懐かしの珍改造車を語るスレ©2ch.net
根室拓殖鉄道キハ3
と言っても当然自分には乗車体験が無くて地元の郷土史家の方に話を伺っただけだが、
当時はそれほど奇異の目を向けられることなく、利用者には受容されていたらしい。
では、どうぞ。↓ >>484
不勉強で申し訳ないが、何故そういうことになったのかご存知の方おられますか?
ひょっとして2連を持つ関係でクモハ204を多めに持っておきたかったのでは?と思うのだが 推定だが、主制御器などの機器が多いM車より、補機関係のみのM'車の改造のほうが
手数が少なくて済むのではないだろうか。
あと、山手線から転用のモハ204形については、真ん中のユニットはMGの取り付けが
省略されており、その対策(SIV新設)も含めての工事としたからかも。 >>486
先頭車化改造の一番最初の編成が南武支線の2連だったのは、
MとM’のどっちが改造しやすいかを見極めるって理由があったのかな?
でも、富士急の車両はM車を先頭車化改造しているみたいだし。 そう言えば、仙石線のニセ103系が本物に化けた時も、Mc'+M+Tc、の編成だった(川越線)。 253系(クモハ252)や103系1200番台(クモハ102-1200)のように、新製時から奇数車モハ、偶数車がクモハだった例もある。 6両固定編成の3両化に伴って、
Tc+M+Mc'とMc+M'+Tcの
2通りが生まれた
103系1500番代。 東海の113はモハ113を改造、片方のクハを方転したな
東武8000は103-1500みたいな感じ、800と850の2種類に 冷房設置が非難された(?)、クモハ123-45。
冷房化で番号が変わって1→5の数字の並びが崩れたって。 >>491-492
103-1500は、元通りにつないで地下鉄直通に使えるように
って配慮なんだろうってのは分かるが
東武8000の3連化工事は、ただ単に安上がりになる方法を選んだだけなんだろうな。 まさか、3両化された103-1500が
Mc+M'+Tc+Tc+M+Mc'
なんて順序で併結された事はないだろうな。
改造は安価に出来たかも知れんが、自由度がなくなったと思える。 確か地下鉄のATCはTcにしかついてないからMc又はM'cを先頭にしての直通はできなかった筈 >>493
同系列に冷房の電源方式が違うのが混在するからって、律儀に番代区分した
103系でも異種冷房電源混在があったが、区分はしなかったくせにね 改造車の話じゃないけど、
山手線にはもう、「モハE234-56」は入ってるんだろうか…? 時代が時代だったからって事かも知れんけど、
サロ481→クロ481の改造(43・10・1、「やまばと」用)に関しては、
よく両栓構造にしたという印象だ。
後に「有明」用に先頭車化されたサロの場合は、偶数向き専用の「クロ480」になったし。
まぁ、それよりは、グリーン車を先頭にしてでも食堂車を連結しようとした事に敬意を表するべきだろうな。
もし10年後だったら、間違いなく食堂車が引っこ抜かれてただろう。5年後でもそうなってたか…? 新幹線高崎―長野間の開業後、189系グレードアップ「あさま」の編成が
「あずさ」に転用されたが、その際、
←上野 長野→
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
Tc-500 M' M M' M Ts M' M M' M Tc-0
―――――――――――――――
↓
←新宿 松本→
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
Tc-0 M' M M' M Ts M' M M' M Tc-500
―――――――――――――――
になって(―がグレードアップ車両)、
「1、11号車は各々方転、2・3号車と9・10号車のユニットの位置を交換」
みたいな事が行われた。
グレードアップ改造が指定席車限定だった上に、
「あさま」と「あずさ」で自由席の位置が逆だったから、こんな面倒な事になった、 103-1500の話に戻るけど、
改造で生まれたMc.Mc'は、元の車両番号を継承しかから、
「クモハ103(102)」としての番号は1501〜になってなくて、しかも飛び飛び。
この点からも、改造の安易さが偲ばれるような。 番号が飛んでいるからって乗客に迷惑かかってんの?
安易認定とか そんなこと言うんだったら、このスレ自体なくすべきって話になるだろ。
珍改造だったら客に迷惑かかるのか。 >>501
> 103-1500の話に戻るけど、
>
> この点からも、改造の安易さが偲ばれるような。
そうかな
必要あっての改造だし、番号を変に揃えようとせずに元番号を生かしたのも工夫に見えるけど どうしたって、運転室を取り付ける工事なんていうのは、安易な工事じゃ無いさ。
JR九州としても、閑散時短編成にしたいが、少数派の直流電車である103系に、
効果的な工事(もちろんそれはコスト的なことも含むし、無効止め車を減らすとか
別な要素も)をするにあたり、Tcの方転はしないとか考えて、ああいう風に
なったんだろうよ。地下鉄ではATC使用の関係からMc先頭に出来ないしね。
隣のJRみたいに、食パン正面にしてしまわず、ちゃんと新製時と同じ正面を接合するあたり、
決して安易な工事では無いと思うぞ。 >>503
うん、このスレ自体必要ないと思ってる
どこかの文章のコピーとか見せられてもな >>506 確かに。鉄オタの馬鹿の一つ覚え自慢となっているからな。 むしろ、ありそうでない改造車論ずる方が面白いかもよ。
例えば、国鉄80系の2両ないし3両短編成化改造。それからまだ現役だが、元近鉄ナロー車の垂直カルダン改造車とか。
両方とも、コストパフォーマンス考えると必要性がないからなんだが。後者は、越後交通栃尾線で前例があるが、メンテナンスで問題があったということなのかな。 >>508
> むしろ、ありそうでない改造車論ずる方が面白いかもよ。
> 例えば、国鉄80系の2両ないし3両短編成化改造
そんな実車あったっけ?
計画だけでしょ? >>509 「ありそうでない」と言ってるのに理解できない池沼発見! 189系のうち、183系1000番代からの改造車を見分けるポイントは、
開閉できる客窓がない事だった。
流石に、こういう窓を設ける改造は行われなかった。 そう言えば、元モハ112のモハ414-800は、パンタグラフの所の屋根低くしたんだろうか?
オリジナルのモハ414(交直流型電車のM'全般)はそうだから。 流石にそこまで手は加えないのでは?
実車見たことないけど
低パンタで何とかなりませんか? 交直流車の場合は屋根上の機器の絶縁強化のためにパンタグラフ周辺の屋根が低いって聞いたから、パンタグラフの折り畳み高さ云々て話じゃないと思われるが、実際はどうなんだか。 25系寝台車は、寝台区画を16→17に増やすべく、
クーラーを小型にしたり、トイレの1つの向きを変えたり、いろいろ工夫してたが、
24系(14系)は単純な2段化改造(定員は48から32)。
オリジナル2段ハネに纏わる涙ぐましい努力は何だったのかって感じ。 25や15は新造だから図面を引き直して0.5区画増やせたが、
さすがに24や14の改造ではそこまで出来ない 14系15形が出た頃のグラフ誌に激狭なトイレの写真があって
「空間のシワ寄せがここに来た」ってキャプションがついてたな
24系富士しか知らない俺は後に20系の保存車に入って
昔の寝台車はこんなに洗面所が広々してたのかと驚いたものだ
#ややスレチ失礼 >>517-519
サービスアップのために2段化したと言うよりは、寝台の設営と撤去の要員を
減らすのが目的の2段化だったからな。
2段化改造したのは国鉄末期の話だっけ。
その頃でもすでに寝台列車に未来がないことを見抜いてたんだろうな。
個室化とか色々手を打ってはいたけど。 >>520
IDがOER
は置いておいて、当初は要員の問題では無いのでは?。
25形の0番台は、寝台の昇降装置がまだ付いていた。
省力化で上段固定になったのは100番台から。
当時切迫していたのは、急速にグレードアップしつつ、値段が安い高速バスに
客を奪われつつあって、高い料金に音を上げた人々が寝台特急を見限った。
それに少しでも対抗しようとした結果。
もちろん、将来的な乗客減少はわかっていて、だからこそやれた2段化だったのだろうけど。 寝台車の改造というと、「今更」って感じが拭い難いサロネ581の方が珍奇性が強いか…。
というより、こっちは、何で2段化しただけで「A寝台」標榜したんだか。 京成の特急車崩れはだんだん平凡な改造になったね。AE100崩れも見たかった。 元々下段は広くて料金も少し高くてA'寝台って感じだったね。581/583系。 >>522
客車時代はA寝台の需要が高かったから、電車化の時に外せなかったみたい
仮に銀河が583化したら同じ理由でA寝台作ったと思われる
あの車両だけは、座席使用時は普通車扱いになる特殊な例だとどこかに書いてあった >>525
きたぐには新潟方1〜3号車は寝台でなく指定席座席扱いにしたから寝台に出来ないようにしていたような。
本格的座席専用にするなら寝台潰して485のような座席配置にしたんだろうけど。 昔、某鉄道雑誌で「583系改造案」なるものを募集してた事があったけど、
実際の715(419)系みたいなアイディアは寄せられたんだろうか…? >>525
> >>522
>
> あの車両だけは、座席使用時は普通車扱いになる特殊な例だとどこかに書いてあった
プルマン式開放A寝台の例に倣い、向かい合わせワンボックスで2人がけでグリーン車扱い
無理だろうな >>517
25形のクーラー小型化は二段寝台化による定員減の結果に見あった内容にしたのであって、
寝台区画増を目的としたものではないぞ。
また24形の二段寝台改造でオリジナルの涙ぐましい努力云々も違うと思うけどな。
25形が登場した当時、新幹線博多開業を控えてたとはいえまだまだ寝台需要が旺盛だったが、
24形の二段寝台改造時は夜行列車そのものの退潮期だったから、
定員が25形より減っても深刻な問題にはならなかった訳で。 25形の登場が1974年、24形の2段化改造が1983年。
この間に大幅値上げもあったりで、寝台への需要は激減、か…。
そう言えば、24形に続いて2段化改造された14形には
簡易個室の「カルテット」なんてのも設けられたが、
これはどの程度受け入れられたんだろう。 新幹線博多開業で関西〜九州の夜行需要が減るのは予想済だったが、それだけでは済まなかった
ある日突然5割増になれば、夜行どころか新幹線にも乗ってられんわな 201系900番代の量産化改造って、
MM'1ユニット→T×2
Mの後位側パンタ撤去
以外にどんな内容だったんだろう…。
電力回生率上げたとか? >>532
運転台の機器類統一。色彩の寒色系化。先頭車のスタンションポスト撤去。
前面手すりの改造。ジャンパ連結器の交換。
あとよろしく、詳しい人。 >>533
サンクス。
そう言えば後年、0番代(6両)+900番代(4両)、なんて編成見た気がする。
総武中央緩行線用に、黄色に塗装替えされた後だったが。 900の先頭車は取り扱いが違うのか、Pを設置しなかったので、先頭車を量産車にするように組み換えしたね >>538
三鷹方にクモハ200があってATS-P機器が付けられないために6+4の103+104の編成を中央快速から回してもらい、
中間に900番台をもってくように組み替えて両端を量産車が来るようにした。だから4両側にTが2連発になる組み合わせに。
後に京葉に移動したが、自動解結が付けられないために勝浦・成東運用には使われずに貫通編成と
同じ扱いで最期を迎える。
同じく京葉で最期を迎えるクハ201-7の編成も元々は8と一緒の6+4だったのに豊田にいた貫通編成の
クハ201/200-23のクハ同士でトレードすると言う無意味な転属トレードをやってる。
これも6+4だったものの試作車編成同様貫通車扱いで最期を迎える。 >>540
お前からかわれていることに気づいてねぇだろw
親頃くんw >>539
そうだそうだ、クモハがあったんだっけ
すっかり忘れてた サハ201-901のパンタ台座は、最後まで残ってたんだろうか。
それにしても、試作車で唯一、MM'の車両番号が揃ってたものを(モハ200・201−901)、
そのユニットが無くなったのは惜しかった気もする。 >>539
細かいこと言うと、Tc103+104は緩行線に新製配置した車両だったような
Tc8と23のトレードはP設置の前段階でB・S併設車を優先して先頭に持ってきてたからと聞いたような気もしなくもないような?
試作車とケヨ71は関東地区配置車では唯一のオレンジ、カナリア、スカイブルー3色を経験した車両となった そういや、京葉線で中間封じ込めのクハにはATS-Bの車がいたな
運転席のイスも外されてた 201系900番代の量産化改造も、
流石に先頭車の長さ短縮(19.7m→19.5m)はできなかったな。当然だけど。 まあホームドア導入前に寿命が尽きたのがまださいわいだな
とはいえ東日本の201導入路線は今でもホームドア導入が進んでないな 187系(横軽自力走行可能)は、実現してたら最大級の「珍改造車」だったと思われる。 >>548
むしろ迷改造車になってたとこじゃね?
横軽を補機なしで走行できても高崎線や軽井沢〜長野間の高速運転で何が出てただろうし
それにちょうど長野行新幹線(当時)の建設もあり、開業後の処遇の問題もあるからおじゃんで良かった >>550
国鉄末期で、新幹線建設決定前の話だからね。
EF67など、チョッパ制御マンセーって思ってた頃。
とりあえず軽井沢まではフル規格で新幹線を作る、って話になったときだと
187系の話は完全に消えていた。 そういや、187系は新製ではなく183系改造名義にする予定だったんだっけか?
んでそのために残しおいたサロ183は187系化が流れたんで勝田の「ゆう」に転用したので、ゆうは485系なのに183系改造となった、っていうのは都市伝説? >>554
他人の発言貶すしか能がないのか?
いつもいつも。気分悪いんだよ。 >>556
何「親」と決めつけてんだ? 子、孫、兄弟、友達、愛人、ペットだってそうだろ
なのにそれらではなくいつまでも親だけに限定する表現にはうんざり
亡くなったら困るのは親とは限らないのに
あと「殺す」くらい漢字で書け
小学校で習う漢字なのに書けないとか消防以下だ
小学校時代何やってたんだ?
今は2年前に発生した熊本・鳥取・茨城で起きた大規模地震や糸魚川の大火災の被災者をいたわらなければならない時だというのに、このような表現は不謹慎だ
ただでさえそういう人達が日本にもいるというのに、病気や事故によって身寄りを亡くした人達に対しても同じことが言えるのか
身寄りを亡くすのは殺人よりも病気や事故が殆どだし、これこそあしなが育英会からクレームが来てもおかしくない
それと類似の表現で「〜にでもいじめられてたのか?」というのも見る
しかし、こういう表現をする奴は、店長が失敗した店員を客の目の前で小突いたり説教したり、クレーマーが店員に物を投げつけたり唾を吐いたり土下座させたりする場面を見たら楽しめるものか?
普通なら「そのくらい勘弁しろ」とか「ちょっとは自重しろ」と思う筈だろ
それとも全然外に出ない人とかか
こういう奴は殆ど「いじめはいじめられる方に理由があるから仕方ない」とか言う
しかし、その言葉は「殺された奴は殺される原因があった」「理由があったら殺されるのも仕方ない」って言ってるのと同じだ
これこそ無意識に感覚麻痺してて危険人物
どんな理由があっても、殺人やリンチは殺人でしかないように、理由があったら人傷つけても殴っても殺しても良い訳ではない
こういう奴は自分がやってることが暴力って自覚がないだけであり、万引きやってる奴が窃盗の自覚が薄くて、大した罪じゃないと思い込んでいる感覚麻痺と同じで殺人じゃないなら人殴ってもOKだと思ってやがる、迷惑な酔っ払いと同じだ
せめて「おバカに振られたか?」くらいにしとけ
リア充に失礼な表現だが、俺はリア充嫌いだからどうでもいい
さらに「〜でも」という表現も滅茶苦茶だ
大辞林で調べてみたら
「でも」(助詞)
@軽く例示的に提出する意を表す (例「コーヒーでもいかがでしょうか?」)
A「たとえ…であっても」の意を表す (例「雨天でも決行します」)
B「なんでも」「どれでも」など,不定称の指示語に付いて,全面的な肯定の意を表す (例「お申し込みはいつでも承っております」)
C「せめて…だけなりとも」の意を表す (例「せめて子供だけでも救出できなかったものか」)
D(「(まんざら)…でもない」などの形をとって)不確かな判断を表す (例「古くてもこの車は捨てたものでもない」)
E極端な例を示し,他の場合にはもちろんであるということを類推させること (例「親のスネでもかじってろ!」)
今回の場合は否定的な文章のニュアンスから、親を「殺されるもの」、身寄りを失う様を「呪怨を抱くきっかけ」とする例えにしている時点で、6番目の意味で「〜でも」と用いているのが明らかであり、まさに身寄りを亡くした人達に失礼だ
それより何でお前がこんなとこにいるんだよ?お前もう荒らさないと約束しただろ
また失敗作スレの二の舞にでもしたいのか?
ていうかさっきも短命廃車スレで全く普通の人に同じレスしただろ
つーかお前誰もレスしてくれないからこんなレスして挑発しようとしてんのと違うか
話し相手になって欲しいなら人を挑発するようなスレなんかしないでまともにレスしろレス乞食
またスレ潰しにきたのかよ?
お前は早くこの巣に帰れ↓
親でも殺された?と聞かれるくらい嫌いな車両・路線
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1523885767/ そのクモハ485、従来の電車特急の先頭車とは似ても似つかない形状だったが、
或る意味でナハネフ23の電車版みたいな気もした。 目まぐるしく塗装が変わったな
スーパー雷鳥→国鉄色→しらさぎ→たんば系、だったか? >>560
あの運転台、途中駅(米原等)で増結するために設けられたようなもの。
実際に本線上で営業運転をした実績があったのでしょうか?
そうでなかったら簡易型でよかったのでは?何とももったいない。 >>563
スーパー雷鳥の富山・和倉温泉行きの金沢から先の区間の先頭に立ったことがある(どちらがその行き先かは列車によって異なる。その当時グリーン車は富山・和倉温泉寄だった)
さらに立山や宇奈月温泉にも乗り入れしたことがある この車両が、383系の貫通型先頭車やクモハE257のモデルになったような印象もある。 クモハ485-200が183系に再改造された時には、
最早交流機器は撤去されなくなってたとか。 電気釜頭のクモハ485は東北と九州にいて、九州はきりしまとかで未だに使っているけどね。
東北はかもしかとかで使っていた。
九州は相方がクロ480だったりした。種車の出所上キノコ冷房の車までいた。 交直流特急型は「徒に形式を増やさない」事を目指してた筈だが、
結局、改造で幾多の形式が生まれる仕儀に至った。
その中でも「クモハ」は、最も想定外の形式だったんじゃないかという気がする。 >>564
臨時列車で大阪まで単独で乗り入れたこともある >>568
151の反省?で形式を絞ったが、短編成化でそうはいかなくなったのだろうな クモハ485やパノラマクロ入りの編成に、
ボンネットも組み込まれてたら
面白かったのにと思う 485系は山陽、東北、上越、九州、北陸と新幹線建設に常に追われる宿命だったからな。
新製時は食堂車付き12両の長大編成でよかったが、
新幹線ができるだびに末端へ押し込められて短編成化していき、
分割民営化で急激なイメージチェンジも求められた。
サシの多くは84〜85年に廃車されたから短いものだと実働わずか13年。
和風車だんらんやスシ24と苦し紛れの転用が模索されたのも遠い思い出だな。 60・3改正で、「有明」の先頭車が両端ともクハでなくなった時は仰天した。
←西鹿児島 門司港→
Tsc+M'+M(+M'+M)+M'+Mc
平素は5両(多客期7両)に縮小されたわけで、
流石に、「短編成化の行き過ぎ」なんて批判の声も挙がった記憶がある。 モロ180・181の普通車化に際して、
座席を簡易リクライニングシートにして欲しかった。
っていうのは、荒唐無稽な話か。 >>573
編成自由度が増したということでは、Mc車改造製作も良かったのでは?と
今では思うけどね。
>>574
あのイス、わざわざ新品を用意したのだとしたら、もったいないよねぇ。
簡リクにしておけば、廃車後にサロ110とかに転用出来たのにね。 >>573
にちりんはおろかかもめのが有明より編成が長かったりしたしなあ。かもめとみどり合体ならなおさらだった。 「ゴー・サン・トー」後の181系で、元モロ180・181のユニットを挿入した編成は、
遠目にはグリーン車が4両連結されてるように見えた。
モロ→モハの改造も窓回りは、手が付けられなかったから。
尤も、グリーン車のクローバーマークは剥がされたんだろうけど。 >>574、>>576
モロ→モハ改造時は、旧151系車を中心に廃車を進めていた頃だから、座席はさすがに
廃車発生品だろう。
あと、上越新幹線開業時には、残存車は丸ごと廃車にする予定だったから
簡易リクライニング化はあり得ない。 逆に用途変更でご丁寧に窓割りを変えたケースの方が特殊だろう。
181系のクロ→クロハ→クハや、モハシ→モハは扉位置も変える大改装だったので、やむを得なかった。
あとは20系客車の座席車→ハネ化とか、0系・200系の車種間改造とか。
クハ481-600、クハ455-600、サハ110-400、数多のジョイフルトレイン、
JR化前後のクロハ化、クハ481-1100、クロ481-2100
雷鳥・しらさぎ・くろしお・やくものクロとサハ振替…と種車の窓割りのままである方が多い。 >>578
181系のモロのモハ化改造では、両デッキにする他、窓の新設なども行われているよ。 モハ488/489を改造したモハ188/189-500番台は交流用機器の屋根があるために屋根から下の車体を全部作り直しだった。
サハ481/489から改造したクハ183-100 150 クハ182-0 クハ189-200 クハ188-600もステップを潰したり
ドアを増設したりとかなり大掛かり。 クハ182.183-100.188の、元からあったステップは残ってたぞ。後年埋めたかも知れんが、
それは形式改造とは無関係な話だ。
因みに、「ひたち」の485系でも、ステップ埋める改造が施された車両があったが。 モハ188・189-500が、もし種車の車体を生かしてたら、
床と窓の高さがずれてた他、
トイレ・洗面所が直江津側になって、他のモハ(上野側)と逆だった筈。
サロやクハ以上に違和感あった気がする。
そんなのも見て見たかったような。