並走区間の思い出を語る©2ch.net
湘南新宿ライン、阪急梅田〜十三の三複線etc
側窓にへばりついて並走バトルにワクワクしたあの頃の思い出。 20年前に新宿で中央快速、中央総武緩行、山手が丁度並んだんだけど、自分が乗ってるのが中央のH17(201系末期にH7になって最後まで残った編成)、総武が201のミツ17、山手も205のヤテ17で、17尽くしでちょっと嬉しかった事がある >>232 17尽くしにハアハアしているキモイ鉄オタ >>104
上り列車なら、現代でも十分にあり得る。
まして佐倉駅から東側、銚子方面に向かって2キロ余りに渡って、
総武線成田線それぞれのレールが並んで敷かれているのだから。
現在では、佐倉724着、731着、849着、1859着、1946着は、
総武線も成田線も、同時刻か1分違いで佐倉に到着するから、
何秒かのズレはあるだろうけど、同タイミングで並走の可能性もある。
本題の懐かしい話しとして、91年に、佐倉駅1217に着く、
総武線からの千葉ゆき各駅停車と、成田線からの東京(方面)ゆき快速とで、
2キロ余り手前の合流点から佐倉駅まで、113系どうしの並走バトルがみられた。
しかし、大半は総武線側がやや早く佐倉駅に進入していたため、
並走バトルは総武線側が何秒か遅れない限り、なかなか見られなかった。 ダイヤ通りだと起こらないがちょっと遅れたりした結果バトルが成立する方が面白いと思う あずさ5号、東中野過ぎたら総武線並走
窓開けてたから、103系の良い音が良く聞こえたよ 上野〜大宮では既に試験的に130km/hで走っている。
埼玉県内ではもう埼京線では太刀打ちできない。 1980年代までは大手同士とは思えない格差が感じられた 保育社カラーブックスの京成編に、京成3100系と東武7800系の出合いシーンが収録されている 時代に下るにつれて両者の組み合わせも変わりゆくわけね >>145
その区間は並走といえばそうなのかもしれないが
やっぱり起点終点が同じの、ガチンコの並走が楽しい
京急無双です 山陽ももう少し頑張ってくれたら西の京急の称号を得られたのに…
今はもう完全に諦めてる そんなムチャを要求すんなって
準大手、いやその実は中小私鉄が京急みたくJRと対等に競争なんて 京阪神間ならともかく神戸より西では、少ない客を奪い合う消耗戦になるだけだから
スピードで競う意味がないな
共存共栄が吉 スピードが無理でも運賃で対抗できる……はずが神戸高速との併算で昔から国鉄よりも高く元より勝ち目はなかったんだな 清州〜稲沢で並走したEF65 116の試験塗装機の貨物との並走だな
はじめての四国やら九州への長大な撮り鉄旅行に、撮影予定外の突如、
出現する名機
旅に一層の華を添える並走だったな >>151
明石より西では互いに相手が見えるような接近戦してる箇所はなくて並走してる感覚もない >>156
地下鉄大国町の同時発車は
そこそこ高頻度で並走見れるよ。
御堂筋線の本数多いから
四つ橋線が潜っていって終わるまで
けっこう見ごたえある >>157
それでも魚住付近は今のように開発されるまで一帯には田畑しかなくて数キロ離れた両線が互いに見渡せたそうだ 近江鉄道が新幹線と並走しているが阪急京都線と同じように高架にしといたら補償金の問題はなかったのかな 鹿児島市電にもあったような
スマン、記憶が曖昧だ 地元の人ヨロシク 信越線小諸付近で小海線が併走しだした当たりで小海線側だけに乙女駅があり、
そこから小諸までの併走がなんとも熱かった。
でも小海線列車との併走も離合もついに一度も遭遇しなかった。 それで思い出したが阪急の梅田~十三は宝塚線神戸線には中津駅があり、京都線にはないので
上下方向ともに普通が同時に発車した場合は京都線が一気に抜き去ってしまう そういえば梅田〜十三の京都線電車の走ってる線路って本当は宝塚線の複々線の一方なんだよな 東上線と八高線の小川町と竹沢(東武竹沢)の並走区間は位置を入れ替えれば東上線・森林公園側の単線は解消できると思うんだが、そうしちゃうと東武管理下の駅なのにJR側が駅の表側になってしまうのもあって難しいんだろうな