仙台鉄道スレ [転載禁止]©2ch.net
存続するには改軌と電化が必須
そこまで投資できたかどうか 自動車事業を兼業してたら
やっぱり鉄道は廃止されてただろう いや、バス専用道として残っていれば面白いと思ったものだから… 学院大通っていた時、山の寺の歩道橋の所にある廃線跡を歩いて、八乙女まで行った事が何度かあったわー >>16
京津線みたいに地下鉄と部分統合みたいな形になるんじゃない
線形の悪い八乙女までの地上線は廃止して地下鉄化で、泉ヶ丘辺りまでは高架線とか
ただ吉岡以北は遅くとも平成初期には廃止されてそう 仙台鉄道〜市電〜秋保電鉄の直通運転を妄想したわ
勿論改軌電化込みでねw >>24
非電化郊外線・市街地路面電車・電化郊外線
だろ?
調和してないし全然萌えないわ 健在だったころは全線走破に2時間半くらいかかったらしい。 >>29
非電化軽便鉄道なんてどこもそんなもんだろ 栃尾、下津井、草軽、三交(北勢・松阪・内部・八王子・三重)だけか 小坂鉄道の一部もだ、あと花巻。戦前もいれればもっとでてきそう。 あと遠州鉄道奥山線の一部、福塩線の一部(戦前に改軌)… 仙台鉄道は戦前の短い間、直営のバスを持っていたらしい。 凄い伸びてる・・
俺の生まれる遥か前に消えた路線だが以前から関心持ってたんでこれからもちょくちょく来させて戴きます 自分にとってのバイブルだった保育社「カラーブックス」の旧版(表紙は下津井電鉄)にも
残念乍ら仙台鉄道は紹介されてなかった
仙北や沼尻はカラー写真入りで紹介されてたんだけどな(´・ω・`) 1950年部分廃止、1960年全廃だからなあ
でも1961年全廃の秋保電鉄は結構資料が残ってる不思議
1年しか違わないのにこの差はなんだやっぱり立地の差? >>25
通町はすぐに改称されて社北仙台になった
「しゃきたせんだい」?「しゃほくせんだい」? あ、違った
市電延伸のあおりで路線短縮があったんだね
だから通町と社北仙台は別の駅だ。ごめんなさい 通町のあたりね、
とても駅が立地していたとは思えないね >>47
「しゃきたせんだい」
国鉄の北仙台と区別するために頭に「社」をつけた。
「社」とは、会社線つまり民鉄線の意味
同じ用例には、福井鉄道の「社武生」があったが
これもいまは廃止されてしまっている 部分廃止で路線が仙台市域にかすりもしなくなってしまったがそれでも改称はしなかったんだな
あえて改称するなら「加美鉄道」「北仙鉄道」といったところかな ググると10年前には西古川に仙台鉄道乗り換えの案内板がまだあったらしいな >>52
ネームバリューの違いかな
「仙台」と「加美」では月とすっぽん
ただ仙台に拠点をおいてないからってことで
今なら誇大広告やら虚偽表示などと難癖をつけられそうだな あと過去帳入りしてる線でも江若、北鉄金名線など多士済々 大学時代に東京の某有名大学の鉄研が主催してた廃線跡を辿るツアーみたいなのに参加した時に
講師役を引き受けてくださった地元の研究者の方の解説が興味深かった
>>25で名前の挙がってた2地点を結ぶ路線(青葉軌道)が計画されてたことも・・・・
青葉の件がwikipediaに記事が出たのは、その後だったと思う 結構有名な話だと思ってたがそうでもないのか>青葉軌道
あと、ウィキは無視した方がいいぞ
古い事案は誰も根拠を確認できないのをいいことに書きたい放題だからな まあ、参考程度にしてますので大丈夫です
確かに仙台市役所が発行してる市史に記事が出ていますが、
知ってる人は少ないと思います >>60
宅地化されてる仙台市内区間の方が路盤跡がそのまま生活道路になっていて当時を偲ぶのにも適してるように思う
郊外に出ると田畑と一体化されて全く判らなくなってしまう 七北田川の橋が台風で流されてトドメか
やっと前の災難から立ち直りかけてたのに、自然は残酷なことを容赦なくやる 元々赤字体質だから災害に見舞われなくてもやがては廃止にはなっていたでしょう 部分廃止後は営業成績が改善したらしいので
時代が時代であればもしや、
という期待も持てなくはないと思うなあ 仙台都市圏の拡張期まで持ち堪えられたかどうかだな…
ビミョーだな >>40
吉岡だって。
いつなくなったかはわからない。
末期の加美中新田〜中新田の鉄道もやめて、仙台鉄道の名のもとに代行バスを走らせたっていうから
そっちにも営業拠点があったのかどうか。 >>66
あの通りが元線路敷という触れ込みだが、ちょっと狭過ぎないか?
ナローだから犬走りはこの程度なのかな 鉄道を全部廃止したあとも、会社は中新田〜加美中新田の
バス会社として存続していたんだね。
そして仙北鉄道と合併して宮城バスになったと。
仙北鉄道(軽便)というと瀬峰から築館、登米への廃線跡を
バス専用道にしたけど、
今は費用がかかりすぎるから管理は自治体に振ったらしい。
仙台鉄道の廃線跡もバス専用道として残っていれば、と思う。 少ない投資で開業するためには用地代も極力ケチりたいでしょ 1067mmで国鉄と直通可能であればどうなってただろう >>80
古川や鳴子温泉まで直通急行とかあったかも
少なくとも東北自動車道開通や4号バイパス完成する70年代後半まで廃止はなかったと思われ 1067mmでつくる資本が集まらないから762mmにしたんだろうけど
仙台〜古川間は鉄道敷設法別表第19号に載ってるから
王城寺原への軍事輸送というものがかなりな量だったら
国有化されて改軌されていたかもしれない ううむ、多大なる可能性を秘めていたのだね
なんだかすごく惜しい気がしてきた 栗原電鉄のように軽便で開業してもその後に改軌する方法もあった 1913年には陸羽(東)線が小牛田から岩出山まで開通しているんだ。
仙台鉄道(軌道)が最初の区間を開業させる9年も前だ。
都市間輸送は眼中になく、地域の需要をこまめに取り入れる軽便だったのでは。 こまめな需要でも数を集めれば経営が成り立つくらいにはなったのかな >>84
栗原は三菱の大看板の元で経営できたことを忘れてはならない 栗原電鉄みたいな鉱山鉄道は鉱物を産出してる間に一気に稼いでしまおうという戦略
その為の投資は厭わない >>91
三菱の直営ではない
というか予想外のレスに驚いたわ
書き方が拙かったか 仙台鉄道にも大衡の亜炭輸送がそれなりあったはず
けど軽便規格の貧弱な設備と有効長からして長編成の運行が無理だったから大した収益じゃなかったのかな ナローは貨車を国鉄に直通させられないのが致命的。
旅客は乗り換えてもらえるから良いが、貨物はそうはいかんのでね。 >>97
遠州鉄道奥山線の廃止の一因もそれだよな
>>98
仙台鉄道でググると現役時代の写真とかそれなりに出てきたぞ 松島航空基地や苦竹の陸軍造兵廠がある宮城電気鉄道(→仙石線)のほうが、
改軌を要する仙台鉄道よりも、国有化するにふさわしいと考えられたのかも。 Wikipedia に
「…大正末期以降は、並行道路上を走るバスやトラック等との競合が激しくなった。」
とあるけど、並行するバスはどの業者だったのだろう。
今は宮城交通に併呑されてしまっているだろうけど。 1920年代のバスとかエンジン50馬力もない時代やん
どんだけ遅いねん 昔の笑い話として、子供が汽車と競走したら勝てた、なんてのがあったが、
強ち作り話では無かったのかも 仙台鉄道(開業からしばらくは仙台軌道)は当初、最新だったであろうガソリン機関車を投入したが
非力なのとトラブル多発で、後年、結局、蒸気機関車を入線させた
ようなことがWikipediaに書いてあるな。 新幹線はともかく、現在のバスなら
仙台〜古川駅 53〜55分
よくある妄想通り、改軌電化して泉中央?で地下鉄と乗り入れたとしても
相手になれるかどうか。
途中駅に用事がある人は乗るだろうけど。
仙台〜中新田 (なかにいだ、と読むのは結構有名?)は 1時間17分
こっちはいい勝負になりそうかな? 水害でやられた施設を復旧するカネが足りなかったのでは、
線路敷きをバス専用道にする余裕など無かったのでしょうか。 まず廃線をバス専用道路へ転換って例が当時はなかったはず
白棚線が最初だったと思う 仙北鉄道のキティ台風にヤラれた瀬峰〜築館のバス転換が1950年3月だそうだ。
白棚線は1957年にバス専用道化したとか。 仙北鉄道築館線は、バスに転換されるとき
公聴会が開かれたほど地元の抵抗があったらしい。
仙台鉄道では廃止反対(鉄道復旧)運動は起きなかったのかな。
地元民は、今ある道路の上を走るバスでじゅうぶんだと思ったのかな? 仙台鉄道が改軌されててもし陸羽東線直通急行とかあれば国鉄払い下げのキハ04が単行で走る姿が見られたのだろうか >>111
むしろ七北田までで系統分離されそうな気がする 1958年まで王城寺原の基地は米軍に接収されてたそうだけど、
彼らにとってニブロクナローはあっても不要な存在だったのだろうか? 戦時中はそこそこ需要あったらしいが
連合軍専用車両もなかったみたいだし戦後は微妙だったのかも 奥州街道になるべく沿ったつもりなんだろうけど
町からは離れたところを通っていたのだろうか >>115
陸前大沢辺りから志戸田まではそう、田んぼと山しかない
吉岡とか色麻、中新田はは割と旧市街通ってると思う