >>26>>35
一昨年にバリアフリー化で改築して
田舎駅の雰囲気は薄らいでしまった
でも利用客が便利になるなら、それでいい >>257
国鉄は紀勢西線の終点を旧和歌山とか市駅にするつもりはなかったんだろうか まだしも吉野口は蒸機時代の雰囲気を感じられるね。
木製上屋や方面案内の琺瑯、近鉄用を含めてホーム数も多い
中核駅の面影が残ってるように感じる
「五條・橋本・和歌山方面」という文字数の多い青ホーが秀逸 >>262 紀勢西線の終起点は旧和歌山(紀和)
この紀和にも南海バス時代の昭和49年頃までバスが乗り入れていた。
駅から南下して鈴丸橋、ぶらくり丁とルートがあった 現行ネタになるが、吉野口って他所の社線接続駅とくらべて
JR西として「他社線接続への配慮」、案外トップクラスでは?と
いつも思う。たとえば先日、下記aに乗ってて遭遇したけど、
JR下 1640着 A
近鉄上 1641着 a
JR上 1642着 B
近鉄下 1645着 b
---------------
近鉄上 1645発 AB
近鉄下 1648発 AB
JR上 1647発 ab
JR下 1652発 ab
ちゃんと、どのパターンでも乗り換えられる。 まあ運転要員配置駅で現在でも手動扱い、ってのは大きいだろうけどね。 昭53年10月くらいまでか、簡易駅(無人駅)通過列車が2時間1本で走ってた。
和歌山側からがわかりやすく、通過駅は千旦、小倉、下井阪、紀伊長田、西笠田・・と
今の快速並みの運用だった。80年代になってはオハ50系の客車だけだったかな? 鉄道史家を自称する変なおっさんが
自サイト&Twitterでいろいろ面倒やね。
のぶっておっさん
浅い自説に対して
「紀和鉄道の駅があったから紀和町になった可能性は残りますね?」
と指摘されただけなのに発火し
変なおっさん「てはあなたがそれを資料で証明してくださいな。」だってよ。笑
誤字が瞬間発火をよく表せてる
コイツに昔、ていねいな言い方で指摘したことがあったが
似たように文句言い返してきたんだよね。
自分が調べた成果は鬼の首取ったように披露したがる
こういう老害的な自信家が結果的に誤説流布になるんだよな。
本人は誤説を糺してるつもりだから手に負えない 和歌山側は線形が良いから通過列車はスピード出したかっただろうなあ 機関車による客車牽引ならスピードもたかだか知れているのでは? >>242
短絡線ない頃か。
一旦、和歌山(今の紀和)まで行って折り返し東和歌山とか(終点)
それかこの当時はキハ45新車投入した時期だからマジでその回送でナアナア方向幕かもね
知らんけど( ^ω^) 新車が来てくれると嬉しくて乗り鉄のため大した用事もないのに和歌山駅へ行きました そして薄暗い地下道を通って東の端にある南海のホームで丸ズームの残党を待つ
…ローカルやねえ 電化の時は新車でないけどとても綺麗に感じられた
105系 偏見だけどディーゼルカーよりも電車の方が綺麗に格上に見えた 綺麗には見えたけど格上とは思わないよ
詰め込み上等の4ドアロングシート車のどこに格があるのかと >>276
そいつじゃないが、そもそも個人の感想にツッコムなよ