懐かしの国鉄奈良線
>>135
昔から連絡きっぷは売られてたけど、奈良線が使い物にならなくて列車が増発されるまで乗り換える人はあんまり見なかった。 >>135
そりゃ利用客は知ってるわな。
てかどういう意図で質問してるの? 105系が走っていたころはワンマンカーだったのですか。 >>111
1面1線でしたよ。
子供のとき、墓参りでたまに利用してた。
当時は、奈良寄りの踏切のところに駅舎があったようだ。
今は踏切から遠くなったが。 時々車輛運用の関係で桜井線用ワンマン運転対応の105系が京都まで来たことあったな。
運転台の真ん中に丸い車内監視用のミラーがあるからすぐに見分けが付いた。 電化当初は105系2両編成だったのに
今や6両編成もあるとは隔世の感 京都−城陽間の複線化が完了したら、大阪−城陽間の直通快速を運行して欲しい 京都到着時の放送は
必ず
国鉄奈良線、普通気動車の奈良行きは・・・
だったよ 別スレにもレスしたけど96年頃の快速はL特急みたいな風格があった。
完全単線なのに上下とも宇治で緩急接続してしまうダイヤで、
京都〜宇治、城陽〜木津は運転停車無しのノンストップ。
車両も当時の特急踊り子ほどでは無いけど、京阪や阪急の特急と同じ
2ドア転換クロスシートで3ドアの新快速や大和路快速より居住性良かった気がする。
奈良から乗った時は空席が多かったから、駅で買った柿の葉寿司駅弁を車内でよく食べた。
ただ一部ロングシート化された117系が来たのもこの頃だったかもしれない。 >>144たしかに
ディーゼル時代の朝はもっと長かったか 激しく混雑するのがほんの1本か2本だね 今はもう少し増えたか
京阪や近鉄はもっと多いけど 民営化後、複線化工事が始まるまで、稲荷駅北側の祓川踏切よりさらに北側の線路東側にプラットホームの跡のようなものが残っていたけど、何だったんだろう。
あまり高くなくて汽車ホームぐらいの高さだった。 >>157
そのことに興味を持った人のツイート群を参照すると、やはり貨物ホームだったらしい
「愛知県から出荷された陶器を受荷してた」という人の子孫のリプライもあった
ポなどの陶器車が連なっていたんだろうか。
画像を探してみたが、当該ホーム上から撮影した蒸機列車の写真(1972撮影)は
とりま見つけた。
http://samu36.uh-oh.jp/conv0018437.jpg
http://samu36.uh-oh.jp/conv0019327.jpg
http://samu36.uh-oh.jp/newpage79.html
単線時代の各年代の空中写真も見てみたが、
ホームの存在と、北側から南側へと側線が分岐している様子もみられる。
北側からの分岐部分から撮影した写真もあった(おそらくホームは撮影者の背中側)。
https://stat.ameba.jp/user_images/20180423/16/tetsudotabi/e9/37/j/o1024069214176334393.jpg?caw=800
https://ameblo.jp/tetsudotabi/entry-12370605222.html
同じ蒸機時代(2年前の1970撮影)なのにこっちの写真は側線のレールが見えないけど
草生しているだけかと推測。 あるいは分岐部分はすでに撤去されてて
ホーム部分だけしかレールは残ってなかったのかも。 >>152
実質関東じゃ有料特急として使われた車両だからね。
デッキがあったとはいえ。 城陽市の広報に国鉄奈良線城陽駅開業にまつわる記事が。
棒線にホーム一面だけの駅で民営化後も列車改札をしていた駅がずいぶん立派になったもんだ。 うまくお金を引き出せたんだよ
JRの勝利
地元のメリットを強調すれば、まず断られることはない 城陽駅のことなら全額かそれに近い額を出させたんじゃなかったか?
六地蔵駅新設の時も今の複線化工事もそうだが
鉄道は公共性が強いので補助金はかなり出せる
↓見ればわかるが複線化工事は3/4が補助金
https://www.city.uji.kyoto.jp/soshiki/35/7314.html 便利になって欲しいだけで、
設備を不必要に豪華にする必要はない
そこを自治体が勘違いしてリニューアルといえばやたらと重装備にしたがる 基本設計を決めてから全ては始まるんやから設計事務所と役人の考え方で決まるんだよ。まぁ設計事務所も役所への競争入札だから基本は役所の考え方がベースだね 石部の人が「奈良線は複線化が進んでるのに、なんで草津線は単線のままやねん」と嘆いていた。
「そら、府からお金が出てるから工事してる」と言うも今ひとつ納得してなかった。
奈良線は、ここ30年で大きく姿が変わった路線の一つだな。 奈良線は曲がりなりにも奈良と京都を結ぶ路線で沿線人口もそれなりにいるからね
草津〜拓殖じゃあ無理もない 私だ、柘植康英である。
名前を間違えるとは、けしからんヤツである。 こことは違って草津線は京都と伊勢・名古屋への通り道だけだしな
その割には輸送人員は万を越えてるんだよな >>172
> 草津線は京都と伊勢・名古屋への通り道だけだしな
おいおいそんな奴ほとんどいないよ
伊勢へは近鉄、名古屋へは新幹線だろう
でも草津線自体には並行する鉄道がないから一定数の沿線需要はあるんだろうな 京都〜名古屋は、急ぎなら新幹線
安く行きたいなら高速バスなど
急行平安が走っていた時でも短絡機能は無かった
京都〜伊勢で草津線経由は、近鉄特急が直通する前までさかのぼる
新名神ができた今、近鉄でさえ大回りに感じる
しかしまぁ、奈良線は民営化後大化けしたなぁ
電化後しばらくの中古暖房車2両のイメージが強い ああ〜 我が青春の 千代田線103系〜
奈良にて美しき我が若き日々が蘇る〜
回春だってぇ? 余計なお世話だ〜 >>173
関西鉄道時代から新幹線開通前の話だよ
流石に今このルートで行くのは18キッパーだけだよ >>177
関西鉄道が旧東海道のルートを踏襲したのが草津線だからね >>178
「関西鉄道が旧東海道のルートを踏襲したのが草津線だから」172読んでそう思えるのか?
訳分かんねえぞ そうこうしてるうちに城陽〜京都完全複線化完了です
懐かし板なのでこれだけにしときます 通常は大久保駅から京都に行っていたが、たまに奈良線新田駅も使う。いまだに木造駅舎だが、自動改札になったのは時代を感じる。 それでも近鉄京都線は全区間複線だからなあ…
まだまだ、背中は遠い 伏見民は京都駅へ出るのに鉄路の選択肢が4つもあるのだな
その中でもっとも選ばれる確率の低いのが奈良線というわけで 京阪は置いとくとして、実際に3つから選べる伏見区民なんかそうは居ない 京都教育大の近くに住んでるが京都駅出るのに奈良線以外に選択肢なんかない
JR藤森できる前なら別だが 昭和45年までなら市電、京阪、近鉄、国鉄ってこと? そんなもん行き先によっていかようにも変わる
決められるか >>185
それはいくらなんでも国鉄をディスり過ぎよ >>192
国鉄時代でも京都駅行くのに京阪使うのはアホのすることや
今より東福寺の乗り継ぎ不便だったんだから余計にな >>193
1968年までは近鉄との相互乗り入れがあったからな >>193
当時のあの本数の奈良線を待つぐらいなら七条から歩いてたわ
たとえ待ったほうが早くてもな 同じタイミングで電化された和歌山線五条和歌山間や弥彦線がコスト節約で直接吊架式採用したが奈良線はシンプルカテナリにしたのは、やはり、今後は高速高頻度運転していくぞという気持ちの現れだったんだろうか 木津まで全線複線化、と思っていたら今回も部分複線化ですからね
単線区間が残ると、結構ネックになると思います >>201
まあ、列車本数が多い城陽までは完全複線化できて増発もできたし
玉水のあたりで部分から複線化したことで、みや快の棚倉運転停車も無くなってスピードアップも達成できたからそこそこ良かったんじゃないかな?
増発・速達化で利用者が増えれば次は完全6連化、一部8連化とかしていって、それからさらなる増発速達を目論んで完全複線化に向かうって算段じゃないかな 国鉄時代(ただし電化後)から知ってるけど、
国鉄→JR奈良線は、将来「化ける」と
なんとなく思ってたけど、
実際そのとおりになってきた。 105系2両がうろちょろしていた時代→113系非冷房→117系…
進歩したねぇ。 105系2両編成がすごく混んでいたのを見た
ことがある。
103系1000番台が、のんびり余生を過ごすべくやってきたのに、この混在にはたまげたと思う。 >>205
おいおい仲間は常磐快速線でラッシュに立ち向かってたのに
のんびり余生とか甘すぎるんだよw >>204
117系は主に快速での使用で普通列車は103系に後退した >>207
103がずーっといたことは知ってるよ。
それよりも117系が快速として走り始めたことのほうが衝撃だったってこと。
JRやる気出てきたなぁ…と思ったもんだ。 あの奈良線に快速が走り出したってだけで当時なかなかの衝撃ではあったな
開始当時六地蔵はまだなくてその開設から快速停車までだいぶかかったけど、利益結構取り逃してたんだろうなと >>211
非電化時代にはキハ35がいたくらいだから通勤型として違和感はない。 キハ35は関西本線のついでに走っていたようなものだから
もともと不相応 リアルでは電化後105系時代以降しか知らないが、
ムック本なんかで奈良線の非電化時代の写真が
皆キハ35系なので
俺もやっぱり奈良線(非電化時代)=キハ35のイメージなんよね。 117系快速は加速が鈍かったので単線の奈良線には辛そうだった 表示幕が新快速のようにデザイン付ではなく「普通」と素っ気ないものだった >>213
昭和40年代まではキハ17も結構多かったからな。
キハ35がメインになったのは関西線湊町−奈良の電化後の話だし。 >>217
優等と差を付けるためにlocal普通車は素っ気なくするのはまっとうだと思うが。
localにそんなとこまで求めるかいな 1980年代には既に「奈良線全線複線化は県民の悲願!」という看板が木津駅付近に立っていた
あれから40年以上の歳月… そりゃ奈良県民だろう
京都府民にはあまり関係ないからな イオン高の原店は「県境」が店内にあることで有名だけど、
府境って言わないみたいだね。 それは京都視点だからだろう
自分側からみて自分側の呼び名は
あまり使わないのではと
一般的に >>221
複線化の前は電化だった
悲願は少しずつかなえられてゆく >>226
店内に線を引いていたり、アピールする表示もあるね。
境に位置する店もある。 >>229
たしかに離れてるけど
「かなり」と表現するほどは離れてない 平城山駅も木津駅も3㌔以上か
お世辞にも沿線とは言えず徒歩移動も現実的ではないし「かなり」で語弊はない >>232
駅から歩いて買い物に行く人はほとんどいないんじゃないかなという距離だもんね 都会ならそこまで歩かなくても店あるし田舎なら車に乗らなきゃ下手すりゃ不審者扱い
物好きか徒歩1万歩が日課とかそのくらい