青函連絡船5便 [転載禁止]©2ch.net
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おれも87〜88にかけて3回ほど乗ったけど、
その時は「大脱走マーチ」とか、曲名知らない爽やかなピアノ曲…だった記憶がある。
なお、3回のうちの1回は、函館入港・着岸寸前までぐっすり眠ってたんで、
何の曲がかかってたかなんて全然語れない; …というのは秘密w 青函連絡船に乗ると桟敷席の居場所を陣取ってから最初に売店に行って
必ず買う物があった。最新の道内時刻表と青函連絡船の絵葉書セット。
乗った船の絵葉書を出して裏にスタンプを押してから案内書へ持っていくと
事務長か部下の人が○○便、○○○丸とゴム印を押してくれていい記念になった。
キヨスク売店左側にある四つ葉牛乳自販機となりにあった、記念メダルも
集めたけど本体以外に刻印料金もかかって、八甲田丸と十和田丸と大雪丸で
やめてしまったが普通は日付と氏名を刻印するのだが、自分は名前の所に
便名(23B)と船の名前を昔の電話のダイヤルみたいなの(大きな水色のダイヤル)
を回して刻印したよ。
グリル○○(船名)がオープンすれば必ず行ってイカ刺定食や海峡丼を食べてそれから
サロン海峡でコーヒー飲むのが定番のコースでした。 昭和40年代すでに特急志向が強かったな
早朝の「おおぞら」満員「北海」わずかに空席「ニセコ」余裕
午前の「おおぞら」ほぼ満席「おおとり」空席あり「宗谷」ガラガラ ほうほう
だからその時期には貧乏旅行で周遊券を使う学生が急行八甲田や十和田を
使っていた・・・と まぁ、青函連絡船乗ったってだけで自動的に27歳+αだからなぁ。
青函連絡船に乗った当時中学生でも、もう40だ。 あの当時、急行すずらんが運休だったのはなぜなんだろう。
いつも北海道は北海道ワイド周遊券だから、遠慮せず特急の自由席を使わせてもらっていたけど、
北斗なんかは増結車まで付けてるくらい乗車率悪くなかったのに、
時刻表に運休中の表記付きでスジだけは載っていたよね。
連絡船の廃止前後。
まだ、はくつるもゆうづるも結構混んでいた。 >>80
そうそう、四つ葉牛乳の自販機だった
3.4牛乳だっけ?
アレを飲むと「流石は北海道の牛乳、味が濃い」と勝手に思い込んでいた餓鬼の頃… >>87
多分、よつば3.4牛乳だったと思います
1975年当時は三角の牛乳で80年代から四角い牛乳に変わりました
3.6牛乳の自動販売機は今でも函館駅のホームにあります
青函航路がなくなって移動が北斗星に変わると函館駅で
例のよつば3.6牛乳を飲みながら青函航路の想い出に耽りましたよ >>88
上野駅の大跨線橋にあったよつば3.4牛乳の自販機に、遠く連絡線の向こうの北海道に想いを馳せた日・・・ 青函連絡船亡き後九州の港にフェリーで着いたら真っ先にみどり牛乳のコーヒーミルク飲んだな >>86
1980年10月1日ダイヤ改正で夜行急行すずらん5・6号は
廃止となり、函館〜札幌間の寝台付き定期列車は廃止
その後、季節臨で繁忙期のみ運転。 はまなす廃止でまたひとつ青函連絡の名残が消える・・・ マクドナルドと同じ戦略
利便性の高い商品を排して
新幹線(ビッグマック)を売る
大人の休日と青春18も止めたい筈 >>93
マクドナルドはハンバーガー59円で消費者に原価を推定させてしまったが、
青春18は原価割れの大廉売だな。 乗車券も他社またぎは打ち切り計算に
そうなったら自民党は完全に嘘吐き
http://i.imgur.com/2VCPlGJ.jpg 青函連絡船で思い出されるのは昭和55年くらいだと・・・
上野11:19(いなほ3号)21:45青森0:10(青函便)4:00函館4:45(おおぞら1号)15:02釧路
いなほ3号の食堂車で昼と夕飯食べて、おおぞら1号の食堂車で遅い朝食と昼食を食べた。
青函連絡船の中では出航前に売られるあらまき弁当などの弁当しか食えなかったけど・・・ いや、JRの株を持ってる奴にとっては、文字通り「私の鉄道」になったんだから、
その意味においては正しいwww
所詮、株主様しか見てない自民党よw 去年の報道で見た気がするが、大がかりな慰霊祭はお終いにしたんだっけかな。
60年目の節目と遺族の高齢化のため…だったと思う。
何らか開催されてたらごめんなさい。
新幹線は函館駅に入らず海からも遠ざかるし、どんどん歴史が忘れられそうだな。 夏の時期だけ昼間の便が陸に少し近付いてくれた時に連絡船の
プロムナードデッキから見た、仏ヶ浦の奇岩は素晴らしかった >>108
俺が乗ったときは、逆に陸から離れて「すれ違う十和田丸をじっくり見よう!」
だったけどなぁ。 >>109
自分が乗ったリバイバル運航は1988年8月1日の2便(函館9:30→13:20青森)
でしたがかなり陸に近付いていましたよ。
だれかがブログで画像をアップしてます
ttp://blogs.yahoo.co.jp/xdptj870/6775327.html 子供の頃の記憶なので、恐らく40年位前
青森から函館に行く際に、寄港(大間?)した事があった
調べても分からないんだが、憶えている方おられるだろうか 40年前の1975年、高校2年生の時に修学旅行で北海道へ行って
往復青函連絡船に乗船したけどゆうづる1号接続の3便や、
ゆうづる5号に接続する4便に乗ったけど寄港は無かったですよ 台風だったかなぁ? 函館本線の石谷〜石倉の土砂崩れで連絡線が室蘭港に行った事はあったよ >>114
スレ違いだが、函館駅構内の0キロポストを219m移設したっていうのは、そこから先のすべてのキロポストも219m移動したんだろうか? >>114
どのカキコに対して114リンク先の何が「これかな?」だったのか、
全然分からなかった。 乗船する度にメダル買って刻印していた。
最古は津軽丸。石狩丸などの貨物からの転用組?は
デザインが違っていた。
一番多いのは羊蹄丸かな。 >>115
>>114のサイトにある「0km000m00/0km219m00」という標識は
「ブレーキングポイント」と呼ばれる距離読み替え標識。
つまりその標識のところで、標識に書いてあるキロ程の差額分
キロ程の読みがズレますよ、という意味。
0キロポストの横にこの標識が立っているってことは、「0km000m00
を0km219m00地点と読み替える」ということ。
こうすればその地点から先のキロ程は、工事などで路線が短く
なる前と変わらないから、キロポストの移設などもしなくて済む。
線形改良とかで路線距離が変わったところには、必ずこういう標識
が立っていて、短くなっていればキロポストが飛ぶし、長くなってい
ればキロポストがダブる。
函館駅の場合、この標識によって「0km1」「0km2」のキロポストが
撤去されている。 コンドロイチンを飲んでから階段もへっちゃらですよ
*個人の感想です*
みたいな事か 青函連絡船が廃止される年に、いち早く運航を終えて、
アワに係留してあるタマセを雪の中、見に行った事がある。
実に寂しそうな感じだった。 おれも終航間際に見に行った。
当時の有川は、桟橋に大雪が係留されてるだけじゃなくて、
ヤードを解体待ちの旧客とDLが埋め尽くしていて、
一種異様な寂寥感に包まれていたよね。
地上施設から置いてあるものまで、全部が「廃」の世界。 電略アワは安房鴨川駅だったりしてw
今時電報略号なんて使うのかな?
FAXから今はオンラインだしねぇ >>78
俺もこの乗り継ぎをよく利用した。
3便では津軽海峡の夜明けが楽しめた。
6便は俺は夜型人間なので上野9:18着の「はくつる」でゆっくり寝坊したかった
から。
本州〜北海道乗り継ぎの便ながらも昭和50年代に入るとシーズン以外は200名程度
しか乗船していなかったな。 ゆうづるやはくつるに接続する便が20番台になったのはいつからだったけ? 昭和55年は青5:25(3便)9:15函、青7:30(5便)11:20函、青9:50(7便)13:40函だった >>128
21便は青森12:15発、23便は青森発14:55だったよ 末期は、
青森5時25分発→21便
青森7時30分発→23便
青森10時10分発→25便
函館15時00分発→20便
函館17時00分発→22便
函館19時45分発→24便
…って、青森で夜行に接続する便が20番台だったけど、
いつからこういう番号の付け方になったんだっけ?
21便で見た津軽海峡の朝焼けが懐かしい。 たしか、東北新幹線がらみで大きく便名が変わったんだよ。
11便、12便が101便、102便になって、貨物便も甲、乙、丙が150台、160台、170台になった。 >>115
流石にキロポスト全部移動はとんでもなく手間が掛かるw
高松駅や阪急梅田駅は0キロポストが駅移転で消えた
逆に東武伊勢崎線や京急本線は0キロポストの手前に線路延伸したためにマイナスキロポストがある 1980年頃に広島県福山市の常石造船に来てたのを見たことある
検査か修理かもしかしたら解体なのか知らんけど その時期の解体だと二代目渡島丸かな
旅客はすべて船舶として売却だから
貨物船では、日高丸・十勝丸が84年解体、空知丸は廃止まで持った 渡島丸の解体は函館。
1980年頃には、工事はすべて函館で行われており、内地のドックは使われなくなっていた。 青函連絡船、良い思いでだな〜、今でも無くなって寂しいよ。 >>135
日高丸と十勝丸は、廃船になったのは84年だけど、解体は分割民営間際の87年春だよ。
記憶に間違いなければ、海外へ回航されて解体だったはず。
それまで有川に係留されていた。
ちなみに十勝丸の解体は85年、解体場所は函館どっく。 最古の一行は十勝丸じゃなくて、渡島丸のこと。
間違ってごめん。 1987年4月1日 国鉄分割民営化に伴い、JR北海道函館支店に承継。
同時に船籍が東京から函館に移る もう15年くらい前だけど鉄道ジャーナル社の青函連絡船DVD
「長声一発!青函連絡船の旅路」を購入して偶に見てるよ 連絡船は出入港の折り折りに汽笛を鳴らしたけど、隣のカーフェリーはほとんど使わないんだな。
七重浜からの上りで後退の短声3笛は鳴らしたのは聞いたが、青森FT発着時の汽笛を聞いたことが無かった。
吹鳴義務や省略って法令上はどうなってるのかな? >>143
汽笛は、警告や信号でない限り鳴らさないのが普通でしょう。
青函連絡船はむしろ例外じゃない?
出航スタンバイで2発、出航で1発、入港スタンバイで2発、とも押せで短1発、make fastで1発。
それにしても良く鳴らしてたもんだ。
同じ国鉄の宇高連絡船は全くならさなかったけど、そっちのうほうが普通だと思う。 宇高の汽笛こそ「ダンプのクラクション」だよ。
青函のとは、性質が全然違うと思う。
港内とかで他船の挙動が危なく見えると、どけどけー!的に鳴らしていた。
あんな刺さるような音質の汽笛を、仮に、スタンバイだー、出航だー、着岸だー、と
パッパパッパ鳴らされたら、うるさくてかなわんw >>145
青函も、函館・昼間の出港スタンバイの汽笛は似たようなものだったけどね。 中学2年まで青森に住んでいたけど早起きの母が5:25発3便の汽笛が目覚まし時計代わりとよく言っていた 何もかもが懐かしい…
上野の地上ホームを夜行で出て、連絡船を乗り継いで函館が昼で、
暗くなる頃に着く札幌はまだ昔の地上駅で、そこから再度夜行を乗り継いで…
日本は広かったな…
来年には、いそいそと乗り込んだ連絡船が函館に着くのとほぼ同じ所要時間で、
東京から函館に…
トンネルは出れば北海道だけど、連絡船は北海道が近づいて来るんだよな。 >>147
今となっては、目覚まし代わりの夜行列車到着もなくなってしまいましたね。 >>146
音質が全然違う(という事は、意味合いも全然違う)。
青函のは、抒情的でさえあるが、宇高のは本当に警笛。
正面で鳴らされた時は、そこそこ距離あってもその音量と音質にビビった。 >>148
東北新幹線開業までは札幌から東京ですら日着できなかったのに、今は鹿児島中央までたどり着けるようになったんだよな。 >>150
青函のは、通常使うのはハーモニックのエアホーン。
函館の昼間のスタンバイだけ、モーターサイレンかピストンホーン(船により装備が違う)を使った。
宇高はピストンホーンだけ。
もともとホーンそのものが違うのだから、音が違うのはあたりまえ。
ちなみに、ほとんどのフェリーや商船はピストンホーンを積んでいるはず。 洞爺丸型の汽笛は甲高い音という証言が有ったというが、実際は「ボォー」という低い音だったかな。
ネット上に転がっている十勝丸(最後の蒸気船)の汽笛の音声データを聞いてみたが、低い音だった。
※当時のテープレコーダーで録音された音声である故に音質は悪い。 連絡船の音色が耳に焼き付くと、そこらのフネの単音が物足りなくなった。
同じ“ミ”音階でも『ブゥーッ』や『ベェーッ』て感じの大型船も多い。
そんな中で新・にっぽん丸のハモ音は通じるものがあったな。
横浜での出航をたまたま眺めてて、ハッとさせられた2012年夏。 青函フェリー「はやぶさ」(現)の汽笛の音は、あまりにも情けない音でずっこけた。
「プピィーーーーーッ」って感じでね。
まぁ、霧とかの時はあの音がよく聞こえるなどの理由があるんだろうけど。 船の科学館から何も発表されていないが、第7回連絡船講演会のお知らせが貼ってあった。
ttp://train-garakuta.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-da7a.html
前スレのN之湯氏なので確かな情報だろうけど、公式より前に出しちゃっていいのかな。 そういえばガキの頃は、夜と朝にボーとタグボートのピーがよく聞こえてたな。 青函連絡船のOBがいなくなれば
イベントも無くなり
このスレの住人もいなくなれば
郷土史家や鉄道史家位しか連絡船語る奴もいなくなる
当たり前なんだけど マリンガールの中の人も孫がいる年齢になってる位だしねぇ >>160
イベントって、やってるのほとんど東京だけだよね。
本場(?)の函館とか青森ではできないのかな?
OBも東京より多いんじゃないかと思うけど・・・ >>162
東京周辺で全人口の2割を占めてるからな
1万人に一人しか興味を持たないテーマだとしても2千人分のニーズが見込めるのが東京開催のメリット
函館や青森だと30人、札幌でも200人くらいにしかならない 青函連絡船の殆どがアジア諸国に売却したんだ
今でも現役なのかしら? >>164
もう現役なのは1隻もない、はず。
最終的に走ったのは「アジア諸国」ではなく地中海が多いと思うが。 宇高の方はインドネシアで大活躍だったみたいだけど、
青函の第二の人生は、それほど恵まれてない感じだよねぇ。 一昨年くらいに元空知丸がトルコで解体されてしまい、ついに稼働船は全滅したね。
羊蹄丸のプロペラは、今も船館そばの水辺で金色の姿を残している。 エンジン外されて係留しているのは、
廃船されてもエンジン有りだと船舶税かなんか課税されるの? >>168
エンジンがついていると
船舶の車検的なものが必要になるらしい 廃船の手続きすれば免れるんじゃないの?
船舶は違うのか。 途中で「書き込み」押してしまった
昨年が「天城越え」だったから順当にいけば今年は「津軽海峡・冬景色」なんだけど(基本的に交互に歌ってるので)
大穴で「能登半島」になる可能性も(北陸新幹線開業絡み&今年前半の朝ドラ) 前の方で話題にしてたレ汽笛
自分が乗船した時には津軽海峡中間地点でも鳴らした(1984年の夏)
レスを読むと必ずじゃないのかな?
鳴らしたのを聞いた時は青森港行きの上り便とすれ違う時だった >>177
通常は鳴らすことはないと思うよ。
行合船で鳴らしたりしてたのは最後だけ。
何か鳴らす事情があったのでは? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています