懐かしの国鉄和歌山線
和歌山駅と王寺駅(奈良県)とを結ぶ長大なローカル線の
懐かしい時代を語り合いましょう。 それにしても、227系。なんでロングシートなのか。 きのくに線に乗り入れるから
地震あった時に津波避難を迅速に行うため 和歌山-橋本間しかやらず
橋本以東ではやらなかった >>111
車内喫煙等、地元高校生の素行が悪いからという説があるそうだがどうか。 >>109
電化前もほとんどキハ35か36でロングシートばかりだった。 かつて五条から和歌山を経由して天王寺行きの快速あったな 天王寺〜五条だと王寺、高田経由の方が早い
和歌山経由だと遠回りになる かつて五条以西に221が乗り入れていたがあまりにも短かった 五条〜和歌山に221系が乗り入れていたのは1994年9月〜2002年3月まで 五条〜和歌山から221が撤退したのは粉河での落書き事件が原因という説もある 五条-和歌山の221系の運用は朝と夜がメインだった >128
早朝の粉河発五条行きと和歌山発五条行き
夜の五条発和歌山行きと五条発粉河行きで >>130修正
早朝の粉河発五条行きと和歌山発五条行き
夜の五条発和歌山行きと五条発粉河行きの計4本(五条〜和歌山の乗り入れが始まった1994年当時) キハ35が現役だった頃、和歌山駅の構内放送は「*番線の列車は『しえき行き』です」
とアナウンスしていて、最初どこ行きなのかわからなかった。
まだ紀和と田井ノ瀬を繋ぐ線路が残ってた頃の話です。 >131
2010年に225が阪和線ときのくに線に投入されたため 寝台客車が1両だけ王寺⇔和歌山市を連結されていたそうですが
天王寺で乗り換えるよりも速かったのでしょうか。 >>138
速いか遅いかじゃなくて東京まで直通してるのに意味があったんだよ 紀勢本線に165系が投入される前、紀勢本線紀伊田辺〜新宮間で運用されていた非冷房113系には
春日色の非冷房113系も入ることがあったが、この春日色113系は桜井線、和歌山線経由で和歌山駅まで運用されてから、
紀勢本線での運用に入っていたのだろうか 和歌山線での113は春日色と阪和色の2種類乗り入れていた 和歌山線でお召し列車が運転されたとき、昭和天皇は橋本駅で、
南海20001系「こうや」号による南海のお召し列車に乗り換えられて高野山へ向かわれたな >>140
紀勢本線の113系は阪和色がメイン
春日色は全く乗り入れず >>143
国鉄時代、日根野電車区が関西線の103系や101系を受け持っていた頃は、
車両運用の都合からか、春日色の113系6連も阪和線の紀勢本線直通快速や阪和線の
区間快速、桜井線、和歌山線用の4連の春日色非冷房113系も紀伊田辺以南の運用にも入っていた。 >>145
奈良電がまだ無かった時代なんだよ、坊や >>147
関西線電化当初は101系も113系も天ヒネ持ち、セルフラップに不慣れな
乗務員ばかりなので電化開業1か月で全車がタイヤフラット持ちに 紀勢本線紀伊田辺以南で運用されていた113系4連は、日根野から和歌山市へ
回送後、和歌山市発新宮行となる運用と、日根野発紀伊田辺行普通となる運用で、
紀伊田辺以南の運用に送り込まれていたようだ。
紀伊田辺〜新宮間を交代で何往復かしたのち、夜間の周参見発和歌山行で和歌山に
到着後、日根野電車区へ回送で入区していたと思われる。 早朝の日根野発紀伊田辺行きと深夜の紀伊田辺発日根野行きは113系2連で今も運用されている(日根野の車庫からの入出庫を兼ねて) 急行「大和」の寝台車1両が和歌山線に直通していた頃、粉河、橋本、五条などの
各駅の時刻表の列車の行き先の、「王寺・東京」などの表記を見た人は、
「こんな田舎の駅からも東京まで直接行ける」とはなどと思っていただろうね 急行「大和」が和歌山線に乗り入れていたのは電化される前だな 市駅直通時代2901レ継承の525レはC58、2902レへ継承の528レはC57がそれぞれ牽引。
1966年10月、C58に混じって和歌山区のC57牽引列車が和歌山線に2往復あった時代だ。 かつての紀勢線の始発駅は今の和歌山駅じゃなく和歌山市駅だったのか かつらぎ町出身の俳優、小林稔侍は高校は笠田高校
和歌山線列車に乗るときは笠田駅を利用していたようだ かつては南海の難波から和歌山市駅を経由して紀勢線に乗り入れる列車もあったな 南海高野線と和歌山線の相互乗り入れは頓挫したみたい かつて、近鉄が国鉄から和歌山線を購入して自社の路線にするという話もあったようだが、これは実現しなかった >>154
和歌山(⇒紀和)⇔紀伊中ノ島(阪和線の直下)⇔田井ノ瀬を直行する経路で敷かれていた。 その和歌山市駅も紀勢線の発着が和歌山駅に移ってしまって
今は和歌山駅との列車しか走っていない >>162
和歌山線との分岐点から、城戸から先までは路盤工事とトンネルのみ完成している。
西野トンネル阪本側抗口で途切れている。
天辻トンネルは阪本側と五条側の抗口が確認でき、阪本側のトンネル内部は阪大が天体観測施設として使用しているが、五条側の抗口へは、草木が生い茂り、危険で
近づくことができない。 かつて五新線の部分をバスが走っていた(五条駅〜城戸) 国鉄バス→西日本JRバス→奈良交通
何年か前にバス専用道が老朽化で使えなくなってR168経由に替わった 阪本線宗川橋梁は、橋梁上に温泉水か水道水供給用のパイプが敷設されていて、
活用されている。
その手前にある阪巻トンネルなどは抗口に柵がされているが、柵には「大阪事務所」などと書かれた看板が取り付けられ、トンネルを掘削した会社が管理している様だ。 R168は五條から新宮へ行くバスと西吉野へ行くバスの2つが走っているんだな >>168
奈良交通の大和八木新宮線も経由している その五條から新宮へ行くバスは八木から出てるヤツだな 阪本線は天辻トンネル阪本側を出たところまで工事が行われた時点で、
工事は中止された。
そこから先は険しい紀伊山地が迫り、新宮まで容易に鉄道線路が敷設できるような地帯ではない。 五新線のトンネルは電化用の規格で設計されている。
五新線が電化されて阪本まで開通していたら、春日色113系4連による電車が走り、
クハ111の前面方向幕の「快速 湊町―阪本」などの行き先も見られただろう。 蜜柑出荷で貨物列車の定数増のため、普段は川端支線にたむろしている
ハチロクやC11が五条・吉野口間の補機に駆り出されるのが今頃の季節 >>182
紀の川流域は柿、和歌山県だけでなく奈良ナンバーのトラックが吉野地域からも
柿積んで五条駅に来てたわ 大和二見も無人化されたときに駅事務所撤去して待合室に替えた 和歌山線に併走して走る和歌山バスの路線バスは、かつては上半分がクリーム色、下半分が赤茶色に近いオレンジ色で、
暖かみのある塗装だった。 和歌山線が非電化だった昭和40年代、和歌山バスが「南海電鉄バス和歌山営業所」だった頃は、和歌山市駅〜橋本駅間の路線バスには急行便も設定されていたな