並走区間の思い出を語る©2ch.net
湘南新宿ライン、阪急梅田〜十三の三複線etc
側窓にへばりついて並走バトルにワクワクしたあの頃の思い出。 国鉄時代、昭和50年代半ば頃の大阪〜京都だけど・・・113系の快速に乗ると良く雷鳥と長い距離にわたり並走してたっけな。
あの頃の雷鳥は京阪間の所要時間が35分だったからな。583系の雷鳥とかいつも羨望の眼差しでみてたわ。
因みにあの頃、外側線は国鉄本社、内側線は大鉄局が管理してて、ダイヤも独自に設定してたみたい。 岐阜県の揖斐地方でも名鉄、近鉄、樽見鉄道が接近して平行してる区間無かったっけ 鹿児島交通の伊作、TV番組のクイズ列車出発進行でΩカーブの並走を放送してたけど、古い空中写真を
見たら案外と距離が短いんだなw
なんかNゲージのジオラマみたいだ。 ほぼ全線にわたって並行してる福井鉄道はよく持ってる方だね >>20 静岡鉄道と同様、駅を多く設置すると共に急行運転も行い、かつ市街地中心部に乗り入れているから、JRと棲み分けできているんだろ。
これを並走とは言わないが。
並走区間と言うには、列車本数がある程度多くないとな。小海線の小諸・乙女間はしなの鉄道(旧・信越本線)と線路が隣接しているが、小海線の本数が少ないから並走とは認識されていない。 雷鳥と153系新快速の大阪→京都の並走、ピッタリ並んで走ってたから雷鳥も110km/hしか出してなかったのかな 写真でしか見たことが無いが国鉄二俣線と遠鉄奥山線の並行区間は
ゲージの違いや車両の規格の違いがはっきり分かって興味深かった
他にも標準軌と特殊狭軌の並行区間もあったように思う 山手線と京浜東北の並走区間、
同じ6M4Tの103系だけど山手線のほうがいつも微妙に速かった。 >>21 上田丸子の丸子線と信越本線もな。
富山地方鉄道の本線?と北陸本線も・・・
富山は鉄道認可とる際に(何故 軌道法にしないのか?)当局(鉄道省)相当睨まれたらしいけど、丸子ではそういうハナシは訊かないのは何故? >>29
生駒駅前後の数十メートルくらいかな。
東大阪線の方がトンネルにはいってしまうから >>31
大阪線と南大阪線は並走区間はないよ。
地図上で近くのように見える香芝市・二上駅付近でも
実際両者は数キロほど離れてて互いの線路が見えない 昔の池袋は東上線と赤羽線が隣り合わせで、北池袋まで併走していた。赤羽に帰る子と窓越しに手を振り合った甘酸っぱい思い出♪ >>1
梅田十三の三複線なんだが、俺的にイマイチなのは、スピード出さないから
折角三線同時発車で三線とも中津通過だから、もっと本気で走ってくれないかなと。 中津は激狭ホームだからしゃーないべ
カーブもあるし 阪急京都線水無瀬付近は新幹線と並走、勿論勝負にならない >>37
上牧はダイレクトに見えるからな。
あそこでぼーっと眺めてるのが結構好き。 久喜駅北方は僅かながら東武伊勢崎線と東北本線が並んでて、
昔、伊勢崎行き準急(7800系)に乗ってたらボンネットクハのひばりと
交差ポイントまで並走になったの覚えてる。 国鉄時代、153新快速の頃なら高槻辺りから
今の名神クロス辺りまではずっと阪急との併走が見れたんだけどな。
今は建物が増えて山崎辺りしかみれないが。
新快速乗れば横に雷鳥が走ってるし、反対側みりゃ
遠くに阪急も見えた絶景区間だった。 近江鉄道尼子・愛知川間も新幹線と線路が隣り合わせだが、全然勝負にならない。 勝負どころか何十年も何百回も新幹線乗ってるのに
線路だけでたったの一度も車両を見たことが無い。
本当に近江鉄道って走ってるのか? デイ100がちょうど山崎付近でつばめを追い越せるように
運転士が茨木〜高槻あたりで速度調整してたというのは本当なのかな 鶴見から先 京急快特と東海道線の出合い頭の並走。
120kmと95kmじゃ勝負にならなかったけど今の日中ダイヤは並走ナシ >>43
書物でよく見かける話だ
大阪市街を出れば一面田んぼばかりだったというからお互いの存在はしっかり視認できていた
出来ないことはなかったかも 新快速の並走はとても多かったな。
大体485が多かったが、京都発が臨時の客車ゆのくにと
並んだ時は延々山崎位まで並走した事があった。 上り急行あおもりと上りあけぼの の秋田同時発車かな。
修学旅行のメインイベントだったわw
つべにもあるよ。 富山地鉄と国鉄北陸本線も魚津〜滑川で並走してるが、
あまりにも格差が付き過ぎてるのが丸分かりで少し気の毒。 前にもどこかに書いたんだがもう1回なw
76年かその頃だったか、九州の親戚の家に行くことになった。当時はブルトレブーム全盛で夏休み
期間は東京発のブルトレがどうしても取れなくて、新大阪まで新幹線。その後彗星、帰りはあかつき
に乗った。
子供心では、寝台特急に乗るんだったら寝ちゃ損といつまでも起きていた。
帰りのあかつきでの事。寝静まった車内に俺だけが起きている感じで通路の折畳み椅子に座り
真っ黒な景色を眺めていた。すると徐々に並走する貨物列車が近づき、じわじわと追い抜きに
かかっていた。そして先頭の機関車。丸1灯か2灯だったかも忘れたが、機関車が車窓の全面
に大きく映った際、俺はその運転席に向かって大きく手を振った。そしたら機関士が、ピィ、ピー
ッっと俺に向かってホイッスルを鳴らしてくれた。
だんだん離れてくその貨物の機関車に向かって、俺は窓にへばりつくようにいつまでも手を
振り続けた。
もうあれから40年くらい経つけど、鉄道に関しての一番の感動だと思っているんだ。 いま別大マラソン中継見てるが、
かつては別大線と日豊線も並走関係にあったね >>42
あなたより利用期間は短いが(十数年間)
俺は何度か見てるよ。
かなり限られたタイミングだからな。
スレチだが、西批杷島の客扱い中も
新幹線からはなかなか見れないよね。 >>49
もうどのあたりだったかも詳しく忘れたが、
下り銀河に乗ったら(まだ束管内だったと思う)
下りSRCとよく並走したのを想い出した。
銀河晩年はそれを楽しみにしてた。 小川町〜竹沢方面の並走区間は、東上線電車と八高線列車が並走する時間帯ってあるのかな? 地下鉄の並走は楽しい。
大国町の前後では頻繁に見られる。
前後どちらでも、
四つ橋線が深く潜ってゆくまで楽しめる 長岡付近の越後交通と国鉄の並走はスピード競走ではなくて規格の差に興味が行った。
越後交通の廃止直前に見に行くことができたのは幸運だった 札幌15時発の北斗とライラックの併走は8分ほど続くので見ものだった。
苗穂のホームで見物したもんだわ。 16時発・・・
同じ型式の仙台行特急と仙台行特急の遠い併走・・・・は
少なくとも53/10月までは無理だったはず。
なんたってそのときに限って本家のほうが1604になったから。
それ以降はあったかもしれないが, >>48 駅間距離が違う。速度優先と地元密着利便性とを同時に達成することはできない。
役割分担で併存できている例。今後、どうなるかはわからんが。 ダイヤが乱れている時に、大宮の手前で東北新幹線と上越新幹線の並走を
二度経験した。 >>55
越後交通の方もなかなかの韋駄天振りでそんなに引け目はなかったよ
やはり電車はツリカケといえども出足の良さが違う ダイヤが乱れた時に函館の手前で機関車故障で砂原線廻りになった北斗星2号と自分の乗る北斗星4号が併走したな。
あれは驚いた。 ひばり と ひたち はよく並走写真が雑誌なんかに載っていたね
共に上野00分発ってのが、東北常磐の各々のエース特急という感じで
何とも格好良かった。 かつては
秋田を「白鳥」と「つばさ」が同時発車なんてのもあったがな。 大阪を夕方に出る快速と外線快速
たしか外線は行き先が備前片上とかだったような 島根県出雲市の山陰本線で、
出雲市駅の松江寄りの約1キロで、
一畑電車が近付いて単線並列ながら、
まるで複線区間の様な形になっている。
並び始める場所に踏切があって、
ダイヤ通りだと併走は無いが、
たまにその踏切で待っていると、
出雲市駅に向かって(西向き)ほぼ先頭が一緒になって
競争する様に並走するのが珍しい光景だ。
踏切の方向指示も同方向が2本同時に点灯する。
動画サイトに『一畑・山陰線並走』と入れると幾つか出ている。 タモリ倶楽部の京都鉄道博物館の回で、
屋上から東海道線の複々線区間で一遍に
急行線・緩行線で4列車が見えたと思ったら、
更に『はるか』が専用30番線から発車して合計5本が並走。
『はるか』が乗り越え連絡線を通って、
どれかと先行を競うのだろう。
ちなみにその屋上に、
列車位置情報盤があって、
ライブの列車運行状況が見る事が出来るのが目新しい。
列車名・番号・編成両数・遅れ・種別などが分かる。 >>60
俺も>>49の話に興味がある。小倉〜門司の辺りか広島〜向洋の辺りかな?あの辺は少し複々線になってる。
関西発着のブルトレが京阪神の内側線を走ってたとは思えないし。
九州ブルトレは深夜時間帯になるので線路保守によりたまに京阪神の内側線を走っていたけどね。
>>67
それって同じ快速なのに停車駅が違ってたね。新快速もどきたった。 厚狭〜小野田〜宇部の貨物線かもしれないね
DD51ならボンネット先端と運転台が離れているぶんブルトレの窓から少年が手を振るのに気付き汽笛を鳴らすのも可能かもしれない
厚狭の東側で旅客線と貨物線が立体交差して海側の間に下り旅客線があるならブルトレの窓から少年が手を振るのに気付く可能性あり 小田原〜早川
併走する箱根登山線を走る車種が減った…
(なお枕木だけは3線軌のまま) >>44
90年代初めの午後に、鶴見→横浜間で京急2000形快特・東海道線211系快速
「アクティー」・横須賀線113系の3列車の併走を体験した。当時は、京急の
快特が105km/hで、JRも100km/h位の速度を出していたので、京急快特の独り
勝ちではなく、鶴見−横浜間で延々と併走が続く状態だった。 >>73
当時の東海道線の塗油器の音を思い出した… というか211系や急行・寝台含む特急は110キロ出すこともあったし
ましてや下りは新子安で京急は80キロ制限があったから圧倒的にJR有利だったんだが。 >>68
並行マニアには有名らしいですな
一度撮影に行ったときに、まだ朝の早い時間帯であったにもかかわらず
撮影ポイント?らしき場所に多くのマニアが陣取っていました。
本数が少ないのでシャッターチャンスも少なく、なかなか根気の要ることですね 昭和49年の5月のこと。
小学校の遠足でワッペン列車団体専用「マウント富士」号で河口湖に向かっていたときのこと。
富士吉田駅手前でキハと並走した。このキハは大月で松本発1番の「アルプス」に併結する
「かわぐち」で、なぜか車内には女性がたくさん乗っていて、こちら側が手を振ると
相手も手を振ってくれたのを覚えている。
こちらの電車は当時「横須賀線のお古」と言われていた、立川以西のみ運用の
旧型電車だったけどね。 >>51
>スレチだが、西批杷島の客扱い中も
新幹線からはなかなか見れないよね。
停車する列車は上下合わせて一時間に四本あるけど仮に停車した列車でも多くて10人位しか降りないからよほど運が良くないと見れないだろうね
車両なしでホームに人がいる瞬間を見るにしても発車時刻数分前にしか改札しないので見れたら珍しいかも?
そもそも近郊区間や都市私鉄で自動改札設置駅で列車別改札と言う駅時代少ないと思う 昨晩の話なんでスレチだが
山陽特急の梅田直通に乗ってたら
明石停車前から新快速と並走、
停車・客扱・発車もほぼ同じ
発車後もかなり並走して、
やがて新快速が速まって去っていった。
夜に並走すると列車の灯が綺麗ですな。
新快速車は戸袋窓もあるから明るいので 南新庄-新庄
陸羽東線の下りが南新庄に停車する横を奥羽本線下りが通過
その奥羽本線下りは鳥越信号場に停車
その横を陸羽東線下りが通過
陸羽東線下りが新庄到着した一分後あたりに奥羽本線下りが新庄到着
なお鳥越信号場は山形新幹線新庄延伸をもって廃止 隅田川貨物ー亀戸ー錦糸町は面白いのが走ってた
今もDE11単機とか見れるかな 東小諸でEF62団臨を撮影した経験の有る人は多いのかな? >>77
俺も同体験。
まだ一畑が元気な頃で、急行?がHM掲げて快走してた。
一畑狙いは俺くらいで、他の皆さんは国鉄の方ばかり撮っていた 姫新線と津山線の並走区間、昔は姫新線の急行が津山線の普通を追い抜く場面が見られた。 大宮通過の新幹線があった頃、大宮→分岐点まで東北・上越の高速併走が味わえたっけ 親戚の家がすぐ近くにあった、静鉄清水市内線と国鉄東海道線 高速電車と路面電車なら競走にはならないが
組み合わせの妙で撮影にはもってこいかもね 宮島付近の山陽線と広電って結構いい勝負してないか?
あと指宿線と鹿児島も たしかに並行してるが本線と支線の組み合わせなのでイマイチ 並行というか、南部縦貫が国鉄の旧線を流用しただけでしょ 映画「指導物語」に佐倉駅近くでC58217とC58218が競争するシーンが登場するが、現実の総武本線・成田線ではそんな楽しいことが無いな 福知山線直通の黄色い103系と117系新快速、大阪同時発車だったが淀川あたりまでノッチ入れっぱなしの103系を新快速があっさり追い抜いていった 70年代の大宮〜王子あたり。
103系京浜東北とEF15牽引の貨物列車との並走は楽しかったな。
京浜東北が貨物を抜く→駅に停車中に貨物に抜かれる→(以下ループ)
それに加えて、181とき、485ひばり、583はつかりなどの特急群が
京浜と貨物の間を割って抜いていったり・・。
E231とE233ばかり走ってる今から考えると夢のような出来事。 並行区間は信号や標識を互いに誤視認しないような工夫が必要ですね
特に信号は有りがちじゃないですか? >>106
阪神間の113系快速と貨物の競合も楽しかった。 先日初めて阪急梅田の三線同時発車に乗車したが、
あれは鉄ちゃんでなくてもコーフンできるものだな
ワクワク感が凄い >>111
同時発車もいいけど偶然並走するのもスリル感覚があるよ >>113
てゆうか予定調和の同時発車なんて見ても意味ねえだろ
一期一会の並走が一択