【24形】24系スレ【25形】 [転載禁止]©2ch.net
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>>502
>難燃化は後年14系も全車やってるので、ここは同等になってる筈。
残念ながらそうではなかった
窓枠の構体との緩衝部材が木材のままだったとか、14系寝台車は見えないところに最後まで可燃材が使われていた >>500
おまえ鉄模板の新客車スレで、サワ座の展望車の前にスハネフ連結するのは違法云々言って荒らしてた奴だろ 仮定の話になると毎回得意気に否定してくるジジイだな。客車関連のスレに必ずでてくる 悔しいのうwww
501 名前:回想774列車[sage] 投稿日:2017/10/26(木) 08:09:09.93 ID:xGK6kN5m
>>500
オシ14からの改造車あるんですが、意味ないんですね。さすがです
506 名前:回想774列車[sage] 投稿日:2017/10/26(木) 20:42:56.32 ID:xGK6kN5m
仮定の話になると毎回得意気に否定してくるジジイだな。客車関連のスレに必ずでてくる >>504
北斗星用に14形のオハネ14を開放寝台のまま
オハネ24とオハネフ24にしたけどその時はどういう風に対応をしたのだろうか >>508
徹底した難燃化が24系製造の目的なのに、同等の難燃構造ではない14系を混ぜて使ったらそもそも24系を作った意味がないんですが >>508
500番代も編入改造に際して床構造の変更、寝台のクロスの変更、化粧シートの交換などで難燃化を図ってる >>508-509はやり取りが日本語として成立してないのでわかると思うが、>>509は仮定の話>>499に対する>>500のコピペな
残念ながらこのスレには人の足を引っ張りたくてしょうがないヤツがいるということだ >>502
オシ14・オシ24それぞれのツナギ
オシ14
右側が厨房側
前位・後位に給電範囲を切り分けるための遮断器あり
○─┐ ┌─○ KE85
○┓│┏ 冷暖房 │┏○ KE8
┃│┃┏ 食堂電源 │┃
┃│┃┃┏ 一般電源 │┃
●┻┿┻┻┻━━━━━┿┻● KE8
●─┴────────┴─● KE85
オシ24
右側が厨房側
14系にはある給電範囲を切り分けるための遮断器はない
オシ24
●━━━━━━━━━━━━● KE10 (←オハネ・オハネフの冷暖房への電源供給用、オシ24は引き通しのみで未活用)
┏ 食堂電源
┏冷暖房┃┏ 一般電源
●━┻━━━┻┻━━━━━● KE10
●────────────● KE85 >>502
>「全車オシ24に改造したうえで、14系と混結」
19両も改造するのはかなりの手間と時間ががかかると思うんだが、仮にこれをやったらどんなメリットがあったんだろう?
1975年3月改正当時の品川運転所配置の14系・24系食堂車
オシ24 配置10両(0番代5両、100番代5両) 使用8両 予備2両 「富士」「はやぶさ」「出雲」
オシ14 配置9両 使用8両 予備1両 「さくら」「みずほ」「いなば」
※「富士」「はやぶさ」「さくら」「みずほ」はそれぞれ3両使用
※「いなば」は食堂非営業
※オシ14・24は1975年3月改正から全車品川に集中配置
※オシ14は「日本海」「あかつき(2往復)」の食堂車を廃止し早岐から品川へ7両が転属、全14両のうち5両をオシ24へ編入改造
※オシ24は向日町から品川へ全5両が転属 >>509
混ぜて使おうが別々に使おうが特に違いはないだろ >>516
さくらみずほは2両で回せるから、配置9両使用6両 >>516
実際の需給面で見れば、19両の改造でねん出できるのはせいぜい2両なので、
恐らくは「あさかぜ」の24系化の時に、「はやぶさ」「富士」の食堂車を
途中回転にしないで済んだぐらいじゃないかと。
東北新幹線が予定通り開業して、「新星」あたりの余剰14系が回せてれば、
寝台券が取りづらく食堂非営業だった「いなば」(出雲3/2号)の
オシ→オハネへの差し替えで、オシを捻出する方法もあった。
結果はそうならなかったけどね。 >>518
指摘に感謝
「さくら」と「みずほ」は折り返し時間が短いので3組で運用してたと思ったんだが「さくら」「みずほ」は2組で回してたってことだね
同時期のオロネ14の配置が品川7両早岐7両と、品川には7両しか配置がないので確かにその通りです
編成が共通で折り返し時間が長い「いなば」「紀伊」とうまく組み合わせて運用してたんだろうね
「さくら」
1レ 東京1630→長崎1148
2レ 長崎1603→東京1130
「みずほ」
5レ 東京1700→熊本1123
6レ 熊本1636→東京1105
「いなば」
2003レ 東京2040→米子1055
2004レ 米子1600→東京625 >>519
オシ14は配置9両で使用6両、しかも「いなば」の2両は非営業となると、品川のオシ14は予備車がやたら多かったことになるので、
理由が気になって当時の雑誌をあさってみたら鉄道ファン1975年7月号にこんな記述があった
>いっぽう,九州の特急基地早岐の14系は健在なれど,今回は食堂車乗務員不足の影響により7両品川へ転属された.
>これは関東特急の24系化により不足する食堂車の補充措置で,7両中5両を24系化改造し,2両を14系予備車に編入することとした.
ということは、オシ14には1975年改正で余剰車が発生するがとりあえず品川へ配置していたという事になるのかな
高砂工場で改造されたオシ24の100番代は、種車を元早岐が2両、元品川が「あさかぜ」に使ってた3両と改正を踏まえて選んでるな オシ24不足時に当時から余剰気味なナシ20からの編入があったら面白かったのに オシ14が2両余剰のまま品川に配置となっていたのならば、オシ24 106・107を追加改造して充当するといった選択肢もあったのに
それをしなかったという事は、熊本・大分以南の食堂車の需要が極めて少なく、組み換えによる捻出の方が妥当と判断したからだろう
だとすると「あさかぜ」へ食堂車の捻出という話が仮になかったとしても、食堂車はいずれ付属編成への組み換えが行われて
いたのではないか
1978年2月 「はやぶさ」「富士」の食堂車を基本編成から付属編成へ組み替え、24系化される「あさかぜ」の食堂車を捻出
1984年2月 「紀伊」廃止で単独運転となった「出雲3・2号」は食堂車連結を中止、2両のオシ14が追加で余剰に
1984年6月 ホリデーパルサロンカーへ改造 オシ14 1 → オハ14 701
1985年2月 「はやぶさ」のロビーカーへ改造 オシ14 9・4 → オハ24 701・702 >>522
20系とそれ以降では電圧が違ったんじゃないかな、
ブレーキシステムも異なるなど、結構大きくいじる必要があったかもしれん。 >>520
運用は「南東121 回1レ→1レ→2レ→回2レ→回5レ→5レ→6レ→回6レ」だった
>>522
趣味としては面白いが、オシ24は24系のなかでもまで特に徹底的な防火対策を取った車種なので、余剰があったとはいえ
老朽化したナシ20を今更オシ24と同等の防火対策を取ってまで24系に改造するのはあまりに現実的ではなかったんだろう
1975年に唯一24系に編入されたカニ25は、老朽化もあり15形が登場するまでの暫定使用の前提で改造されたわけだし >>524
ナハネ20の1000番台は実質12系への編入なので難易度は意外と低いかも? >>523
オシ14はオハ14ホリデーバルやオハ24のロビーカーへの改造はあったけど
オシ24は700番台の改造はあったけど食堂設備を撤去する他の形式に改造されることは結局なかったよな >>526
20系1000番代は12系と連結するナハネ20にだけ昇圧のための変圧器を設置したのと自動ドア回路の追加がメインなので
12系編入とは言いがたいような
それに20系1000番代って12系と同様に110km/hで走行できたんでしたっけ? >>528
当時の記事を調べたが最高速度についてはどこも一切触れていないので110km/hで走行可能のままのようだ 補足だが、1000番代への改造に際してブレーキ関係をいじったとの記述も一切ない
となるとブレーキはAREBのままだが、現実の運用が12系併結限定のため、MRはスハフ12から供給はされるものの、AREB本来の
能力を発揮できる組成がなされることはあり得ないので、実質95km/hでしか運転できなかったって事になるのかな 1000番台は急行用だし10系寝台の老朽化対策なんだからそう言う事だろうと思う
カニ25はどうなのかな? >>532
カニ25は編入に当たって24系と同じCLブレーキに改造された
もっとも当初は長崎本線内での限定運用だったから、110km/h運転などあり得なかったけど >>533
予備車として向日町に移動するとは想定されてなかったのだろうな >>534
結果的にCLブレーキに改造されてたのが活きたわけだ >>534
予備車と言いながら明星とか彗星でしばしば使われてなかったか? しばしば使われたから予備車なんだろうに
非常用じゃあるまいし >>516
オシ24にもし統一するなら九州ブルトレで一時期24系と14系を併合していたように
富士とはやぶさとさくらとみずほと出雲の基本編成を24系にして
富士とはやぶさとさくらとみすぼの付属編成を14系にして共通運用にしたらどうだったのだろうか
24系はB寝台4両とA寝台・食堂車・電源車がそれぞれ1両
14系はB寝台5両とA寝台1両と想定 >>538
単なる切り落としでしかない富士とはやぶさの付属編成を敢えて14系に変える必要性が理解できない
1両分の定員を食いつぶすが15両の給電能力を持つ電源車を14系でも賄える程度の給電のために組み込む必要性が理解できない そして出雲市以西の需要が極めて旺盛だった時代に出雲の基本編成を共通運用として6両に減車する必要性が全く理解できない 電源の不経済性もそうだけど、富士・はやぶさ・出雲はわずか1年半後の1976年10月に3段式の24型からAは個室・Bは2段式の
25型に置き換えとなったわけだが、25型の構想が既に具体化していて、すぐに基本と付属で寝台設備が大きく違う状況になって
しまうのが明らかな編成とするわけがないよ >富士とはやぶさとさくらとみすぼの付属編成を14系にして
>14系はB寝台5両とA寝台1両と想定
これだとオロネ14が最低でも8両必要になるが品川には7両しかないんだけど
>>541
確かにそれはまずいよな さくらはやぶさ・富士となはあかつきの14系24系併合はもっと話題になっても良かった >>541
1年半のみ24形が富士・はやぶさ・浜田出雲市にわざわざ使われたのは東京発着ブルトレから20系を極力外したかったからかな?
博多あさかぜはA寝台個室の関係で20系使用を継続するしかなかった事情はあったが。 >>545
その可能性はありそう
24形は東京口だとオシ24以外は富士・はやぶさ・出雲とオロネとカヤがのちに銀河で連結されるぐらいしか
定期運用なかったからな >>545
おそらくそうでしょうね
当時は関西ブルトレに25型が投入され初めていたがB寝台車のみでオロネ25はまだ存在しない
関西ブルトレは食堂車の従業員確保が困難という課題を抱えていた
関西ブルトレに25型を先行導入した理由は山陽新幹線博多開業による需要減により2段化による定員減でも対応できると判断したため
→東海道ブルトレは山陽新幹線博多開業後も引き続き需要は高いと当時は想定していた(増結での定員増は不可能)
いっぽうで20系の老朽化・陳腐化は深刻で、14系14型との差も歴然としていた
→所要数と在籍両数がほぼ一致し、14型とほぼ同型で若干の定員減だけでアコモ改善が可能な24型を転用して対応と判断
こんなところかと ナハネ20 定員54名
オハネ24(3段) 定員48名
オハネ25 定員34名
かなり差があるな 1976年のみ20系一党支配だったあさかぜ51/52号に進出したんだよな。 >>553
ARC資料館見る限り他の年も24系の運転実績があるよ >>554
最後のころの臨時あさかぜも24系25形使用だった >>555
それは81号になってから数年後のことだね。
51号から81号に変更されたと同時に14系になった(つまり博多第2あさかぜを彷彿させる編成)はずだし。
20系時代は下関あさかぜを彷彿させ25形時代はブルトレブームの頃のあさかぜを彷彿させていたな。 >>556
最初は尾久の(旧品川配置)さくらとみずほの付属編成だった14系14形と
熊本で定期運用がなかった14系15形(一部は長崎の14形も)が使用されていた
24系25形になった後は鹿児島や熊本や尾久の24系25形を使用して
14系も宮原の15形が使用されるようになった >>99
ものずごく遅レスだが
臨時寝台急行トラン・ブルーサッポロ H4.2.14横手→札幌・16札幌→横手
電源車+B寝台車3両の4両編成で青森所属の余剰車で組成
定期では5両編成
出雲 出雲市−浜田 S63.3.13〜H10.7.10
彗星 大分−都城 H7.4.20から南宮崎 H6.12.3〜H12.3.10 ※閑散期のみ
日本海 青森−函館 H10.12.8〜H18.3.18
なは 鳥栖−熊本 H17.10.1〜H20.3.15
夢空間車両3両込編成ならおそらく
夢空間ブライダルトレイン 上野→札幌→上野 H9.12.20〜22での6両編成
一部区間でEF58-61とEF81-81の重連
トワイライト車両だけならおそらく
トワイライトエクスプレス車両で行く福井の旅 H27.10.1大阪→福井・2芦原温泉→大阪での5両編成 80年代前半は24系も14系も製造バージョンが揃っていて編成美があったよなあ
24系 関東東北方面
25型 0 関西九州 関東東北
25型 100 200 関東九州
14系 関東九州
15型 関西九州
87年あさかぜ金帯化が発端で 北斗星の登場や関西ブルトレ廃止 3段寝台2段化
で金銀白帯 北斗星ドア改造 24系列混用 14系列混用 銀帯を白に 挙句の果ては
富士・はやぶさで14系と24系併結など。さくらみずほ顔の富士とか見てらんない >>564
向日町の25型だけは、78.10〜86.11まで0・100・200混成だった
0番台:新製配置
100番台:78.10の安芸(広セキ)廃止に伴う余剰車が彗星5/2の583系置き換えのため転入、明星3〜6・彗星2〜5に運用
200番台:80.10の20系特急運用廃止用に新製配置、80.10では明星1・3・4・6、彗星3・2に運用
この後、82.11で明星3・4を廃止しつるぎに転用(大ミハのつるぎ用25型0番台は日本海3・2の2段化用に転用)、86.11までは(明星→なはの列車名変更はあるものの)原則この体制で推移 ありがとうございます。自分は関東育ちなんだけど田舎が九州で、昭和56年7月
有明で鹿児島から福岡に向かう途中で駅で交換のためすれ違った多分明星の25型
0の美しさが忘れられない。東京口の25型100 200とは違って山側でも大きな窓の
ズラリとした整列具合とオハネフ25 0の折妻顔。見慣れてないから余計新鮮だっ
たのかも知れないけど。東海道山陽筋では海側山側というけど九州西岸では逆に
なりますね。実際はあの中に100番台も混ざっていたはいたのか。 マニアックで贅沢かも知れないけどこの時代を知るものとしてはJRになってからの型式ごちゃ混ぜ具合とか、更には2000年頃以降の上野口の北斗星車輌のボロボロ具合(まるで昭和57年の10系寝台車!!)とか残念でありました。 Twitterで「秋田港 24系」と検索すると凄く悲しくなるわ。
JR側は「もうJRの所有物ではない」との主張らしいが最後はどうなるんだろう。 鹿児島県阿久根市の阿久根駅敷地内に放置されていた(かつての)寝台特急「なは」用客車
オハネフ25(デュエット車)・オハネ25が香川県へ
朽ち果てて行くばかりのブルトレ車両に心を痛めていた香川県の男性
ネットを通じて協賛篤志家を募集、既に現在の管財人とは合意しており準備が整いしだい香川県へ移送する
費用は900万円(内訳:車両が100、移送設置費用が800) 25形が登場した頃になると、食堂車はオシ24やオシ14からの改造で賄ったり、
電源車をカニ22から改造したりと、20系、14系、24系と比べると
何か綻びというか苦しさが見えてくるようなった気がした。
100番台以降は緩急車も方向転換不可のナハネフ23みたいな切妻に戻ってしまうし。
200番台で方転可能には戻ったが無骨な折妻だったし。
それがロビーカーとカルテットの登場以降、改造車だが個室やらシャワー室やらなんやらが
ワンサカ登場するとは、しかも九州方面以外でも出てくるは思わなんだ。
そして今やブルトレは全滅。
電気を動力のエネルギー源としていない客車でもSLでも全部『電車』と呼ばれるようになり、
列車の数え方は一本、二本ではなく一個、二個となり
車両の数え方は一両、二両ではなく一台、二台となった。 >>569
えっ!? 阿久根駅のオハネフとオハネ、四国に引っ越すの!?
5年前におれんじ食堂に乗った時、物凄く綺麗な状態だったのを見て
近々再訪しようと思ってたのに オロネ25の個室は、ナロネのルーメットみたいな部屋割りにして
サンライズのシングルツイン下段みたいにベッドの中央だけ取り外し可能とかにしても良かったような。
(ついでに上にエクストラベッドも付けて二人連れの宿泊も可能に)
でも営業中に破損して客から文句が出る恐れを考えると
当時の国鉄としては座席とベッドの転換も何もないベンチ型の方が良かったのかな? 未来から来たとか言っているよく分からない人から「こうした方がいいぞ」と言われた
「なんだこいつ」
「気持ち悪い」
「頭がおかしいんだな」 ttp://livedoor.blogimg.jp/kinisoku/imgs/4/2/42f183a0.jpg 「ついでに」という単語が入ったカキコは読む価値なし >>576
猛暑のせいか頭がいかれたアカウント出現中
ブルートレインを復活させる会有限公司 @dD3zL1WuBU4svE6
私どもブルートレインを復活させる会有限公司は、かつて日本中を駆け巡ってたブルートレイン(寝台列車)の復活を目的とした会社です。
大手インバウンド旅行会社から、巨額の出資を受け、ブルートレイン運行に向けて第二種鉄道事業者となる為、発足した会社になります。
ブルートレインを復活させる会有限公司 @dD3zL1WuBU4svE6
弊社の今後の動きについて
私どもブルートレインを復活させる会は、かつてブルートレインとして活躍していた24系客車を全国から7両(電源車)集め委託整備工場にて
通常走行が可能な状態に修理、復元をします。また、牽引機に関しては、川崎重工業車両カンパニー様と製造契約を結ぶ予定です。
ブルートレインを復活させる会有限公司 @dD3zL1WuBU4svE6
牽引機の方はDF200形ディーゼル機関車の方を検討しております。車両塗装は客車と同じ青に金帯を予定しております。
ブルートレインを復活させる会有限公司 @dD3zL1WuBU4svE6
有限公司とは?と疑問を持たれたかも多いでしょう!
有限公司とは日本語で株式会社という意味です。残念ながら弊社まだ日本での法人化ができておりませんのでこのような表記になっおります。 >>578
集中砲火を浴びて昨日のうちにトンズラに草 鹿児島県阿久根市・阿久根駅の放置ブルトレ
香川県のうどん屋さん買い取り寄付金運動(クラウドファンディング)失敗
解体か?朽ちるまで放置か?
https://i.imgur.com/pIHStcN.jpg 昨晩、秋田港の放置の24系の一部が再度レールに載せられたらしい
ttp://twitter.com/hato7you/status/1209512873434632193 at: 2019/12/25 01:35:15
24系 ついに動く!
日中、アチハ車両が集結していたので深夜遊びに行ってみると…
長らく大浜埠頭に放置されていた客車が運び出されております。
この後はどうなるかわかりませんが
ttp://pbs.twimg.com/media/EMkNivRUcAEmL7m.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/EMkNivSUcAEEv9D.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/EMkNivSU8AE222M.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/EMkNivSU8AAR8SO.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 背景はこういうことらしい
埠頭の「あけぼの」客車プチ移動、「撮り鉄」注目
ttp://www.sakigake.jp/news/article/20191227AK0028/ 2019年12月27日 掲載
かつて秋田県内を走った寝台特急列車「あけぼの」に使われ、2015年から秋田市の秋田港大浜埠頭に置かれていた客車27両が、24〜26日の深夜、
約2キロ南東の秋田港駅に運ばれた。会員制交流サイト(SNS)で話題になり、情報を得た「撮り鉄」が県内外から昼夜を問わず訪れている。“プチ移動”の
理由とは―。
「ファンにとっては伝説の車両。レールに乗って客車が連なっていると、やっぱりかっこいい」。25日午後2時すぎ、さいたま市の会社員男性(33)は秋田
港駅に並ぶ客車を見て、こう口にした。駅横の市道で一眼レフカメラのシャッターを切っていた。
駅に止まっているのは「24系」と呼ばれる寝台客車。14年3月に廃止された寝台特急「あけぼの」(上野―青森)に使われた。同じ寝台特急「日本海」や
「北斗星」などと共に、青い外観から「ブルートレイン」の愛称で親しまれた。
大浜埠頭に寝台客車がやってきたのは15年11月。JR東日本広報部は16年3月の取材に対し、都内の貿易代理店に27両を有償で譲り渡したと説明。
「代理店からは、客車をコンゴ民主共和国に輸送すると聞いている」としていた。
しかし、その後4年以上、客車は県所有の埠頭のアスファルト地面に、整列して置かれたままになっていた。県秋田港湾事務所によると、代理店から1カ月
ごとに使用申請が更新されていたという。
客車に動きがあったのは24日夜。移送作業を見た人の投稿がSNS上で拡散され、翌25日からは移送の様子や秋田港駅に移った客車の写真の投稿が
相次いだ。同事務所によると、作業は24〜26日の夜に行われた。
26日午後9時すぎには、最後の6両を運ぶ作業が行われ、1両ずつクレーン車で大型トレーラーに載せ、長さ約20メートルの客車を運んだ。周辺では
小雨が降る中、鉄道ファンがカメラやスマートフォンで撮影していた。
年末のプチ移動には理由がある。同事務所が今年7月、風力発電用風車の部品など埠頭に置くものが増えてきたことを理由に、所有する貿易代理店に
客車を移動するよう要請。その期限が今年末だった。
秋田港駅の留置線のレールに載った客車は、今後どうなるのか―。秋田港駅を管理する秋田臨海鉄道は「荷主との関係もあるので話せない」と説明。
JR東日本広報部も「譲り渡した車両なので分からない」としている。 ttp://twitter.com/kokimat0107_new/status/1245602103059288064 4/2(木)15:40
@kokimat0107_new
情報量が多すぎる秋田港駅
ttp://pbs.twimg.com/media/EUlEf9jUUAIB8AP.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) スハ25は停車中もパンタから大電力を吸い取るが架線溶断しやすいのでは?
カニ22で架線溶断事故が多発し問題になった
パンタ付き客車で注目されてたが直流専用 >>589
20系スレで知ったかこいてるアゲ坊やだろ まさにクズ鉄
ttp://www.akirin.jp/wp/wp-content/uploads/2020/04/e9e76aa84fe15748eb87af1afadfde4a.pdf
秋田臨海鉄道株式会社 2020.04.23 留置車両からの部品の盗難について
情報提供にご協力下さい。
謹告
留置している車両からの部品の盗難について
過日、当社駅構内に留置されている車両(24系寝台車)からの部品の盗難が確認されました。
複数の車両の鍵が開けられており、愛称幕及び行先方向幕が装置ごと外されているのが確認されています。
これらの事象につきまして、現在、当社敷地内への不法侵入と盗難の点から警察に通報し、警備を強化することとしております。
これらの車両は第二の活躍の場を求めてお客様からお預かりしている今となってはJRの本線上で走行していない貴重な車両達です。
今後、弊社といたしましても、防犯カメラの設置など警備を強化するとともに、今後、このような犯罪行為には警察とも協力して
断固たる措置を講ずることとしておりますので、転売等も視野に何か情報がございましたらご一報いただければ幸いです。
以上 出羽とゆうづる4号の並走
ttp://pbs.twimg.com/media/Ec0QV7JUMAU8Iuc.jpg 『ブルートレイン 3車両をつくる』
https://hcj.jp/EF66/home.html
※ 全120号の完結予定となります。
はっ、完成するんか?
総額いくらや?w >>592
よく見ると出羽は後ろから2両目が銀帯だな
オハネ24-701〜703「カルテット」の種車捻出の代替として1986年3月末に品川から秋田へ転属したオハネ25-38・140・141のどれかだ
なお、2002レ「出羽」と4レ「ゆうづる4号」が上野6:08同時到着のダイヤだったのは1982年11月改正から1987年3月改正まで 北斗星営業開始前に改装されてしまったラウンジ席がある札幌のスシ24車内の写真(石勝線9414レ・1987年6月6日)
ttp://pbs.twimg.com/media/EmKJNAXVgAEswR4.jpg
スハフ14+スシ24+スシ24+スシ24+スハフ14 という組成で編成内の給電方法はすごく気になる カニ22に端を発した電源車の信頼性に関する興味深い考察
ttp://twitter.com/SEI_YASUMA/status/1331992270925488129
ttp://twitter.com/SEI_YASUMA/status/1331991707513065473
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>595
これ元ネタはどこの記事?
北斗星の食堂車にラウンジ席はなかったよね。 >>600
1987年の改造当初はラウンジ席があった
1988年の北斗星投入前に室内を再改造されて消滅 1987.05.04 奥羽本線糠沢
1001レ
ttp://pbs.twimg.com/media/EqZJfVtVgAAHyNC.jpg
1003レ
ttp://pbs.twimg.com/media/EqZJg0sUcAIcINM.jpg ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています