懐かしの連接車 [無断転載禁止]©2ch.net
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連接車に乗ったら必ず連結部分の渡り板に立ったあの頃…
遠い昔の思い出を語り合うスレです。 そんなマイナーな形式出さなくても小田急や近鉄で目撃出来たのに >>3
ジョイント通過音が通常のボギー車と違うくらいで
外観上でもそんなに趣味的に興味を惹かれるものじゃなかったな 外観上の特徴ねえ…
多くの場合広幅貫通路だから幌のスタイルに特徴があるかな びわこ号は子供の頃ひらパーで保存されてるのに乗ったことがあった
しかし子供にも分かるような厚化粧で一緒に付いてきてくれたジイちゃんがこんな色じゃなかったと何度も言ってたなあ 元祖連接車ですな>びわこ号
色のことは、個人の記憶なんて曖昧だからw
保存車両はどんな風にしたってファンの口から苦情が出るものだね >>6
まあ、それ言っちゃうと鉄道線車両でも特急形で連接機構を採用してる例があるし、
昔の思い出のスレだからいいんじゃないですかね 東武日光軌道線200
博物館でいまでも見学できるのが嬉しい 決めつけは良くないよ
俺は動態保存が最上とは思わない 連接車なら二両とも保存対象だが
スペースの問題もあるしメンテも倍になるし、
気乗りしないだろうなあ いっそのこと玉電デハ200みたいなのだったら興味持てそう 名鉄の岐阜地区の軌道線には連接車が幾つか籍を置いていたが、
札幌から来た870は台車の造りが良くなかったのかよく揺れたし騒音も大きかったよ >>19
他にも原因はあるようだが、玉川線の廃止時に真っ先に淘汰を検討しなきゃいけないほど悪かったらしい 皆さんの投稿を拝見するに、
軌道線連接車は総じて乗り心地が悪いと言うことですか? >>2
戦時中の設計だったので一にも二にも資材節約。
連接式にすれば台車が浮くからという理由で他社に先駆けて導入したとか
当然、乗り心地・騒音等への配慮は時代的に望むべくもなかった 西鉄500系は戦後少しずつ改造や修繕が加えられて接客設備も
良くはなっていたらしいよ。 普通の台車を連接車体に転用できないなら連接専用の台車を造らざるを得ず、
あまり節減効果が期待できなかったのでは? >>25
九鉄創業時の木造車群が20系に鋼体化され、100系が更新され、200系が甘木線へ引っ込んだ後は、
300系とともに古さが目立つ、西鉄電車のイメージダウンを一身に背負い込んでる時代があった。
最大5連まで組めるキャパの大きさに目を瞑って貰えた300系とは違い、小型車体3連なので早めに見切り付けられたというところかな。 2編成しかなかったから輸送力の面での貢献度は高くなかっただろうな
ファンの記憶には残るけども。 >>27
>>28
西鉄500形は引退末期の数年は太宰府線の
二日市〜太宰府折り返し運用の専用みたいになっていたな。 >>27
500形は甘木線にピッタリだと思うんだけどな。
なぜ200形ばかりになったのだろう。 >>31 異端児は嫌われるモノ。
車両整備側の拒否反応が高かったのでは? そうか。厄介な電車だったのか。
それにしても、あれだけ多岐にわたる改造が必要だった200形よりも嫌われるとは、よほどのものだったのね。 地味な存在だが福島交通のデハ5000
一編成しか投入されず後継のデハ5100は通常のボギー方式。
やはりメリットが見い出せなかったのだろう ちょっとした作業にも天井クレーンや仮の台車が要るからな
一般には誘導掛と構内運転士が居れば可能な入換作業にもクレーン操縦士や玉掛け主任を呼ばなくてはならない
要するに経営体力の有る会社向け そろそろ小田急が7000の置き換えに着手か?
後継は一般のボギー車かも… 来年は開業90周年だから何かやりそう。
ボギーはともかくロマンスカーの顔ともいうべき展望席は残した方がいいかもね。 >>27
そのようだね
某趣味誌にも同趣旨の記事が出ていた、 無かったんだろうね
小田急SE車に始まる特急車群は、西鉄500系が祖になってるといわれてるのに 福鉄200系は紛れもなくエースの存在感だったものね。
言わずもがなで保存の動きになったと思う >>41
それは言い過ぎだな
実際の運用でどの様な問題点があるかを確かめに行っただけ、
西鉄からのインスピレーションは何もない >>40
それほど西鉄車両史に足跡を遺したか、というと微妙じゃない?
一般ファンの知名度が保存か解体かの決定打にはならないが
500系はどちらかというとマニア向けの存在だったような そもそも西鉄自体が車両保存に消極的な会社なので、仮に価値を認めていても保存はなかったろうな
古くは九軌創業時の車両であえて屋根をいじらなった福岡市内線の102、
最近では2000や313を躊躇なく潰すくらいだし
どうでもいいけど西鉄の旧型を「系」呼ばわりするのは違和感があるなぁ
奈良崎氏は明治生まれの木造車すら○○系と呼んでいたが >>21
そのわりには人気あったよな。
まるで役立たず機関車のDD54みたいだな。 ここまで近鉄10000系と10100系の話題無し…意外だな。
同じ関西の京阪びわこ号は出てるのに。
俺が好きだった連接車は近鉄10100系。
座席はリクライニングしなかったけど、座り心地は悪くなかった。 >>50
あんたが思い出話を出せばいいじゃん
ただの形式羅列ならいらんw >>46
短命だったし。ファンの記憶に残るにはあと10年は長生きしたかった 名鉄モ400
保存車しか見たことないが乗り心地はどんなものだったのだろう
丸窓電車みたく市内線に乗り入れていたら……と妄想は尽きない 同系車も改造される予定だったがなぜか立ち消えに成ってしまったという
もし実現してれば西鉄並みの連接車王国になってたかも たった3編成で王国とは草
西鉄は60編成以上抱えていたんだぜ >>57
オタがSE作るんで、山本さんが部下連れて見に行った。西鉄どこかの駅で、いきなりホームから線路に降りて台車見始めたので、西鉄関係者慌てたってさ。 一応現役なので懐かしくも何ともないが、北勢線の201+101+202に乗ると
中間の101の横揺れが際立って酷い。やはり重心が高いからだろうか。
当初三重交通は中間T車2両にして4車体5台車編成で造るつもりだったらしいが
設計認可が下りなかったのも、この走りをみれば頷ける。 鹿児島市電700形
何度か乗ったが一枚も撮影しなかった
人生の不覚に深く反省し懺悔撮影の日々 >>60
他の人があなたの代わりにたくさん撮ってるから気にすんな 釧路臨港の連接セキ
2車体で60tもの石炭を積むとなると車軸毎の荷重負担の差が気になるところだが
自社線内専用で国鉄(JR)線へ出ていかないから無問題、ということなのか。 おまえら、
ビデオテープって、ど〜してる?
DVD変換してる?
懐かしい映像とかもったいないじゃん???
で、こんなトコ見つけた!
★★http://pcassist-tachikawa.jp/dvddub.html
PCアシスト立川
古いビデオテープをさ、
持込でも郵送でも、DVDに焼きなおしてくれるw
デザイナーさんがいて、
『タイトル+タイトル画』も付けてくれるw
既成とオリジナルとあってさ、
1)絵心のあるヤツは自作の絵でもOK!
2)ガキんちょの絵だって、バッチリ
3)写真だって決まるぜ
おれ、近くだから、思い出のビデオテープと絵を持ち込んだ。
涙出るくらいカッチョええwww
PCアシスト立川〜〜〜〜〜〜おすすめだぜ!!
w 小田急が西鉄を視察か‥昔は東京大手もそれいがいもフラットだったのな
しかし九州まで遠出しなくても
京阪びわこ号では物足りなかったのだろうか
一応、あれも鉄道線を走れる仕様にはなってたのだけれど >>65
SEは高速意識してたから、びわこ号ではイマイチだったんじゃないか。車両数も、運用も西鉄が群抜いてたからな。山本さんは退社後、中央西線の381が出た時も線路から、台車見てたって言うからな。 >>65
でも実際に京阪間を走ってたのは戦前まででしょ
そもそもあの規格では本格的な高速列車設計の参考にはならんねえ >>44
併用軌道上を走るから仕方ない事情があるが、
もう少しボディが長い方が格好良かったと思う ローカル線に大型車は要らないよ
京福が南海からヒゲ新を買い込んで急行に充てていたが
正直もて余していた観があるわ 広電にも昔から連接車がいたが、
そんなに関心を惹いてるようには感じなかったな 西鉄と同じで、数が多くて当たり前のように存在してる状況では
関心も持たれない >>4
小田急沿線住民なら聞き飽きて興味なしでしょう >>76
それほど客が多いわけでもないのになんで
作る気になったのかな
実際には殆ど活躍しなかった
メーカーにうまくのせられたか 製造してから10年そこらで廃車されたのも不運だった >>227
そういえばみなほは女子アナの罰関連でサンドイッチマンを招待してた 誤爆失礼w
>>82
和歌山ではその程度の客数だったということね >>81
連接の軌道線車で転職できたのは西鉄→熊本市、西鉄→広電、札幌市→名鉄だけか
東急玉川線、名古屋市、大分交通は和歌山同様に路線と運命を共にした・・ 路面電車の連接車がそもそも珍しい
ところで大分交通の連接車は知らなかった >>86
熊本市電に行ったのは古い車でなかなか冷房が付かなかった 屋根上に重いものを乗っけるわけで
そう簡単には改造できない >>85
他の人も書いていたが、やはり保守のしにくさが最大の弱点でしょう
一日のたった二時間ほどだけの多客時のために、
特別な保守態勢を取る余裕が地方私鉄にはない 警察の許可もなかなか下りないらしい。
あんな長い物体がノソノソ路上を走るとそれこそ事故の素になるから。
スレ脱だが今京阪浜大津付近を走る800なんてよくOK貰えたなあと思う。 和歌山はどういう経過でOKになったか知らないが
大分は一両より二両で走った方が客を効率的にたくさん運べて
混雑緩和につながると当局を説得してOKを勝ち取ったと
でも残念ながら連接車は使いこなせず、
代わりに永久連結車を新造して重用した 土佐電鉄みたいに客の増減に応じて単行になったり組成したりする方が
効率的じゃね? >>99
昔は札幌にも親子電車とかあったな
親はまだ生きてるとか 小田急の新型ロマンスカー70000型GSEはボギー車になった。
数十年後には連接車のロマンスカーは過去の物になっているのかな? >>99
高速電車では解結操作もコスト要素になるので
だったら最初から長大な固定編成を走らせておこうということになった
もちろん、間引きはやりますw 家族で伊勢旅行に行ったときにビスタ2世に乗った
鉄チャン若葉マークだった頃で連接部に興味津々、
隣の車両に用事もないのに何度も行きつ戻りつして大はしゃぎしてたら
オッサン客に、静かにせいと叱られてしまった ビスタカーは鉄か非鉄かで行き先が異なるわけかw
非鉄は2階席へ。
鉄は連接部へ。 むしろ小田急がここまで連接車を投入し続けてたのが奇跡 福島交通や福井鉄道のように1形式だけ採り入れたケースに興味を覚える カーブの速度向上策として、連接車って空気ばね車体傾斜に比べてどの程度優位なんだろうか? >>118
小田急50000形とか連接車の空気バネ車体傾斜の例もあるから
走行性能への影響はおそらくほとんどないんじゃないかと
乗り心地にしてもオーバーハング部にドアやトイレを設置すればすむ問題だし >>119 だから連接車が普通の車両に比べて相当有利な点は何か?を聞いているんだけど。蛇行動にしても、台車の改良で連接車でなくてもかなり抑止できるようになった。 >>120
だから「ないんじゃない」って答えてるんだけど 福鉄200は福井のエースよ
良くないなんてとんでもない 江ノ電は効果あっただろうね
エグいカーブの連続だもん 熊本市電で元西鉄の連接車初体験
でもそんなに特別なものでなかった 福島交通がモハ5000をもて余したのも保守のノウハウが使えなかったからと聞く
好ましいデザインで長生きして欲しかったが
昇圧で終焉 後継デハ5100が普通の構造に戻ったのが何よりの証拠
メーカーの売り込みでもあったのだろうか 三岐北勢線200系の乗車経験は付随車になってからだけなのは悔しい。
JR近鉄を越えるカーブでは中間車の横揺れが酷い。
網棚につり革が当たる音がする。
付随車化は垂直カルダンの保守に手を焼いたのが原因らしいけど、
六十年前のナロー車輌としては白眉の存在だろうな。 三重交通が3車体連接、垂直カルダンなど既存の枠組みから逸れた車を投入しようとしたのは何故
観光路線の看板車両としてのパブリシティー効果を帳消しにしかねない
導入&保守コストの増高は明白だったが。 それこそメーカーの売り込みがあったと聞いているが? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています