懐かしの国鉄奈良線
ライバルの近鉄京都線に比べると地味だった、
国鉄奈良線の懐かしい日々を語るスレ。
JR転換後の話題もどうぞ。 しかも開業時には名前がJR藤森に変わってしまってたと言うオチがついたなw >>7>>8
コラ
小生の母校をdisるんじゃないw >>2
非電化時代は本数もスピードも段違いだったが、
電化されてからはスピードでは勝負できるようになった。
なにしろ駅間距離が長いから各駅停車でも結構飛ばすことがあった。 >>3
逆に宇治市民のみなさんが京都駅周辺に行こうとしたら、
近鉄は西の端っこを走ってるだけで使えないし、京阪は遅い。
宇治経由は致命的ではないと考えるが、どうか。 >>4
記念列車が春日塗だったのはよく覚えてる。
が、それよりもクーラーが付いてたのが嬉しかった。
秋とはいえまだ暑い日があって、車内に入ると冷気が顔を撫でる感触が心地よかった。
当時京阪も近鉄もクーラー車は珍しくも何ともなかったが、国鉄のローカル線に登場しただけで
感激してたんだなw 藤森に決まる前には墨染と言う案もあったな
どちらにせよ京阪の二番煎じで頭にJRを冠せないと駄目な訳だが。 >>13
おお、仮称が「墨染」だった頃もあったな。
JR藤森に正式に決まった時、耳を疑った。
由来となる藤森神社からはかなり離れていたから。
今でも駅名は京都教育大学前が相応しいと思ってるぞw 神社から離れてるのも問題だが京阪の藤森とも離れてる方がもっと問題
駅名が同じなら乗換できると勘違いされるのも致し方ない 食パン顔のキハ35が先頭になった朝の通勤列車、キハ45やキハ20等との混成部隊が
興味深かったな 短編成だが同一系列でスタイルも統一されてる近鉄に比べると、
カオスっぽさが濃かった。
ドアの位置も数もまちまちで座席も様々。
でもそれが楽しみでもあったね。 稲荷駅のランプ小屋
サボなどの鉄道部品などが保存展示されていた >>17
色もバラバラ、急行系キハ58も繋いでなかったっけ? 急行「紀ノ川」を利用して、京都からわざわざ和歌山へ行く人はほとんどいなかったようで、
廃止直前は車内はガラスキのまま運転されてたな 「紀ノ川」は「しらはま」の時代からガラガラだったよ >>20
京都・和歌山だったら新快速と紀州路快速と
乗り換え一回だが特別料金なしで一時間半位で行けちゃうかな 奈良線電化完成前、ED60牽引のオイラン列車が奈良線で運転されていたが、
電気機関車の奈良線入線はこれが最初で最後ではないだろうか 急行のせいで各停に追い越し待ちの時間的皺寄せが行ってたんだよな
ガラガラ急行なら一刻も早く廃止して欲しかった。 >>20-22
当時でさえ京都−和歌山だと新快速と環状線と阪和快速を乗り継いだ方が、
奈良−和歌山だと快速を天王寺で乗り継いだ方が速かったから、
京都・奈良と和歌山を移動するのにわざわざ急行紀ノ川を利用する価値はなかった。
さらに当時は京和間では阪急or京阪〜御堂筋線〜南海を乗り継ぐルートが、
奈和間でも近鉄と南海を難波で乗り継ぐルートの方が国鉄を使うよりも安かったから尚更だった。 まあまあ、そう目くじら立てずにw
急行「紀ノ川」とか急行「大社」とか
急行「くまの」とか
一見役立たずで存在理由不明のDC急行があったのが
国鉄時代の面白さなんだよ。 紀ノ川は東京一番の新幹線から接続し東京行き最終新幹線に間に合う列車だった
グリーン車もつないでいて、五條市に本社がある会社の東京支店長が、本社での会議に日帰りで愛用してた
かもしれない >>3
前身の奈良鉄道建設当時、今の近鉄やR24が通ってる辺りは
巨椋池という大きな池だったからな。そのせいか地盤も軟弱で
工事も難しく、結局迂回したルートで作らざるを得なかった。 >>25
それは和歌山線でも生じていたこと
ここに限らずローカル線には速達性の向上というテーマには
とことん無関心だったようだ ニーズが無いと思うよ
たかだか5分10分速くなっても同じ 昔々 奈良線のキハ10系と平行する奈良電(現 近鉄京都線)1200形1350形で
バス窓車対決があった。 >>33
たとえば都市圏で走ってるような快速などの速達列車が
無理なく設定できるようになればいいかなと。 速達列車は各停の犠牲の上に成り立ってるが
それを無しで走らせようということなら
首都圏や京阪神圏でやってる複々線しかない みやこ路快速の設定前は京都〜奈良に特急を走らせようとしていてたんだよな。
結果的に快速にしたのはよかったと思う。
だけど設定当初停車駅が宇治、木津だけで客が少なくどんどん停車駅が増えてきたわ 勝手踏切スレにもある
http://i.imgur.com/Jt0joww.jpg
の勝手踏切って昔からあったの?
近年関西のローカルニュースで時々話題になるけど
電化され多少なりとも列車本数が多くなって以降
この問題がクローズアップされるようになったのかな。 >>39
昔からあった。ただ地元民でもそんなに通んなかったぞ。 >>38
停車駅が増えて表定速度が落ちていくというのは
全国各地で見られた光景ですね 京都〜奈良は距離にして30数キロだけど、特急を就役させられたの? >>42
多分新幹線からの乗り継ぎ客は特急料金が半額になるし、運賃も通しだから
近鉄特急とは競えると踏んでいたのだと思う。 昔も今もだけど新幹線からの乗り換えも近鉄の方が便利だし、
特急を設定しても近鉄特急と競えるとは到底思えないけどなぁ
>>38氏の言うように快速にしたのは正解。 京都寄りは難しいかもしれないが、奈良寄りはまだ土地に余裕がある部分もあるので
やろうと思えばやれないものだろうか 今日カンテレのニュースワンダーで元々奈良線だった木津〜奈良間が
関西線の急勾配解消による経路変更で、関西線に編入されたって話
取り上げてたね ああ思い出の紀ノ川 ピカピカのキハ58最高だったな。
電化された時の寂しさときたら 電化開業前日に乗りに行きました。
紀ノ川の送り込み列車から切り離されたキハ40が単行で折り返す運用で、
車内は満員でした。
奈良線はキハ35という固定観念があった自分にはキハ40は新鮮でした。
途中で交換した列車もキハ40だったので、置き換わっていたのでしょうか。
それにしても、最終日の紀ノ川には立派なマークがついていましたねえ。 >>48
斑模様に複線化してもそれほど効果ないんですってね >>55
んなぁこともないよ。羽越本線は全線複線ではないが、ポイントを押さえて複線化されているおかげで効率化はかなり進んだ。 同感です
複線区間の最適化は絶対に模索すべき
全線複線は不可能として諦めるのは早い! まだ先の話だが、
北陸新幹線やリニアが大阪まで延伸されたら状況が変わるかもな。
途中駅の設置場所によっては今の路線ルート変更もありえる? 仮に南寄りのルートになっても奈良線周辺に駅ができる可能性があるの? 昔国鉄奈良駅前に住んでたので構内に侵入し蒸気機関車眺めてたな
なんかごっついターンテーブルあったような
大宮幼稚園時代の思い出 東福寺駅のトイレが汚くてなあ…
まあ駅トイレはどこも大差ないがここは特にひどかった
学生の頃ここで京阪と乗り換えてたが用足しは専ら京阪で済ませてた
今は綺麗になったんだろか そらもう今は綺麗なもんですよ。外国人観光客も多いので。 劇的に綺麗になったのは大阪地下鉄やな
大都市地下鉄がお役所経営から純サービス業にランクアップした好例 そんな奈良線電化用の105系改造車も今改正で全滅なのだろうか
電化直前に配置されたキハ40
京都駅八番線
1分前から発車ベルを延々と鳴らし 15秒くらい前にベル停止
キハ35は閉扉しエンジンをぶんぶんふかしてのんびり加速
駅員は「次は〜とおふくじ〜とおふくじ〜」
どう考えても汽車だな 京都駅で東海道線から奈良線に乗り換えて
最初にローカルムードを体感できるのはDCのエンジン音だった
車掌の駅案内も>>72がレスしてるとおりマッタリしてたね いや、今でも京都駅奈良線ホームの場末感は消えてないよ
大勢の人が行き交う南北自由通路からちょいと脇に逸れて階段を降りて行くと草臥れた103系が静かにお客を待ってる‥
特急車が発着する山陰線ホームとも、何かが違う 延々と続く長いホームに4両編成の電車が物寂しかった
客が少なかった 延々と続く長いホームに7両編成の気動車が物寂しかった。
客が少なかった。 >>69
東福寺駅w
コアなネタでワロタ
トイレは覚えてないがベンチにはガムの食べ滓、灰皿には吸い殻が溢れ返っても誰も掃除してなくて
呆れたことは覚えてる 奈良線は宇治市民にとっては最高に良い列車だったぞ
京都駅まで少ない駅を
快適な速度で安い価格で走行してくれていた。 そろそろ正月輸送の時期だな、稲荷ー京都のピストン輸送に普段日中は入らないキハ35以外の気動車が投入されるのが楽しみだったが非電化最後の年はキハ35だけだった。 稲荷駅の巨大絵馬、巨大注連縄
飾り付けられると正月が近いと実感できた >>84
奈良電化以前は奈良・桜井線は白熱灯照明の薄暗いキハ17のたまり場だったので
キハ35が入っていたら蛍光灯が明るくて嬉しかったんだ。でも走り出すと窓や側扉からの
隙間風が酷く冬場は隣のキハ17に早々に待避したね。 「鉄道模型趣味」の別冊に桃山駅と周辺を実物そっくりに
Nゲージで作った記事が載っていた。
アパートの一角まで実物どおり。「こういう細々とした
部分こそ、最も再現されなければならない」とか何とかの
文言が新鮮だった。
あのレイアウト壊されずにまだ残っているのかなあ? >>88
自分も京都に行くときに多くは近鉄の大久保から乗ったけど、時々奈良線の新田から乗車した。
片やエレベーター付きの高架駅、片や田舎然とした木造の時間帯によっては無人駅。その落差が楽しかった。 >>87
昭和の桃山駅は貨物駅なイメージ、米を積んだワムやアルコール輸送のピカピカ光るタンク貨車で酒造会社向けの貨物を扱ってた。貨物の施設の大半が今はマンションになってる。 >>89
もっと言うとその二者では京阪>近鉄の認識が一般的だった >>92
勝手に一般化するなw
我が家ではデパートや野球チームを持ってた近鉄の方が上だった
……近鉄は今はどっちも無くなってしまったが 爺さんが生前に桃山駅は御陵の最寄りで昔はすごく格の高い駅だったと力説してたが、
俺の知る桃山駅は駅廻りにろくに店のない寂れた場末の駅でしかなかった >>95
格が高いからこそ駅の真ん前に店を構えるなど
畏れ多くてできなかったとか?
大手筋というと京阪と竹田街道の間が中心地であって
近鉄よりも東は急に人通りも減ってしまう印象
>>94
とはいえ百貨店は元は丸物、鉄道も元は奈良電鉄だったわけで
近鉄プロパーではない 京都駅から祇園や清水寺などへ行く観光客に、JRでは奈良線東福寺まで出て京阪に乗り換えるよう案内してるとのことで、時代の変化を感じるわ
昔の国鉄職員は私鉄の存在など知ったことでなく、案内をしなかったか、せいぜい市バスさらに昔は市電で行ってくれくらいしか言わなかったという 存在感がないくせに態度だけは尊大か
そりゃ閑古鳥が鳴くのも分かる 昔は車内放送で東福寺での乗換案内なんかやってなかったろ 今は市内の主要通が車の洪水でバスもタクシーも使えない
オーバーツーリズムのせいだ 国鉄時代のサービスは何もかもがダメだったことは確か >>102
バスは路線を選べば使えんことはないよ
タクシーはいい運ちゃんに当たれば裏道飛ばしてくれるけど期待薄