懐かしの国鉄奈良線
京都〜名古屋は、急ぎなら新幹線
安く行きたいなら高速バスなど
急行平安が走っていた時でも短絡機能は無かった
京都〜伊勢で草津線経由は、近鉄特急が直通する前までさかのぼる
新名神ができた今、近鉄でさえ大回りに感じる
しかしまぁ、奈良線は民営化後大化けしたなぁ
電化後しばらくの中古暖房車2両のイメージが強い ああ〜 我が青春の 千代田線103系〜
奈良にて美しき我が若き日々が蘇る〜
回春だってぇ? 余計なお世話だ〜 >>173
関西鉄道時代から新幹線開通前の話だよ
流石に今このルートで行くのは18キッパーだけだよ >>177
関西鉄道が旧東海道のルートを踏襲したのが草津線だからね >>178
「関西鉄道が旧東海道のルートを踏襲したのが草津線だから」172読んでそう思えるのか?
訳分かんねえぞ そうこうしてるうちに城陽〜京都完全複線化完了です
懐かし板なのでこれだけにしときます 通常は大久保駅から京都に行っていたが、たまに奈良線新田駅も使う。いまだに木造駅舎だが、自動改札になったのは時代を感じる。 それでも近鉄京都線は全区間複線だからなあ…
まだまだ、背中は遠い 伏見民は京都駅へ出るのに鉄路の選択肢が4つもあるのだな
その中でもっとも選ばれる確率の低いのが奈良線というわけで 京阪は置いとくとして、実際に3つから選べる伏見区民なんかそうは居ない 京都教育大の近くに住んでるが京都駅出るのに奈良線以外に選択肢なんかない
JR藤森できる前なら別だが 昭和45年までなら市電、京阪、近鉄、国鉄ってこと? そんなもん行き先によっていかようにも変わる
決められるか >>185
それはいくらなんでも国鉄をディスり過ぎよ >>192
国鉄時代でも京都駅行くのに京阪使うのはアホのすることや
今より東福寺の乗り継ぎ不便だったんだから余計にな >>193
1968年までは近鉄との相互乗り入れがあったからな >>193
当時のあの本数の奈良線を待つぐらいなら七条から歩いてたわ
たとえ待ったほうが早くてもな 同じタイミングで電化された和歌山線五条和歌山間や弥彦線がコスト節約で直接吊架式採用したが奈良線はシンプルカテナリにしたのは、やはり、今後は高速高頻度運転していくぞという気持ちの現れだったんだろうか 木津まで全線複線化、と思っていたら今回も部分複線化ですからね
単線区間が残ると、結構ネックになると思います >>201
まあ、列車本数が多い城陽までは完全複線化できて増発もできたし
玉水のあたりで部分から複線化したことで、みや快の棚倉運転停車も無くなってスピードアップも達成できたからそこそこ良かったんじゃないかな?
増発・速達化で利用者が増えれば次は完全6連化、一部8連化とかしていって、それからさらなる増発速達を目論んで完全複線化に向かうって算段じゃないかな 国鉄時代(ただし電化後)から知ってるけど、
国鉄→JR奈良線は、将来「化ける」と
なんとなく思ってたけど、
実際そのとおりになってきた。 105系2両がうろちょろしていた時代→113系非冷房→117系…
進歩したねぇ。 105系2両編成がすごく混んでいたのを見た
ことがある。
103系1000番台が、のんびり余生を過ごすべくやってきたのに、この混在にはたまげたと思う。 >>205
おいおい仲間は常磐快速線でラッシュに立ち向かってたのに
のんびり余生とか甘すぎるんだよw >>204
117系は主に快速での使用で普通列車は103系に後退した >>207
103がずーっといたことは知ってるよ。
それよりも117系が快速として走り始めたことのほうが衝撃だったってこと。
JRやる気出てきたなぁ…と思ったもんだ。 あの奈良線に快速が走り出したってだけで当時なかなかの衝撃ではあったな
開始当時六地蔵はまだなくてその開設から快速停車までだいぶかかったけど、利益結構取り逃してたんだろうなと >>211
非電化時代にはキハ35がいたくらいだから通勤型として違和感はない。 キハ35は関西本線のついでに走っていたようなものだから
もともと不相応 リアルでは電化後105系時代以降しか知らないが、
ムック本なんかで奈良線の非電化時代の写真が
皆キハ35系なので
俺もやっぱり奈良線(非電化時代)=キハ35のイメージなんよね。 117系快速は加速が鈍かったので単線の奈良線には辛そうだった 表示幕が新快速のようにデザイン付ではなく「普通」と素っ気ないものだった >>213
昭和40年代まではキハ17も結構多かったからな。
キハ35がメインになったのは関西線湊町−奈良の電化後の話だし。 >>217
優等と差を付けるためにlocal普通車は素っ気なくするのはまっとうだと思うが。
localにそんなとこまで求めるかいな 1980年代には既に「奈良線全線複線化は県民の悲願!」という看板が木津駅付近に立っていた
あれから40年以上の歳月… そりゃ奈良県民だろう
京都府民にはあまり関係ないからな イオン高の原店は「県境」が店内にあることで有名だけど、
府境って言わないみたいだね。 それは京都視点だからだろう
自分側からみて自分側の呼び名は
あまり使わないのではと
一般的に >>221
複線化の前は電化だった
悲願は少しずつかなえられてゆく >>226
店内に線を引いていたり、アピールする表示もあるね。
境に位置する店もある。 >>229
たしかに離れてるけど
「かなり」と表現するほどは離れてない 平城山駅も木津駅も3㌔以上か
お世辞にも沿線とは言えず徒歩移動も現実的ではないし「かなり」で語弊はない >>232
駅から歩いて買い物に行く人はほとんどいないんじゃないかなという距離だもんね 都会ならそこまで歩かなくても店あるし田舎なら車に乗らなきゃ下手すりゃ不審者扱い
物好きか徒歩1万歩が日課とかそのくらい