懐かしの国鉄和歌山線
和歌山駅と王寺駅(奈良県)とを結ぶ長大なローカル線の
懐かしい時代を語り合いましょう。 和歌山駅は移転や改称、統廃合を繰り返したので複雑な歴史がある。 東和歌山駅を和歌山駅に改称した時には
いまひとつピンとこなかった人が多かったらしい。
東の外れにあると思われてたのは事実ですし。 東京直通の急行「大和」の寝台車は東和歌山(現在の和歌山駅)発着ではなく、
和歌山市駅発着だったな そう、和歌山の代表駅は遅くとも昭和50年代までは間違いなく市駅だった。 ところが今は市駅の方が斜陽化著しいと言ったら
言い過ぎかなあ。 6
高島屋も閉店したし、駅前商店街も撤退した商店も多くなってるしな いま記事を検索したら既に大阪万博の頃から落ち目になっていたとは。知らなかった。
南海が起死回生を狙って打った大プロジェクトが市駅の改装という事らしい。 和歌山の四大デパート、丸正・大丸・高島屋・近鉄が
とうとう近鉄だけになってしまったんですね。
寂しい 商店街といえばブラクリ丁の凋落は目を覆わんばかり。 和歌山ステーションデパートに鉄道模型売り場があったな 和歌山線が非電化のころや列車本数が今のように多くなかった頃は、列車の走らない時間帯は
並行する和歌山バスが市駅〜粉河・橋本間を結んでいたな 電化が決まって架線柱が線路脇に建植され始めたのは良いが、どういうわけか暫らく進捗せず
和歌山を出てからの直線区間にアームの無い柱が等間隔に林立してる光景は少々不気味だった 現代の話だが、和歌山18:48発の快速は奈良行きだから、一応あるといえばあるんだな。
でも粉河で快速運転はおしまい。
本題に入って、電化直前まで客車が1往復走ってたよね。
下兵庫・中飯降・大谷・西笠田・紀伊長田・下井阪・紀伊小倉・千旦は通過。
電化直前なら12系だったのかな? 一時期、天王寺〜御坊・五条間を阪和線・和歌山線経由で遠回りする快速も設定されていた
五条行は和歌山駅で分割併合されていて、車両は113系のほかに、103系でも運転されてたな >>19
王寺行きなら末期は50系だろう。
雑客時代は何度か乗ったが奈良側は畠田、新庄は通過だったな。 和歌山線はまだ割り出し方式かな?
優等列車が走らないから構わないがな 有名な北宇智のスイッチバックを体験しようと乗車したことがあったが
何もなくて拍子抜けしたのを覚えてる
今から思えばたかがスイッチバックに何を期待してんだって話だがな 和歌山線の架線が福知山線電化時のように高速運転に対応できる張られ方ではなく、
簡易方式で張られたのは、国鉄末期の経費節減や和歌山線が福知山線や山陰線のように電車特急などが
運転される見込みのない路線であったからだろう。 北宇智のスイッチバックや
川端貨物駅の思い出を語ってほしい 岩出駅の駅舎か詰所か忘れたが
建物の軒先に大きな蜂の巣があった
それを長い竹の棒で突っついて駆除しようとしてる駅員さんたち
時間が止まってるように見えた
方言丸出しで駅周辺の案内をしてくれた
交番に居た巡査よりも親切で、本職はどれなんだよと思わずツッコみたくなる
いい人ばかりだった
1980年頃の思い出 川端の廃止後結構設備残ったよね。
平成に代わる頃まで何度か撮影にも行ったが、
付近に何処かのロープウェイの廃車体なんてのも置いてあった。 元々は木材と鉱石と砂利だよ。
紀ノ川沿いに砂利積み込み線があって、
それとは直角になったホームで木材や鉱石の積み込みをする形。 和歌山線ってよく電化されたもんだと思う
103系を無理やり改造して走らすほどの需要で
国鉄末期としてコストパフォーマンスはあったのかな 当時は首都圏で大量に電車を置き換えする場合の
転用先確保の意味合いもあるからね。 残念ながら川端駅のヤード跡も最近舗装されてたみたいだな。 俳優、小林稔侍も中学時代は出身地のかつらぎ町から和歌山線で和歌山市内まで通学してたらしい
小林稔侍は上京、帰郷の際は急行「大和」を利用ことあるかも 王寺からの大和崩れ以降は寝台車の入線はもう殆どないんだね。
JR化後団臨で14系が入った事はあったが。 >>26
岩出は今でも有人駅なのかな?
10年くらい前、和歌山から当時あったJスルーカードで乗り込んで岩出で降りようとしたら「取り扱えません」と。
まあ機械を操作して事なきを得たのだが自分の他にも事情に疎い客が居たようで有人改札前にはちょっとした列ができていた。
駅員が居るからこそ可能な対応だな。 国鉄末期、「くろしお」で使用されていた485系を使用した団臨が和歌山線に入線したことがあった 結局最後の特急型電車は天理臨の381系かな。
客車だとサロンカーなにわが最近も入線しているが。 当然のことだが国鉄時代の方が沿線も活気あったな
橋本なんて南海より利用客が多かったんだから
電化したことにより逆に最高速度が95km/hから85km/hにスピードダウン
行き違い駅も大和新庄と大和二見そして北宇智が撤去されてしまい速達化も増発もままならなくなってしまった 過去にDC特急の入線はないのかな。回送や廃車留置はあったんだが。 橋本駅の利用客が南海<国鉄の時代があったのか
今の格差を見てると信じられないなあ 高野線が橋本まで複線化されたのはJR化後の話だからな
それまでは三日市から先は山岳区間を細々と走るローカル線そのものだった
通勤で大阪まで通う和歌山府民ってのもほとんど存在せず
県庁の和歌山のとの結び付きの方がずっと強かった 和歌山県橋本市と奈良県五條市は、橋本駅で南海高野線とJR和歌山線の
レールを結び、南海高野線電車の五条までの和歌山線乗り入れをJR西日本に
要望したこともあったようだが、未だに乗り入れは実現していないのは、
五條から大阪方面へは吉野口や高田で近鉄や大和路線に乗り換えたほうが
速いからだろうか 五條から大阪に出る最速は間違いなく橋本経由の高野線ルート
大阪へ通勤するのに林間田園都市でパークアンドライドしてる五條市民も結構いる
吉野口まで出ても吉野線は橿原神宮まで単線だしJRならもっと時間がかかるだろう
五條は市議会レベルで南海乗り入れの話は出るんだが肝心の奈良県が乗り気じゃない
そりゃ県にしたらよそ者の南海より近鉄を活用してもらいたいとこだからな 川端貨物駅こそが紀の川水運時代の和歌山線の始発駅だったっけ。 模型みたいなレイアウトだよな。二見からC型のカーブで進んで
川砂利用と木材、チップ積み込み用ホームに分岐とか。
更に川砂利用ヤードから、来た方向側に分岐して
鉱石用ホームが木材用ホームと並行して並んでたらしい。 まだ残ってるレールとかホーム跡も全部撤去されそうなんだよな
早いうちに見に行っとかないとヤバいかもしれん
五新線未成線跡も老朽化で危険ってことで撤去されそうだし 貴重な産業遺産で残すべき価値があるという類のものでないから難しいな
真土トンネルはこの前行ったが元気な姿を晒してて安心した
老朽化で潰れるってどこ吹く風の如く
下手すればあのアーチ橋より長生きするかもしれない だが紀伊半島の古いトンネル内の老朽化は全般的に酷いよ。
大水害やら地滑りで想像以上に傷んでるからな。
大したメンテナンスされてない五新線関連は危険だろう。 簡易駅(無人駅)通過ってのが2時間に一本くらいあったな(53年10改正あたりまで)
客車のやつとか。快速の先祖かw 和歌山線と言えば、割り出し分岐器っていうのか?、正式名は知らないが、常時進入が定位になってた分岐器で、出発時は抉じ開けてその分岐器を通過する。わかる?、説明が下手で。
だから進入時なんかは僅かだが低速になってた気がする。
あと、和歌山を出発してすぐに停車した。駅じゃないのに?、と思ったら和歌山機関区へ職員が出勤するための停車だとわかった。 >>22にも書いてあるけど
「スプリングポイント」とはまたちがうの? DC時代は回送を兼ねて夜間とか凄まじい編成で走ってたな。
一番記憶にあるのがキハ45 10 20 17 55 58 28 55と繋いだ編成。
後ろ二両は締切扱いだったが、殆ど別車種で
車内灯の色が全然誓うのが印象的だった。 夜間ほどではないが朝も結構なカオスな混成が見られたよ 逆に関西線電化前に全車10系でまとまった
8連というのにも一度遭遇したよ。
高田分割の列車で志都美や下田では後部がはみ出ていたが。
関西線電化前は和歌山線は35系が入ってない編成も多かったんだよな。 へぇ
非電化路線で多用された混成を揶揄する隠語に「ゴッパニッパ」なんていうのがあったが
その遥か上を行く光景だね >>57
国鉄の気動車は特急形以外の全ての形式が相互併結可能な構造になってたからな。 異形式の混成で困ることって、乗車位置が混乱することくらい?
乗る時には不具合だが、見てる分には楽しいよね 和歌山線はくろしおやきのくに用DCの回送を
編成後ろに数両ぶら下げる事も多かったよ。 >>62
1968年に吉野口で近鉄準急車中から高砂工全検出場のキハ17が
蒸機客レ最後部に後付け回送されてるのを見たな。 >>33
「かつら着」町か。
関連付けて覚えやすいな。 >>64
整列乗車しないと不具合が起きるほど客の数がいないなら
可能な限り乗客の自主性に任せた方がいい 整列乗車よりも車中での着席マナー向上には
会社として取り組んでほしいわ 紀ノ川の鉄橋を渡ったとき
窓から下を覗いたらエメラルドグリーンの川面が印象的だった
やはり田舎の河川はまだまだ綺麗だ 速度制限があったので上りは特にノロノロ走っていたね ★★★少子高齢化を防ぐ為に、多産家族の表彰制度を導入すべきである★★★
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/12261147▲24/73
この掲示板(万有サロン)に優秀な書き込みをして、総額148万円の賞金をゲットしよう!(▲*^^)v
http://▲jbbs.livedoor.jp/study/3729/ →リン▲▲クが不良なら、検索窓に入れる! 御所も高田も旧市街地に隣接してるのに素通りされて可哀想だな
新庄みたいに私鉄の方が国鉄よりも市街地に近い例が多いのに 高田は旧国名が冠に着かないが、
同じ駅名が他県に多くあるのにここが最初に開業したのか 高田駅というと地元では近鉄大阪線の大和高田駅。
近鉄は大阪へ出るのも奈良へ行くのも圧倒的に便利。
国鉄駅は空気的な存在だった 和歌山駅の電化開業セレモニーの時にゲストに演歌歌手が来た記憶がある
俺は地元出身の坂本冬美とずっと思い込んでたのだが坂本の年齢を調べたら電化の時まだ高校生ということで違うことが判明
じゃあ誰なんでしょう?覚えてる方いますか 電化はいいが新車投入のはずが常磐線のお古になっちまったんだよな
>>24にも出ている簡易架線といい、とにかく安上がりで済まそうという姿勢で一貫してた 国鉄は和歌山電化で何を期待したんだ
スピードアップして客が増えるとでも思ったか 線路の脇に架線柱が立って、
プラットホームがかさ上げされ、
踏切の自動警報機が設置され、
と、施設設備関連の工事があちらこちらで始まって、
沿線はにわかに活気づいてた。
子供心に、いよいよ電車が走るのかというワクワク感があった。
都会に住んでる人にはそうそう体験できるものではない。 粉河駅ではボットン便所がパールトイレに一新されて、
ニオイも無くなって本当に快適になった もしかしたら名手駅だったかも知れん
記憶があやふやですまん
ちなみにパールトイレとは水の代わりに泡で汚物や紙を押し流す方式のトイレ 確か113系はクーラー無し(その後改造)で京阪神ではクーラー付き当たり前なのにガッカリ
やはりローカルは冷遇されてると思ったちなみに
1980年代といえば沿線の路線バスでもクーラー付きは半分以下 >>85
泡ボットン便所やろ
横文字でごまかすなやw >>79
その前夜、急行紀ノ川がひっそりと使命を終えた 和歌山市内でさえ、昭和59年まで下水道普及率はゼロだったからね
郊外になれば、推して知るべし ひっそりどころか和歌山駅も京都駅も見送りのマニアで大盛況であったらしい そうなんだ
なんというか、今も昔も葬式鉄気質は変わらんな草
廃止を惜しむなら普段からもっと利用しろよ、と言いたい 新車のくせに窓が重くて使いにくかったと不評。
私鉄では軽い一枚下降窓が当たり前だったのに >>92
マニアが最後の記念に乗るのは分からなくもないが
日頃見向きもしないのに廃止が決まると最終便に乗りたがるミーハーが
どこからともなくワラワラと湧いてくるのが本当に不思議だ
こやつらのせいで本当に乗りたい人があぶれてしまったかもしれないとなると
穏やかではいられないわ スイッチバック廃止直前の北宇智に出現した連中も一緒やな >>87
奈良交通は冷房化早かった
和歌山のバスは不明 北宇智は側道と線路敷の境目に「線路内立ち入り禁止」の立て看板が何本も並んでいた。
スイッチバックの全景を撮るために線路に侵入する不届者が後を絶たなかったからに違いない。 >>94
ボックスシートの仕様に合うように幅が広く取られてるから重くなるのは当然 >>79
確証ないけど天童よしみでは?実家が和歌山らしいしまだ売れてない時代だから地方ドサ周りの営業をやっててもおかしくない