懐かしの国鉄和歌山線
和歌山駅と王寺駅(奈良県)とを結ぶ長大なローカル線の
懐かしい時代を語り合いましょう。 かつて、近鉄が国鉄から和歌山線を購入して自社の路線にするという話もあったようだが、これは実現しなかった >>154
和歌山(⇒紀和)⇔紀伊中ノ島(阪和線の直下)⇔田井ノ瀬を直行する経路で敷かれていた。 その和歌山市駅も紀勢線の発着が和歌山駅に移ってしまって
今は和歌山駅との列車しか走っていない >>162
和歌山線との分岐点から、城戸から先までは路盤工事とトンネルのみ完成している。
西野トンネル阪本側抗口で途切れている。
天辻トンネルは阪本側と五条側の抗口が確認でき、阪本側のトンネル内部は阪大が天体観測施設として使用しているが、五条側の抗口へは、草木が生い茂り、危険で
近づくことができない。 かつて五新線の部分をバスが走っていた(五条駅〜城戸) 国鉄バス→西日本JRバス→奈良交通
何年か前にバス専用道が老朽化で使えなくなってR168経由に替わった 阪本線宗川橋梁は、橋梁上に温泉水か水道水供給用のパイプが敷設されていて、
活用されている。
その手前にある阪巻トンネルなどは抗口に柵がされているが、柵には「大阪事務所」などと書かれた看板が取り付けられ、トンネルを掘削した会社が管理している様だ。 R168は五條から新宮へ行くバスと西吉野へ行くバスの2つが走っているんだな >>168
奈良交通の大和八木新宮線も経由している その五條から新宮へ行くバスは八木から出てるヤツだな 阪本線は天辻トンネル阪本側を出たところまで工事が行われた時点で、
工事は中止された。
そこから先は険しい紀伊山地が迫り、新宮まで容易に鉄道線路が敷設できるような地帯ではない。 五新線のトンネルは電化用の規格で設計されている。
五新線が電化されて阪本まで開通していたら、春日色113系4連による電車が走り、
クハ111の前面方向幕の「快速 湊町―阪本」などの行き先も見られただろう。 蜜柑出荷で貨物列車の定数増のため、普段は川端支線にたむろしている
ハチロクやC11が五条・吉野口間の補機に駆り出されるのが今頃の季節 >>182
紀の川流域は柿、和歌山県だけでなく奈良ナンバーのトラックが吉野地域からも
柿積んで五条駅に来てたわ 大和二見も無人化されたときに駅事務所撤去して待合室に替えた 和歌山線に併走して走る和歌山バスの路線バスは、かつては上半分がクリーム色、下半分が赤茶色に近いオレンジ色で、
暖かみのある塗装だった。 和歌山線が非電化だった昭和40年代、和歌山バスが「南海電鉄バス和歌山営業所」だった頃は、和歌山市駅〜橋本駅間の路線バスには急行便も設定されていたな 天王寺から和歌山経由五条行きがあったな。阪和線内は快速運転。 前4両はきのくに線御坊or紀伊田辺行き
和歌山で切り離していた 新今宮から南海高野線の急行で橋本まで行って、橋本で五条、王寺方面行の
和歌山線電車に乗り換えた方が時間的に早かったな。 相も変わらずアゲ坊やの懐かしくもない書き込みばかりだな 朝に五条発和歌山経由天王寺行きもあった。阪和線内は快速運転
和歌山で紀伊田辺発と併結 天王寺〜五条は初期は113系だったが中期から103系(白帯)に替わった 天王寺〜五条は1989年の改正で登場して2000年の改正で廃止された 1964年の和歌山線
・和歌山市駅に乗り入れしていた。
・客車列車が多い。客車列車は全て畠田,紀伊山田,中飯降,大谷,西笠田,紀伊長田,下井阪,紀伊小倉,千旦は通過する。
・準急(はまゆう,はやたま,南紀観光団体専用列車)が走っていた。
・五条発着列車は,ほとんどが天王寺まで直通。
・急行大和の寝台車が1両だけ切り離されて和歌山市発着列車に連結されていた。 元々粉河止まりだったが1989年の改正で橋本まで延長されたが
利用者の減少で2002年の改正で再び粉河止まりに戻されて現在に至っている 和歌山線も年々利用者が減少している
京奈和の和歌山県区間全通が追い打ちをかけている 田井ノ瀬の駅舎が取り壊されてただのゲートみたいな出入り口に変わってたのを
初めて見たとき声もなかった 駅舎の維持もタダではない
コストカットに効果があって鉄道を遺してもらえるなら受け入れよう そういう連中に限って古かったらボロい汚い暗いと難癖つける 岩出駅前が変わろうとしている。
ロータリーになるという噂もあるけど
知っている人いたら教えて下さい。 和歌山全体が沈滞してるよ
和駅も市駅も元々閑散、そこにコロナが追い討ち
2Fさんの力を持ってしてもどうしようもないかね >>231
跨線橋もエレベーター付に替わって、かつての屋根のない跨線橋は撤去されて自動改札も設置されて駅自体は良くなったが駅周辺は寂れる一方。 岩出はまだ踏ん張れると思ったがもうダメなのか
というか和歌山県全体が沈滞してるからなあ ぶらくり丁の閑散ぶりもすごいな。
本当なら再開発してイオンをここに誘致すべきだった
そのままで無駄な努力をしたせいでイオンが現在の場所になった。 和歌山県が近畿圏に入ってなかったらもっと寂れてたかな
律令制では和歌山は畿内ではなく南海道に属してた https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/awatembow/20010101/20010101091350.jpg
運転士の姿が見えるので和歌山市方面行のはずなのに
行先幕が「東和歌山」になっているのは何故?
入線してきているのに旅客が全くそわついてないから、ただの回送(幕はナアナア状態)か。 結果的に和歌山駅と和歌山市駅と分散されたのがマズかったとは言えまいか 紀和駅、今は「和歌山駅」時代当時の駅舎画像すら見れるのだから
有人末期(1980年代)の駅舎内の様子が見たい。
ホームで撮った列車主体の写真なら見れるが、改札とか窓口とか目線が好きなので。 市駅から和駅の線何であんな少ないん?バスより早いし安いやん。結構乗ってるし。紀和駅が和歌山駅やった?たまに乗るが「ここが和歌山駅やったん?」と思う。お年寄りは和駅は東和歌山駅らしいね。 >>246
その区間は和歌山線ではなく紀勢本線です 1898.05 [紀和鉄道] 和歌山[紀和]-船戸(仮駅) 開業
1903.03 [紀和鉄道/南海鉄道] 和歌山市-和歌山[紀和] 開業
1909.10 和歌山線と命名
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1924.02 [鉄道省]紀勢西線 和歌山[紀和]-東和歌山[和歌山]-箕島 開業
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1972.03 [日本国有鉄道/南海電気鉄道] 和歌山市-和歌山を紀勢本線へ編入
>>247
ここ懐かし板だよ??? ホンマよく分からんわ。バスより明らかに便利やのに。バス遠回りするし時間かかるし、難波から市駅着いてわからんから、改札も裏側で駅員さんに聞いたわ。乗せない様にしてるとしか思えんわ。 いくら便利でも、市駅←→和駅を移動する旅客の絶対数が少ないからだよ。 よく乗るるんよ、待ち合わせでバスと電車比較して。けっこう人乗ってるで。駅二つやからあっという間に着く。「あぁこの駅が昔の和歌山駅かぁ、昔は栄えてたんやろなぁ」と乗るたびに思うわ。 打田駅前の、昼は食堂夜はカラオケバーみたいな店でカレーを食べた
跨線橋から見下ろす駅前風情がまるでジオラマのようで印象に残った >>253
>>252は駅前風情の事を言ってるのになんで駅構造の話にすり替わるんだろ 阪和電鉄(現在の阪和線)がターミナルを東和歌山(現在の和歌山・和駅)に置いた事
この事がその後の和歌山市中心部の鉄道事情にかなり影響を及ぼしたと思う
もし阪和電鉄が紀和(旧和歌山)か和歌山市駅にターミナルを置いていたなら
紀和や市駅周辺は現状ほど寂れてはいないだろう 南紀の観光資源考えたら紀和や市駅とかより和歌山(東和歌山)に路線伸ばすだろ