懐かしのステンレスカー・アルミカー
銀色の美しい輝きが私達に未来への希望を抱かせてくれた
草創期から普及期にかけてのステンレスカー・アルミカーについて語りましょう >>18
簡単に考えれば山陽電鉄にくれてやるのが一案だろうけど
加速度、消費電力の高さがそのままでは使いにくいかもしれない
あとスキンステンレス車っていざ補修しようとすると
鋼製車よりたいへんだろうな、京成とか更新頓挫した >>21
山陽2000アルミ車は汚れが目立たんように腰板にウロコ模様で装飾してた
実車を間近で見たが、たしかに効果はあったように思う
光があたると迷彩的に反射するんだな ウロコ模様、写真でしかみたことないが
逆に洗練されてないって印象だったな >>24
学校の給食で使うおぼん(トレー)に同じような装飾があったものだから
山電沿線の俺らの学校では2000系を「おぼん電車」とか「おぼんカー」などと呼んでた ステンレス車もアルミ車も、弁当箱とか銀箱と呼ばれてたよね
「箱」には、夏は冷房がなく密閉されるから蒸し風呂の様に暑いという
揶揄の意味も込められていると聞いた。 相鉄旧6000系に一両だけアルミ車が居た
貫通扉周りを真っ赤に着色してアクセントとしていた >>12
最初が華々しかっただけに
特殊鋼体に改造されても落ち目感が半端無かったね 北陸6000なんか、アルミ車なのにドアが半鋼製と同一図面だもんな。 東急初代6000と初代7000とでコルゲーションの形状や全体の仕上げに格段の進歩を感じたね
やっぱり試作品は試作品ってことかな >>35 沿線に似合う似合わないは、別にして 当時東横線に乗り入れて来ていた
日比谷線3000の方がコルゲーションの仕上げは上等だよ。
然し同じ昭和30年代半ばらしい如何にもなRの効いたデザインのステンレス車なのに似合う・似合わないこの差はナニかね? そうだね、日比谷線3000と東急6000はほぼ同期だったよな。
えらい違いだな。 3000系に伍して東急から乗り入れていたのは7000系。 ジュラルミンとステンレスは別物でしょ。
ジュラルミンは腐食し易い(処理をすれば問題ないのかもしれないが・・・)
だから国鉄63形の航空機材料の残りで造ったジュラ電はスグ腐食が進み残念ながら車体を廃棄し全金車体に取替え更新
・・・ところでスミソニアンのエノラゲイは、何故錆びるどころかピカピカなの?(室内保管、当時の日米の材料品質の格差だけじゃないと思うのだが・・・)
阪神バスのステンレス飾りは、貼り付け?何故にあんな面倒な手の込んだ事を・・・
頑鉄との間に電位差で電食し逆に車体を痛め車体製造コストが嵩むだけでなく極めて不経済だと思うのだが・・・ 東急5200・6000は見るからに試作品
東急7000はアメリカンスタイル
営団3000は日本的な丸顔 >>41
東急旧7000はシカゴあたりの高架を走っていても違和感がないデザイン。
南海6000はしょうゆ顔だな。 南海6000の方が技を感じるなあ
あれほど局所局所に丸みを持たせる技術は素晴らしい なら俺は京王3000
ステンレスで制約を受けるデザインをプラで補った奔り Nゲージの東急7000系のキットは組みやすかったな。平面的な構造
なのでパーツの合わせもまあまあ良くて必要なカラーはシルバーと
グレーの濃淡くらい。当時厨房の自分にも買いやすかった。パイオニア
台車から車輪が外れやすいのが難点だったが。 >>40
フォットワースのショッピングモールにあったステンレスコルゲート貼ったpccを思い出した 名鉄にはとうとう無縁のままになってしまうのか>>ステンレス車両 外国の鉄道(特に欧州)は、興味ないけど アメリカのは、格好良くて好いなー。
日本と無関係なようで、結構影響を感じる。アトは台湾と日本統治時代の外地 日本からの中古輸出車。
>>48 鶴舞線からのゲストで我慢してください! >>48
300系を始め何形式も存在するけど。コルゲート付きは無いけど。 >>43
南海6000は当時の職人さんたちが一生懸命叩いて作り上げた造形美
今でも現役という機能面でも優秀な車体だな。 >>40
>>阪神バスのステンレス飾りは、貼り付け?何故にあんな面倒な手の込んだ事を・・・
佐賀・唐津の昭和バスはかつては車体側面がステンレス張りだった。
さすがにステンレスの加工が困難な屋根部分は鉄板だったが・・・。
まぁ、あそこは海沿いの地域を走るんで錆防止の目的もあったのだが・・・。 >>36
大井川に移ってからお目にかかることができたが
コルゲーション部分が薄茶けているのを見て
子供心に、あれ?ステンレスなのに錆びてるのかと
不思議に思った 汚れ!磨けば落ちる。
上田に行った当時 東急5200は、磨き直して綺麗だったけど、
SLが主役の大井川じゃ無理でしょ。
アルミの「しらさぎ」だって 汚れまくって「くろさぎ」だった。
もっとも蒸機の黒煙(とくに隧道内とか)でスグ汚れてしまい無意味な気がするのだが・・・ 国鉄キハ35系900番台
車体はステンレス製だったが、のちに車体が朱色に塗られてしまった >>58
>車体はステンレス製だったが
これだとスキンステンレスみたいだ >>60
国鉄キハ35系900番台の製造とサロ153形900番台のサロ110型化は同い年だけど
サロ95901(のちのサロ153-901)とサロ95902(のちのサロ153-902)の新製は1958年だよ
サロ110型900番台はスキンステンレスでキハ35系900番台はオールステンレスだから構造もかなり違う >>57
自分もくろさぎをみてガッカリしたものです ここまで新京成モハ307の話題なし。やはりマイナーすぎるからか(かく言う私も存在してたということしか知らない)。 新京成のは
最近、ピクトリアルのアーカイブスや
RMライブラリーで知ったな >>28
モハ6021ね
いずみ野線開業日に二俣川で写真撮ってた ステンレス車体と言えば
EF30
アルミ車体と言えば
コタキ29000
純アルミ・連結注意のマーキング
アコタキ29000 JR301がアルミカーなのに塗装されるようになったのも、汚れが激しかったからか?
103系1200と紛らわしくなった。 301と同じ区間走ってたのに、営団5000アルミカーが無塗装のままだったのは、アルミの材質が違うか、汚れ落としをきちんとやってたからか? アルミでも成分によって表面の酸化被膜のできかたが違うのかと。
汚れがつくんじゃなくて材料自体が変質する 子どもの頃、営団5000系のような無塗装アルミカーって大気汚染による酸性雨で、水素出しながら溶けやしないかと思ってた。
1円玉アルミ貨を塩酸につける実験からの連想で。 >>71
すげぇ豪華な実験だこと。
俺の子供時代はアルミ箔だったぞ。 >>71 餓鬼の時に、そこまで考えるとはお前スゴイな。
そもそも機械が動けば何がしかの環境に影響があるワケだし
餓鬼の頃の俺は、素直に今までよりは何がしかの環境ダメージが減る
(メリットが大きい)くらいしか考えていなかったよ。
俺はメトロと乗り入れしている私鉄の中の人間だけど、降雪期にホームに撒く
融雪剤でメトロ車の車体が痛むので使用を止めるようクレームが入ったハナシを知っている。「
その後も別の融雪剤を使っているからどう?成分違うのだろうか?
アルカリが弱いだけ? ステンレスやアルミ製の路面電車は過去に存在したっけな? 名古屋市が計画してたがコスト面で無理があって御蔵入りになったという噂を
鉄研の先輩から聞いた
軽量化狙いだったという 骨組&台枠までステンレス製の電車の製造の特許権を東急車両が握っていたために京成3500系&都営新宿線10−000系&名古屋市交通局鶴舞線3000系&北九州市地下鉄1000系がオースステンレスの車体で作られなかったのは残念ですねえ。 茨城交通のステンレスDCに乗りたかったが
果たせず、目にしたのはダルマさん 中小私鉄が新車で調達したステ車
静鉄1000、岳南1105、茨交600、ほかには? >>80
新京成、北総、千葉ニュータウン、江ノ電、伊豆箱根、箱根登山、神戸電鉄、一畑、いよてつ、山陽あたりかな 静鉄は元々噂というかそんな話が出ていたようだね
地元の同人誌のバックナンバーを読んで知りました
と同時に自社製造からも撤退し外注化することも…… >>84
あれアルミじゃなかったのか・・・
いや失礼しました 造りの良さでは南海6000が頭ひとつ抜き出てるかな
長寿を保てたのも納得 片開きの京王3000系
片開きのステンレスカーは通勤車では南海6000 東急5200位か?
しかしステンレスカーのモーター音、 なぜカルダン車は皆 甲高いのか?起動時?205が違和感ありすぎた >>80
岳南は乗車したことあり
大井川で再開
晩年はかなりガタが来てるように見えたが
外板ステンレスの輝きは失せてはいなかった あまり光沢が強すぎるのも対向車の運転士が眩しくなるため好ましくないとされていた
昨今はステンでもそんなにピカピカしてないもんね 東急5200系は渾名が湯たんぽ。
コルゲーションが湯たんぽの表面の凸凹に似てるからというが、
昔の鐵道ファンはネーミングが巧みだね 夕陽の反射が目立つことはあったな東急8000 8500とか
眩しい程ではなかったが >>97
5000系の青蛙に対して銀蛙というのもあったと思う
でも湯たんぽの方が語呂がいいし、一般的に定着したのもこっち 青蛙は実在するが銀蛙なんて名前の生物はいない
定着しないのは当然 >>86
何を指して造りの良さと言ってるのか解らないが
直線的な構成こそステンレス車の特徴であるから
東急7000系に軍配をあげるのが至当であろう 国鉄が205系に軽量ステンレス車体を採用すべく当時の東急車輛に軽量ステンレス車体の製造技術を強制公開させた頃にはバッド社の特許は切れてた?
それとも軽量ステンレス車体の製法はバッド社の特許とは無関係? 都営地下鉄三田線6000系。今年の1月鉄コレ6両セットが
出たから買ってしまったよ、俺。 >>78
京成3500形の最終増備車はオールステンレス車体。ただし、3500形の更新
計画が途中で中止となったため、更新されたセミステンレス車よりも先に
廃車となった。
都営10-000形も途中(船堀−篠崎間延長開業時の86年に増備された編成)から
オールステンレス車となった。 ステンレス車体に塗装する場合サンドブラストとかで表面を荒らさないと塗料が食いつかないってマジ?
鉄道模型でもエッチングキットはメタルプライマーを吹いてから塗装しないと剥がれる
ステンレスなど非鉄金属用のメタルプライマーは市販されている
http://www.asahipen.jp/product/detail.php?top_cat=04&cat=01&middle_cat=07&item_code=14893 営団5000はステンレスとアルミの両バージョンだけど、印象に残っているのはステンレス版。
俺の記憶は0系新幹線、ステン5000の東西線、黄色だかウグイスだかごっちゃの101/103(低)
山手線から始まる。
10年ほど前、何度か北綾瀬に仕事で行って、アルミ版ながら5000と会えてほっとした覚えが
ある。
が、それも今は昔。
綾瀬署の出勤隊列は、署の入り口に消えるまで○暴と区別出来ない強面軍団w 二子橋の道路併用単線を、ステンが走っていたのを何人知っている。 >>110 ハイ!挙手
ステンレス車で最初に早死にしたのは、阪神の初代5201−5202ジェットシルバーだな。
一緒に阪神を退団した 試作車の5001ー5002は、双方も細部に違いのある異端車なのに車体は琴電で蘇ったのに・・・
ここでも異端車(ずば抜けたキワモノ)だからか?瓦町駅ホーム隙間対応で扉埋め(二扉化)が溶接困難で諦めたのか? 東急は 初代5200、6000、7000、7200では光沢のあるステンレス鋼板を折り妻加工で反射を考慮して色調印象に変化を持たせる事を狙った
切妻の8000、8500になり反射が煩わしいだけのものになり
9000、1000では梨地に戻る
但し梨地は、目が粗いので 洗車で汚れを落としにくい でプラお面で反射の問題の解消した
新5000や新7000の途中で光沢外板に戻る。 ステンレス技術を国鉄の圧力で公開させられた訳だが、私鉄車両に特化して製造続けていれば、潰れなかったかな。 205や211が何両作られたと思ってるんだ
(全車東急車輛で作ったわけじゃないけどね) 昭和4年生まれのウチの婆さま(故人)は、「昔は省線電車にジュラルミンの電車があったんだよ、ガイコツが走ってるみたいで気色悪かった」などと言っていた 鉄に理解のあるお婆ちゃんだね
昔は珍しかったんでは? >>63以降、北鉄→大鐵しらさぎが語られないけど、あれ、地元石川県ではデビュー当時「シャンデリア電車」って呼ばれてたんだって。
シルバーの車体が、夜になると室内灯やら外の灯りやらに反射して、シャンデリアのようだって言われたからとか。
いかにも田舎ロマンスカーのエピソードだと思った。
でも乗ると吊り掛けモーターの音が…。
足回りは旧型車だから、アルミ車体は軽量化の為の苦肉の策だった。 >>116
婆ちゃんなんてのは大抵孫には理解あるだろ >>117
シャンデリアに例えられたり、湯タンポに例えられたり…。
コルゲートがなければ弁当箱だし…。 シャンデリアの話は初めて聞いた
そういう喩えもあるのか 地味なまま一生を終えた近鉄3000
当初は京都市烏丸線乗り入れ車としての地位を与えられ、
量産も噂されたが結局は1編成のみ、
烏丸線乗り入れにも使われずひたすら京都線ローカル運用に勤めた