昔の塗色を懐かしむスレ©2ch.net
ごく短命に終わった名鉄のライトパープルがイチオシ。 >>540
いや急行色のほうが違和感あるよ。俺ら世代は。
「キハ40系の顔+車体」のツートン国鉄標準色は
キユニ28とかで実際に纏ってるし 俺等世代はとか言われてもな
あんたの世代なんて知らんw オレ自己完結の記述であって
見ず知らずのあんたに反応してもらいたいために書いた記述ではないのだが E653系国鉄特急色は前面から側面にかけての部分をもう少し485系っぽくして欲しかった。
けっこうマッチしてると思うので、そこだけ少し残念。
E2系200系色はNゲージだったら銀色のテープでダミーの前照灯を貼りたくなるw キハ47急行色塗装は一瞬キハ66/67かと錯覚するけど
2連窓じゃないからすぐバレるんだよね 顔ほぼ一緒じゃね
昔117系にキハ40系の顔をくっつけようと思ったことがある 富士急5000系の顔もキハ40に似てる。て、いうかあれは電車と言うより気動車の顔だ。
後に変な色になったが、登場時の富士急カラーのほうがいいね というかキハ40自体がキハ58パノラミックウインドウ車顔なんじゃね? 富士急5000系がパノラミックウィンドウか?ああ? 555(σ・∀・)σゲッツ!!
555キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
555(・∀・)イイ!! >>554
何顔っていう話で
そこまで同一とは言ってないのよ キハ58/28は運転席窓と貫通扉窓の高さがだいたい同じ
キハ40シリーズは貫通扉の窓の高さがちょっと低い テールランプの位置の違いでも大分印象が変わる
58と同じ急行色の66/67はそっち寄り
スレチだw 国鉄時代の塗分けってなるべくパーツにかからないように
うまいこと処理してありますよね
クハ401デカ目の前面青帯はシールドビーム車の青帯に比べて若干細かった 赤車体+白帯
東海顔両開き3扉→115-2000
東海顔両開き2扉→413
東海顔片開き2扉→471/475/457
食パン顔折戸2扉→419
国鉄末期JR初期だけの限定塗装 新潟の旧国が115系化された時,塗色は引き継がれなかったかと思っていたので
昔の京急のような赤黄ツートン姿の115系が出た時嬉しかったな 金沢の国鉄色485系は雨樋がクリーム色だったけど貧弱さを感じた 省力化いろいろ
・20系の上白帯省略
・12系14系など折戸部分白帯省略
・EF65PF下関所属機貫通扉上部塗分省略
・一般型気動車のタラコ
・JR西日本の単色塗り 身延線115-2000、飯田線119の白帯
新製時は塩ビテープだったような
のちに塗装された 毟る奴がいたからな
それでなのか後の東海で色を変えても塗装
旧国目当ての鉄ヲタの仕業のように言われるが
実際は地元の悪ガキ
被害が出たのは概ね旧国が消えてから 瀬戸内115-3000青帯も塩ビテープだったのかな 毟られなかったにしても、塩ビテープって風雨に晒されているとあまり長く持たないんではないのか?最近のラッピングはかなり耐久性が良くなっているのだろうが。 国鉄の厳しい予算請求にメーカーがヤケになったとか?
「これ以上の値下げは無理です!じゃあ帯は塩ビテープにしますよ!!」 省力化のためテープにしてみたが、耐用性がまだ判然としていなかったのだろう。
更にひっ剥がす悪さする奴らもいたのが不幸だった。
その後素材の進歩もあって普及と思う。 ユーロ塗装機の新しい発見
EF64→EF65PFに似ている!
EF65-0→EF65Pに似ている! JRマークは民営化直後からものすごい勢いで貼り付けられましたな
あれも塩ビシートで後日塗装だったのだろうか 70年大阪万博で新幹線に関西の列車に張り付けられたロゴマークも塩ビシートだったのか?今度はミャクミャク様マークが貼り付けられるのか・・ 鉄道車両は一斉に国鉄からJRマークに交換されたが
バスは国鉄からJRになってから数年後も国鉄マークのままで走っていた車が結構あった >>578
特急車両のJNRマークは簡単に外せないから、
JR化後もJNRとJRの混在が見られた。
バスも1993年になってもJNRマーク付き車両があった。
外されないまま廃車されたんだろな。 スロフ12-701/702(ユーロライナー展望車)
ステンレス切抜のJNRマークありましたね >>578
バスは鉄道車両よりライフサイクルが短いというのもあるだろうが
動輪マーク付のバスは民営化から10年以上残ってた
>>579
当初は脱国鉄に躍起になって焼き切ってた印象だが
10年以上経つと懐古がカネになると気付いたようでw
銀テープみたいなもので体裁を作ってたな >>575
EF64と65は解るが
EF65同士は元々殆ど同じだろうが
改造車もあるくらいだ
>>576
一夜で殆ど済ませてなかったか
自連化以来の大作戦だった
現場にとっちゃ新会社採用初仕事 JRマークの貼付けは、ほぼ一晩だったな
ペースが遅かったのが、メイテツウイング
初日は1000と8800だけ
6000や7000などは、数ヶ月後に貼り始め
対象外の車両も多数 東急のロゴマークだって一夜にして全車両に貼り付けられたわけではなかったような。
TKKのマーク剥がしてロゴマークつけなくてはならなかったし。
JRの場合、最早国鉄ではないことを印象付けるために一夜にして全車両に張り付けた。 東急、青ガエル入れ始めた頃にそれまで二色塗だった旧型車も緑一色に変えているが、時代に逆行してたような。 103系1000/1200/1500番台のJNRマークも民営化を境に一斉に消されたのかな >>585
東急3000系列が緑になったのは1968年頃から始まり2,3年かかった
それまで5000用の緑と3000用のツートンと15年位平行して存在した
5000ももっと鮮やかなグリーンだったが3000とお揃いになって
色合いが渋い感じになった。世田谷線も1970年から同じ色になった
因みに小田急がクリームに太い青帯になり始めたのも1968年で同じ頃 >>585
二色から単色は時代の最先端じゃないの?
国鉄キハの首都圏色(タラコ色)はもうちょっと後かな >>587 >5000ももっと鮮やかなグリーンだったが・・
それがよくわからないんだよな。中央線の101系もデビュー当時は今より赤みのかかった色だったとの記事を見たことがあるが、塗料を変更したとの情報は見当たらなかった。
撮影時の光の当て方や写真の劣化によって色調が変わってくることを考えなくてはならない。
>>588 東急5000初代がデビューした60年代初め頃から70年代初めまで、多くの大手私鉄で二色塗りなどカラフルな塗装を導入していたが。その後、74年のオイルショックを機会にコスト削減のクリーム色一色など単色化が流行る。マルーン単色だったのを白のラインを入れた阪急のような例外もあるが。 初めて京浜東北線の103系を見た時は、掃き溜めに鶴の感じだった。
スカイブルーがフレッシュだった。 JR西日本はホワイト+ブルー(コーポレートカラー)+ピンクを使う例が多かった
スーパーサルーンゆめじ、エーデル丹後、「たかやま」アコモ改良など
西日本JRバスにもピンクのワンポイントが入っていたような記憶 >>589
京王線井の頭線も、昭32年頃濃いモスグリーンからライトグリーンに
40年頃もっと明るいライトグリーンに変わっている。白黒写真だと明らかに判りやすい