【24形】24系スレ【25形】 [転載禁止]©2ch.net
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>>46
カニ24-100になったのは52.1の4次車から
53.10で安芸が廃止された際、4次車の一部が彗星5/2の客車化目的で、広セキから大ムコに転属
55.10の6次車も大ムコ配属
57.11で秋アキ24系用に転属するまでたまに見られた
大ミハの2次車、南シナの3・5次新製配属車を除いて、25型は車両ごとに結構細かな転属が多いんだよな
24型は多いとはいえ、形式間改造車を除き一括して大ミハ→南シナ→盛アオ→秋アキ→盛アオとなってるが >>32
以前、この件について調べた事があったので、長文になりますが少し補足させて下さい。
1975年3月〜品川に24系が配置され「はやぶさ」「富士」「出雲」で使用開始されたのですが、
当時の24系24形は基本編成と付属編成の境となる7両目(6号車)と8両目(7号車)のオハネフ24が顔を向き合わせる形で編成されていました。
※1両目は電源車で号車設定なし
「はやぶさ」「富士」は7両目(6号車)までが基本編成なのですが、「出雲」の場合は出雲市留置線が短かった為、8両目(7号車)までが基本編成となっていました。
当初、「出雲」の編成は他の2列車と共通運用(出雲の時は付属編成のオハネ2両減)だった為、出雲市〜浜田では最後尾8両目(7号車)のオハネフ24が尻を向ける形になっていた。
続く〜 〜上からの続き
でも、1975年6月あたりから「出雲」の付属編成は他の2列車とは別に8両目(7号車)のオハネフ24が方転(東京方が顔)された編成となり尻出し解消となったので尻出し走行が見られた期間は3ヶ月くらいらしいです。
尻出し解消後の編成は7両目(6号車)と8両目(7号車)のオハネフ24が共に東京方が顔となっている。
当時EF65に付いていた「出雲」のマークは、1975年3月〜梅小路での付け替え作業省略で上り列車はマーク無し(下り方に付いたまま)での運行だったが、1975年6月から東京区出庫時に機関車両側にマークが付けられ、上り列車のマーク無しも同時期に解消されている。
長文にて失礼しました。 >>57>>58
詳細な説明ありがとうございます
基本的な質問スマソだけど、オハネフ24はオハネフ25みたいに背中側にテールライト付いていたのかな。 スハネフ14のエンジン音より、オハネフ25のベビコンの音が気になって寝つけなかった事ありませんでした?
区画で言えば1〜5番あたりですかねぇ…。 ベビコンって何の略ですか?
おそらく俺の想定してる音のことだと思うけど
うん、あったね。
オロネ24でもあった。
それよりもっと圧倒的に、イライラして
寝付けない要因になっていた不快な音は
個人的には、一定以上の速度の際に断続的に続く
貫通幌のバタバタバタ…という同期音。
開けっ放す癖のある他客やレチがいたら一大事
寝れず苛々しながら廊下扉を
何度も閉めに行く羽目になるw
寝台列車好きで1988年から乗り鉄に仕事出張に
数限りなく乗ってきたけど
たった1度だけだが、余りに開けっ放されるのが続いたので
お願いを一筆書いたのを把手に貼ったこともあった。 あの客室扉は偉大だね
貫通扉がついていない車でも、あれ1枚しめたら
五月蝿くない。 オロネ25の洗面台から続くチャプチャプ音がウザかった オロネ25って通路側がアタマで寝るのが
デフォだったような。
で、そうやって寝ると
扉の窓カーテンからの隙間光で寝られなかった。笑 列車名忘れたけど1両俺しか乗ってない事があったな
切符見に来た年配車掌に「貸し切りですかね」って言ったら「寂しいもんですよ…隣の車両は無人ですし…前の方は団体の方で埋まってるんだけど」って 銀河でザラにあったよ。
すいてるから、よく5号車禁煙を指定してたけど
席番まで指定しなかったらいっつも3番なんだよw
(知ってると思うけど車両内で一番最初に割り当てられるのが3番)
で、乗ったらやっぱり俺一人
席番まで指定しても俺一人
あのとき「きさらぎ駅」の話がすでにあったら
行けてたな。笑
でもその環境で乗れた末期のほうは
すでに名古屋駅付近にタワー増えてきた頃だったから
下り(未明)で見ると誰一人も居らずキラキラと宇宙都市みたいで幻想的だったよ >>62
ベビーコンプレッサー。Cのいくつだったが忘れたけど、昔のF誌に詳しく書いてあったが、30年くらい前なので思い出せないorz そう言えば銀河のカヤ24の引戸に「荷物の積込禁止 宮原運転所」みたいな事が手書きで紙に書かれた物が貼られていた。
そうでもしないと、積込んでしまうのだろうかねw
例えばブルトレ便に積み忘れた荷物や、荷主から「どうしてもお願いします」と泣きつかれた荷物とか…。
しかし、実際はカヤ24にもカーゴスペースはあるらしいじゃない?
と言うか、防音の為のデッドスペースなんでしょうかね? >>69
と言うか、元々その場所は防音の為のデッドスペースなんでしょうかね?
で、お願いしますm(_ _)m オロネ25体験出来んかった人間には、うらやましいわ、保存施設ねーし「あけぼの」のオロネは乗ったけど、九州ブルトレとは別物だし。 >>69
カヤ24のそのスペースは荷物を積む為でしょう。
カニ24と比べたらショボい量しか積めないけど、そのせいでマヤ→カヤに変わったんだし。 >>71
宿泊は出来ないが、昼間ならば見学自由で
日田天領水「元氣の駅」で実車を公開展示しとる。
マレーシアに譲渡された車は「マラヤン・タイガー・トレイン」で運行開始したが
早々に中止されたまま結構経ってる
後者は俺も乗れなかった オロネ25-300番台は地味なのか、あまり話題にでないのかな?
“瀬戸”“下関あさかぜ”はロネやラウンジカーが連結される前の方が貫禄があったね。
シルバー帯の100番台、電源車+B寝台モノクラスでの14両編成は実に圧巻!と、言うこともさることながら、
最高の編成美を醸していた。 >>74
シルバー帯の25形って、光の具合で青一色に見えるんだよね。それが理由で、さくら・みずほの14系よりもはやぶさ・富士のが好きだった。 皆言うように見かけの編成美は随一だけど、
列車設備としてあるいは時刻表上では
モノクラスは魅力が半減なんだよなあ。 >>77
だったらそう書かんとね
分かるだろは通用せんよ ↑
それ言う相手は>>24だろ。
どうみても>>77は24本人じゃねえし 国鉄時代に24系が40年以上も生き残るとは、20系初期車が20年程度で消滅したことを考えたら誰も予想できなかっただろな。
しかし国鉄って組織と富士重工はどんだけ頑丈な車両作る技術あったんだ。 知らなきゃ損
裏の抜け道 やったもん勝ちなんです
ボーナス+見返りてんこ盛り〓女好きにはたまらんです
▽を消して Rをcに変換して
s▽nn2Rh.net/s11/06iyo.jpg >>81
あれよりも旧型客車の方が長生きしたもんなぁ。 24系、カヤ24が登場当時マヤ24だったことはあまり知られていないよな。 カヤ24て積載量0.5tてクラウンのステーションワゴン級じゃん。
まぁ新聞輸送用ならそれで十分かw
ブルトレ便だったら満載の商用バンが駅に来たらそれ以外アウトだなorz カニやカヤの編成外側は並形自連、オハネフの編成外側は密着自連でしたが、機関車に牽かれた場合にそれぞれに違いがあった
とか感じたスレ住民さんていますか?自分は全然わからんかったけどねw >>86
どっちにしろ並自が入るんだからガクンガクンは一緒じゃね? 消防低学年の時分、上野から(まで)の推回では電源車が牽引してると思ってたw 密着といっても隙間あるからな
北海道いくやつは12両だから気にする差でもないんだろ。トワイライトはそれすら気にしたんだろうけど
というかカニはなんで並形なんだろうな。トワイライトは密着にしたんだから密着で問題ないだろうに 昔のF誌で、ブルトレを牽く66の運転士の手記が掲載されていた記憶が甦ったんだけど、並形自連と密着自連では
引き出しに差があると言うような事が書かれていた。発車時に機関車側から順番に引き出されて行くにあたり、
起動時の空転を極力抑えるために遊間を確保したいため…、とかじゃないか?
じゃあオハネフは?と言うのは中間にはいる可能性があるからだと思う。
ナハネフ22は中間に組み込まないから、編成外側が並形自連なんだろうな、多分。
同じ20系でもナハネフ23は中間にも組み込む設計だから密着自連なんだろうな。
緩衝装置のストローク+並形自連の遊間で起動一発目で空転を抑えるためと見たが、どお? >>89
本来ならばカニやカヤも他車への影響を考えると密自連がいいだろうに。 どうせ組む相手は100パー並形自連で、密着自連の効果も薄いし高価だしって可能性もあるかも。 >>92
EF65500番台Pは並自でFは密自なんだよなあ >>93
それイレギュラーなスペシャルケースでしょ 66やFは10000系の為であって、24系の登場時はブルトレ牽くとは限らなかったろ
普通に考えてオハネフと違ってカニは必ず編成端だから機関車との連結時でも機関士の腕でカバーできる範囲なんだよな お客さんを乗せた24系客車の最短編成って何両だべ? 本来はカヤ24が白帯で24形の電源車で、カニ24がステンレス帯で25形の電源車だったけど、
実際はカヤ24は25形編成に、カニ24が24形編成に連結されてるケースが多かったような気がする。 24系にはだいぶお世話になったけど、ロイヤルやツインDX、グランシャリオ、夢空間などに感動があるにはあったが、
銀河のオハネフ25、九州ブルトレのオロネ25に初めて乗った時の感動の方が大きかったように思う。
また、グランシャリオが悪かったと言う訳でもないのに、なぜかオシ24のビーフシチューの方が記憶に鮮明に残っている。
まぁ、元を辿っていけば20系ではあるんだけど、それはそれで24系に限って言えばの話しってことで…。 いつ頃だったか忘れたけど25形の銀河で大阪に来た女子学生が終着直前にトイレに入っていたところ
回送するため動き出した列車に気が動転してあちこちの非常ブレーキを触って作動させてしまったために
列車が動けなくなってしまったという事があったけど、通常の停車(停止)の場合は客車側のブレーキは作動させるものなの? >>99
臨時だったら5連程度か?
櫻島号がそうだった筈。 >>102
あなた様は客車のブレーキは@非常の時、A減速する時、B留置・停止後の転動防止のため、に使うとお考えなのでしょうか? 編成中の全車両が最大制動しなきゃ非常の意味ないだろ とうとう(到着日基準で)あと3日になったか・・・
ブルトレ世代の俺としては、万感胸に迫るものがある 乗り鉄目線(国鉄型寝台客車)的には
「はまなす」がまだあるんで >>108
カーペットじゃなくてハネも取れないの? >>109
とりにくいとネットでニュースになってた 「はまなす」じゃ横になったら、すぐ到着みたいでゆっくりできないよね。
かつての「富士」みたいに24時間乗せろとは言わないけど、せめて10時間くらいは乗っていたいな。
今となっては、贅沢な望みだな…
>>112
いやいや
ハネには変わりないけど、やっぱ俺は解放ハネにこだわりたいよ。 >>113
拘りたいなら最初からズバリ開放ハネと書かんと >>113
でも実際に稼働している国鉄型寝台客車(原形開放ハネ)としてはもう最後だよ?
すでに乗車時間の長短に難を言う次元じゃない
短いなら乗車回数で補えばいいよ
廃止されたら、動いている国鉄型寝台客車(原形開放ハネ)には
二度と乗れなくなるからね… >>115
まだ客車があるうちに団臨でも企画したらどうだ? >>114
だね。スマソ
>>115
禿同。
仕事が(今も仕事中だがw)なければなあ… 「能登」
スハネフ14(3段)+オハネ14(3段)+オハネ14(3段)+オハフ15+オハ14+オハ14+オハ14+スハフ14
「ちくま」「だいせん」
スハネフ15+オハネ15+オハ12-3000+オハ12-3000+スハフ12-3000
「かいもん」
オハネフ25 100+オハネ25 100+オハ12+オハ12+スハフ12
…だっけ!? 「能登」
スニ41/オロネ10/オハネフ12/スハネ16/スハネ16/スハネ16/スハネ16/スロ62/オハ/オハ/オハ/オハ/スハフ
「ちくま5・4」
スハフ12/オハ12/オハ12/オハ12/オハ12/スハフ12/スハフ12/ナハネ20/ナハネ20/ナハネフ22or23
「だいせん5・8」
スユニ50/マニ50/カヤ21/ナハ21/ナハ21/ナハ21/ナハネ20/ナハネ20/ナハネフ23orナハネ20/ナハネ20/ナハネ20/ナハネフ22or23
下り 上り
「かいもん」
*オユ14/マニ50/スハフ12/オハ12/オハ12/オハフ13/スハフ12/ナハネ20/ナハネフ22
*門司-西鹿児島
Data is 1980. >>116サン
口で言うほどそう簡単にはいかんのよ。
やってみたらわかるよ どっかに何度か書いてきたけど
サンライズはシングルツインに乗れば
かろうじて国鉄型開放ハネ風味にはなる。
上段を収納せず出したままにし、
上段照明を1つだけか2つとも点けて、
下段は座席化してテーブルを引き出し、
下段の照明はとりあえず全部消す。
国鉄型開放ハネ下段の窓側に着席した雰囲気に
そこそこ近くなるよ。
20系なら海側、24系なら山側を取得すれば
それぞれ追体験チックな乗り鉄が可能。
ただし九州へは行けないけどな(´・ω・`) >>122
うん九州行くのは
最近またフェリー使ってるよ。
>>123
雰囲気や設備的にはプルマンロネなんだけど
寝台幅が狭いよね。
だから国鉄寝台車基準で開放Aと開放Bの
中間くらいの感じ。 何かね、札幌発上野行急行「銀河」が不定期で品川行となり、大阪まで延長運転する…という夢を見てしまった! 銀河→カニ24 10・13・14
出雲→マニ50 501
*共にEF65 1118牽引有り 24系って(25形も含めて)事実上、ブルトレのエースだったよな。 何気に、あさかぜ2・3 瀬戸みたいなモノクラスの編成って見た目綺麗だよな 中身は安普請なんだけどな。東機や宮原、下関に入ったPFも安く作ってあって悲しくなった
でも確かに綺麗だった。ステンの銀帯を光らせた25型をPが引っ張ってきたのを初めて見た時
は本当にかっこよかった そう言うけどさ
14or24は長持ちじゃん
安普請とは違うべな 24系25型が東京発着の寝台特急に進出した昭和51年10月。その直後の運賃.料金50%の大幅値上げがはからずもとも24系を含む以後の寝台特急が棘の道を歩む元となってしまった。 世代や個人的好みによるから
喧嘩したいわけじゃないけど、
ブルトレがピーク時の機関車だったPは
どうしても野暮ったいんだよね
非貫通+塗り分け+飾り帯アリという顔が…
単色のEF81は野暮ったく感じないから不思議
PFの顔つきのほうが颯爽としてて若々しい
ピークを過ぎて凋落が始まるという
さいごの徒花みたいなところも
PFが好きな原因かも。 >>130
それは保守修繕管理部門のなせる技だね。昭和40年代後半〜50年前半の車両はどうしようもない。PF後期とか
183系、50系なんか最たるもの。381や301みたいに例外もあるけど おれ、PFの最後期(汽笛カバー・スノープロウなし、PS22)が一番好きな見た目なんだよなぁ。
あと、64-1000も好きだ 65PFはPS22Bが似合うが、寒冷地装備の省略は悲しい。
(中期が好き) 富士やはやぶさが25形に変わった当初はEF65P形が牽引していたけど結構似合ってたよね。
博多あさかぜが25形化されたのとEF65がPFに交代したのは同時ではなかったかな?
あとED73との組み合わせもなかなか良かった。 >>136
博多あさかぜが25形化されたのは昭和53年の1月
EF65がPFに交代したのは同じ年の7月から10月1の改正まで順次 オロハネ24 501,オロネ24 501,スシ24 506には、引き取り手が現れて欲しいな。 改造車や復元車のほうを
珍重あるいは有難がって残したがり、
主力系列のオリジナルが存在してても
それはないがしろにして残さない。
(例:主力だった大阪市電1701系列の車は
一両も公式保存車なく、市電保存館には
復元車ばっかり。しかもそれらは
単なる旧状復元でなく別種車からの改造復元)
長期活躍した車両ならば車両で、
人々の記憶にある末期の姿を大切にせず
製造当時の姿に安易に復元したがる。
(例:京都市営が綺麗に保管していた
末期姿のN電を、梅小路動態の際に
明治村や静態車で多数ある明治期姿に
安易に復元、末期姿で綺麗なのは
もはやオレンジエンパイアの車しかない)
例示が路面電車に偏ってしまったが、
日本人の特徴だわ。 オハネ25 229・231・238が岩原スキー場前に並ぶなら、それもアリかな? 9/2の北斗星用24系NN廃回
カニ24-508+カニ24-506+オロハネ24-501+オロネ24-501+オロハネ24-552+オロハネ24+553+オハネフ25-214+オロネ25-505+オハネフ25-215 >>143
スハ43がガタ来てるっぽいが…あっちの方が丈夫? >>145
守門の10系はもっとヤバいみたい
来シーズンに大雪降ったら潰れるかも 10系は35・43系より先に全面撤退したもんな
流れを汲む20系も似た様なものだな 南シナに3両残ってましたけどね。うち2両は90年代まで車籍あった。
ハザだって山陰でちゃんと最後まで残ってたし、57.11まで寝台は使ってたからな。言うほどでもない それで小田急9000・5200も悩まされたんだよな
(8000は201系並みに対策をとった) >>148
品川のはナハフは80年代から控え車代用じゃん >>150
8000は業界初のユニット式一段下降窓だと聞いた気がする。 スレ違いの話題に便乗して恐縮なんだけど、
関西の私鉄(近鉄・阪急・南海)だと小田急9000・5200登場以前から
下降窓を採用していて、それが原因で車体劣化による廃車とか聞かないどころか
未だ現役の車両もあるけど、何が違うんだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています